短篇 結ばぬ心の音、伝えぬ言の葉。 ーstatus contactー
この作品には百合、空想科学、近未来、ちょっと残酷な要素が含まれております。
大丈夫な方はそのままお読み下さいませ。
もしも貴方に秘められたステータスをいつでも何処でも見れるとしたら?
そんなラノベのような体験を、わが社の新商品が叶えます!
この、ステータスコンタクトが!
これをつけるとあら不思議、瞬きをするだけでステータs……
ぶちっ!
煩わしいノイズを消し去るため、テレビのリモコンを乱暴に叩く。
勿論電源ボタンをである。
ただでさえぼろ臭い時代遅れのアナログテレビに、無理矢理デジタルチューナーを取り付けて延命させただけの我が部の老いぼれテレビを壊す訳にはいかない。
「ああ、たかがアイコンタクトくらいでステータスオープンできりゃ誰も苦労しねーよ全く……ああ、馬鹿馬鹿しい……つーか、あっつ……」
寝癖が所々舞っている黒髪のロングヘアーを無造作に掻き漁る。
外から暑苦しい蝉の音が鳴り響いている事もあり、髪は汗でべたついていた。
それもその筈だった。
今は2045年、季節は初夏。
前々から散々言われていた地球温暖化の仕業なのか違うのかはさておいても、部屋の温度は猛暑日越えなのだから熱いに決まっていた。
部室の窓を全開きにしてもこの微々たる風では暑さは軽減できる筈もなく、唯一の命綱である備品のとうに保証期間のすぎたオンボロ扇風機の風力だけでは、全然涼を取ることも出来やしない。
そもそも、今時テレビなんて見る若い奴は特別天然記念物並みに稀少な存在なのだが、にしてもあんな胡散臭い謳い文句で誰の購買意欲を掻き立てれると言うのだろうか?
まあ、テレビの情報を鵜呑みにする奴らは飛び付くんだろうけどn……
「センパーい! ステータスコンタクト買ってきましたよー!」
前言撤回だ、すぐ近くにいたよ買ってくる馬鹿が。
ちょっと小生意気な後輩で、異世界同好会唯一の部員、路也みくるである。
茶髪を赤色の髪留めでツインテールに纏めていて、体躯は中学生……下手すれば小学生かと見間違えそうな小柄。
成績は中の下だがスポーツ神経は抜群だ。
助っ人で色々な部活に駆り出されてる体育会系であり、別名『虎の小人』と呼ばれ周囲から慕われている。
因みに語源は虎の子と小人であり、小さいながらも彼女が皆から大切にされている証明であると同時に、彼女の運動神経は猛虎の様に俊敏なのでこの意味でも通っているダブルネーミングだった。
断じて言うが、どこぞの手のりの虎ではない。
ぶっちゃけ、みくるに頼らずとも勝てるように努力しろとは思うだろうが、部活の連中も大半はちゃんと努力しているしそれなりに強い。
だが、みくるが常軌を逸して天才肌なのだから比較するのはナンセンスである。
そんな私と違って好奇心旺盛な彼女だが、やはりこれにも手をつけてしまったか。
「マジか。あれ結構高い代物だと把握していたんだが……」
「ええ。3万はしましたよ。安いスマホ買えちゃいますね」
「良くやるなあ……」
流石に実際に使えるかも定かではないアイコンタクトに諭吉3枚を出す度胸は私にはない……いや、現在は紙幣が一新されてるので栄一だったか。
その時代に私達は生まれてすらいないのだが、いまだに諭吉のままで良かったという人も一定数いるようであり、栄一が何処か不遇に思えてくる。
兎に角、彼女はバイトをしているとは言えども、高校生が気軽に工面できる金額では無い事は確かだ。
みくるは私の向かい側に置かれているパイプ椅子に腰掛け、机のど真ん中にこれ見よがしとオサレなデザインの紙袋を置いて見せた。
「へへーん。だけど奮発してヘソクリを叩いて買っちゃいました。やはり異世界同好会の名にかけて、こいつは試して見るっきゃありませんよ」
異世界同好会とは、異世界について研究する部活である。
と言っても異世界とは何もファンタジーなゲーム風の世界とは限らない。
かの宮沢賢治の小説に出てくるイーハトーブも異世界で、何なら小説の中の世界全般こそが異世界と言っても過言ではないだろう。
それなのだが、最近は何故かゲーム風の世界限定を異世界と呼ぶ習わしが、世間一般に定着してしまっている。
そもそも最近は古典的な文学はおろか紙媒体の漫画ですら読む奴もうんと減ってしまったからな、今は何もかもがデジタルの世界だから仕方がないが。
