第二話
「私はさ――あ、ごめん、ちょっと待って」
す、とエンカは視線を鋭く横に逸らし、最後の一口になったパンを口の中に放り込みながら立ち上がった。
何もない草原の遠くの方を見つめながら、左手を突き出すように、肩の高さに持ち上げ、人差し指と中指だけを伸ばし、他の指は握り込んで――構えた。
と、エンカの伸ばした指先に赤みを帯びた光の球が出現し、
「よ」
真っ直ぐ吹っ飛んでいった。
数秒後――着弾したらしい轟音が辺り一帯に響き渡り、遠くに小さく土煙が上がった。
こんな光景を――フラトはノハナの町を出発してからもう既に何度も目にしていた。
「それ、何か射出してるのも魔術なのか?」
「んにゃあ、厳密にはちょっと違うかな」
再び座りながらエンカは言う。
「別に、魔術陣を通して何かしらの現象として発現させてるわけじゃないからね。やってることは魔術と呼んでいいほど複雑なものじゃないよ。単なる魔力放出をちょちょっと細工したみたいなもんだからね」
「だから魔術とは呼べないと…………それって、もしかしてあのサワスクナ山でトバクが巨猪にぶっ放してた攻撃も?」
忘れる筈もない。未だ鮮明に思い出せる鮮烈な光景。
剣に赤みを帯びた光が纏わりつき、瞬く間に光は溢れるように噴き出して、長大な光の刀身を作り出しているようだった。
「そうそう。よく憶えてるねえ、あれもそんな感じ」
「魔力ってそれ単体でも確固とした『力』として運用できるもんなんだな。魔力そのものを使うのと魔術として使うのって、やっぱり結構違うものなのか?」
「まあ魔力は魔力として、単なる『力の塊』としての運用なのに対して、魔術は山の中で見せたように魔力を使って魔具を起動し、魔素と干渉させることで『炎』っていう現象に変換したでしょ。わかりやすい違いはそこら辺だね」
「力の塊か、現象か」
「あとは効率とかかな」
「効率?」
「たとえばだけど、100っていう数値の攻撃を加えようと思ったとき、魔力をそのまま攻撃に転じる場合の使用魔力量を100とした場合、これを魔術で代用すると50の魔力使用量で済む場合がある」
かなり極端な例だけど、とエンカが加える。
「あとは、バリエーションっていうか汎用性が段違いだね。ホウツキも見たと思うけど、サワスクナ山で遺跡のような場所を見つけたとき、私、結界張ったでしょ」
「あー、うん。確か、魔術の発動者以外にその場所を認識させないようにするのと、発動者にその場所を知らせる魔術って言ってたっけ」
「へえ。よくそこまで憶えてるね」
「綺麗だったからかな、なんか記憶に残ってる」
「まあ、あんなのは魔術が便利ないい例だよね。複雑な手順を踏まなければいけない分、発動する力に意味を持たせられる。魔力そのものの運用は、結局のところどこまで行っても純粋な力でしかないからさ」
「成程なあ」
「魔力運用は、さっきみたいにまとまった量を射出したり、何かに纏わせたり、広く散布して別の魔力を感知するのに使ったり、自分の前に面として展開して盾みたいに使ったりとか、私が知ってる使用例ではそこら辺が一般的かな」
「聞いてるとなんか工夫次第で面白そうではあるけど、気になるのは、その魔力を散布しての索敵って奴、それ、自分が放出した魔力って、遠くにあっても知覚できるってことだよな?」
「限度はあるけどね。あんまり薄まると知覚できなくなるから、ある程度の密度を保持しておく必要がある。遠くに行けば行くほど結構気力と体力、精神力諸々削られるし、自分の周囲が疎かになりがちってデメリットもあるし」
「おい……………………いいのかよ、そんなデメリットとかぽんぽん僕に話しちゃっても」
「だってこうして一緒に行動してるんだし、そこら辺、共有しておかないとホウツキがどういう場面で動けばいいか、判断に迷いが生じる可能性があるでしょ?」
「成程ね」
つまり、その気はないが、万が一にも近くに危機が迫った場合は対処しろと――エンカは言外にそう言っているのだろう。
「私は魔力量が多い方だから、魔力のままの運用が雑に使えて好きかな。よく使う」
「思い返してみれば、山の中でも魔術らしい魔術って、例として見せてくれた炎と、あの結界くらいのものだったもんな」
まあそれに関しては割と早くに遭難から脱し、山を降りることに成功したから披露する機会がなかったとも言えるのかもしれないが。
「ってことで、私がこうして魔力弾を打ち出してるのは、魔術とは呼べないかな」
座り込みながら、エンカは真上の空に向かって小さな魔力の塊を射出。
高く高く空に昇って行った魔力弾は炸裂し、小さな花を咲かせるようにして散った。
「広範囲に魔力を散布して索敵、魔獣の魔力を感知してその方向に撃ってるわけだけど、私のはただ撃ってるだけだからね。こんな遠くからじゃ当たってすらいないし。精々が近くに落として、派手な音鳴らしてるくらいのもんだよ」
