第十二話
「おっしゃー、これで最後」
やり切った声を上げ、少女はばん、ばん、と両手に持っていた用紙を順番に、右、左、とフラトの持つ紙束の上に叩き付けてきた。
「おい、これ持ち出しちゃいけないやつなんだからもっと丁寧に扱えよ」
「どの口で」
「この口だが。なんなら僕は丁寧に扱ってたけどな。躊躇いなく引き剥がしたのも、ばらばらにしたのもお前だよ」
「どうせそのつもりで持ってきた癖に。それにこの場所で、私の意見と蜘蛛のおにーさんの意見、果たしてどちらが信じてもらえるかな?」
まるで勝ち誇ったような表情を、少女は見せてくるが――
「いや、どっこいどっこいだろ。ばれたら僕らは両成敗だよ」
「…………なんとしても擦り付けて見せる」
「お前…………言う割に、自分に自信ねえんじゃねえか。やっぱりお前もそこまで信用はないと見た」
多分間違っていないだろう。
色々とやんちゃしていそうな雰囲気がある。
「しかもお前、おい、今置いた紙、裏表逆じゃねえか。奇数を下にしてんだよ。そしたら、ほら、まとめてひっくり返せばこうして頭からになるんだからさ」
「はいはいごめんごめん」
「投げ槍に謝罪すんな。何で僕が我儘言ってなだめられてるみたいになってんだ」
「で?」
こうして順番通りに並べ直したが、それでこの先は――とフラトの愚痴を丸ごと無視して、少女は急かすように見上げてくるのだが。
「いや、知らん」
「は?」
「僕がその本作ったわけじゃねえんだからわかるわけないだろ。大体さっきも言ったけど、別の誰かが本に八つ当たりして、壊しちゃって、慌てて直した時にページがばらばらになった、とかならこの先なんてないしな。『何か』は自分で見つけろ」
「むー」
仕方ない、とばかりに少女がフラトの手から紙束を引っ手繰って捲る。
「んー、特に…………何がどうってところもないように見えるんだけどなあ」
ぶつくさ言いながら紙を捲る少女の手元を、フラトも一緒に見下ろしてみるが、中身が真っ白なところも変わってないし、なんら特別な変化は見られない。
「やっぱこれ、ただの嫌がらせなんじゃない?」
「そういえば、そんなことも言ってたな…………魔術を習おうとするのを諦めさせる為とかなんとか」
「うん」
「いやさあ、それもどうなんかなと思うんだけど」
「何で?」
「僕だったらって話になるけど、もし本当に諦めさせるならそもそも思わせぶりにこんな本は置かないけどな」
「でも…………」
「それに――何かしらの理由があって一冊はこういう本を置かないといけない事情があって、苦し紛れにこんな白紙の本を置くのだとしても、だったら、こんなわかりやすいタイトルの本は置かない」
タイトル――『魔術とは』なんて。
諦めさせる前に、期待させない。
「…………」
「それに、置く場所も、子供の手の届かない上の方に配置するかな」
この真っ白な本が収められていた最下段は、誰でも手に取れる位置にあったと言えるし、フラトからすれば下にあり過ぎて寧ろタイトルを読むのに苦労する配置だったけれど、子供達からすれば目に入りやすいのではないだろうか。
「まあ、確かに上の方にあるのは…………大人の人に頼んで取ってもらったりするけど、じゃあ何で…………」
「何でわざわざわかりやすいタイトルで、子供が手に取りやすい下に配置したのか。それらにもし意味があるなら、この本はそもそも見つけてもらいやすいように置かれていたってことになるんじゃないか? それも子供達に」
「じゃあ、こうしてわざわざ並べ替えたその先に、何もないなんてことはない?」
「と、思うけどなあ」
というか思いたい。ここまで色々あーだこーだ言っておいて、結局何もない、じゃ格好付かないというか、恥ずかしい限りである。
「ふむぅ――」
唸りながら少女は再び紙の束に視線を落とした。
矯めつ眇めつ、引っ繰り返してみたり、振ったり、逆さにしたりして――
「あ」
と、声を上げた。
「何かあったか」
「うん。蜘蛛のおにーさんの言った通りだった。下に置いてあったことにちゃんと意味があったよ」
ほらほら、と少女が先程よりも興奮したように目を輝かせ、紙束の底の部分をフラトに向けて見せてきた。
そこには――。
「魔術陣か」
「うん。これ、ページを入れ替える前は汚れてるくらいにしか思わなかったのに、魔術陣がばらばらになってたんだ…………凄い」
「へえ、よくできてるな」
側面も上部も一様に、同じように汚れているのだから手が込んでいる。
並べ直してみればこんなにもくっきりと浮かび上がってくる魔術陣が、ページを入れ替えたくらいでゴミのように見えてしまうというのも、それはそれで凄い仕掛けなような気もするが。
いや――こうなると《《ばらばらのされ方》》も意図的だったと考えるべきなのかもしれない。
