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青春ミクスチャー ~自殺少女と格闘家~  作者: owlet4242
第一章 青春キメラの誕生
3/34

格闘家は見た!(改修済)

「柊人、今日のスパーリングの最後、あれよかったぞ」

「橋詰さん、あざっす!」


 練習が終わり、シャワーを浴びたあとのロッカールームで俺はセコンドの橋詰さんに声をかけられた。


 橋詰さんはプロライセンス持ちの総合格闘家で、公式戦でもかなりの勝ち星を稼ぐ実力派だ。打蹴投極あらゆる点において隙がないマルチファイターで、俺にとっては憧れの先輩になる。


 最近は年齢のせいもあり格闘家としては半引退状態で、もっぱら社員として働く土木業がメインになってはいるものの、ちょくちょくジムに顔を出しては指導やサポートをしてくれるありがたい存在である。


「いやー、もうちょっと早く決められたらよかったんッスけど、粘られましたね」

「いや、尾越相手にあれだけ戦えるルーキーはお前ぐらいだよ柊人。並の奴なら、2Rの寝技で極められて終わってる」


 まだまだ課題はあると感じる俺に対して、橋詰さんはあくまで俺を褒めに回ってくれる。今はその気遣いがたまらなく嬉しい。


「そうッスかね。あの辺りはがむしゃらに動いてたんで、もう一度やれって言われても再現は無理ッスよ」

「試合は生物(なまもの)だから、再現できるかどうかは重要じゃない。敵を知り己を知れば百戦危うからず。色々な技のバリエーションを知って、それへの対応ができるという点が重要なんだ。柊人、お前はまだまだ伸びるぞ! ガハハハ!」

「いてっ! 痛いッスよ橋詰さん!」


 大声で笑いながら、橋詰さんが大きな手のひらでバシバシと背中を叩く。スパーリングを戦い抜いた体にその打撃はしみたが、その力の強さが橋詰さんの期待の強さなのだと思うと、その痛みもなんだか心地よかった。


 そのまましばらく俺が橋詰さんにバシバシと背中を叩かれていると、ゆるゆると力なくロッカールームのドアが開き、


「あー……、お疲れッス……」


という覇気のない声と共に、俺の対戦相手である尾越(おごし) (ゆう)が部屋に入ってきた。


「あ、尾越じゃん。お疲れさん」

「おう、尾越。お疲れ!」


 俺たち二人が声をかけると、尾越はよろよろと手を上げてそれに応え、そのままフラフラと自分のロッカーに向かう。まだスパーリングのダメージが残っているのだろうか。


「尾越、まだ調子戻らないのか? 大丈夫か?」

「んあー、ダメージはそんなに残ってないけどさー、頭部にもらってダウンしたから、二週間は打撃ありのスパーはダメだってー」


 尾越は間延びした声で答えながら、ロッカーからのそのそと鞄を取り出していた。


 ちなみに、声や動作が間延びしているのは、ダメージのせいではなく彼の素だ。リングでの俊敏さからは想像もつかぬほど、普段の尾越はのんびり屋なのだ。

 

 そんな尾越の言葉を聞いた俺は、思わず顔をしかめてしまう。


「うげ、それってめっちゃ嫌なやつじゃん。じゃあ、しばらくメニューはずっと、基礎トレのドリル系になるやつ?」

「いやー、組技寝技のみならオッケーだからしばらくはそっちで回すつもり。コーチもそれでメニュー組むってさ」

「あー、ならちょっとはマシか。」


 尾越の言葉に俺はホッと胸を撫で下ろす。


 尾越と俺は近く大会の出場を控えていて、今日のスパーリングはそれを目標にした練習だったのだ。しかし、頭部打撃などのダメージがあった場合ダメージを抜くまでは試合に出られないことになる。