閑話休題。
私達の活動内容は主にラノベや本を読んだり、自分で小説を書いてネットに載せたりしているだけである。
つまり、文芸部の真似事だった。
しかし、部員の少なさと活動内容の地味さから正式な部活動として学校から許可が降りず、異世界同好会として細々と活動をしている次第である。
「さてと、早速ご開帳ーと!」
無駄にテンション高くしたみくるは紙袋の中から小箱を取り出した。
更にそれを開けると、緩衝材に守られ個別包装されたステータスコンタクトと、保証書を兼ねた紙の製品説明書が入っている。
「一応聞くが、私のは無いのか?」
「ステータスコンタクトは完全オーダーメイドですから、自分でショップへ行って買ってくださいっす。どーせ金は腐るんほどあるんでしょ、お嬢様?」
「一々刺のある言い方を……、まあいい」
みくるは自分のルビーの様な緋色の瞳に透き通ったコンタクトを被せる。
彼女は別に視力が悪い訳では無いので、このステータスコンタクトには度がない。
私としては好き好んで目に異物を入れようとする彼女の神経には理解に苦しむが、彼女の満足げな表情を見るとそんな感情すらもちっぽけな物だと再認識させてくれた。
「さあ、早速取り付けた事ですし……ステータスオープン!」
異世界漫画の主人公がやってそうなポーズを恥じらいもなくするみくるであるが、格段何か変わった様子もない事に徐々に焦りを募らせていく。
仕方なく私は説明書を引っ張り出し、彼女に助け船を出す事にする。
「あれ……壊れてるのかな?」
「みくる、ステータスを表示するには瞬きをすばやく二回しろ……だとよ。つーかさ、ステータスオープンって叫ぶの普通にダサいぞお前? 昨今のラノベの主人公ですらしないぞ?」
「ええ、そのダサさが良いんじゃないっすかー、おおっ、ウインクしたら本当に出たっす!」
年相応にはしゃいでいるみくるを見ると、私まで嬉しくなる。
確かに、みくるの瞳に何やら光の文字列が表示されてる様にも見えなくもない。
だが小さい瞳の上に敷き詰められた様に、尚且つ私から見れば左右反対に表示されてるので、私にはさっぱり内容が理解出来なかった。
「マジか。それで私のステータスはなんて書いてあるんだ?」
「何だ、やっぱり乗り気じゃないっすか。……と言うか近いっすよ。流石にハズいっす」
「ああ、すまない」
無意識に私は興奮して机に乗り出し、みくるに詰め寄っていたのだ。
やはり私も口では何だかんだ言っておきながら、ステータスは気にしてしまうようだ。
それはさておき、普段はボーイッシュでさばさばしている彼女だが、この近距離の彼女は照れ臭さで頬を染め上げており、いつもの十倍は可愛らしかった。
このままみくるにちょっかい出すのも面白そうではあったが、下手に拗らせて根に持たれると後々の同好会の活動に響くので、大人しく彼女から距離を取る。
「業華射院 早記、17歳、学生(伊勢海高等学校在学)……と。つまり現在はセンパイの名前と、年齢と、職業が表示されてる訳っす。流石にゲームみたいなステータスはまだ無いみたいっすね。まあベーシックプランを選んだからかも知れんすけど」
「……ああ、追加料金を払えばゲーミングプランを選べるんだったか? 有名IPとコラボした本格VRMMOができるだとか何とか」
「そうっすけど、流石にそこまで無駄遣いできる余裕はないっすから。その内コラボするIPが私の好きな奴だったら、考えるかも知れないっすけど」
まあサービス開始の段階ではコンテンツも最低限でしかなく、不具合もちょくちょく見つかっており、純粋にゲームが楽しめないとネットの声も上がっていた。
現在契約を見送ったのは懸命な判断だと言えよう。
「つっても、ステータスデータは事前にバンクへ登録した人間の名前を表示してるだけなんで、登録した人間じゃなきゃステータスは開かれないっすよ」
「まあ色んな人の個人情報を盗み見れたら、この世は大犯罪時代だろうよ」
「わー、勘弁してくださいよ。海賊じゃなくて国賊になっちゃいますよー」
「そもそも、プライバシーの欠片もないなこれ。一応セキュリティの類いはあるんだろ?」
「そりゃありますけど。スマホに囚われてる現代人何て、情報は全部筒抜けっすよ。誰にとは言いませんけど。スマホの次がステータスコンタクト、略してスコに変わっただけっす」