「あ…………あれ?」
感心していたと思ったら急に不思議そうに首を傾げる少女。
「どうした?」
「いやこの魔術陣があるから、それが見えないように本棚の一番下の段にあったのかなって思ったんだけど、でも、ゴミみたいに見えるカモフラージュがされてるんだったら、上にあって、取り出すときに底が見えちゃっても別にそれはそれで問題ないわけで、だったら一番下にあった意味ってなんだろうって、思って」
「それは単純に、最初に視線がいかないようにしている本の底には『何か』あるぞ、って仄めかしじゃないのか? 『本の底のものは汚れじゃない』って、『何か意味があるかもしれない』って、ばらばらになったページの仕掛けを解いた人間の意識を向けさせる為の」
「かなあ」
「多分」
何にしても今のところはそれくらいしか仮説は思い浮かばない。
「そしたらやっぱ、これ起動しろってこと…………だよねえ。んー」
「何をそんな難しい顔してるんだ?」
「いや、私は魔術使えないからさあ。っていうか、だからこそ、それに関する本を読んだりして勉強したかったわけで…………蜘蛛のおにーさんやる?」
「いや…………」
まあやろうと思えば、今蜘蛛も頭上にいるのでできなくはないだろう。この蜘蛛のことだから、今の少女との会話、この状況をちゃんと理解して、フラトが手を翳せば魔力を流してくれそうな気もするのだが――そうじゃなくて。
「単に起動するわけじゃ、ないと思うんだよなあ」
「どういうこと? でもこれ魔術陣だよ?」
「うん。それはわかってるんだけどさ、お前が今言ったみたいに、ここの子達は魔術が使えないわけで、その子供達を対象にした仕掛けなんだとしたら、そこら辺の事情も織り込んでる筈なんじゃないかと思うんだけど」
「…………じゃあ、どうすればいいんだろ」
うーん、と目を瞑って少女はその顔を上空へ向けた。
多分何かしら考えようとしているのは本気なのだろうが、この気持ちのいい気候でそんなことをしたら寝てしまわないだろうか。寝たら、まあ、その時は放っておいてやろうと悪戯心が湧き上がるフラトの視線の先で、少女は矢張り眠気に襲われたのか、それを回避するようにベンチに据わったまま上半身を左右に揺らし始めた。
ぐいん、ぐいん、ぐいーん、と三度に一度ベンチに頭をぶつけそうなくらい大きく身体を倒す変なリズムで揺れていた少女は、何度目かの、フラトの方へ身体を大きく傾けてきたところでぴたりと動きを止め、目を見開き、ぐぐぐと首だけを動かしてフラトを見上げ、言った。
「思い付いた」
「…………そっか」
不可解な姿勢をしている意味は、多分、ないのだろう。
もしかしたら、本人は楽しいのかもしれないが。
「同じ魔術陣を見つける、とかどう?」
姿勢を戻して少女は言う。
「おー、なんかそれっぽい。謎解きっぽいね。因みにその魔術陣に見覚えは?」
「ない!」
「だよなー」
「うん!」
何故か、力強く親指をびしりと上げて見せられた。
「あっ! うぁー、いいとこなのにそろそろ午後の授業始まるよぉー」
建物の壁面――この裏庭に向けて取り付けられた大きな時計を見た少女が、うがー、と意味不明に嘆いた。
「それは、授業優先だな」
自分が連れ出したせいで、少女が一人授業をさぼりました、なんてなろうものならクビキに何を言われるか、何をされるかわかったもんじゃない。
遅刻して責められようものなら、少女は少女でフラトのせいにしそうだし。
「わかってるよ。よっと――」
少女がベンチから飛び降りるようにして地面に立ち、フラトの方へ振り返る。
「私達、夜に少し自由時間あるからまたそこで続きやりたい。蜘蛛のおにーさんは、夜何か手伝いある?」
「少し手伝いあると思うけど、多分そこまで時間が掛かるようなものじゃないと思うから、終わったら図書室にでも行こうか? 夜も開いてれば、だけど」
「図書室も九時までだったら開いてるから大丈夫。じゃあそれで」
「了解」
「それまで謎解いちゃ駄目だからね」
「はいはい」
「解こうとするのも駄目だよ」
「わかったよ」
「じゃ、また後でねー」
と小走りに建物に向かっていく少女の背中を見送っていたのだが、少女は途中で足を止め、くるっと踵を返して戻ってきた。
「どうした?」
「そういえば忘れてた」
「?」
「私、イチジク・ヨリギ」
「?」
「名前だよ名前。蜘蛛のおにーさんの名前は?」
「僕の名前はホウツキだけど、そのまま蜘蛛のおにーさんでいいよ」
「いいんかよ」
けらけら笑いながら少女はまた踵を返す。
「そんじゃ、今度こそ行くね」
「はいよ」
「私の楽しみ奪ったらぶっ飛ばすからね」
「そういう直截的な物言いは止めなさい」
「じゃねー」




