スタンバイ
(なぜ?なぜ私がいてはいけないの?)
(他の人と違うことがそんなにいけないことなの?)
過去の私の、いや「私達の言葉」
(王たる者は毅然とした堂々たる一でなければならない。そのような存在はお前が生み出した偶像なのだ、決別せよ)
体裁と重圧、そして柔軟とはかけ離れた時代遅れの愚鈍な思考
それでいて過去からの遺物且つ異物である「悪魔」を継承するという人の理から外れることには異を示さない矛盾
私はそんなもののために失った
姉か妹か、兄か弟か、友か、半身か
その中のどれか、或いは全てと言える存在を
(そのようなものが見えなくなるまで、その声が聞こえなくなるまで自らを見つめ直すのだ)
と投獄され一本の蝋燭のみが光を与えてくれる、そんな中で9歳の頃より2年の月日を過ごした
食事が与えられても、自由はない
私が私を失わない限り
(でもそんなの嫌だ)
(私がいなくなれば私は自由になれる?)
(私を失えば私は自分を失うの)
(なぜ、こんなことになった?)
(存在を認めない世界が悪いのか?)
(否、王族の異物だから言及されるのか)
(認めない、認めたくない)
(人は自由であるべきだ、どんな人間も隔たりなく自分の持ちたい選択肢を持つべきだ)
葛藤と疑問、憤怒と未来への取捨選択
それを選ぶために選ぶ
(王とは民を取捨選択し、選び切り捨てる者?違う、王は民を守り率いていくもの。そこになんの含みもあってはならない。私達のような選択を強いられる民を守るべき、王になればそれらの人達を守れる)
(ならば)
(それならば私は)
決断した
(私を殺してでも私を生きる)と
迷いはない
その時だった
私が選んだ選択に惹かれるように私に問いかけてきたものがあった
頭の中に響く声
【成すべき為に、描き広げるその理想の為に。その犠牲を汝の力に変えよ。我が誘いを受けるかどうかは汝次第、だがその選択に時間は与えられない、応えよ
是か?否か?】
それは人が忌むべきものからの誘い
しかし、自身にそれが必要であることは本能、直感で察した
ただ失うだけならば「死」だ
だがそれで何かを得ることができるならばそれは「犠牲」
ただ死なせるわけにはいかない
未来の礎になることが「生きた証」となるならば、私はそれをも欲しかった
いや、与えてあげたかった
そしてその何者かの誘いを受け入れ私は私を殺し
流すべき涙を流し終えた後、歪みつつも光ある世界へと戻った
_________________
夜明けが近くなってきた
目を閉じ、折れ倒れた大木に腰掛けていたナルスダリアはすっと空を見上げ目を開けた
〈ザプン…〉
とナルスダリアの目の前に影の水溜まりが現れ広がり始める
「…来たか」
どんどんと広がり続けた影の水溜まりは10mにも渡り、そして
〈バシャァン!〉
と巨大なワニの頭部が飛び出してきた
グッと鏡のような光沢を持つ瞳を細め、一度喉の異物感に首をすぼめた後ワニは口を思い切り開いた
すると
「うわぁ!!」と叫びながら
その口の中から二つの影が飛び出してきた
〈ずしゃぁ〉
と転がりこむようにナルスダリアの目の前に現れたそれは
「び、びっくりした…あっ、女王様じゃん!ホントにこのワニ女王様のだったのかよ」
メルファがナルスダリアに気づき声をかけてきた
「…の前におりてくれるか?」
「お?なにしてんだベイカー?」
飛び出してきたおりにメルファの下敷きになっていたベイカーが苦しげな声をあげる
「二人とも無事、だな?何よりだ」
「ああ…助かったよナルスダリア、ここは?」
「ノーズヘッドの麓だ。来た時に私と上がった場所の丁度真反対、こちらは手薄だったのでな。都合も良いだろう?」
「都合?」
ナルスダリアの言葉にメルファがハッとする
