アタシに任せとけ
#ベイカー サイド
「じゃあさ、この爆弾もダイバーエースみたいに爆破の噴出口を1箇所とかにすればある程度爆発に方向を持たせられるってことか?」
「そうなる、でもそれをする意味がなぁ」
「町中とかなら?余計な被害出さないに越した事はないだろ?」
「…確かに、指向性を持たせられれば市街地では有効かもな。」
「だしょー!」
得意げなメルファを横目に、ベイカーはつい笑ってしまった
イグリゴリからの追跡を避けながら、目的地とする古城群メテオライへと向かう道中
ベイカーは自身の武器である大型拳銃ジャックローズや機構剣ダイバーエースについての解説をしていたのだが
思いのほか、メルファが興味を持ち根掘り葉掘りを聞いてくる為
それに答えながら進んでいたら辺りはすでに夕陽が差し込み始めていた
「そんなに興味持つなんてな、なんか意外だな」
ベイカーがポツリと呟くとメルファは頭の後ろで手を組んだ
「いやー…盗賊とかじゃなくてさ。そういう真っ当な知識で仕事とか…なんてぇの?技師?とかできたら良いんだろうなぁって思ってさ」
「へぇ…?」
「おかしいかな?…やっぱ女は給仕とか…?」
「何もおかしくないさ、俺に教えてくれたのも女性だった。ミザのお母さんでさ、未だにアリスさん以上に腕の立つ人なんて見た事ない」
「へぇー…アタシでもやれっかな?」
「メルファにその気があればできるさ。」
一瞬の間さえなくベイカーは答えた
道中話した技師としての知識を、メルファが世間話や暇つぶしとしてでなく、吸収しようとする姿勢に見えたからこその言葉だった
「…やっぱ盗賊なんて向いてないだろ、初対面ならともかくそんな人間にゃ見えない」
「…ぐぅ、いや…ちょっとは悪いこともしてんだ。真っ当な人間じゃないのは確かだぜ」
「なんだよ?悪いことって…」
「そりゃ…畑から野菜盗んだり、干してる肉盗んだり、生きてくために…悪いとは思ってんだけどさ」
バツの悪そうな顔を浮かべるメルファを横目に思わずベイカーは吹き出しそうになる
「な、なんだよ?」
「いや?そういや泣く子も黙るサンセット盗賊団とか…仲間がいるんじゃなかったか?」
ふと思い出したのは出会ったばかりのころ、メルファが出した盗賊団の名前
メルファの身の上などの話題はそれなりにあったがそれに関する話はついぞ聞くことがなかった
「いやぁ…あのですね…そんなものないというか…」
またしてもバツが悪そうな顔で視線が露骨に泳ぐ
「まさか…でっちあげか?」
「見ろよベイカー、夕陽が眩しいな…細けえことなんて忘れちまいそうだぜ」
「盗賊団は細かくはないだろ、でもなんでそんなものでっち上げる必要があるんだよ」
「ま、渡世術みたいなもんさ!アタシみたいななんの後ろ盾もない田舎者が生きてくためにさ、行き着く町町で噂を立ててたらいつかは正体不明の盗賊団ができあがるってことさ。そんでなにか事件があったりしたら、それも盗賊団の仕業だってことにすりゃそれなりに広まり方もするもんだぜ」
「苦労してんのは分かってたけど中々涙ぐましい努力もあったんだな…ま、その気があればやり直すことはできるはずだ。」
「ベイカーさんの助手とかでもいッスよ!自分!…ん?待てよ?ベイカーって…なんなんだ?」
「俺か…?俺は、ええと…」
改めて問われると返答に困る
以前はルグリッド公国の国王、ルベリオ・ウェイヤードによりミザリー、リーダと共に国王独自の遊撃隊とされていたが今なお、そのままであるとは言えない
ハイゼン武国に修行として三年身を置いてはいたが、それも兵士として公式にという訳でもなく
今現在、実はルベリオによる指令を受けて行動しているのだが
あくまで個人的な意思が強いため、ベイカーの意識的にはルベリオに支援して貰っているという認識だった
つまり
「…何も…してないな…」
「………無職…っ」
「…ミザを取り戻してから考えるさ」
「どんまい…んだべな…しかし暗くなってきたなぁ」
メルファの言う通り徐々に暗くなってきた空が何かを予感させる気がしてベイカーは唇を噛んだ
「確かこの先はメテオライに着くまで長い森林とかだったはず…つっても明るくなるのを止まって待つって場合じゃないよな」
「ああ、森林なら追手が来ても撒きやすそうだし。まだ行けるか?メルファ」
