プロローグ
僕は無線機を買った。
この情報化が進んだ世界の、それもインターネットが使える環境で無線機を買う? おかしいんじゃないか? と思われるかもしれないが、逆に僕にはインターネットが生きにくくなっていた。かつて便利ともてはやされたものはすでにそこにはなく、あるのは企業のお金儲けのためのツールやホームページ。
誰かとつながりたいという、悲しき人間の性のようなものをぶら下げた僕が、結局行き着いた先が無線機だった。残念ながら日本には法律があって、高出力の無線機を無免許で使用することができない。だから僕が買えたのは、免許のいらない古い中古のCB無線機だった。
ソニー社製ICB-700A。なんと昭和49年に製造された無線機だった。僕よりもずっと年上のこの機械は、持ち運びができる肩掛けショルダーがありながら、重さが乾電池を含めて3.27kgもある。見た目も、主流な電波通信装置であるスマートフォンの10倍はあろうかという巨大さで、お弁当箱のような形をしている。備え付けのロッドアンテナは、全開に伸ばすと189.3cmもあって、取り回しが非常に悪い。そのくせ、通信中はアンテナを伸ばし切った状態でないと電波が届かない。そういう代物だった。でも、今時珍しいメイドインジャパンの電化製品。数ある日本の大手企業が中国に進出した現代では、まず考えられない贅沢なことだった。
実用通話距離にしても、市街地でたった2kmから4km。電波の通じやすくなる郊外でも6kmから8kmしかない。だけれども、無線機には無線機のいいところがあった。じつはこれ、ラジオ局そのものなのだ。しかも、アンテナも、電気も、マイクもすべてそろった持ち運びができるラジオ局。地球の電離層の影響で電波が反射し、うまく受け取れれば、数十キロでも数百キロでも通信ができる。そういう機械。
なにより、誰だかわからない相手と通信できるというのがよかった。顔も見えず、歳も役職も性別もわからない全くの他人と出会えるのだ。
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今日が初めての通信となる。ネット上のチャットとはまた違った緊張感の中、僕は赤い電源スイッチを奥に倒す。すると、渋い電子音が流れて、まだ無線機が現役であることを教えてくれた。スピーカー調節つまみをそっと回すと、ザーっという台風で雨粒がガラスに吹き付けるような大きな音が鳴る。
僕は備え付けの昔の歌手が使うようなマイクを手に取って、そっとマイクのスイッチを押した。
10話ぐらいで終わりの予定です。反響があればもっと書きます。