「あ、そういうことか。言い忘れてた!ベイカー、ミザリーは父さん…イグリゴリの団長に連れられてメテオライに向かってる。そんでメテオライにはノーズヘッドを越える必要があったんだ」
「本当か?じゃぁショートカットできたってことか。…よし」
「メルファが戻り、目的地も近い。いよいよ詰めと言ったところだな。ベイカー」
「ああ。…そうだ。ナルスダリアに伝えとくことがある」
「なんだ?」
「…ヴァレリ兄弟がノーズヘッドにいた。それもメルファを狙って」
「…なに?」
ナルスダリアの眉間にかすかに皺が寄る
反応からして、やはりヴァレリ兄弟の言葉通りナルスダリアの指示でなく独断行動
「なぜ二人が…メルファを。いや、そういうことか」
流石に聡明なナルスダリアである
ヴァレリ兄弟の性格やメルファの境遇からその動機に思い当たることに時間はかからなかった
「すまない…手間をかけてしまったか?」
「いや、こっちこそ悪い。二人が本気だったもんで…負傷させた、手加減する余裕がなくて」
「気にすることはない、ヴァレリ兄弟も覚悟の上の行動だ。私の監督不行届としてお詫びする」
「ナルスダリアの責任とは思ってないさ、でもあの兄弟はあのまま終わるとは思えない、そんな予感がしてんだ」
「それに関しては私が動く、貴公らは目的を優先して動いてくれ。」
そっと腰掛けていた大木から降りると、ナルスダリアはノーズヘッドを見上げた
「もしまた手助けが必要ならば同じように呼んでくれ」
そんなナルスダリアの背を見つめていたメルファが堪えきれずに声をかける
「…なぁなぁ、なんで女王様はあんな悪魔を使えるんだ?」
【マカブル】
合言葉とされていたそれが恐らくあの鰐の悪魔の名前
自身を悪魔化するイグリゴリや、同調した悪魔【フェンリル】の力を引き出すミザリーやベイカーとも違い
使役するスタイル
そういう意味で言えば黒箱として悪魔を同様に使役していたガゼルリアと似ているが
ナルスダリアがそのような物を持っていたりするようには見えず
それでは呼び掛けで呼応するということにも当てはまり難い
「あれは…あの【マカブル】は…【私】だよ。使うと言ったものでもない、説明してもいいものではあるが詳しく話す時間は今はないだろう。
しかし、敵性のものではないと思ってもらえればそれでいい」
背を向けているために表情は分かりづらいが、その声色から今言及するべきことではないとベイカーは感じた
何より
「何だっていいさ。興味ないわけじゃないけど急いで聞くようなことでもない。それに…ナルスダリアの言葉に嘘は感じないからな」
ベイカーがメルファに同意を促すように目を向ける
「それもそっか。でももうちょい静かに出てきて貰えると助かるって言っといてくれよ、びっくりしてベイカーが叫んじまう」
「…良く言うぜ。よし、じゃぁ行こうメルファ」
「あいあい。またね、女王様。あと!助けてくれてありがとう!」
「気にするな、それを選択したのはベイカーだ、では武運を祈る。」
メテオライという目的地に向かって歩き出すベイカーとメルファの背をちらりと一瞥すると
ナルスダリアはノーズヘッドを再び仰ぎ見た
「成すべきことか…まずは声を聞くところから始めようか。王の本質とはすべからくそういう事でもあるしな」
人差し指を眉間に当てほんの少し
ため息と言うには弱いが、憂いを確かに帯びているひと息をつくと
ナルスダリアもゆっくりと優雅に歩き始めた
_________________
そのほぼ同刻
ルートこそベイカーらとは違えど同様に目的地を古城群メテオライに定める少数の一団があった
ローブを被った四人、一台の馬車を一人が引きそれを囲むように左右と後方に位置している