「おうよ!」
景気の良い返事にベイカーは頷くと、更に歩を進めることにした
確かに向かおうとしている森林はなかなかに密度濃く木々が茂っているようで、夜間進むのには明かりがなければ苦労しそうではあった
しかし天気が悪いわけでもない
多少の月明かりは期待してもよさそうだ
チラとベイカーが後ろを気にする
追手が来ている気配こそないが油断できる状況でもない
イグリゴリにとっても、メテオライが重要な場所であることは間違いない上に明確にそれを阻害しようとするベイカーが向かっているのだ
このまま何もなしという訳には行かないだろう
それにベイカーの頭の中には昨夜相対したヴァレリ兄弟の事もあった
メルファを狙っていたあの兄弟は、一時撃退こそしたもののあれで終わるとも思えない
ナルスダリアが動くとは言っていたがヴァレリ兄弟の盲信的な崇拝から見るに、それも上手く収まるかどうかという疑問もある
「大丈夫だといいけどな…」
「ん?なんの話?」
「いや…まぁ、ナルスダリアなら心配するようなことないか」
「女王様なら大丈夫だろ、叔父さん…副団長相手にしてたはずなのにピンピンしてんだぜ」
「確かにな、副団長だけじゃなく周りにも大勢のイグリゴリがいても動じる様子なかった…多分一個人としての戦闘力も半端ない」
「…女王様と戦ったら勝てるか?」
「何言ってんだよ、別に争う理由もない。でも…」
「ん?」
「勝てるイメージは…湧かないな」
「…どんまい、ベイカー」
「なんだよ…ったく」
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# ナルスダリア サイド
コツ、コツとヒールを鳴らしながら優雅に歩く姿があった
肩に掛けた白いコートを揺らし、器用にも目を閉じたまま一定のリズムで歩く
数時間前にベイカー・メルファと別れて以降ナルスダリアも独自に動いていた
一度【マカブル】と言う悪魔の力
ベイカーらに説明こそしなかったがマカブルはディアプールという能力を有している
それは魔力により場所と場所を結ぶ力
端的に言えば瞬間移動にも似た能力
マカブルの魔力の一部ではあるその力を使い王都ニブルへイズに帰還、そして国政周りの調整や指示を行った
それはベイカーからヴァレリ兄弟の行動を知ったからこその対応
ナルスダリアの知らぬ所で動いていることに疑問を感じはしたが、政に関することで妙な動きをしている素振りは見えなかった
逐一の報告もヴァレリ兄弟以外の臣下による報告と差違があるわけでもない
だが状況的に念には念をの確認のためニブルへイズに戻ったのだ
結果として
「(関わらせている国に関しての事に虚偽報告や誤魔化しは見られない、ならば今回突発的に行動を起こしたか?…いや、そこまで軽率に事を起こす二人では無い。
ならば、起因はなんだ。
…いや、ベイカーの発言が答えだろう。
メルファだ。
イグリゴリの調査はあの二人も深く関与していた、その調査の過程で団長 ディエゴ・エルゲイトとかつての語り手ルシア・エルゲイトが子を残していることにたどり着いた。
そして、その子メルファが現れたことでディエゴ・エルゲイトへの楔になると考えた
その結果がメルファを捕縛すること
言ってしまえばイグリゴリとの対話もままならず、未だに平行線を辿ってしまっている国王である私の落ち度ということだ)」
スっと目を開けたナルスダリアは小高い山の山頂にたどり着いていた
空はもう黒に染まりつつある中
その視線の先にはぼんやりと建物の群が数箇所に松明の明かりを灯しながら佇んでいた
「…古城群メテオライ…灯りがあるということはやはりすでに先行している団員がいるか。」
一度ニブルへイズに戻ったとはいえ、マカブルにはマカブルが一度渡った場所あるいはナルスダリアの存在していた地を記憶することができ、それらを自由に行来することを可能とする力がある
イグリゴリとの対話を試みるためにこの現在地、ここまでは以前訪れたことがあったため、ベイカーらよりも数時間早くメテオライ目前までに辿り着くことができた
「(ベイカーらは馬もおらず、イグリゴリからの追っ手の相手もしなくてはならないだろう。今夜中にメテオライに辿り着くことは難しいだろう…マカブルを迎えに出すか?
