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 休みの日の朝方は、何処もまだ眠ったままだ。何時もなら絶え間なく混雑する街一番の大通りも、例外ではない。十五分ほど前にふらふらと中年の男が渡り歩いて以来、寒さと静けさだけが辺り一面に積もっていた。ハンスはそこに立ちながら少年団の制服の襟や裾を正すと、少しだけ誇らしい気持ちになった。糊の張ったそれに負けまいと、身体を棒のように真っ直ぐにし、胸を張る。制服は魔法のようだった。普段はデパートで売っているような服を着ている男の子も、お下がりばかり着ている末っ子も、同じ茶色の制服を着るのだ。そこには確かに目に見える形での平等があった。連帯感があった。

「寄付をお願いします。冬季救済事業に、寄付をお願いします」

 誰も居ない虚空に向かって、彼は声をあげた。もう一度、

「寄付をお願いします。冬季救済事業に、寄付をお願いします」

 こうして、ハンスは何度も何度も繰り返しそれを口にした。少しずつ声は大きく、太くなり、より高く響くようになっていった。やがて人が通い始めると、その多くがハンスの方へと目を向け始めた。昼になって人混みが生まれ沢山の話し声が喧騒となっても、ハンスのそれは決してへこたれることなく、通りを駆けるのだった。やがて、少しずつ募金缶に余った小銭を入れてやろうと思う者も増え、それに応じてハンスの声に喜びと誇りが加わり、また一段と高く声が発せられた。彼がハンスに目を留めたのはそんな時だった。


「おい」

 ハンスが振り返ると、大きな風体の少年が見下ろしていた。横に一回り小柄な取り巻きが二人並んでいるが、それもハンスと比べればずっと立派な体格だ。大柄の男は、きょろきょろと見回すハンスを抑えつけるかのように、睨みを利かせ、話しかけた。青い目が濁っていた。

「でっかい声を出して。頑張ってるみたいだなあ」

 何処か笑いを堪えているかのようで、同時に威圧しているかのようなその口調を、ハンスは遠くから良く耳にしていた。グスタフだ。

「なっ…… 何の用なの?」

 声は枯れていた。慣れぬ大声を絞り続けたせいで喉が酷く痛んでいることに、ハンスは今更ながら気付いた。そこから恐れを読み取ったかのように、グスタフは満足気な表情を浮かべ、彼の取り巻きもまた狐のように顔を歪めた。

「いや、な。随分と熱心に張り切っていると、なあ。どうせ少佐様に釣られたのだろうけどな」

 軍の上官のようにわざと勿体ぶった喋り方をすると、グスタフは両手をハンスの両肩へと置いた。ハンスは身をすくめたが、がしりと掴まれる。丁度ラグビーのスクラムのようだ。グスタフは腰を屈めながら、見下ろす。

「ほら、こっちを見ろ! 相手の目を見て話せと、教えられなかったのか!」

 返事はない。頭は真っ白で、ハンスは何も出来なかった。

「お前らがいくらやっても、そんなもん、どうせ叶いっこないんだ! わめいたって目障りなだけなんだよ! クズは何をやってもクズなんだ! わかったな!」

 震える唇で、「うん」と頷く。取り巻きがどっと笑った。

「まあ、しかし、お前のした事も、決して悪いことばかりじゃない。他人に少しでも役立とうとするのは、なるほど、たいした心構えだ」

 少し柔らかくなった口振りに、ハンスは顔を上げた。グスタフはそれを確かめると、右手をハンスの肩に乗せたまま、もう片方の手で取り巻きから自身の募金缶を取った。それを顔に押し付けるようにして、

「だからな、寄付してくれよ。坊ちゃん。飢えに苦しむ哀れな貧民の為にさあ」

 右肩の手に力が入り、ハンスは顔をしかめたが、弱まることはなかった。

「なあ、考えてもみろ。お前なんかの菓子代に消えるよりも、ずっと有意義だろう?」

 ハンスはただ、しどろもどろとしていた。

「頭の悪いクズが! 財布を引っ張り出して、これに入れろって言ってるんだよ!」

 唾が頬にかかり、怒号が耳をつんざいた。ハンスは涙を溜めながら、財布をポケットから出した。

「マルク札も渡しな。全部だ。後から俺が両替して、貧しい民衆の為に寄付しておいてやるからよ」

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