その先頭の馬車を引く人物こそが、メルファの父親にしてイグリゴリの団長
ディエゴ・エルゲイトである
朝の訪れを一瞥し感じながらも一定のペースで走り続けていた
誰一人声を発する訳でもない、蹄と車輪の音しか響かない道程の中
ディエゴは脳内にて様々な思考を巡らせていた
「(…メルファ…)」
その脳内の大半を占めるのはディエゴにとって、失ったと思っていた娘メルファの生存の報告
つい、昔のことを思い出すのもごく当然の流れだった
あの日、メルファの身体を蝕む「代魔病」の治療法を探すために遠出をしていたディエゴ
家に帰った時、あるはずの出迎えなく
張り詰めたようにさえ感じる沈黙に血の気が引いたのを今でも思い出す
なぜ?と付近を探し回りながら何度も心でメルファに問いかけた
だが、その答えはメルファから聞かずともディエゴ自身が辿りつくことは容易かった
優しい子だからだ
「代魔病」の治療法の捜索に明け暮れていた自身は、自覚できるほどに憔悴しきっていた
それを悟らせぬようにする余裕さえ持てずにいる
そんな不甲斐ない父の姿を見れば「自分がいなくなれば」と優しいあの子が答えとして行き着くことは時間の問題だったのかもしれない
だとしてもそれを素直に受け止められる訳もなく、そこからもメルファを探し続けた
イグリゴリらの前身の集まりにも協力を要請し奏国内を走り回ったが、広い奏国内でたった一人を探すことは困難を極め
ディエゴもいつしか声には出せずとも諦めてしまっていた
それでももしかしたらと、街に立ち寄る度にあの金色の髪を探し続け忘れることはなかった
そんな娘への思いがディエゴの中にあった怒りを再び燃え上がらせたのだ
「(バリオール奏国の忌まわしき風習…フェンリルの継承を尊しとし国民を選別し分別するという驕りと傲慢が!その歴史が私からルシアを!メルファを奪った!)」
ちらと一瞥した馬車の荷台
そこに眠るのはルグリッド公国から奪ったフェンリルの器
ミザリー・リードウェイ
その名こそディエゴの知るところでは無いが、間違いなくフェンリルを宿していることこそが重要である
自身の目的の為に必要な存在であり、それを利用する決断は揺るがない
唯一の躊躇いは
「(メルファと同じ金色の髪…それに…年頃も近い)」
娘と同年代の姿ということだった
「(…だが疑問でもある。なぜこの器は…こんなにも人の姿をしている)」
眠っているミザリーは機械仕掛けの人形
しかもその外観は樹脂で造られた皮膚や非常に精巧につくられた造形のため、傍目には生きている人間と何ら遜色は無い
だが、機械仕掛けの腕や呼吸のないことから人形だと結論づけることはすぐにできた
だからこその疑問ではある
ディエゴらイグリゴリらがミザリーの奪取に赴いた訳、その理由
選ばれざる者たち、微かながら魔力を有し悪魔への適応力を持つ彼らの中には稀にその感覚が非常に鋭敏な者たちがいる
ディエゴ・エルゲイトがそうだった
元々の敏感さに加え、妻であるルシアがいっときフェンリルを宿していたことが起因するのか
ここ数年の間、フェンリルの魔力を強く感じることが多くあったのだ
それ以前では微かですらその存在を認知できなかったものがその数年でどうして活発化と言えるほどに反応を感じられるようになったのか
疑問こそあれど、失われたと思っていたその存在の発覚にディエゴは選ばれざる者たちの同志を集め事を起こす事とした
過去に受けた迫害を、失うばかりで取り戻せない日々を思うだけの未来に
生を見出すための計画を立てて
「(メルファ…お前の生命を取り戻すためなら…犠牲は厭わん。計画に多少の変更を加えれば…どちみちフェンリルは我らのものだ…)」
視線を送ることなく、ディエゴは再びミザリーの姿を思い返すと