まあその情報管理もまともに出来てるかは定かではないが。
巷では陰謀論とかを本気で信じている奴らもいるが、私はその類いは信じてはいない。
あまり迷信とか都市伝説を真に受けて周囲を疑りすぎると、日常生活なんて何もできなくなるからな。
その代わりと言ったらなんだが、いつ死んでも後悔しないように今日一日を大事に生きていく事は常に心掛けている。
私の実家は一応大企業を経営している一家である為、お金には困らない生活を送らせて貰っているが、今後何処で経営が傾くか何て誰も予想も出来ないし、そもそも誰も予想しようとすら思わない。
常に汗水流して働けば必ず対価を貰えると、そう勘違いしてしまっている。
特に生活水準が高い高給取りほどその傾向が強くあるように、私は短い人生の中でそう悟っていた。
「……と言うか、何だその最悪のネーミングセンスは。まあいい。そのスコは人のパラメータを閲覧できるだけのアイテムなのか?」
「いやいや、それだけで3万も金を出す馬鹿はいませんって……何で私をジト目で見るっすか?」
「いや、何でもない」
「……とにかく、このスコはスマホみたいにインターネットの情報を見ることが可能な優れものなんすよ! 授業中に動画サイトを見たって先公にバレないっすよ!」
そう言うずる賢い事ばっかしてるから毎回赤点ギリギリ何じゃないか。
と言うか、それってテスト中にカンニングし放題って事なのでは……。
教育委員会は一度授業中のスコの使用について確りと協議した方が良いとは思う。
「それ以前にすっげえ目悪くなりそうだが……。それに充電と清掃はどうするんだ?」
「目に優しい特別な光で表示されるので、スマホよりも間近でも目の負担は少ないって売り文句だったっす! 充電は付属の充電器にスコを設置すれば、寝てる間にフル充電できるっす! 清掃は普通の水でも大丈夫っすよ!」
取扱説明書の胡散臭い謳い文句を流すように読み飛ばし、私はため息をついた。
「本当かね……。都合の良い事だけ聴かされて、騙されてるんなんじゃないか?」
「そんなことはないっすよ! スコが世界中に広まれば、世界中幸せっすよ!」
「……はあ。そう言う事にしておこうか」
すっかりみくるはステータスコンタクトの虜になってしまっていた。
これも時代の流れなのだろうか、それとも私が流行に疎いだけだろうか?
*
ステータスコンタクト発売から早1年、スマホに変わる次世代のデバイスとしてステータスコンタクトは世界中で普及していった。
教育委員会での協議の結果、授業中の使用を禁止する処か、授業中の教材として利用するまでに全面的に推奨される始末である。
理由は一昔前の政府の政策であるパソコンを一人一台買い与える政策よりも、遥かに保護者の負担が安い事だと世間一般には周知されていた。
流石にテスト中はカンニング防止の観点でオフラインモードにすると言う決まりは出来たものの、この一年だけで学校現場は、と言うか世界全てが大きく変わってしまった。
ノートもない、教科書もない、文房具すらもない。
代わりにあるのはステータスコンタクトとリンクしている専用のデジタルペン。
ステータスコンタクトに映った資料を見ながら電子ノートにメモを取る。
不明な所は目の前の先生にではなく、AIに質問して自己解決する。
そんな非日常な光景が日常になってしまった。
そして私とみくるも進級をし、私には今年が高校最後の一年となった。
季節は立秋、未だに暑苦しさは残っているがもうじきに肌寒くなる予感をどことなく感じる。
私は就職か進学か、進路という分かれ道に直面していたのだ。
「センパーい! おっ、今日朝ごはんカレー食べたんすか?」
通学中に後ろから元気の良いみくるの声が聞こえてきた。
振り替えると相変わらず活発とした彼女の姿があった。
制服も冬服のセーラーに衣替えしているが、やはりまだジメジメ蒸し暑い為袖を少し捲っていた。
「そうだが。頬にルーでもついていたか? それはちょっと恥ずかしいな……」
「いやいや、ステータスコンタクトにばっちり書いてあるんすよ! センパイの食べた朝ごはんの履歴が! 因みに昨日の晩御飯もカレー、朝御飯はジャムぶっかけトーストっすね!」
……えっ、そんな事まで解るのか?