 もしもそうなれば、違う試合に向けてコンディションの再調整をしなければならないので、減量やメニュー組み換えなどそれはそれは地獄の苦しみを味わうことになる。特に、体力を付けるための基礎トレーニングは、しんどい上につまらないという最悪なものだったので、尾越がそうならなかったことは不幸中の幸いだ。


(だって、俺たちは一緒にプロになるんだからな)


 尾越はライバルだが、それと同時にプロライセンス修得を目指す貴重な仲間だ。

 そんな尾越と、プロの公式戦でもないのに身内で潰し会うのは、俺としてはできる限り避けたかった。


「まー、今日のダメージは、僕が2Rで試合を決めてたらなかったはずのダメージだからねー。いい機会だと思って、持ち味の寝技とサブミッションを磨くことにするさー」

「そっか、じゃあお互いに頑張ろうな。俺とお前で一緒にプロ入りだぞ、忘れんなよ」

「おーう、あたぼうよー」


 俺と尾越は、次の公式戦で結果を出せばライセンス申請の資格が手に入る。

 目指すは二人同日のプロデビュー。そして、ジムの二枚看板として売り出していきたいというのがオーナーの意向だった。このご時世、どこのジムも門下生集めには苦労しているらしい。


「いやー、同期にライバルがいるってのはいいよな!しかも同じ階級で実力も似てるときたら完璧だ!」


 俺たちの話を聞いていた、橋詰さんは嬉しそうに目を細める。同期で階級が合う相手に恵まれず、あちこちのジムに武者修行に行っていた橋詰さんからすれば、俺たちの関係は貴重なものに映るのだろう。


 優秀な指導者。


 最高の好敵手(ライバル)


 与えられた機会(チャンス)


(そうだ、今の俺は最高に恵まれているんだ)


 考えうる限りの理想の状態で、自分の好きなことに青春を捧げられるという幸運。


 それらの幸運をしっかりと噛みしめながら、俺はロッカールームを後にした。



◇◇◇



「おーい、柊人。家に帰るなら俺の車に乗ってけよ。悠も乗って帰るって言ってるからよ」

「橋詰さん、あざっす。でも今日は夜風にあたりながらゆっくり帰りたい気分なんでまた今度お願いしてもいいッスか」

「おー、そうか。まぁあれだけのスパーの後じゃ体も火照ったままなのも無理はねぇな。気をつけて帰れよ!」

「あざっす!皆さんお疲れさまッス!」

「うぃ~」「お疲れ」「しゃっす!」


 車に乗っていけという橋詰さんの申し出を断って、メンバーの挨拶を背に受けながら俺は一人ジムをあとにする。


 俺の通うジムは土地代の関係から、臨海部の埋め立て地の外れに建っている。周囲はトラック用の広い道路と積み荷用の倉庫がほとんどを占め、その隙間を縫うようにたまに背の高いビルがぽつぽつと建っているぐらいである。


 そのため、冬は風が通りを駆け抜け凍えるような環境だが、ちょうど今ごろみたいな春の穏やかな季節だと暖かな風が頬を撫でて火照った体には非常に心地がよい。


「あー、たまんねぇなぁ!」


 俺は全身で春の薫風を感じながら、フラフラと道路を歩いている。空には丸い月が登り、俺の足元に長い間影を落とす。得も言われぬ穏やかな夜だ。


 もう夜も更け出した埋め立て地は、たまに通る長距離運送のトラック以外に人影もなく、なんだかこの穏やかな夜を一人占めしているようで、俺はますます気分がよかった。


 そして、物静かな夜は人を物思いに耽らせる。


 夜道を歩きながら俺は自分の輝かしい現在、そして辛かった過去に思いを馳せた。



◇◇◇



 今の俺の人生は幸福の絶頂だが、昔の俺はそれはもうひどかった。


 俺の人生に初めてけちがついたのは、俺が生まれて一ヶ月も経たない頃だった。


 俺を妊娠する前から体が弱かったお袋は、俺を生んだ後に産褥熱で身を持ち崩して、結局一度も俺を抱くことなくこの世を去った。だから俺は母親の温もりを全く知らない。


 俺の親父は古き善きトラック野郎で、長距離運送を生業としていたから、退院した俺はすぐに親父の祖父母に預けられた。母方の祖父母は母に似て体が弱く、俺が生まれた時には既に鬼籍に入っていたらしい。