「くらいのもんって…………当たってるかどうかは別としても、あんな遠くまで索敵できてるのが滅茶苦茶なんじゃないかって、僕は思うんだけど、この世界の人――魔力が放出できる人は、皆そんなことできるの?」
立ち昇る土煙だって小さくしか視認できないほどの遠距離である。
しかも、ノハナの町を出てからこれまで、エンカが色々な方向に魔力弾を打ち出していることを考えると、索敵範囲は自身を中心とした全方向。
死角無し。
敵対したら、そんな相手、勝てる気がしない。
「私は魔力量が多いって言ったでしょ。それに、ちょっと自画自賛するくらいには散々魔力コントロールの練習はしたからね、そのおかげ。普通はあんな遠くまではできないし、なんなら、この魔力放出をしての索敵自体も結構コツがいるから、上手くできる人はそう多くないんじゃないかなと思うよ」
「そっか。因みに訊くけど、その射出してる魔力弾はわざと当ててないの? それともあれくらいの遠距離になると流石に狙って当てるのは不可能?」
「んー、結論から言えば、私の魔力量を考慮した上で魔術を使えば、狙って当てることはできると思うけど、そこまでする必要性はないって思ってる」
「あくまで依頼は護衛だから?」
「そ。基本的にどんな生き物も近くで大きな音鳴らされたらビビるでしょ。咄嗟に進行方向とは逆に逃げようとするもんだし、近付いて来なくなる。ある程度の威力を持って近くに着弾さえさせられれば、護衛依頼の魔獣対策としては十分なわけよ」
「…………」
エンカはさも簡単なことのような口振りで言うが、実際彼女にとってはそこまで労なく出来てしまう話なのかもしれないが、一般的にはかなりの難易度に違いない。
遠くへの索敵も。
そんな遠くへ、威力を伴った魔力弾を飛ばすことも。
「魔獣からの護衛なんてのは、いかに敵をこっちに近付けず、こちらが疲弊せずに護衛対象を守り切れるかってところが、結局のところ肝心なわけだし」
「まあ、理論的にはな」
誰も彼もができるなら、ノハナの町へもっと整った街道が整備されているだろうし、もっと馬車も行き交っているだろうに。
「それに、やっぱ無用な殺しはしたくないじゃん? 別に誰かに危害を加えてるわけでもないんだしさ。どうせ殺すなら、ちゃんとその身は食べて血肉にして、使える素材も存分に使うようにしたいし。殺しまくったら生態系破壊しちゃって何が起きるかわからないからね。そういうことすると組合からも罰則があるみたいだし」
無用に傷つけない、獲り過ぎない、無駄にしない――全部、フラトが山で師匠に教わったことで、それがあの山で生き続けていくための規律なのだと刻み込まれていたが、所変わったとしても、その括りからは大きく外れないらしい。
「それを踏まえて言うと、遠くへの索敵と遠くへの魔力弾の射出ができるのなら、この開けた土地の護衛ってのは、割と楽なんだよ」
楽とか、化物がなんか言っている。
「楽、なのか?」
「この魔力放出の索敵だって万能かって言われると、樹々が立ち込める森や林の中だと『漏らし』がないとも限らないしね。『近付かせない』を徹底するのはやっぱ開けてた方が楽だよ。それに何より、封鎖地域のサワスクナ山が近くにあるせいで、いや、そこに住む魔獣が強力な傾向にある《《おかげ》》でと言い換えた方がいいかもだけど、山賊やら盗賊が下手に待ち伏せていることもないから」
「そういうことか」
「そ。標的を待ってる間に魔獣に襲われましたじゃ話にならないし、洒落にもならない。そもそも、それにこれだけ開けてると待ち伏せの為に安全に潜伏できるような場所がないからね。だから基本的に警戒すればいいのは魔獣だけで、こっちに来そうなのにああして魔力弾を撃ち込んでおけば、びびって近付いて来なくなるから、楽なんだよ」
言いながら、エンカは亜空間収納を起動して中から再びパンを取り出して齧った。
「…………今さっき食ったばかりだよな?」
その大層ボリューミーな『元気になるパン』を。
一つでだけで満腹になるその『元気になるパン』を。
「楽とは言ったけどこの護衛方法、魔力だけはやたら消費するし、さっきも言ったように気力も体力も消耗するからね、やたらお腹空くんだよ」
「燃費が悪いのか」
「効率的とは対極にあるようなことしてるからね」
正に力業。
「こうしてトバク自身は動かず、索敵と狙撃に専念出来て、食事と休憩も容易にとれる状況だからこそ成り立ってるわけか」
「人が相手じゃないってことの楽さはそこにもあるよね。余計なことに頭を使わなくていいしさ。流石に知識を持って頭数を揃え、対策を立ててくるような人間が相手だった場合、自分は全然動かずに魔力弾だけ撃ってればいい、とはいかないし」
「成程なあ」




