次の問いに答えよ。問「男女間の友情は成立するか否か」
「んー? 君は……どなたかな? 初対面、だよね?」
俺が声をかけると、俺の友にして好敵手の尾越悠は、いつもと変わらない間延びした、そしてどこか探るような調子で話し始めた。興味半分、不審半分というようなところだろうか。
「ええ、私たちは初対面ですね」
俺が尾越の言葉を肯定すると、尾越は「やっぱりかー」と呟いた。相変わらず気の抜けるような声だが、そんな声も久しぶりに聞くと少し感慨深いものがある。
「それで、初対面の君が、俺に何かご用でもー?」
「はい。少しお時間よろしいですか? できれば少し場所を変えて話がしたいのですが」
できれば、他のジムのメンバーにはあまり見られたくないということもあっての提案だったが、これに対して尾越は眉間に皺を寄せた。
「んー、俺さー、これからそこのジムでトレーニングなのよねー。だから、ちょーっと場所を変えるのは面倒かなー」
「んー、そうですか……」
(流石に見知らない女子高生から声をかけられたら警戒するかぁ)
年頃の男が、橘さんみたいな可愛い女子高生なんかに声をかけられたら、いろんなことを期待してほいほい着いていくこともあるだろうが、尾越はそんな肉食系男子ではなかった。なんなら草食系すら通り越して絶食系男子だった。
目の前に丁寧に餌がぶら下げられでもしない限り意地でも食わない男、それが尾越悠という男だった。
ちなみに、そんな尾越がなぜ格闘技なんかをしているのかというと、体一つで道具をあまり準備しなくていいし、試合では相手が勝手に向かってきて、それにカウンターで合わせていればいいから楽だからだ。前に本人に聞いたから間違いない。
しかも、その無欲な性格から、格闘家が一番苦戦する試合に向けての減量を始めとするコンディション調整がめちゃくちゃ得意ということもあって、なんだかんだでプロライセンス習得まで漕ぎ着けたという愉快な経歴の持ち主でもある。
そのことを思い出したとき、俺は尾越への話の持っていき方に失敗したことに気づいた。
「というわけでー、他に特になければ、俺、もうジムに行くからさー」
もう尾越の方は話を切り上げて、すぐにでもジムに行きたいオーラを放っている。引き留めるためには、奴の目の前に相応の肉をぶら下げる必要があった。
(しゃーない、もう俺の名前を出すしかないな)
俺は、別の場所に移動してから出そうと思っていた、俺の名前のカードをここで切ることに決めた。
「……不二柊人」
「……え?」
俺が名前を口にした途端に、尾越がポカンと口を開けた。気の抜けた中々のアホ面である。
「私が尾越さんにしたい話は、不二柊人についての話なんですが、それでも聞いてくれませんか?」
「ああ、いいよー。俄然君に興味が出てきたからねー」
今度の提案に、尾越は素直に首を縦に振った。
「でも、さっき言ったようにこれからジムで練習があるからさー。あまり遠くには行けないよー」
「それじゃあ、そこの倉庫の裏に移動しましょう。あそこは夜間のドライバーの休憩所みたいになっていてスペースがありますし、入り口に自販機が立っているので人目につきませんから」
「わかった」
そうして、俺は思惑通りに尾越を人目につかない場所まで引っ張ることに成功した。
俺が倉庫の裏に先陣を切って入っていくと、尾越は狭くて暗い路地に鋭く目を走らせてから後に続く。少し猫背気味になっているのは、何かあれば得意のタックルからのサブミッションで、速攻をかけられるようにする臨戦態勢の現れだ。
俺は、路地の中程まで進んでから足を止め、ゆっくりと尾越を振り返った。
「提案をのんでいただき、ありがとうございます」
「ああ、早速だけど本題に入ろう。長々と時間はとりたくない」
先程路地に向けた鋭い眼光を、今度はそのまま俺に向けて尾越が呟く。
その言葉は先程までのそれとは違い、のんびりと間延びしていない。
尾越はもう戦いの中にいるのだ。
「君は柊人の何だ? 柊人は今どこで何をしてる? それを伝えるために君は俺をここまで引っ張ったんだろう? 答えてもらおうか」
単刀直入、尾越はスパッと核心に向けて切り込んできた。