今や世間は技術的特異点を超越し、人工知能は指数関数的に進化している。
と何かの小難しい事が書いてある本で読んだ事がある気がするが、兎に角人工知能を搭載したマイクロチップが埋め込まれているステータスコンタクトは、日々着々と使用者の思考に添った情報を提供出来るように進化しているのだった。
と言えども、まさか私の生活をずっと観察していた訳でもあるまいし、流石に気味が悪かった。
まああくまで悪いのはスコであって、断じてみくるではない。
「そこまで正確に言われると、まるでみくるが私のストーカーみたいだな……。勿論冗談だ」
「ほお、いい考えっすね。じゃあ今日の体育の着替えの時にセンパイの下着姿をこっそりスコの録画機能で撮影して今夜のおかずに」
「一発殴るぞ? 良いよな?」
「さ……さーせん、と言うか殴ってから言わんd……くはぁ!?」
不埒な後輩に愛の拳をぶつけるのも先輩の仕事である。
見た目だけはスポーツ万能系美少女と言っても差し支えない彼女なのに、こんな性格だからいつまで経っても男から相手にされないんだよ。
ついでにもう二発程本気の腹パンをお見舞いしてやったが、やはり彼女には焼け石に水程度の嫌がらせでしかないらしく、ケロリとした態度を見せていた。
「と言うか、センパイは何時になったらスコデビューするんすか? 回りの皆もとっくにスコってるっすよ?」
話題を変えようとみくるはスコの話を持ってきた。
確かに父の会社も全員ステータスコンタクトを利用する様に、わざわざ奨励金まで用意していたとか言っていた様な気がする。
まあ、その時の親父はベロンベロンに出来上がってたから真実であるかは定かではないが、かと言ってわざわざスマホで調べてまで確認しようかって気にもならない。
まさか時代の最先端を象徴していたあのスマホが、今ではガラケー並みに珍しくなってしまっているとは。
本当に時代の流れとは恐ろしく残酷な物だった。
「いや、なんか機械に脳を弄られているようで、ちょっと勇気が出ないんだ……」
「ええー? センパイは私が機械に洗脳されてるとでも言いたいんすか?」
「そこまで強く言ってるつもりは無いんだが……。私にだって流行りに乗るかどうか決める権利ぐらいはあるさ」
「……まあ、センパイがそう言うなら、私も無理強いは出来ませんね……。そうだ! 今度新しくオープンした遊園地に行きましょうっすよ!」
唐突な提案ではあるが、私としても久しぶりの遊園地である。
たまには思いっきり羽を伸ばしてもバチは当たらないだろう。
「新しい遊園地……ああ、富ヶ島アイランドパークか。父の会社が出資していたんだっけな」
「よっ、流石GGSホールディングスのお嬢様ー!」
「おだててもサービスは出来ないぞみくる。来るんだったら普通にお金を払ってこい。私もそうするから」
「はいはい。分かってますって。じゃあ来週の日曜日に伊勢海駅のシバ公銅像前に集合っすよ!」
「分かった。目一杯おしゃれしてこい」
そんな他愛ない会話をしながらも、私達は校門を一緒に跨ぐ。
こんな当たり前な些細な日常も、色々な奇跡の連続から生み出されている結果である事に、今の私は心の片隅ですら想定してもいなかった。
*
伊勢海市の郊外に新設された富ヶ島アイランドパークは、伊勢海市の交通の要である伊勢海駅から休日の間だけ無料のシャトルバスが運行しており、私達も人混みに揉みくちゃにされながらもそのバスに乗って待つ事、片道40分。
今まで似通った田舎風景から一転し、車窓にいっそ場違いであろう広大な娯楽施設が写し出されていく。
「わー! トヨシマペンが手ー振ってくれてるっす!」
「……そんなの見えないが……ああ。ステータスコンタクトに写ってるVR映像か。スマホでパンフのQRコードを読み取れば見れる奴」
確かに、VR空間でトヨシマペンと愉快な仲間達が手を振っている微笑ましくともシュールな映像がスマホ越しに確認できた。
トヨシマペンは原始時代の服を纏ったモヒカンのペンギンであるが、どうしてこんな奇抜なデザインが採用されたのかは永遠の謎である。
まあ、一見意味不明なこのデザインが逆に受けて集客に繋がっているのだから、運営側からすれば予想外の産物だろうが。
それはさておき、私達は園内に入場しここの目玉である大観覧車の手前へと直行した。
開園からそこまで時間も経ってないので人手も空いてるかと予想していたが、楽観的な考えだった事を強く実感した。
「ひゃー、思ってたよりも混んでるっすねー」