いや…イグリゴリとの事はそもそも国王である私の責任であり責務、事は私が解決すれば彼らの問題も解決に向かう。)」
(ざぷん…)
静寂の中背後で水が揺れる音がなる
「…焦っているかな、私は。」
背後に現れたマカブルは声を発することはないが、それでもナルスダリアの背に視線を向けているようだ
「それでも目の前の問題を、一つずつ解決するしかない。私は一歩ずつしか進めない、進まない…そうだろう?」
〈ザ…〉
微かな足音、ナルスダリアの後方から静かに歩みよるものの姿
「ここに…来ることを分かっていらしたのですか?陛下」
現れたのはナルスダリアの腹心であるヴィンセント
「ああ、ヴィンセント…それに、ディルミリアも」
そして続いて姿を現したディルミリア
夜の山中、バリオール奏国の国王とその配下が顔を合わせるというミスマッチな会合
「ベイカーから話は聞いた、メルファを狙ったのは…ディエゴ・エルゲイトをおびき出すため、ということか?」
「仰る通りです…ご指示にない勝手なことをしたことは謝罪致します。しかし…」
「私が国民を犠牲にすることはない。」
静かに、しかし明らかに力を込めてナルスダリアは断言した
その言葉、その眼差しの強さはナルスダリアの国王としての威厳を示すのに十分なもの
側近であるヴァレリ兄弟でさえ思わずたじろぐほどの圧
「重々承知しています、しかしお聞き下さい。あのメルファという女は「代魔病」を患っており…やがて死にゆく運命であり」
「だから…どう扱おうが構わない、と言うのか?その犠牲を私が良しとすると…」
ピリ、と空気が張り詰めるのをヴァレリ兄弟は感じた
肌で、感覚で、怒りを
それでも弁明を止めることはしない
「国の為です!我が国はナルスダリア陛下の手腕により、安定に限りなく近い状態にあります!しかし、イグリゴリの存在は非常に危険なものであり、我らはその対応には後手に回らざるを得ない」
「それを打破するために、彼女の命を餌にディエゴ・エルゲイトをおびきだそうと?あわよくば人質として優位に立ち回ろうとでも言うのか?」
「…お怒りは察しております、ですが陛下がお手を汚す必要はございません。それは我々が…」
「断る。」
ピシャリと一言でヴィンセントの言葉を断つ
ナルスダリアはヴァレリ兄弟の顔を順に見ると目を細めた
「そんなことをさせるためにお前達を傍に置いたのではない。」
「わかっております!これは我らの意思で、国のため、ナルスダリアのためにと、独断で起こした行動でしかありません。」
「許されざる勝手だと分かっていても我らはこの命の恩義のために!」
感情的な二人とは裏腹にナルスダリアの声は徐々に静かになっていく
「私の言葉でさえお前達を止められないのならば…」
〈ビュンッ!〉
夜風を切る音、いつの間にかナルスダリアの手には2mほどの棒状の鞭が握られていた
「っ!…陛下っ…」
「本気…なのですね…」
「ああ、お前達を抑えるのには最早言葉では足りない。手負いのところ済まないが…制圧させてもらうぞ」
手負い、というのは
目に見えて怪我こそはないがベイカーがノーズヘッドで相対した際撃退時にダメージを与えた旨の報告を受けていたからこその発言
「…陛下…我らは確かに手負い。しかし、陛下がそれをご存知ということは…あの赤毛が…」
「ああ、ベイカーから聞いたさ。それに私は彼がメルファを救出するのに多少助力した。お前たちがメルファを犠牲にしようとしたことが面白いはずはあるまい?」
「…恐れながら申し上げますが、陛下はあの赤毛に過度な期待をされているのでは?…一国の王がそこまでの期待を持つほどの男では!」
「ベイカーに期待…?ふ、そういうものではない。ただ…」
「では一体なぜ?!」
「少しでも言葉を交わせばお前たちでも感じられるさ。私は期待をしている訳では無い…