 そうして俺は、祖父母の愛情を一身に受けてすくすくと育った。今の俺があるのも、幼年期に祖父母がしっかりと俺を育ててくれたお陰だ。


 だが、そんな幸せも俺が四歳の時に幕を下ろした。


 祖父が持っていた裏山の整備をしていたときに、倒木の下敷きになってこの世を去ったのだ。斬り倒そうとした木が元から腐っていたようで、想定外の方向に倒れたことによる事故だった。


 祖母は祖父の死後めっきり老け込み、半年経たないうちに卒中を起こして後を追うように亡くなった。


 祖母が倒れたとき、俺は一緒に家にいたのだが、四歳の俺には救急車を呼ぶことができず、近くの家になんとか助けを呼びに行ったときには既に手遅れになっていた。


 立て続けに祖父母を失い、母も亡くした俺は親戚連中からも不吉がられ、面倒を見てくれる人間はだれもいなくなった。


 結局、親父は俺のために長距離トラックを降りて近距離の自販機のベンディングの仕事に再就職した。給料はガクッと下がり、生活は質素になったが、家に帰るとそこに親父がいてくれる、ただそれだけで俺は嬉しかった。


 (でも、そんなささやかな幸せすらも、運命は俺に与えてくれなかったんだ)


 俺が中学に入った頃、親父が荷物の積み降ろし中に腕の腱を切り、利き腕が全く動かせなくなったのだ。仕事中のケガで労災は下りたが、手術後の経過が悪く親父の握力はほとんど戻らなかった。当然仕事を続けることはできず、再就職のあてもなかった親父は家と病院の行き来を繰り返す毎日になった。


(この頃が一番しんどかったよなぁ……)


 我が家の家計はたちまち火の車となり、いよいよ俺は中卒で働くことを決意した。


 中三のある日、学校で進路希望の紙をもらった俺は、その紙を親父に見せながら高校には行かずに働こうと思うと告げた。


 親父は無言で俺を見ると、おもむろに立ち上がりタンスの引き出しを開けて中から通帳を取り出した。親父はおぼつかない手つきで通帳を開き、そこに記された預金残高を見て俺は驚愕した。そこには八桁近い金額が記されていたからだ。


 親父は俺を抱き寄せてから、ゆっくりと口を開いた。


「この金はな、死んだじいちゃんばあちゃんや母ちゃんが遺してくれたもんや。いつかこんな日が来ると思ってずっと残しとった。子供は金の心配なんてせんでいいんや。子供のうちは好きなことやって、ほんまに人生賭けれる仕事を見つけたら、それから働けばええんや」


 そう言って、親父は強く俺を抱き締めた。その時俺は久しぶりに泣いた。親父が心配すると思って俺は今までずっと泣かなかった。祖父母が死んだときも、怪我したときも、熱を出して家で寝込んだ時も、母がいないことを学校でからかわれた時も泣かなかったが、その時の俺は大声で泣いた。気づいたら親父も泣いていた。狭いアパートの部屋で男二人で馬鹿みたいに泣いた。


 泣くだけ泣いてすっきりした後、俺は親父に頭を下げた。


「このお金は夢が見つかるまで借りておく、俺が夢を叶えたらこの金は倍にして親父に返す」


 そう言ったら、親父は笑って、


「俺になんて返さんでええから、母ちゃんよりええ女捕まえてそいつに使え」


と言ってガシガシ頭を撫でてくれた。その時俺は一生かけて親父に孝行すると心に誓った。


 それから俺は必死に努力して高校に進学して、そこで格闘技に出会った。そして生活の全てを捧げて格闘技に打ち込んでいたら、顧問から今後のキャリアのためにとジムを紹介された。