「そりゃそうだろう。何せ一時間待ちだからな? どうする? 他の空いてるアトラクションを探すか?」
「嫌っす! 絶対にここの大観覧車にセンパイと一緒に載るんすよ!」
だだっ子の様にみくるは懇願する。
太股まで隠すほどに裾が長い白の肩だしシャツからは黒のタンクトップの肩紐が覗き、下は黒のショートパンツとボーイッシュな格好である。
しかし、シャツにでっかく書かれてある「ぬこ。」の文字と黒猫のプリケットが何ともチープだが、彼女らしいと言えばらしかった。
一方の私はシンプルな白地ノースリーブのワンピースに、手にはよそ行き用のハンドバック、頭には唾の大きい白い帽子と、ありふれたお嬢様コーデである。
下手に着飾らないと言うよりかは、単に私服には其ほど服装に拘りの無い私だったが、うちの屋敷の雇われメイドである山神遥香にコーディネートして貰ったのだった。
普段寝癖が舞い飛ぶ黒髪も今日だけは彼女に櫛で念入りに梳して貰った。
彼女には感謝してもしきれないが、いくら噛んで含める様に説明しても「お嬢様が恋人と遊園地デートするなんて……きゃー大胆ー☆」等と少々誤解していた様だった。
まあ好きに言わせておこう。
「……はあ。分かったから大人しくここで待ってろ。ジュースと軽い食い物でも買ってくる」
「ありがとっす! 私のはコーラとホットサンドでお願いするっす!」
まあ開園程無くしてこの人だかりなので、後回しにすれば終日まで待たされかねないのだから、今ここで大人しく並ぶしかここを乗る術はない。
当然出資をした親会社のお嬢様としての特権を使えば私達は先に乗る事だって出来るのだが、生憎と私は自他ともにずるは認めない性分だ。
結局売店の方でも散々待たされた挙げ句、けして安いとは言えぬこの手の店ならではの買い物を済ませて戻ってくると、意外と列は大分進んでいた。
「ほいよ。買ってきたぞ」
「流石センパイっすよ! 大好きっす!」
大衆の人目を憚る事もなくみくるは私に抱きついた。
場所が場所なのですぐに離れ、ホットサンドとコーラを受け取った。
立ち食いをしながら自分達の番が来るまで再び待つ。
チュロスをかじりながら私は前々から気になっていたどうでもいい事を聞いてみる。
「……前から思ってたけどさ、みくるって好きな奴はいないのか? 勿論私以外で」
「……苦手なんすよ、男の人が。別に生理的に無理とかじゃなくて……その……」
「言いたくない事なら言わなくても良い。言いたいなら観覧車の中で聞いてやる」
「……じゃあ、後でお願いするっす」
何処か神妙な表情をしながら言っていた事に引っ掛かりを覚えたが、自分達の番が来た為に私はそれ以上追求する事は止めた。
観覧車が登り始め、窓に映る景色の高度が徐々に高くなっていく。
私も小さい頃はよく両親に連れていって貰いはしゃいだものだ。
だが、言い出しっぺのみくるは興奮する処か寧ろ緊張していた。
さっきの事を私に言うべきか、本当に言って良いのか躊躇っている様にも見てとれた。
「それで? どうしてみくるは男が苦手なんだ?」
最初こそは外の景色を見て誤魔化していたみくるだったが、私の目線に堪えきれなくなったのか観念したように口を開いた。
「……はい。誤魔化さずに言います。私の父は過去に明田川賞を取った事もある、売れっ子の小説家だったんす。そして母さんは有名な出版社で働いていた敏腕編集長だったんすよ。だから私も自然に作家……ラノベ作家を志願するようになったんっす」
「ほお、それは意外だな。だけど、それと男嫌いがどう結び付くんだ?」
「……一発屋だったんすよ父は。たまたま趣味で書いていた小説が賞を採って一躍の時の人となって。それで調子に乗った父は勤めてた会社を辞めて、小説一本で食い繋ぐと豪語したんっす。だけど現実はそう上手く行く筈もなく、その後は鳴かず跳ばずな作品しか書けなかったんす。その間は母が必死に家を支えていて、父も紆余曲折をへた後にトラックの運転手としてバイトをするように成りましたが、会社員時代の半分にも満たない給与だったっす」
「……話が脱線してないか?」
真剣に話していたみくるに私は不謹慎な発言をしてしまい、みくるは逆上した様に声を荒げた。
「そんな事無いっすよ! お金に困らないセンパイには、うちら貧乏人の気持ちなんて分かんないっすよ! ……あっ」
「……すまない」
彼女の言う事は正論である。