「(事情は分からないが…そのための犠牲の業は俺が背負う。許してくれと言うつもりは無い…だから…)」
手綱を握る手に力が入るのは遂に訪れる未来への滾りか
ディエゴらは予定通り、メテオライへ向け進行を続けた
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# ベイカーサイド
「メルファ…身体大丈夫か?」
メルファの身を蝕む病「代魔病」
その存在を知った今、ベイカーがその状態を気にするのも無理はない
しかし
「大丈夫だって、あんま心配しすぎるとストレスで禿げるぞ?」
メルファの返しはどこか呑気にさえ見えた
「大丈夫ってこたないだろ…まぁ何かあったらすぐ言えよ?」
「分かってるってー。迷惑はかけねぇよ」
ビッと親指を立てて口角をあげるメルファ
「迷惑とかそんなんじゃないだろ。まぁよし、そんならメテオライか?なにかイグリゴリに縁があるところか?」
「うーん…イグリゴリらに関係するかどうかは知らないけどさ、昔っからある城がいくつも連なってある場所だってのは知ってるぜ」
「城がいくつも?」
「なんでも悪魔の襲撃が昔頻繁にあったせいで度々半壊しては、改修や増築を繰り返してどんどんその規模を広くしていったんだってさ」
「今はどうなってるんだ?」
「いっときは悪魔もなりを潜めてたらしい、けど十数年前からまた悪魔がわんさか出始めたってんで、軍も手も付けらんないって放置されたまんまさ」
「それを利用してアジトにしてるって可能性もありそうだな」
「多分そうなんだろうな…じゃなきゃミザリーを拐った父さんがそんなとこにわざわざ行かないだろうし」
気丈に振舞っては居ても、肉親であるディエゴの事を考えるとどうしても表情は曇る
ベイカーもそれを察しているために、それ以上の追求は控えた
「どのくらいで着くと思う?」
「ん?ああ、なんせ歩きだからなぁ…よく考えたら女王様のワニに連れてって貰えば良かったんじゃないか?」
「いや…それが可能なら提案してくれるさ。全貌は分からないけどあのワニ、マカブルはかなり高位の悪魔だと思う。軽率にその力を使えるものでもないんだろう」
「そんなことまでわかるのか?高位ってぇと…」
「フェンリルとかと同じく極界って呼ばれる悪魔かもな。今までも何体か見たことあるけど、ナルスダリアの支配下にある状態でも相当なプレッシャーだったから…」
「ほーん…あ、メテオライまでなら…多分1日半もありゃ見えてくるんでねぇかなぁ」
「今が朝になったばっかだから…明日の昼過ぎってとこか。歩かせてばっかりで悪いな」
ベイカーが気遣う素振りを見せる
「平気平気、おじさんらに監視されててずっと窮屈だったんだ。疲れるにしたってやっぱ自由がいいや」
「そういえばあの副団長とも知り合いだったのか?」
「うん。母さんの兄弟なんだ、父さんとも馬が合うみたいでちっさい頃はよく家に来てたんだ。まぁ…今思うとおじさんにも心配かけちまってたんだろうなぁ」
歩きながらも腕を組み眉を顰める
「君のおじさんも親父さんもメルファへ敵意はなくても…ミザリーを取り戻そうとする俺には違う」
「分かってる。戦うことになるって言いたいんだろ?アタシだって覚悟はできてるし、ミザリーを拐ってまで何かをしようとしてるのは見過ごせない。止めて欲しいんだ」
「説得…できりゃいいんだけどな。」
「気を遣うなって、アタシも父さんと話はしたい。しなきゃいけないって気持ちはあっても…多分止められないんだろうなって予感もしてんだ」
決意を秘めた表情、しかしその瞳の奥には確かに寂しさが見えていた
「それでも…メルファが感じてることは全部ぶつけろよ、まぁ俺が言わなくてもそのつもりなんだろ?」
