第四話
「…………大きいな」
見上げるように顔を上げたフラトの口から、思わず、といった様子で言葉が漏れた。
ノハナの町を囲う塀も高く、堅牢さを感じさせたが、目の前の――王都を囲う塀はその比ではなかった。
というか、比べ物にならない規模の違いである。
ここまで馬車で運んでくれた、護衛対象である商人とは正門の前で既に別れている。
なんでも、荷物を多く持つ商人は王都内へ這入る前にその中身を検める必要があるらしく、別の入口に通されていってしまった。
なので、別れる前にエンカは鞄から書類を取り出して商人から署名をもらっており、それを組合に提出することで依頼完了の証明となるらしい。
「これだけ大きな都市だと多くの人が出入りするようになるからね、効率化の為にはこうしていくつか出入口を設ける必要があるんだよ」
とエンカ。
都市が大きく、人も多ければその為に割く人員も確保できる。
人員が確保できるのであれば、用途別にした方が効率は上がるし、何かあったときの対処もし易いだろう。合理的である。
「じゃあ行こうか」
エンカとフラトは揃って王都正門へ更に近付き、そこに控える門番の目の前で足を止めた。
既に顔馴染みなのかどうかはわからないが、エンカは一言、二言、門番と挨拶のようなものを交わした後、懐からカードを出して見せると、すんなり門を通されていたのだが、その隣でフラトは――身分を証明するようなものがない為、例によってまた臨時証明書を作成する手順を踏んでからの入場となったので、少し時間が掛かった。
因みに臨時証明書の発行手順はノハナの町と一緒だった。
正門を潜ってすぐ、近くで待ってくれているエンカを見つけ、傍に駆け寄る。
「お待たせ」
とフラトが気軽に言うと、
「ふぅ…………」
あからさまに目の前で溜息を吐かれた。
「待たせたのは悪かったよ、すまん。でもまだ組合員証とかないんだから仕方ないだろ」
「いや、怒ったりしてるわけじゃないよ。安心しただけだから」
「安心? 何に?」
「ホウツキが何事もなく王都に這入れて、だよ」
「僕は指名手配でもされてるのかよ」
「そうじゃなくて、ホウツキ魔力ないでしょ」
「? あー」
成程、そういう心配か、と納得した。
フラトだって、ノハナの町に這入ってすぐは怪しまれていないか警戒していたし、無事に這入れたことに心底安堵したものだった。
「考えてみればノハナの町に這入れたのもそうだし…………何したの?」
じとっと目を細めて懐疑的な視線を送ってくるエンカに、
「何って、まあ…………」
フラトは、ずるとも言えるその仕組みを説明した。
そもそもは、もらった亜空間収納の魔具を違和感なく起動する為の偽装――蜘蛛の糸を首筋から服の内側、腕に沿って人差し指に嵌めた指輪に付けてもらったこと――が功を奏したという事。
功を奏したというか、イチかバチかの賭けになんとか勝ったというか。
手を翳す動きを合図に、蜘蛛が亜空間収納の魔具を起動できるようになり、その要領でカードに手を翳したら、蜘蛛が勝手に空気を読んで魔力を送り込んでくれた。
「すごっ! そんな事できるの!?」
感心したようにエンカがフラトの頭上にいる蜘蛛を見上げる。
フラトも自分で説明していて改めて、異常だよなあ、と認識していた。
「まあ、それもこいつが頭の上にいるときだけで、食事中とか、寝起きにいきなりそういう事が必要になったら、ぼろが出そうだけどね」
「そうは言ったって器用なものだよ。頭の上に登ったらわざわざ魔具に蜘蛛の糸を接続し直してくれるわけでしょ?」
「まあね」
「いいなあ」
とエンカが羨ましそうに言う。
「そんな話聞いたら私も撚蜘蛛頭に乗せたくなるよ」
などと言いながらエンカが人差し指を伸ばし蜘蛛に近付けようとすると、蜘蛛が丸めた糸玉を投げつけた。