私は金を持っているからと言って、他人にマウントをとったりはしないと常々心がけてはいるのだが、やはり相手から見れば私は富と権力を誇示する亡者に見えてしまう。
入場料は個人で出したが、食べ物とかお土産は私が奢る約束だった。
だけどそれはマウントをとりたい訳ではなく、唯一の異世界同好会の部員であり可愛い後輩に労う為の行動で……。
言い訳などいくらでも思い付くが、私は素直に頭を下げた。
みくるもさっきの自分の言動を恥じるように、しおらしく私に謝ってきた。
「あっ、私もついかっとなっちゃったっす。もしかして私の事嫌いになっちゃったっすか?」
「……いや、話を続けろ。嫌いになるかどうかは、最後まで話を聞いてから決める事にするよ」
「……はいっす。ちょっと驚かないで下さいね」
みくるは何故か自分のシャツとタンクトップを捲り、小さいながらも鍛えられた腹部を晒した。
そこには何かで殴られた様な痣が数えきれない程あり、私は場違いながらもある疑問に合点がいった。
体育の授業でも皆とは別の更衣室で一人着替えていたのも、運動神経は抜群なのに何故か水泳の授業には欠席していた事も、この痣を見られない様にする為だったのだ。
年頃の少女の体をこんな禍根をつけた人間を、私は強く憎悪を抱く。
だが、みくるの次の発言で私は驚愕した。
「……父はどんどん落ちぶれていく自分に嫌気がさして、DVをするようになったんす。最初は母に、そして今度は私に。いたぶられたり、脅されたり。流石に実の娘に性欲をぶつける事はしなかったっすけど、まるでラノベに出てくる奴隷に成ったような、嫌な気分だったっす……」
「……成程。みくるは父から家庭虐待を受けていた。だから男を見ると父を思い出してしまうと」
「勿論クラスの男の子にも気になる子はいたんすよ? だけどあの優しい子が私と二人きりになったら、父みたいに豹変するんじゃ無いかと脳裏をよぎって……」
緋色の瞳がうるうると潤み涙が溢れる。
生まれたての子羊の様に震えるみくるを見て、私は彼女にどう言えば良いか解らない。
取り合えず無難な返答を返した。
「まあ、男はどいつもこいつもそう言うもんだ。好きになると言うのはお互いの事を完全に受け入れる相手じゃないと成立しない。だからそいつの事が本当に好きならば、もう少し時間を待っても良いんじゃない、か……?」
不意を突く様にみくるは私に抱きついてきた。
下着越しの起伏の乏しい胸が私の胸元に埋め込まれる様に当てられ、流石の私もこれにはどう反応すべきか戸惑う。
さっきまでの弱々しい態度から一転し、パッと太陽の様に明るく、そして色めかしく微笑んで言う。
「あいつはもう過去の話っす。今の私はセンパイが、早記センパイが大好きなんすよ」
「みくる……」
「だけどあくまでこの好意は私の押し付けだと思うっすけど、もしもセンパイが私の事を愛してくれると言うのなら……」
彼女の行為を、好意を、退ける事など出来る筈もなかった。
彼女の告白を聞いて漸く私は理解したのだ。
私にとってのみくるはただの可愛い後輩ではなく、同じ部活動の同士でもない。
今まで同性だと思っていて目を逸らし続けていたが、私はみくるの事が好きだったのだ。
友達でも、部員でも、後輩でもない、ただ一人の恋人として。
だからこそ私はみくるを突き放した。
断られたと勘違いしたみくるは、今までに経験した不幸全てが一気に襲い掛かって来た様な絶望一色に染まったが、勘違いさせない様にこれだけ言っておいた。
「もうすぐ地上につくぞ。今はそのはしたない格好を正せ。……本当に私を選んで後悔をしないと誓えるんだったら、今夜私の家に来い。今日は両親は夫婦水入らずで旅行へ行ってるから、家にはメイドの山神くらいしかいない。山神は口が固いできるメイドだから、情報漏れの心配はいらない」
「……はいっす」
みくるは嬉し涙を溢しながら笑みを浮かべた。
*
私の自室のベットに白色のネグリジェ姿で横になり、隣でラフなTシャツに下着姿のだらしない格好のみくるは猫の様に丸って寝ている。
あれから私達は色々とありこういう状況になった訳だが、不思議と後悔は無かった。
みくるの頭を優しく撫でてやると、彼女は擽ったそうに身を悶えさせ目を覚ます。
ベットの上にぺたんと女の子座りで座り直し、まだ眠たそうな妖しい笑みで私を見つめる。
「どうしました?」
「いや、みくるも色々抱えてたんだな……って。……私みたいに」
「……だったらセンパイも私に話します? 心のモヤモヤをパーと! きっとスッキリしますよ!」