「ああ、あたしが力を貸すって付いてきてんのに悪いけどさ…手貸してくれよ」
にっ、と見せた笑顔に迷いは見えない
それぞれに成すべき事がある2人の足取りは力強い
だが、物語の終わりが見えてきているのは2人にだけではない
「…メルファ、お客さんだ」
ベイカーの耳に入ってきた小さな蹄の音は
後方より徐々に、徐々に胎動のように大きくなり始める
4人の小隊と言ったところだろうか
昨晩のメルファ奪取に対しての追撃という形か、はたまた未だ見えてこないイグリゴリらの目的にベイカーが邪魔なのかは定かでないが
「…なんか…皆さん怖い顔してらっしゃるけどどうする?ベイカー、スーパー一目散に逃げるか?」
「馬より早く走れるのか?」
「日によるなぁ、でも今日はちょっと厳しいかも」
徒歩で移動しているベイカーらに対して馬での追走
見晴らしの良い現地点では、振り切ることは勿論
一瞬視界から消え去ることされ困難な状況だ
つまり
「やるしかない!メルファ、さがってろよ!」
「前に出る選択肢がそもそもないんだけどなっ!」
ベイカーがメルファの茶々を背にしながらも剣の柄を握る
距離はすでに20m程にまで迫っているイグリゴリの小隊
皆が皆、特に表情を浮かべることもないかと思っていたがなんとなく鬼気迫るものを感じる
「そんなにメテオライに…」
「行かせんっ!!」
ベイカーの言葉を先頭の男が遮る
「喋んのかよ…でもそんなにメテオライに行かせたくないってことは、当たりってことか」
やはりミザリーがメテオライに連れて行かれていることに間違いはなさそうだ
ベイカーの剣を握る手にも力が入るが
〈ゾワッ〉と感じる悪寒
そして小隊の全員の身体から黒いモヤが立ち上る
「こいつらもかよ…やっぱり全員悪魔化できるって思ってた方がいいな」
一挙に馬から飛び上がり、人型の悪魔と化した4人全員がそれぞれの武器を構える
弓矢のようなものを持ったのが2人、そして剣と斧が1人ずつ
前衛と後衛を分担している辺り、戦闘行為に慣れていることは間違いなさそうだ
「(…目的は俺、というよりはあの副団長に優先的に処理しろとでも言われてるんだろうな…)」
〈ヒュンッ!!〉
空を切る音が響く
後衛から矢による遠距離攻撃
〈ジャキッ!〉
ベイカーが大型拳銃ジャックローズを構え、照準を合わせると同時に
〈ドゥオンッ!!〉
発砲する
正確な射撃はその弓矢を即座に破壊、だけに留まらず
〈ドゥオンッッ!〉
次いでの射撃は前衛の足元に発砲し、突撃の勢いを殺す
着弾と同時に極小爆発を起こすジャックローズの弾丸は砂を巻き上げ、ベイカーの意図通りに前衛をたじろがせた
「くぅ!!」
悪魔化していたとしても視界が遮られると躊躇は避けられない
完全な悪魔ではないからこその条件反射
〈パチンッ!〉
指を弾く音と同時にベイカーの背後に光る三つ編みが現れる
同調されたミザリーの力の欠片である三つ編みがバチバチと爆ぜながら金色に輝く
そしてミザリーと比べれば、並ぶというにはやや遠いが
〈ジャッ!〉
踏み込んだベイカーのスピードはイグリゴリの団員の虚をつける程に速い
一瞬で前衛である2人の眼前に迫り、
巻きあがった砂埃ごと薙ぎ払うようにベイカーが剣を振りかぶった
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その同刻
深い眠りの底に彼女は、いた
だが眼前に広がるのは現実に見紛うほどの夢の中
しかし、いかに現実に似ていようがそれが夢の中だということは彼女には分かっていた
『まぁ…私寝てるし…夢なんでしょね。』
故郷ハンドベルの景色を眺めながら渦中にいるはずの金髪の少女
ミザリー・リードウェイは自らの拳を握ってみた
〈ガチ…〉
と機械仕掛けの身体であるがゆえの鈍い音と感触