 それが俺と今のジムとの出会いであり、ここから俺の素晴らしき日々が始まったのだ。



◇◇◇



 プロデビューして賞金がもらえたら、親父をいい店に連れていって飯を食おう。親父は俺に金を使うなって言うけど、これぐらいは許してくれるだろう。


 そんなことを考えながら、俺はまた夜空を見上げる。月はさっきから変わらぬ明るさで俺を照らしてくれている。


 相変わらず最高の気分だ。


「ふんふんふーん、ふんふんふーん♪」


 楽しくなってきた俺は、鼻唄混じりで道路を歩く。無駄に気持ちが大きくなっているのが自分でも分かったが、それを見咎める人間もいないので気の向くに任せることにした。


「ふんふふーん♪はんははーん♪」


 鼻唄にバリエーションを加えながら、面白いものがないか辺りを見回す。正直、今のテンションなら箸が転がっても笑える自信がある。


「ほんほほーん♪………おぉう?」


 そうしてぐるりと辺りを見回した俺は、とあるビルの屋上で目を留めた。ビルの屋上に人影を見つけたからだ。


 月明かりはあるとはいえ、少し距離が離れているので暗くて姿はおぼろげにしか見えないが、どうやらその人影は屋上のフェンスに寄りかかって自分と同じように月を眺めているらしい。


「へぇ……、俺以外にも月見をしてるやつがいるとはねぇ」


 さっきまでのこの夜を一人占めしているような感覚も悪くはなかったが、誰かとこの素晴らしい夜を共有しているというのも存外に悪くない気分だ。


「……よっしゃ、ちょっと顔でも見てやるかな」


 この夜を楽しむ風流人のことが気になった俺は、方向転換してビルの方に足を向ける。声をかけるとまではいかなくても、どんな顔か見るぐらいまでなら大丈夫だろう。


 俺は鼻唄を再開しながらビルへと向かう。少しずつビルに近づく度に屋上の人影が鮮明になってきた。


 まず、フェンスに対して身長が低いことが分かり、続いて風にスカートがたなびくのが見えたので、人影は女性であることが分かった。


「女の人か………若くて可愛い子だったら嬉しいな。まぁ、声をかける訳じゃないけどな!」


 さらに近づくとその女性の服がこの辺りでも有名な名門私立高校のものだと言うことが分かった。相手が同年代の高校生だと分かり、俺の心はますます興奮した。


「おおっ、女子高生だ! マジか! いや、声をかける訳じゃないけど! ………ないけど!」


 などと心の中で言い訳しつつも、俺の足取りは少し軽くなった。はやる気持ちを抑えながらもっとビルに近づいた俺は、そこであることに気づいた。


 少女のいるビルの屋上には転落防止のフェンスがある。だから外からビルの屋上にいる者を見たら、それには全てフェンスの網目が被って見えるはずだ。


 しかし、近づいて分かったのだが、目の前の少女にはフェンスの網目がかかっていない。ということは、つまり少女はフェンスよりもこちら側にいることになる。


(……んん? 転落防止のフェンスがあってそれよりも少女はこちら側にいる? ということは少女はビルの屋上にあるフェンスの外にいるということで……?)


 そこから、俺の脳みそは昔アニメで見たお寺の小坊主のごとくフル回転を始めた。今のこの状況から導き出せる結論は……


 ぽく。


 ぽく。

 

 ぽく。


 チーン。


「ふんふふ………ふぉ!? 月見じゃなくて自殺じゃねぇか、これ!?」


 ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい………!


 その事実に気づいた瞬間全身に鳥肌がたち、毛穴からは不愉快な汗が吹き出る。


 自殺?


 マジで?


 なんで?


 どうする?