お茶目にみくるは両手を挙げていたが、私は逆に真剣な表情になった。
この事を話して彼女を巻き込んで良いのか、彼女の隠してた秘密を教えてくれたのだからこれくらいは話すべきか苦悶する事四秒半、覚悟を決めた私はまずは前置きから話す事にした。
「……この話は他言無用だぞ? 情報漏らしたらどっかの殺し屋に殺される位の覚悟はしろ」
私の飛ぶ鳥も射落とす様な眼光に、みくるも冷や汗を流していた。
私の目付きの悪い眼差しでも恐がらずに接してくれるのは、学校の中ではみくるが初めてだった。
「……冗談じゃあなさそっすね。肝に命じるっす」
「聞かなくても良かったのに……まあいい。みくるの気持ちを尊重しよう。この話は私もつい最近父から始めて聞かされた話なのだが、流石の私も恐れ戦いたよ」
みくるは息を飲んで話の続きを静かに待つ。
「第一にステータスコンタクトはうちの子会社が作った物だ。まあこれはネットで調べればすぐに分かる事なんだけどな」
「へー、じゃあ製造元のネオホライズンコーポレーションって、GGSホールディングスの傘下だったんすか」
「そう言う事だ。そしてここからが機密情報。ステータスコンタクトは単なるスマホの次世代デバイスとして作られていた訳ではない。この世界のありとあらゆる人間のデータを収集するための、言ってみれば兵器だ」
「……兵器ですか。それはまた物騒な物ですね」
「あらゆる物がデジタルで存在しうる今の現代社会。情報はまさにいかなる物よりも価値があるものだ。だからステータスコンタクトを通じて、あらゆる人間の情報を収集し、一つの巨大なビックデータ……言ってみれば、《電脳図書館》とでも言うのだろうか、私達の会社はそれを作っている」
勿論これは裏側の話で、表側は精密機械の半導体を作る会社である。
愛称スコことステータスコンタクトにもこの半導体を用いられており、今は世界中の殆どの人間が利用している。
顧客の情報は全て掌握しており、この情報を《電脳図書館》に密かにインプットし続けていたのだ。
流石にそんな恐ろしい事はみくるにも言う事はできない。
「格好いいっす。まるでラノベの設定みたいっすね。だけどそれは……」
「分かってる。当然これは人権侵害にあたる違法行為である事は重々承知している。この事が表沙汰になればうちの会社はすぐにでも潰れるだろう。だけど私達は自分と家族達の人生をかけてでも、このプロジェクトを成功させなければならない」
「センパイの父さんの会社は……一体何をしたいんすか?」
「私達は後世に残したいんだよ。確かに私達が生きていたと言う証を。私達の今の世界がいつ滅ぶかは誰にも判らないし、そもそも分かろうともしたくもない。今の何も無い平和な毎日が、今後もずっと永遠に続くだろうと錯覚をしている。いや、そうあるべきであるように自分達を洗脳しているのかも知れない」
「なんか難しそうな話っす……」
「いや、実にシンプルだ。自分達の遺伝子を次世代の子供に託す。それは単なる男女の生殖ではなく、師弟の伝授もそうだ。技術者達が人工知能を開発するのもまさしくそれだ。自分達の世代が滅んだ後でも、何とか自分達が生きていた証明を新たな世代へと残したい……。言ってみれば私達は、ノアの方舟を作ってるんだ。私達の子孫が私達みたいな平和な生活を再び送れる様にな。その為に人間は生きてるんだと、私は心から思っている」
「……ふうん。センパイって意外とロマンチストだったんすね。改めて好きになりましたよ。早記センパイ」
みくるは私におもむろに顔を近付けてきて、互いの唇が触れかねない至近距離で小悪魔みたいな微笑みでささやく。
「……じゃあ、私もセンパイと一緒に作ってみたいっす」
「嫌、女同士だからどう頑張っても子供は出来ないぞ?」
「ははは、やだなぁ。そんなんじゃありませんよ」
「そっか……で、だったら何なんだ?」
ひときしり笑い飛ばしたみくるは誇らしげに私に話す。
「……センパイの話を聞いて、良いプロットが浮かびました。センパイの意思を継いで、私は小説を書いてみます。ちょっとへんちくりんな話になるかと思いますけど……、完成したらセンパイに最初に読んで貰うので、楽しみに待っててくださいっす」
「……ああ。楽しみにしておこう。だけど、私達の裏の顔を白日に曝す行為だけは止してくれよ? 漏れなくみくるも殺されるからな、ガチで」
「勿論上手くオブラートに包みますっすよ。そのセンパイの素晴らしい思想を、私達の子孫にも伝えて見せますよ。絶対に」