あの赤毛は「狼」になる。
そう近くない未来に、それを確信しているだけさ」
グッとヴァレリ兄弟の眉間に皺が寄る
「それが過度な期待と言うのです!「狼」になるですって!?奴にそんな度量があるとは思えません!イグリゴリに良いようにされて、メルファ・エルゲイトさえ奪われていたではありませんか!」
「だが今は取り返し、共にある。」
「それは陛下のお力添えがあってこそ…」
「そうさせたのも彼の力だ。」
「……」
「……」
ヴァレリ兄弟は沈黙した
全てを飲み込もうとしてはいるが、どうしても喉を通らない
それにもどかしさを感じるような沈黙
だがその一瞬の沈黙は
ヴァレリ兄弟の眼光が揃ってナルスダリアに向けられることで終わりを告げた
「覚悟は決まりました。」
「ああ、我らヴィンセント、ディルミリアは…バリオール奏国のため、ひいてはナルスダリア・エルリオン陛下の為に…」
「ここを押し通らせて頂きます!」
つまりは、敵対意志の表示
ナルスダリアのために、ナルスダリアに牙を剥くということ
「時としてそういう事もあるだろう、遠慮はいらない。意志を示すに、力を振るわなければいけない事もある。
だが、意志の強さで私が負ける訳には行かないということも分かるはずだ。
来い…ヴィンセント!ディルミリア!」
〈パァンッ!!〉
ナルスダリアが奮った鞭が地を弾く
開戦のゴングのように鳴ったその音は、暗くなり始めた山々に響きこだまする
白いコートをはためかせ、2mほどの鞭を横一閃を振るわんとする
しなやか且つ素早い
さらに一瞬で距離を詰めるほどの瞬発力でありながらその挙動は限りなく無音
〈ビュッ!!〉
細い風切り音で振るわれたナルスダリアの鞭は、ヴァレリ兄弟に命中することはなかった
しかし
〈バキャァ!〉
とその鞭の行く手を阻んだ木々は幹を抉られ
〈ザッ〉
鞭の一撃を交わしたヴァレリ兄弟はナルスダリアの背後に回っている
だが躱した直後すぐに反撃する様子もない
と言うよりは
「…来ないか?流石に軽率に乗っては来ないようだな」
チラリと身を返すことも無く視線だけを背後に向けるナルスダリア
「お戯れを…」
「好機と攻めていれば我々は二の太刀で沈められていたでしょう?」
と兄弟の予測通り、大振りは二の太刀で仕留める為の餌
とはいえ凡百であればその餌で沈むこともあろうという一振り
側近として、武にも通じている兄弟から見れば真っ向から対峙したその実力に
まさしくの「女帝」としての姿を見た
「陛下…我らは、陛下を侮っている訳ではありません。身の程を弁えられぬほど愚鈍でもありません、それでもいざ陛下の力を目にした今…このままでは我らの思想さえ叶わない」
兄弟は、同時にお互いを見やる
そして一瞬目を合わせると頷き、再びナルスダリアに視線を戻す
「このままでは、とは意味深だな?」
「…ええ、とは言えあなたには何らかの察しはついているのでしょう」
「お前達に…魔力があることか?」
「やはり、陛下の目に誤魔化しは通じませんか…」
「お前たちの境遇を忘れたわけではないさ…魔力がないと考えるほうが不自然だろう」
ヴァレリ兄弟は語り手の末裔
生まれながらに魔力を帯び、【フェンリル】に選ばれる可能性を持つもの
それを理由に権力者に「飼われていた」過去を持つ
「地獄に飼われていたのを…あなたが救ってくださった。そんな過去は我らにはもうどうでもよいのです」
「ええ、重要なのはそこから我らを救いあげてくださった陛下に全てを捧げ尽くすという我らの決意」
「…知っているさ。十分に助けられている、だがそれ以外の道を私が閉ざしたつもりもない。そうだろう?」
「もちろんです、あなたは我らを傍に置くことを良しとしなかった…自由を与えてくれた。」
「だからこそ、我らはあなたのためではなく自身らの為にあなたに尽力することを願ったのです!」