 先程のスパーリングの時よりも思考が細かく千切れる。心臓は早鐘を打ち、呼吸は浅く鋭いものに変わる。全身が一瞬で臨戦態勢に移行した。


 俺は素早く辺りを見回す。この状況を好転させる何かはないか、五感を総動員して探り始める。


 しかし、


「くそっ!マジで何もないし、誰もいないな!」


 先ほどまでは最高だった環境が、今ではこちらに牙をむく。このだだっ広い夜の倉庫街では助けになるようなものも、人も、何一つとして存在しなかった。


 この状況を動かせるものはこの場にただ俺一人だけ。


「………よしっ!」


 たった一人という状況が、俺に覚悟を決めさせる。


 格闘技ではリングの外にどれだけ味方がいようとも、リングに登るのはいつも自分ただ一人なのだ。リングという世界では存在するのは俺と相手の二人きり。だったら今の状況だって、いつものリングと何も変わらない。


(だったら俺は、いつも通り俺にできることを全力でやるだけだよな!)


 そこからの判断は一瞬だった。


 俺は急いでビルとの距離を詰めていく。


 一気に屋上に駆け上がるにしろ、下から呼び掛けて思いとどまるように諭すにしろ、とにかくあのビルに近寄らなければ話にならない。


 道路を横切り中央分離帯の植え込みを乗り越えて俺はビルに迫る。


 だがしかし、そんな俺を世界は待ってはくれない。


 なぜなら、世界は全て俺のために回っている訳ではないからだ。


 他者の思惑でも世界は動く。


 例えば、そう。


 今まさに自殺しようとしている、屋上の少女にだって世界を動かすことはできるのだ。


 中央分離帯を乗り越え反対車線を走る俺の目に飛び込んで来たのは、動き出した少女の姿だった。


 少女はなにか大切なものを見つけたかのように、月を見上げて屋上から身を乗り出している。恐らく上半身はもうビルの屋上ではなく、地面の上空にあるだろう。


 あと一歩でも踏み出せば少女は間違いなく墜ちる。


 もう一刻の猶予もない。


 もはや屋上に登ったり、声をかけたりする段階は過ぎた。


 今の俺にできること。


 それは。


 (……あの娘を地上で受け止めるしかねぇ)


 少女は墜ちる。


 これはもう避けられない。


 ならば、俺にできるのは少女が地面にぶつかるその前に、彼女をその身で受け止めることだけだ。


 昔、ニュースで見たことがあるが、マンションの6階のベランダから落ちた幼子を地上で見ていた人が受け止め救ったという事件があった。


 だから、落下する少女を受け止めて命を救うことは不可能ではないはずだ。


 しかし。


 その一方で不安要素は多分にある。


 ニュースで落ちたのは幼子だったが、目の前で今落ちようとしているのは女子高生だ。幼子と女子高生、その質量差は考えるまでもない。


 しかも、よしんば少女を受け止めたところで、こちらが無事である保証もない。実際、幼子を受け止めた人は両腕の骨を折る怪我を負っている。幼子ですらその怪我なのだ。女子高生を受け止めた時に俺が払う代償は考えたくもない。


 最悪の場合は俺も少女も共倒れになることだってあり得るのだ。




《ーーーやめちゃえばいいのに》




 俺の心の中で、《声》が囁く。


 そうだ、そこまでして俺にあの少女を助ける義理はない。たまたま、夜道を散歩しているときに偶然見かけた名前も知らない少女なのだ。


 それに、ここには俺たち二人以外は誰もいない。例え俺が少女を見捨てても、その事を非難するものは誰もいないのだ。




《ーーー怪我なんかしたら、みんなが悲しむよ?》




 もし、少女を助けに入って怪我でもしたら最悪だ。腕の骨を折るなんてことがあれば復帰にどれだけの時間がかかるかわからない。


 いや、もしかすれば選手生命がそこで終わることだってあり得るのだ。


 その瞬間、俺の脳裏を多くの人の顔が(よぎ)った。


 じいちゃん、ばあちゃん、学校の先生たち、ジムのオーナー、橋詰さん、尾越、そして親父。


 もしここで俺が終われば、今まで俺を支えてくれた人たちに俺はどうやって顔向けしたらいい?


