第12話
西暦1985年2月に始まったスコルト王国とレツィア共和国の《ラッピ紛争》は、レツィア陸軍のロヴァニエミ攻勢が頓挫したことと、国連安保理による緊急決議によって即時停戦が執行された。少なくない犠牲を出しながらレツィアの侵攻を退けたスコルト王国は、その戦災復興のためにより西側に接近していくこととなる。そしてソ連にも見放されたレツィア共和国は、政権と軍部の責任の擦り付け合いが起きた上、資源面ではソ連からの援助や輸入にほぼ頼ることとなり、ただでさえ不安定だった経済は新たに就任した閣僚が三日で頭を拳銃で撃ち抜くほどに悪化していった。
僕とハーパニエミは、この戦争の悲劇的な一面を彩る挿話になった。戦死した学生たちは皆、一様に勲章を受勲して葬儀は軍が厳かに執り行った。僕らはみんなの葬儀に参列して、棺桶が地面に埋められるのを見つめた。しばらくの間、僕ら二人だけのために特別教室が設けられ、学校に軍の精神科医が派遣され、心の治療を試みた。それはある意味では成功して、ある意味では失敗した。僕とハーパニエミは受けた傷をそのまま抱えて、普通の学校生活に戻れるように折り合いをつけた。それは僕ら二人だけのもので、僕ら二人以外にこの傷を持つのは天国に旅立ったターヴィ、レオン、アラン、ケトラだけだ。
そして、僕らは大人になる。癒えることのない傷を背負い、小さな彼女と一緒にその傷を抱えるつまらない大人になったのだ。僕らは幸福で楽しかったころのすべてを思い出すことができる。ついに人を殺し、人が殺されるのを見て、なにもかもが雪と氷で覆い隠されてしまう理不尽も思い出すことができる。生と死を、その温もりと冷たさをつぶさに思い出すことができる。粉々に壊れた心を繋ぎ合わせ、真っ当に歩き出すまでに、僕は空の青さや雪のきらめきの一切を感じなくなっていて、世界に彩があることをごく最近になってようやく思い出すことができた。それほど打ちのめされていながら、それでも僕らは、その始まりの幸せを覚えていて、鮮明に思い出すことができた。バカなことを言い合ってからからかいあい、他愛無い悪戯に精を出し、放課後を待ち遠しく感じながら暖房の温もりでうとうとしてしまうあの生活を思い出すことができた。
僕らはもう二十二歳になった。赤いイデオロギーのワルシャワ条約機構は崩壊し、その余波はソ連にまで到達していた。赤い巨人は静かに壊れていき、レツィア共和国は経済破綻を起こして極度の混乱状態にある。内戦になるのではないかという危機感を、スコルト王国の国民は抱いているが、もしそうなったとして僕らができることは限られている。ただ予備役招集が来る前提で支度を整え、銃を撃つ覚悟はしておいたほうがいいかもしれないが。
パチパチと暖炉の火が燃えていた。壁に飾ってあるシニ・ケトラのモシンナガンを眺めながら、僕は膝の上でうとうとしている小さな温もりに話しかける。僕とハーパニエミは結婚した。傷を舐めあうように二人は学生のうちから転げまわって、もう三歳になる子供がいる。僕らは癒すことのできない傷と、決して色あせることのない愛の形を背負いながら生きてきた。この子のためならば、僕は今度こそ死んでもいいと思えるほどに、その温もりは愛を感じさせ、僕の心を癒し、壊れかけた心にビスを打って補強してくれる。僕は強く、強く思うのだ。この愛が、理不尽などに屈してはいけないと。
そして、僕は古めかしいモシン・ナガンライフルをじっと見つめながら、僕らの子供に語り掛ける。
「いいかい坊や。ライフルはそれを持つ人以上に、善良になることも、害悪になることもできないんだよ」
あったかい暖炉にあたって温まりながら、けれども僕の心の一部分は、あの始まりの夜の穴倉で凍えている。
蒼白い光の下、世界が死んでしまったかのような静寂の中、ガリル突撃銃を抱えて震えまいとするあの頃に、僕の心の一部分は取り残されている。
人殺しの感覚を語ることなどできはしない。それを語るには、僕はあまりにも多くを知りすぎ、見すぎてしまった。僕は人を殺したし、人が殺されるのを見てしまった。戦争という行為が、大切な誰かをお互いに殺し合い、心に傷を付けあうことなのだと知ってしまった。あのローライト・マクドゥーガルという人を、僕らは知ってしまったのだ。人と人とが殺しあうということを、僕らは体験してしまったのだ。
涎を垂らしながら寝息を立てている僕らの子を撫でながら、僕はカルラが作る夕食の匂いを肺にたっぷりと吸い込んで、ほうっと息を吐く。
冷たい戦争の終わりに、僕の青春は死に、僕らの日常は砕け散って心はズタズタに引き裂かれた。時が経ち、傷だらけになりながらも生き延びた僕らは、冷たい戦争の終わりに、そうあるべくしてこの穴倉に転がり込んだ。僕らはここで生き、そして死ぬ。癒えることのない傷を背負いながら、温もりと愛と、ほんの一握りの幸せを抱いていく。
すべてが雪と氷によって白く冷たく覆われてしまっても、それですべてが忘れ去られてしまうわけではないのだと僕はもう知っている。針葉樹の森は傷つき、そのことを記憶する。しかし、木々は太陽の温もりを一身に浴びて、成長して子を残す。僕らもまた傷つき、温もりを感じながら子を残し、愛とその傷を一生背負って生きていく。その傷の意味を、その愛の意味を、そして生きることと死ぬことの意味を忘れてしまわぬように。
―――僕たちは、あの過去に生かされているのだ。
Fin.