ヴァレリ兄弟が並び立つと風がざわめきだす
同じ顔の2人が同じように決意を込めた表情を浮かべた
その足元から黒いモヤが砂煙のように昇る
溢れだすモヤは夜の中に2人を隠すように立ち上ると
〈バサッ!!〉
それぞれに片翼、右と左、黒い翼が顕現する
外殻にその身を纏わせた同じ悪魔が二体、並び立ったその姿は歪な天使のようなシルエットだが
2人揃ってやっと一対の翼を持つ様は兄弟の在り方を示しているようだ
ベイカーとの戦闘において両者とも翼を損傷していたはずだが、この短期間で再生したようでその痕は見えない
「隻翼の魔人…いや、比翼とでもいうか。こうしてみると流石に凄まじいな」
「ご冗談を…」
「眉のひとつも動いてはいませんでしょう。」
〈ピシ…ピシ…〉
と兄弟の翼から薄氷にヒビの入る音が微かなる
「ですが、その佇まいをいつまでも保てるとも思いませぬ」
バサリと兄弟の翼が開くと剥がれた無数の外殻が羽根のように
ナルスダリアに突き立とうと風を切り始めた
直線的な動きであるのを察してかナルスダリアがステップを踏む
一足飛びの無駄の無い動き、最小限の飛び幅は洗練されたからのものだろう
しかし
「…っ!」
悪魔化したヴァレリ兄弟の内一人が飛び込んできた、ヴィンセントだ
それも外殻の羽根を飛ばしているディルミリアは、その方向をナルスダリアへと微調整をしながらと息のあったコンビネーション
いかにナルスダリアが素早かろうが着地の瞬間、地に足が着いた直後の選択肢が絞られる
ディルミリアの羽根を避けるために更にステップを踏む、しかしそれは飛び込んできたヴィンセントの攻撃に対しての対処が遅れる可能性があり
ヴィンセントへの防御を優先すれば、外殻の羽根へ完全な対応はできないだろう
かと言って回避の為のステップに間違いはない
その跳び幅を長くしていれば着地までの時間が伸び、ヴィンセントへの防御対応が地に足の着いてない状態でのものとなる
「お覚悟をっ…」
ナルスダリアの被撃を確信したヴィンセントが羽根を叩きつけようと猛然と急接近する
完全に躱す選択はない、と判断しても決して間違いではない
その相手が、ナルスダリア・エルリオンでなければ
「………マカブル。」
〈バシャァンッ!〉
一瞬の間にナルスダリアの足元から黒い水飛沫があがり、鰐の悪魔の大顎が飛び出しナルスダリアを飲み込むと、即座に水飛沫をあけ地に潜った
「なんだ…っ!?あれは…」
「まさか…陛下も…?」
思いがけない出来事に、二人は一箇所に背を向け合い周囲に警戒を走らせる
「…消えたのか?」
「いや、そんなはずは無い。まだ近くに…」
〈ザプン…〉
どこかで波打つ音が聞こえる
ヴァレリ兄弟の視線が闇を走り、音の出処を注視
「ここだ。」
不意に聞こえてきたナルスダリアの声は頭上からだった
頭を下に、落下しながら
背中合わせの二人目掛けて空から鞭を横一閃に薙ぐ
「…っ!!」
兄弟は互いに背中で押し合い、それを躱す
すぐさま振り返り反撃しようと振り返った先に
着地しているはずのナルスダリアの姿はなかった
耳を澄まし、目を凝らし次第に夜が更け暗くなる周囲
ナルスダリアの襲撃を警戒する
「…陛下も…お持ちなのですね。悪魔の力を
」
「我らと同じように…選ばれざる末裔…なのですか?」
問いかけ、はさほど重要ではない
ナルスダリアにも大小なりに秘密や事情はあるということも理解し、そこを不躾に追求したりすることはない
兄弟はそう考えていたし、今は己らの意志を貫くために恩人を倒さなければいけない
姿を捉えられないナルスダリアに発言させることで、位置、という情報を得ようとしているのだ
だが、ナルスダリアもそんなことは察するだろう
返答すれば居場所の検討が付く、不要な発言
しかし
「選ばれざる者…ではないさ、私は。言うならば逆とも言える。」
その声は2人の背後、10mほど離れた場所
