初めての入感
僕の呼びかけは、むなしく雑音の海に消えた。
どんなに受信ボリュームを上げても断続的なザーーという雑音しか入らない。世界にたった一人になってしまって、ずっと例の台風のような音だけが聞こえているみたいだ。それもそのはずで、こちらの電波の出力を示すはずのメーターが一ミリも振れていない。もちろんマイクは握り、スイッチは入っている。それが示すのは、この巨大な無線機が受信専門のどうしようもない置物になってしまっていて、一切こちらの声を相手には届けられない、ということだった。
意識せず重いため息をついた。少なからず、僕は期待していたのだろう。
電波の世界でなら気兼ねなく話せる友人を見つけられることを。
久しく電気を流されることのなかったこの無線機は、長い眠りの間にその大事な機能を失って我が家に届いたようだ。でも、どうしても惜しい。こんなにもスピーカーは元気で、見た目も昨日作られたばかりのように綺麗だというのに、声だけが発せられないのだ。
なんとか治せないものかと、マイクヘッドを外し、いじくりまわしているその瞬間。
聞きなれない雑音がスピーカーから流れ始めた。
雑音は連続し、電波の微弱さを示すようにわずかに針が右にピクピクと振れる。
まるでその通信は、救難信号を送るモールスのように聞こえた。
誰かいませんか。
その音にずいぶんと耳を澄ませていると、わずかに雑音の向こうに男の人の声が聞こえる。
腕の毛が逆立つのが分かった。彼は僕を呼んでいたのだ。
『イバラキRP275、こちらは、カナガワAC130。御岳山頂上……受信……度、メリット……』
この時代に無線機などを、山にまで持って行って話す人がいるんだ!!変な人もいたものだ!!
山は周りに何もないから電波が入りやすいということだろう。相手は相当なマニアだと思われる。下手なことは言えないぞと思った。
そうだ。こちらもなにか返さないと。心臓が飛び上がりそうなほど緊張して相手のコールサインをノートに走り書きする。カナガワAC130。それが相手の名前。
「カナガワAC130。こちらはイバラキRP275。本日、人生初の無線通話を実施中。お声が聞けてうれしいです。どうぞ」
イバラキRP275というのが、僕の電波上での名前だ。所謂ハンドルネーム。出身地と好きな映画監督の名前からとった。無線を始めるとなって初めに決めなくちゃいけないのが自分の名前だった。例えば、本名が佐藤だとして、日本に同じ佐藤が何人いるのか? となると非常にややこしいことになるので、なんだか決めなくてはいけないルールらしいのだった。
そんなことはどうでもよくなるくらい俺は嬉しくなって、直ぐに通信を返したのだが、やはりこちらからいくら声を張り上げても、電波の感度を示すメーターが右に振れない。
その心配をよそにスピーカーの向こうからは、嬉しそうな声色が踊るようになだれ込んできた。
『こちらは!……入感局を探して一日中!!……』
ほとんどが雑音にのまれて聞き取れない。聞き取れた単語ですら常に雑音の中にあり、とても電話など比べ物にならなかった。
比べられなかった。
無線は、すごく雑音が多い。そして声は暖かい。
カナガワAC130と名乗った彼は、こちらが返信を送らないので、届いていないと思ったのか、また同じ意味の文面を嬉しそうに繰り返した。
『こちらは、入感局をさがして一日中待機しておりました!お声が聞けてうれしいです!どうぞ!』
だんだんと感度がよくなって来たようで、今度はきちんと言葉が聞き取れる。
しかし、わざわざ山まで登って無線とは変な人だ。
そもそも、無線が主流な通信手段で無い時代に、こうして重い機械を抱えている時点でロマンしかない。
「こちらは、だんだんと声がクリアに聞こえてきました。そちらはどうでしょうか。どうぞ!」
『メリット5,5。55ですどうぞ!』
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