現実と言われれば疑問を持たずに受け入れられるほど
村を行き交う人も存在しているが、誰もがその場にいるミザリーには気づいていない
と言うよりは
『私が…なにか見せられてる?』
視線を動かし、周りを探る
時間軸がピンと来ていないため村の様子から当たりを付けたいところだが
ハンドベルのような田舎では目まぐるしく変化が起こるわけではない
しかし、見える景色はあの日の痕が見えた
『私が…死んだ日?』
村を行き交う人たちの表情や傷んだ家屋が7年前のハンドベルの惨劇を示していた
反逆の左大臣ハイトエイドの暗躍により、王の血を引くミザリーの抹殺が行われた日
『…母さんは…?』
ミザリーはふと、思いつくと自身の家のある方向へと歩き出した
最愛の娘であるミザリーを失ったアリス
フェンリルの力を使い機械の身体へとミザリーの魂を呼び戻した
愛しているがゆえの結果がそうさせたという事は理解したが
その過程は死んでいたミザリーにとっては未知の部分であった
恐らく、自分がこの光景を見せられている理由はきっとそこにあるのかもとの予測もあった
ちらと横目に村の惨状を眺めつつ歩を進めていく
見知った顔や見慣れた景色に懐かしさを感じたいとは思ってみても、惨状の光景ゆえにそれも物悲しさをなぞるだけのもの
眉間に皺が寄るミザリー
全てはハイトエイドによる、ミザリーを暗殺するための巻き添えを受けたようなもの
重傷者も多く、死者も数人出ている
その当人であるミザリー以外に亡くなったのは、幼なじみであるベイカーの唯一の家族の祖母だった
ミザリーを可愛がってくれた、ミザリーにとっても祖母のような人だったがためにその哀しみは時が経てど痛い
『…っ…』
ちょうどベイカーの家の前を通りかかる
窓は割れ、扉の破損も見られる
この状態のベイカーの家を見るのはもちろん初めてだった
その家の前で木製の椅子に座ったベイカーの姿も、初めて見た
祖母を、そしてミザリーを亡くした喪失感からか
俯いたままでピクリともしない
ミザリーの記憶にない幼なじみの姿に何かが痛む気がした
『…ビー…』
やはり、ベイカーにもミザリーのその声は届いていない
『…私のことも…哀しんでくれてたのかしら…』
過去の映像だとしても、幼なじみのいたたまれない姿にミザリーは再び歩き出した
ミザリーの家は村の他の家々から少し離れている
とはいえ同じ村内だ、数分もしない内に自身の家は見えてきた
ミザリーの家は特にこれといった被害はなかったが、それでも家が纏う空気のようなものは暗いと感じた
ふぅ、と息を吐くと辿り着いた扉のドアノブを握り静かに引き開ける
見慣れた家
ミザリーの家は扉を開けてすぐがリビングであり、奥にミザリーとアリスの部屋、そして地下へと続く階段がある
なにかあるとすれば恐らく
『地下室ね…』
地下は機械技師であるアリスの作業部屋であり、ミザリーが目覚めたのもそこだった
アリスが居るとすればそこに違いない
リビングを横切り地下への扉を開けると、暗めな階段をゆっくりと降りる
母の気持ちを汲み取れずに悩んだ時期もあったが、それももうアリスからのメッセージでほどけている
躊躇と呼ぶほどのものはないがそれでも微かに緊張しているのだろう
足取りが微かに重い気がした
そして降り終えた作業場の奥
それはいた
金色に輝く一匹の狼
作業場に置かれた大机の上でこちらをじっと見つめていた
『…違う…?母さんじゃない…ってことは…』
【我は…】
ミザリーに次ぐように声を発した狼
同時にミザリーはハッとした
その声に、聞き覚えがあったからだ
『…その声…じゃぁあんたが…フェンリル…?』
【さよう…我はフェンリル、世界を駆ける狼…汝の母に宿った無窮の魔力】
『むきゅ…?なんて?』