ナルスダリアは2人を見つめながら立っていた
「王であらせられるのですから、選ばれるのは必然でしょう」
「我らでなくとも聡くなくとも陛下の器は理解しうるもの」
「そういうことじゃないさ、私は言うならば
〈不幸〉に選ばれたのさ」
思いがけない言葉に
ヴァレリ兄弟が顔を見合わせる
虚偽を口にするような人物でないと理解しているからこそ戸惑いが隠せないのだろう
「お前たちにとってその力は、誇れるものではなく、忌むべきものかもしれない。しかし、それを飲み込み自らの意思を果たすために使っているというところだろう。」
2人は返事をしない
それは頷いているのと同義
「私の中には…いや、どちらが主体かどうかはもう定かでは無いか。私は一人の身体に宿った二つの魂の内の一つだ。」
「それは…どういう意味で?」
「そのままの意味さ、一人の人間の中に二つの心、魂があった。互いに存在を認め合い、一つの身体を代わる代わるに生き過ごしていた
不思議だった、皆はどうやら一つの身体に一つの心と魂。だとしたら二つの魂と心を持つ私は特別なのだと感じ
それを父上に話した
するとどうだろう、幼き私達の予想にない反応をしたのだ。
それは気の迷いだ、病気だ、妄想だと決めつけ、理解の欠片さえ示すことはなかった。
私達は、そんな妄言を口に出さなくなるまで、互いの存在を失うまで、幽閉されることとなった」
「話の道筋を考えると…」
「もしや…」
「私は生を得るために、その愚鈍な思考を持つものを王とする体制を変えるために自分を殺した。犠牲と言う形で怒りを堪えながらな…そのもう一人の私の怒りが…嘆きがこの私の力」
耳に入ってきた情報を受け止めきれず、立ち尽くす兄弟
「理解しろとは言わない、言えるものでもない。理解に強制力を持たせては、その意を真に受け止めさせることはできないだろう。
だがこれだけは確かなこと
私は…誰かに犠牲を払わせたりしない。それを背負うのが王であり、私の望む姿だ。
そして、お前たちをこれからどうするか…それの結末はお前たちが自分で考えて…感じてくれ。」
〈ゾゾゾ…〉
兄弟の足元が真っ黒な水溜まりのようにぬかるんでいく
「なっ!?」
「これは?」
「マカブルの能力について教えておこう。マカブルはディアプールという魔力を持っており黒い沼で場所と場所を繋ぎそれを通り移動させることができる。
私自身はもちろん、その対象に限りはない。
そして、繋げることができる場所は私が行ったことのある場所
そして、マカブルが行ったことのある場所、だ。」
「それは…っ」
「まさか…!」
ヴァレリ兄弟でなくとも想像に易い
ナルスダリアの行ったことのある場所には、人為的な危機はないだろう
しかし、悪魔であるマカブルの認知している場所となればそれは
〈魔界〉、が選択肢に入ってくる
いかに悪魔の力があろうが、悪魔の跋扈する世界に陥れば戻る術も生きる術も限りなくゼロに近い
「…私の選択を…お前たちが、私の望む形で受け入れることを期待している。」
〈ザパァァンッ!!!〉
巨大な黒い水飛沫をあげ、足元から現れた鰐の悪魔がヴァレリ兄弟を丸呑みする
〈ゾゾゾゾゾ…〉
そしてそのまま、マカブルはゆっくりと地面に沈むように姿を消した
「…ままならないな。人の気持ちと言うものは
…いや、私自身の不徳、とでも言うべきだろうな」
ナルスダリアは静かにそう零すと目を閉じた
これからの行動に伴う犠牲
それを背負うべき理由と、覚悟を自身の内に灯りとして点す
まだ夜が更け始めたばかり、しかし闇に紛れ行動をする選択はナルスダリアになかった
「役者が揃っていないからな…」
___________________
# ベイカーサイド
数時間後
ベイカーとメルファの2人はメテオライ目前まで来ていた