「そのうち書籍化をして親孝行を……いや、母孝行をしてやれよ」
蛇足だったとまた一つ後悔をするが、みくるはとっくの昔に吹っ切れていたようだった。
「……父は結局死んじゃいました。酒に溺れて浴びるように飲んで肝臓を駄目にしちゃって。今は母と二人暮らしっす」
「そっか。余計な事を言った」
「ううん、確かに親父は晩年は駄目な人でした。だけどあの頃は本当に輝いていて、創作力に満ちていて、そして何よりも優しくて面白かったっす。私は親父の子供で後悔した事は一度もないっす」
今も痣が消えること無く残り続けてると言うのに、あんな事をされたと言うのに、みくるの心の中では昔の憧れの家庭のままで蔓延っていたのだろう。
その替わりが務まるかは不透明だが、私が彼女の支えに少しでも成れれば、きっとそれは私にとっての生き甲斐になるだろう。
「……じゃあ、書籍化が決まった時は私が絵を担当してやるよ。最も、みくるの名作に似合う画力を身に付けなきゃいけないけどな」
「センパイ絵がめっちゃ上手ですからね。期待していますよ!」
「ああ。任せておけ」
私はみくるに誓いの口付けを交わす。
彼女もそれに応じ、欲するがままに私を求め続けた。
窓から入り込む月灯りが淫らな私達を控えめに照らし続けていた。
*
桜が散り往く外の景色を背景にクラスの皆と記念写真を撮り終わった。
季節は立春、あっという間に時は巡り無事に卒業式を終えたのだ。
私は思い出深い部室へと戻ってきた。
そこにいたのはパイプ椅子に座っていたみくるである。
会長である私が抜けた以上、彼女一人になってはこの部も廃部になるだろう。
しかし、この部が無くなろうとも彼女の小説家の夢は消えないし、私のイラストレーターの夢も消えはしない。
「センパイ。ついに卒業っすね。それで結局進路はどうしたんすか?」
「ああ。大学に入らずにうちの傘下の子会社に就職する事にしたよ。勿論私がGGSコーポレーション社長の娘である事は内緒でな。厳しく社会の波に飲まれていくさ。それで? みくるの方はどうだ?」
「うーん。順当にいけば今お世話になってる本屋さんのバイトから、正社員に昇格……出来るかどうかは正直言って不安っすね。ネットにあげてる小説もネットの海に埋もれちゃってますし……」
「いや。みくるの話は確かに面白い。世界がお前に着いてこれて無いだけさ。だからこれからも頑張って続けてくれよ。個人メールで挿絵用のイラスト送ってやるから」
オーバーリアクションな位にみくるは喜んでいた。
私の絵を見せて喜んでくれたのは、何を見せても褒めてくれるメイドの山神を除いては、彼女が二人目だった。
両親はこんなアニメの絵なんて描かないで勉強だけをしろの一点張りで、他のクラスメイト達も私に話しかけてくる物好きはいなかった。
彼女と邂逅した事で私は何れだけ救われた事か。
「素敵なイラストでしたよ! ありがとっす! だけどどうせならセンパイもSNSをすればいいのに……」
「いや、私は表舞台に出るタイプじゃないから。それに既にイラストレーターとしての自作サイトも作っているし、微々たる回数だが有償依頼を受けた事もある。……だが、そこまで言うんだったら新しくアカウントを作る事も検討しておこう。新たなお客をゲットできるチャンスかもしれない」
「その方が絶対良いっすよ! 一番最初にファローさせて下さいっす!」
「……ああ。もうこんな時間か。メイドを待たせているから、じゃあな」
寂しそうに私を見つめているみくるの頭を優しく撫でて送辞を送り、彼女を励ます。
久し振りに見た気がする満面の笑みを向けて、だけど言葉ではいまだに引き摺りながらもみくるは答辞を返す。
「そうっすね。それでは、さようならっす……」
「ああ、また合う日まで達者で暮らせよ」
例え距離が離れようとも、私と彼女は心で繋がっている。
例え世界が滅ぼうとも、次の世界へ言葉は受け継がれていく。
*
卒業から数年後。
みくるとは今でもネットを通じて交流している。
二人で作った作品は徐々に人気が出始め、念願の書籍化も決まった。
今までの努力が報われ始め、私達は嬉しさの絶頂にいた。
そんなある日。
父から「満を期して『電脳図書館』は完成した」との一報が入った。
「後は入れ物たるノアの方舟の完成を待つのみだ」とも。
私は父の企んでいる事はさっぱり解らなかった。
だが、今までに感じた事の無い不安に駆られた。
今の私達の幸せが。
世界全てが壊れて終いそうな。
そんな一抹の不安を抱いたのだ。