【無窮の魔力…限りないということだ】
『アンタ…私が生き返る時もやいのやいの言ってたわよね、それにリディと戦った時も』
ミザリーが覚えがあるのは
ハンドベルで一度死に、そして機械の身体で目覚めるときに聞いた声
その後、雨中のリーダとの戦闘の際、フェンリルの力の覚醒を促した声
思い返すと口調はアリスらしからぬ声ではあった
『でもどういうこと?母さん自身がフェンリルだと思ってたけど、別個の存在?ってこと?』
【それは違う、我は今アリス・リードウェイと同調している。同調とは同一に限りなく近い状態でありその認識に齟齬は無い…しかし】
『しかし?』
【今アリス・リードウェイの意思は汝の身体にある二体の邪悪な悪魔の魔力、その濾過に従事している。つまり、ここ汝を呼んだのは我の意思であるということだ】
『ふぅん、でなに?まさかゆっくり話してみたったとかじゃないんでしょ?』
【伝える必要のあることだ。間もなく我という存在は消失する】
『え、それって…』
フェンリルの、悪魔の魂で生きているミザリーの生死に関与するのではと疑問が浮かぶ
【安心しろ、汝の生死に関与はしない。我は元々アリスに継承された時点でその意思も力もアリスと同一になるはずだった】
『はず?』
【アリスがそれを望まなかった、フェンリルの器になることは構わない。しかし、我は我の意思があるべきだと】
『そういや母さんが言ってたわ、あんたを悪い存在とは思わないって』
だから、無下に継承したからと言ってフェンリルの意思を無にするということを拒んでいたということだろう
【そうなのだろうな、心根の優しい人物だろうということは我も良く分かる。悪魔だからといって嫌悪する様子も見えなかった】
『なのに、今になってアンタが消えるってのは…』
【アリスの願いだ。無論、我が消失するということではない。
アリスはフェンリルの継承によって起こりうる出来事を憂いていた】
『それって?』
【バリオール奏国、そこで我は代々継承され続けることで人から人へと渡り繋いできた。しかし、それによってフェンリルという力がいつからか神格化され人の世界の政や人の在り方にまで影響を及ぼし始めた】
『継げば偉い、みたいな?』
【極極の端的に言えばそうだ。継承した者の血縁を〔語り手〕とし、その語り手達の中でも選ばれた者は国からも優遇され手厚くもてなされたが同じ代、選ばれなかった者たちは冷遇と呼ぶのさえ軽いほどの扱いを受けた】
『…母さんもその語り手…だったってこと?』
【便宜上そうなっているがそうではない。そもそもの話、我が意思を持ったのはアリスの存在を感知したときだ。】
『じゃぁなに…?継承されてたってのは…どうゆうこと?』
【我は…漂っていただけの存在だ。それが稀にも奏国の人から人へと移り渡っていたのを人が継承と呼んだのだ。】
『そんなら…なんでアンタは母さんを選んだの?』
【我はかつて、ある王との約束を果たすために生きた悪魔だった。だが人であるその王は余りにもあっけなく老いて我を置いていった。
…彼との間には契約のような関係が始まりではあったが「繋がり」というものが生まれ、それに居心地の良さを感じてしまった。
名残惜しんでという訳でもなく、そんな彼のように清廉かつ真摯な王がいつか再び現れるのならば、我はその為に再び力を振るうのも悪くは無いと、それを永きに渡り漂い待っていた。
そして、ある日存在を感じたのだ。
かつての王と重なる者、その者と結ばれる運命を持った人
それがアリシアス・リードウェイ
アリスだ。】
『…そういや、そんなこと言ってた人が居たわね。まさか本当にそんなロマンチックな事情があるとは思わなかったけど。