辺りは真っ暗でろくに景色も外観も捉えられないが、そもそも森林帯を進んでいるのだからそんなのは期待していない
それに、その視界の悪さが幸いしてかイグリゴリの追っ手も気配を感じられなかった
「これだけ密度が高く草木が茂ってるし…こんなに足場が悪いと馬での追跡も難しいってことだろうな」
追っ手が来なさすぎて不気味だよなぁと零したメルファの疑問にベイカーが応えた
大小の岩が不揃いに敷き詰められたような道は普通に歩くことさえ難しい
ベイカーとメルファも数え切れないほど足を滑らせ、よろめきながら長い時間を歩いた
「ホントだよな、何度足挫くかと思った」
「油断してるとほんとに挫くぜ」
「嫌なこというなぁ、ってベイカー、見ろよ」
ベイカーの向こうを指差すメルファ
その方向を見ると真っ黒なシルエットでしかないが目的地である古城群メテオライ
それに違いなかった
2km程度だろうか、一番手前側の建物の輪郭しか捉えられないが
その奥にも同様のものが並んでいるとしたら想像以上に巨大なものだ
恐らくニブルへイズ城や、公国のソーデラル城、護国や武国の城よりも遥かに
いざ目前にするとその規模の城城が放棄されていることに驚きを隠せない
「あの中に…奏国でも手を焼くほど悪魔がいるって考えるとため息がでるぜ」
「でもそこに父さんが…ミザリーがいるってんだ」
「ああ…もう少し近づこう。そんで休憩してから突入しよう」
メルファが頷いたのを確認するとベイカーは足元に注意を払いながら再び前進を始める
そこからさらに小一時間を消費すると
真っ黒な空が微かに白み始めたことも相まってメテオライの輪郭がさらに鮮明に見え始める
同時に、鬱蒼と茂っていた森林帯の終わりに突き当たる
少し開けた道の先、坂道のようになった先にメテオライの城の壁が開けっ放しの門のように風穴を空けているのが見えた
人影や、物音はここからでは感じられないがなぜだが気配を感じる気がした
予感にも似た者かも知れない
「木の影に隠れて少し休もう、身体は?平気か?」
「うーん…悩ましいスタイルが罪ってことくらいかな?」
「じゃぁ平気だな。なんにせよ脚は休ませろよ?無策に突っ込むのも避けたいしな」
「それなんだけどさ…二手に別れないか?」
「…危険だろ、中にはイグリゴリだけじゃなくて悪魔もいるってんだ。」
「そんなん分かってるよ、でもベイカーが突入したらイグリゴリは寄ってたかって来るだろ?そしたらミザリーを探すどころじゃない」
そこまで聞いてメルファの考えに思い当たる
「つまり、俺が気を引いてる隙にメルファがミザを探してくれるってのか?」
「そゆこと。居場所だけ分かりゃさ、戦ってる最中だとしても強引にそこに辿りつきゃいいだろ?」
「まぁ…それは確かにそうかもな…」
仮に混戦となったとしてもミザリーさえ起こすことができれば、戦力差はゼロになる
むしろ、ベイカーの記憶にあるミザリーの姿を思えばこちらが優位に立てると思ってもいいぐらいのものだ
「…それでも危険だ。メルファを一人にするわけにはいかない」
メルファの眉間に皺が寄り、露骨にむくれる
「考えても見ろよ、イグリゴリの連中からしたらアタシは団長の娘だしこれまでの扱いから見て殺されるってことない。その辺の悪魔が出たって、逃げれるぐらいの足はあるし状況次第じゃイグリゴリもアタシを守らざるを得ないと思わないか?」
「確かにメルファに危害を加えるつもりはないだろうし、悪魔がメルファを襲おうとしたら守るって選択を取る可能性は高い。」
「だろ?」
「でも絶対じゃないんだぞ、ミザを取り戻すためだとしても…」
「…ベイカーはさ、ミザリーの為に自分が危険な目にあうって分かってたら…引くのか?」
思いがけない質問に目を丸くする
メルファは構わず続けた