「いて」
言いながらもしかし、エンカは咄嗟に自分の顔に当たって跳ね返った糸玉を掴んでいた。
ぐにぐに。
ぐにぐにぐにぐに。
物珍しそうに糸玉を指先で潰すようにしながら触っている。
糸玉に繋がった糸が緩んだりぴんと張ったりしているので、恐らく蜘蛛が糸玉を回収しようと頑張って引っ張っているのだろうが、まるで意に介さずエンカが糸玉を放さない。
そのことに痺れを切らしたのか、二つ目の糸玉がフラトの顔面にぶつけられた。
「いったっ。何で僕に……………………すまんトバク、それ返してやってくれ」
さもなければずっと八つ当たりされ続けてしまう。
「ん? ああごめんごめん。珍しかったからつい。ごめんね」
最後の言葉だけ蜘蛛に向けて言って、エンカが持っていた糸玉を蜘蛛の方へ指で弾くと、糸玉は空中で解け、するすると蜘蛛の中に回収されていった。
「それじゃ、ホウ……………………まだ我慢したら?」
「ん? え?」
「いや、目を輝かせてあっちこっち視線を忙しなく動かしてるからさ」
「…………そんなことしてた?」
「うん。してたしてた」
「まあ、これだけ大きな都市に来たのも、こんなに多くの人が実際に行き交ってるのを見たのも初めてだから、かな」
正直、好奇心がこの上なく刺激されている。
正門から真っ直ぐに続く道だけじゃなく、見える限り、その隣を真っ直ぐに伸びる道も幅が広く、人が活発に行き交っているし、がやがやと騒がしく、辺りには何かを焼いているような香ばしい匂いから、甘い匂いまで漂ってきて、その正体を確かめたい欲求が溢れてくる。
山の中では決して見られなかった光景が目の前に広がっている。
全て見て堪能するのに一体何日を費やす必要があるのか。
今にも動き出しそうになる足を無意識に抑えていたことに、フラトはエンカから声を掛けられて初めて自覚した。
「でも、今行ってもホウツキお金ないでしょ。流石に何も買えないのに見るだけはしんどくない?」
「そう…………なんだよなあ」
しみじみと言ってフラトは肩を落とした。
ノハナの町でもそうだった。買い食いの一つも出来なかったのはとても、とても残念だった。特に、ノハナの町の名産が肉や野菜だったことを知ってからは尚更に。
施設の中でも十分に色々と食べさせてもらったが、外に出ている屋台で食べるのはまた格別の味わいがある筈だったのだ。
僅かでも持っていれば、その少ない中で何を買うか吟味、厳選する楽しみもあるだろうに、それすらもできないのは生殺しと言えよう。
「だから、まずはこっちね」
踵を返しエンカが歩き出したので、その背中を追う。
正門前の目抜き通りをしばらく進み、脇道に入ってから更にもう一度曲がって大きな建物の裏側に回ってきた。
がらごろ、と目の前の鉄の柵をエンカがスライドして開き、二人で中へ。
後に這入ったフラトが振り返り開けた鉄の柵を――
「え…………あ、は? 重っ!」
エンカが何気なく片手で開けていた鉄の柵はえげつないほど重たかった。
およそ、人が開け閉めをするように設計されているとは思えない程に。
「ふんぐぁっ」
両手を使って力いっぱい、全力を込めて柵を閉めてから、とっとと先に進んでいたエンカの元に駆けつける。
と。
「こんにちは」
建物の裏口と思しき扉から女性が顔を出してエンカに手を振っていた。
「ん」
と短く言って、エンカも手を上げて返している。
「エンちゃん、この子?」
「まあねー」
「ふうん……………………じゃ、行きましょうか」
女性は興味深げに、少し値踏みをするようにフラトを見てから、踵を返して建物の中へ。
二人もその後ろに続き、背後で誰にも支えられなくなった扉が重たい音を立てて閉まった。




