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ドイツ、ケルンの冬の街は寒く、ハンスの吐く息は白い。何処からか訪れた厚い雲が空をうす暗く覆い、バルト海をくぐった北風は身体を芯から震えさせる。毎年、路上で寝食する人びとの多くの命を奪い続けた冬の冷気だが、今年は特にそれが酷い年だった。
「寄付をお願いします。冬季救済事業に、寄付をお願いします」
ハンスの声は細く、雑踏にかき消えた。息の跡だけが少しの間留まり、それも直ぐに溶けていった。コートの襟を掴みながら歩く男達も、夕食に間に合うよう駆け足の女達も、少年には一瞥もくれず家路へと急ぐ。
「寄付をお願いします。冬季救済事業に、寄付をお願いします」
声はまた一段と、心許ないものとなった。誰も見向きさえしない。ハンスは灰褐色の壁に小さな背をつけ、通りを行き交う群集を見守るしかなかった。石畳に溜められた冷たさは靴越しにも伝わり、募金缶を掴む手は風に晒され赤くなっていた。
「寄付をお願いします。冬季救済事業に、寄付をお願いします」
声はいよいよ小さく掠れ、壊れたレコードのようだ。灰色の家々に赤茶の屋根が乗ったこの街でそれを聞き取る者など居ないことは、ハンスにも良く分かっていた。数え切れないほどの革靴が延々と行き交い、しかし誰一人とて止まらぬ風景を、彼はただ眺めていた。石畳をまるで踏みつけるかの如く、闊歩する靴の数々。その中で、しかし、軽やかにステップするかのように流れを縫って行く小さな足が、ハンスの目に止まった。見上げてみると、それはヴォルターのものだった。
「こんにちは、お嬢さん。どうか救済募金に、ご協力お願いします」
にこやかに微笑みながら、ヴォルターは円筒状の募金缶を婦人の前に差し出す。
「やあねぇ、もう募金なんかしたわ。ほら」
婦人が指差した胸元には、バッジが鈍く光っていた。募金缶にお金を入れる代わりに、少年達から受け取るオモチャのような小さなバッジだ。星空の下で袋を担いだサンタが刻まれている。それは婦人が既に国民の義務を済ませていることを証明していた。しかし、ヴォルターは顔を崩さず、
「ああ! もう募金を終えているとは、なんて聡明で優しいお嬢さん! どうです? その優しさをここにも分けて頂けませんか?」
「まぁ、口達者な子だこと」
「いやいや、ここで募金してくだされば、もうこんな目には会わせません。二つもバッジを付けた真摯で賢いご婦人から、金をせしめ盗ろうなんて、誰が思うものですか!」
芝居がかった大袈裟な身振り手振りで言ったものだから、婦人は思わずくすりと笑い、つれてヴォルターもより大きな笑みを浮かべた。
「しょうがないわねぇ」
婦人は渋々、ポケットから十ペニヒ硬貨を二枚探り出し、募金缶へと入れた。金属が缶の中で弾む鈍い音がした。すると「ありがとう」と満面の笑みで両手を握られ、それがまるで宝物であるかのような眩い目でバッジを渡されたものだから、婦人はすっかり上機嫌となり、スキップをするかのように去っていった。
ヴォルターは一つ大きく息を吐いて、次の獲物を探そうと辺りを見回す。すると街路の隅っこで、ハンスが震えながら覗いているのに気が付いた。