 路傍の石に躓いて、夢を諦めたなんて言ったらみんなはどう思う?


 仄暗い考えが俺の思考を奪っていく。



《ーーー止めておきなよ》




《ーーーもう無理だよ》



 《声》はまだまだ鳴り止まない。


 もはや思考は千切れてしまい、頭のなかにバラバラに散らばっている。


 どうにか思考を集めようともがいても、《声》がその邪魔をする。もう、時間が残っていないのに。


 ……もういいか。



《ーーーああ、そうだよ》



 思わず漏れた心の声に《声》がすかさず返事する。


 ……精一杯やったよな。



《ーーー誰も君のことを責められない》



 《声》はどこまでも俺に優しい。そうだ、この世のどこにも俺を責められる人間なんて居ないんだ。誰も俺を否定できない。


 でも。


 ………本当にそうか?




《ーーー?》



 本当に俺を責めるものは居ないか?


 何か、見落としはしていないか?



《ーーー何を言ってーーー?》



 考えろ、考えろ、考えろ。


 思考を止めるな。



《ーーーだから、もうーーー》



 だってあの時も………


 ………そうだ。



《ーーーもうこれd、黙れよ。」



 最後の言葉は頭の中ではなく、口から零れた。


 俺は大切なものを見落としていた。


 この世のどこにも俺を責められる人間が居ない?


 そんなものは嘘だ。


 だって、そいつはここにいる。


 他の誰も俺を責めなかったとしても。


 他ならぬ俺が、俺自身を責めるのだ。


 格闘家にとって精神と肉体は不可分。心が折れれば肉体も折れる。怪我で肉体が死ぬよりも先に、俺の精神が肉体を殺そうとしたのだ。


 冷静になった今では頭の中の《声》の正体もはっきりとわかる。あれは俺の心の脆い部分、《弱気》が固まって生まれたものだ。


 しかし、正体がわかってしまえばどうということはない。《弱気》どう律すればいいか、俺はよく知っている。


「……《弱気》は《勇気》でねじ伏せる。全速力で走れ、俺ぇ!!!」


 雄叫びとともに、千切れた思考が繋がっていく。勝利への筋道が浮かび上がる。


 受け止められないのなら………横から逸らす。


 昔見た別のテレビで、高所から飛び降りる人間をベッドのシーツで受け止めるときに、シーツに傾斜をつけて衝撃を横に逃がすことで無傷で助けるシーンがあった。


 ならばタイミングを合わせて横に逸らせば、受けるダメージを抑えながら相手の衝撃も逃がすことができる。これが俺の導き出した結論だった。


 やることは決まった。後は実行に移すのみ。


 覚悟を決めた俺はスピードを落とすことなくビルへ迫る。もうすでに体はビルのある土地の敷地内だ。建物まではあとわずか。


 その時。


「あっ……!」


 少女の足が前へと進み、体は落下を開始する。


「っだあ!」


 叫びを上げて、渾身の力を振り絞り俺は少女に突っ込んでいく。もはや下で落下のタイミングは計れない。突進の勢いのまま少女の体に横からぶち当てる!


 少女が墜ちる。


 俺は走る。


「間に合ええぇぇぇ!!」


 最後の雄叫びとともに地面を蹴って俺は頭から少女の落下点へ飛び込んだ。


 しっかりと見開かれた俺の目の前に少女の体が迫る。


 やった、タイミング完ぺk………


 そこまで考えたところで全身に強い衝撃が走り、俺は意識を手放した。


ということで、主人公同士の出会い(?)まででした。


書きたいこと多くてあぁん、疲れたもぉん!

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