だから、あんたはその王に似てる?人…つまり私の父さん?と結ばれる運命の母さんに力を貸すってか継承される気になった訳ね。』
【そういうことだ。…笑うか?】
『いーえ?悪かないでしょ。…気持ちってのは自由に持てるもんよ。その気持ちが誰かを傷つけるものでもない限りはね…でも、ってことはあんた…雌なの?』
【ふ…想像に任せよう。しかし王の魂を継ぐ…か。因果と言うべきか、運命と言うべきか】
『どっちだっていいわよ、私は別に王の血とか気にしてないし。そもそもこの身体でそんなこと言っても意味が無いでしょ?』
【……】
一瞬の沈黙の後、フェンリルはミザリーに語った。
なぜミザリーをこの場所に呼んだのか、何を告げるためか
静かに語りかけたその言葉は
フェンリルからの最後の言葉は、ミザリーの瞳に揺らぎを与えた
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# ベイカーサイド
「っ、ふぅぅ…」
息を吐きながら機構剣ダイバーエースを地面に突き立て、膝をつくベイカー
強襲してきたイグリゴリの4名を、悪魔と化した4名を無事に退けることに成功していた
と言っても殺したわけではない
悪魔と化していても殺すことに躊躇いはあり、いまいち攻めきれずにいたがそれぞれにそれなりにダメージを与えた頃
イグリゴリら自らが撤退の判断を下し、去っていったのだ
無闇に特攻してくるということでもなく、理知的な判断も有している
それは団長の指示なのか、各自の判断なのかは分からないがイグリゴリという組織がただの寄せ集めではない
前衛、後衛と役割を持ち戦闘をこなしていたりする面も見えたことから軍隊のようなものであるとベイカーは感じていた
「お疲れ様です!ベイカーさんっマジはんぱないっすね!」
ベイカーの傍に膝をつき、手ぬぐいを差し出すメルファ
「ああ、ありがとうメルファ…」
差し出された手ぬぐいで汗を拭い、ふぅと息を吐くと立ち上がる
「時間を置けばすぐにまた奴らが来る、行こう」
「あいあいさー!」
呑気とも言えるメルファの言動だが、それはメルファなりの気遣い
緊迫してきた状況でありながらもつい綻んでしまう、そんな余裕をもたらしてくれている
自身が【代魔病】という命の危機に晒されていても、だ
自分がへこたれてはいられないとベイカーは前を見据え、再びメテオライへと歩き出す
「なぁ、ベイカー?」
「ん?なんだ?」
「それってなんで爆発するんだ?」
メルファが言っているのはベイカーの機構剣ダイバーエースのことだ
ダイバーエースには薬品が収められており、エクスプロッシヴカートリッジを差し込むことでカートリッジ内とダイバーエース内の薬品が反応を起こし爆発を起こす
「前も言ったろ?薬品同士が…」
「あー、違う違う。なんて薬品なんだろなーって思ってさ、この爆弾と同じ仕組みってのも分かるんだけど反応してあんな爆発起こすなんてすげぇなーって」
「…興味あるのか?そんなことに」
思いがけない疑問にベイカーは驚きの表情を見せた
「なんだよ?あっちゃいけないか?」
「いや、そんなことないけど。」
ベイカーは同時に幼なじみであるミザリーのことを思い出していた
アリスから薬品や、機械技師としてのノウハウを教わった少年時代
それを得意げにミザリーに教えようとしたときミザリーに思い切り顔を顰められたこと
そんなこともあり、成長していく中で
女子はそんなことに興味を持たないのだろうと思っていた
「まぁ…道すがら話すくらいいいか。じゃぁ簡単なとこから…」
ペースを落とす訳では無いし、メルファに与えている爆弾に通ずる知識でもある
事前知識として持っておくに越したことはないだろうとベイカーは、できるだけ噛み砕きながら説明を始めた