「引かないだろ?アタシもそれと同じさ。ミザリーを救えたらアタシが…生きられる可能性があるなら、アタシはそれを掴みたい。与えられるんじゃない、自分で掴むんだ。その為に…引くべきじゃないってだけだ」
「…メルファ」
その決意は揺るがない
この感覚は何度も覚えがあった
そしてその覚えの記憶を辿れば、それに対して反論することは全くの無意味となること
何よりその決意を侮辱するだけなのだとベイカーは知っていた
「分かった。…でも大前提として」
「無茶はすんなってんだろ?わかってるって!」
「そのためには接敵しないことを第一に行動すること、だ。俺が気を引くからその隙に…」
「最初っからベイカーに群がられちゃ、それこそゲームオーバーだぜ。何人の人数がいるかもわかってないんだから、だからまずアタシが先行して潜入する。
そんで大体の見当をつけますでしょう。そしたら、合図するから暴れてくれ。その隙にアタシがミザリーを起こせればOKだ。」
ベイカーの体力面や敵数のことも配慮した意見は大胆なだけでない
細やかな気遣いが垣間見える
「だとしたら…ミザをどうするかはまだ分からないけど、イグリゴリの目的のキーであることは確かだ。それなりの人数、門の守護とかそんなのよりも大幅に人員を配備している、或いは」
「ジャープ副団長、それか団長…つまり父さんが直々に側にいる可能性が高いよな」
「団長に至っては直々にミザをメテオライに連れてきてるんだ。そのまま側で目を光らせてる可能性は高い、アジトまで来れたら人に任せることもあるだろうけどそれでも確実な人員をあてがう、その2択で間違いないと思う」
「…よっし、確実な居場所が分かったら合図すればいいか?」
「その時点でまだ接敵せずに居れたんなら、俺の所まで戻ってきてくれ。
そういう状況でない、もしくは俺がすでに戦闘状態にある場合はメルファも察することができるだろうから、そのときは強引にでも合図してくれればいい。その後はできるだけ隠密に撤退してくれ」
「了解っ!」
元気に返事したメルファに、ふと思った疑問をぶつけた
「…親父さんとはその後でいいのか?」
「ああ、そこで時間食ってる場合じゃないからな。でもきっちり話はする、そのときは手貸してくれるか?」
「もちろんだ。」
言葉を返さずにニッと笑ったメルファにつられて、ベイカーも思わず笑ってしまった
腹ごしらえにと、残っていた水と食料でそれなりにお腹を満たす
そのまま、二人はそれぞれ目を閉じ
眠りこそしないものの最後の休息をとる
数十分後
朝日の気配を、閉じた瞼越しに感じるとベイカーは静かに目を開けた
自然な流れでメルファへと目を向けると
メルファも同様に目を開いているところだった
「そろそろだな。」
メルファはそういうと身体を伸ばし始める
柔軟を念入りにしておくのは唯一できる準備なのかもしれない
ベイカーもつられて首を回し身体の感覚を確かめる
問題はなさそうだ
メルファも同様に問題ないと感じたらしい
腰に手を当てるとふぅ、と息をつく
「…じゃぁ、行ってくるな。」
笑いながら告げるメルファ
使命感とでもいうべきか、決意とでもいうべきか
どこか清々しそうな笑顔
なぜだか、ベイカーはその笑顔を見て引き止めたい気持ちを感じた
口に出さなかったのは、それが野暮だと
メルファの決意を足蹴にするようなことだと分かっていたから
「気をつけてくれよ…頼む」
そんな気持ちを察してか
メルファは軽やかにベイカーに近づくと拳を突き出してきた
「アタシに任せとけ!」
「何かあったらすぐ合図しろよ、必ず助けに行く」
ベイカーはメルファの拳に自分の拳をコツンと当てた
メルファはその言葉を受け取るともう一度ニッと笑って
メテオライへと駆け出していった
しなやかに、静かに
猫のように走るメルファの後ろ姿を見送りながらベイカーは拳を握り締めた
直に来る、自分の場面を待つ
ふぅと吐いた自身の息がどこか冷たく感じた