(そうなると、俺もサクッと本題に入った方がいいか)
ここで話を引き伸ばすと尾越の心証が悪くなると判断した俺は、「分かった」と奴の言葉に軽く頷いてから、フルスロットルで核心に突っ込んだ。
「不二柊人は……俺だ」
「…………は?」
アホ面再び。尾越の脳ミソが俺の言葉を理解できずにフリーズしている間に、さらに畳み掛ける。
「そのままの意味だよ、尾越悠。俺は、お前のよく知ってる不二……っ!?」
言葉は最後まで続かなかった。
風切りの音を立てて尾越の右ストレートが、俺の顔面の真横を通過したからだ。
尾越から目を離さずに、軽くバックステップを数歩刻んでから一呼吸。
「ふう。おい、尾越。何の前振りもなくいきなり女の子の顔面に右はあり得ないだろ」
「なら、その軽口をすぐにやめろ」
冷静にツッコミを入れた俺に対して、尾越も一見すると平静であるように見える。
しかし、その内では尾越の中に秘めた獰猛な獣が、今にも鎖を引きちぎって解き放たれそうな、そんな危うさを醸し出している。
「不二柊人の名前は、そんな下らない悪戯に使っていい名前じゃない。……次はど真ん中に当てるぞ」
「尾越……」
俺の目の前で、静かに怒りを発露させる尾越を見て、俺が覚えた感覚はプレッシャーではなく感動だった。
(そこまで言ってくれるか、尾越! お前、ほんとにいい奴だよ!)
ーー俺の名前は軽くはない。
普段は掴み所がない尾越が、初めて見せてくれた剥き出しの本心。それは俺に対する敬意だった。
この男は、俺がその強さに敬意を払っているのと同じように、俺のことを認めてくれている。それだけで俺は胸が熱くなるのを感じた。
(思ったよりも全然熱い男じゃないか、尾越は。やっぱり尾越を置いて他に頼れるやつはいない!)
力を借りられるかもしれない、ではない。俺は、必ず尾越の力を借りなければならない。この敬意を見せられて、今さら他の奴に頼もうとは思えない。
俺は決意を新たにする。
(でも、その敬意に応えるためには今の俺が、不二柊人本人だということを、どうにかして奴に納得してもらわなければダメだ)
そう、尾越が敬意を払ってくれているのはあくまでも一総合格闘家としての俺に対してだ。決して橘さんと混ざった今の俺にではない。
ゆえに、俺は今の俺が奴が決意を払ってくれている不二柊人であることを示さなければならない。
(なら、俺はどう動くべきか。……そんなことは決まっている)
一瞬の思考の後、俺がとった行動。
「いいぜ、尾越。本気で当てに来いよ」
それは、尾越の攻撃を受けるための戦闘体勢だった。
尾越が認めてくれているのは格闘家としての俺。ならば、その証しは戦うことで示さなければならない。俺はそう断じたのだ。
「……正気の沙汰とは思えんな」
そんな俺を、尾越は若干の驚愕と呆れ混じりの様子で眺める。それでも、奴の中の獣はまだ俺への牙を納めていない。
「ご託はいい、拳を交わせば全て解る。格闘家ってやつはそういうもんだろ、なあ?」
「この期に及んで、まだ柊人のふりか。痛い目見ないと分からないらしいな」
尾越が肩にかけていた鞄を路上に捨てる。尾越のことだ、着替えと水分位しか入っていないだろう鞄が、見た目よりも軽い音を立てて地上に落ちたとき、奴は既に臨戦態勢だった。
両手はやや広く構え、しっかりと腰を落としたその体勢は、打撃を捌くのには向かないが、打撃を避けて相手に組み付くには理想の体勢だ。それは、相手に組み付けば関節技のフルコースを叩き込める、尾越の強さが最大限に発揮される体勢に他ならない。
(……尾越は本気だ。だが、それは俺も同じこと)
最後のスパーリングから1か月以上。それだけの期間を経て、好敵手たちは、再び逢い見えた。
観客も、そもそもリングすらない倉庫裏の路地。しかも、一方は性別すら変わっている。
そこには名誉や栄光等はなく。
ただただ、お互いの賭けた敬意だけがそこにはあった。
(俺がお前を認めているように、お前も今の俺を認めてくれ)
「さぁ、存分に今の俺を味わってくれ尾越!」
その言葉にありったけの感情を乗せて。
路地の暗がりで俺は吼えた。