気取った口説き文句は似合わない
久しぶりに神界の二人が出てきた気がする。
多分気のせい(現実)。
「ただいま~、っていっても誰もいないんだけどな」
そんなことを独り言いながら、俺は玄関の扉をあける。
あのあと保健室で体操服を借りた俺は、結局制服が乾かなかったので、その格好のまま家に戻ることになった。
帰り道公共機関で一人体操服なのはかなり周囲の目を引いたが、鋼の心で俺は耐えた。クズ共にはこの恥ずかしさの落とし前もつけさせなければならない。
橘さんの部屋に戻って、ハンガーに制服を干すと俺はクローゼットの扉を開ける。それは服を着替えるためでもあったが、それ以上に大切な目的があった。
「よいしょ、よいしょ……っと、ふぅ、これだこれ」
クローゼットの天袋の奥、椅子を使って背伸びをしないととどかないスペースに大きなお菓子の缶がある。俺はそれを取り出してテーブルの上に置く。
服を着替えてから、缶を開く。
中にはボロボロになった文房具の数々、鍵のかかった日記帳、そして数枚のSDカード。
これらは全て、橘さんが今まで受けてきたいじめの証拠に他ならなかった。
橘さんは、いじめの証拠を担任に握りつぶされてからも、いじめの証拠を残し続けることを止めなかったのである。もしかすると、これがいずれの日か役立つときが来るかもしれない。そう思って彼女は、誰にも知られることなくただ一人で、自分の辛い記憶を抱え続けていたのだ。
俺の手元に残されたこれは橘さんから俺への大いなる遺産だった。
「本当に、よくこれだけのものを残してくれた。橘さん、ほかの誰も気づかなくても、俺だけは君の《勇気》を称えよう」
文房具は全ていじめっ子に壊されたもの。日記帳にはいじめを受けた日付とその内容。そして、SDカードにはスマホで録音したいじめの音声データ。
どれひとつとっても、クズ共には致命の一撃を与えられる劇毒だ。
しかし、橘さんはこれを使うことなくこの世を去ることを選んだ。
理由は色々ある。
まず最初の証拠が担任に握りつぶされたこと。信頼できるはずの担任に証拠を潰されたことは、橘さんの心を折るのに十分な理由となった。
次に、クラス編成のこと。いじめを解決する気があるなら最低限クラスは分けるはずだ。それなのに二年のクラスにはなんの配慮もないどころか、橘さんを更に追い詰めるものだった。
クラス編成には多くの教師が関わるので、いじめのことはシャットアウトされているか、あるいはみんな知っていて無視しているか。
俺の見た限りでは他の教師の反応からして、情報は担任でシャットアウトされている可能性が高かったが、その確証が持てない以上、他の教師も味方にできないことが橘さんを絶望させた。
そして、最後に、御厨の父が学校に多額の献金を行っていること。多額の献金を受けた以上、学校上層部も御厨の息がかかっている可能性は高い。例え上に直談判しても、握りつぶされる可能性はあり得るのだ。
この三つの理由が、橘さんの気力を奪い去った。
そしてあの夜、彼女ビルから飛んだのだ。
結果的に、橘さんは死ななかった訳だが、それでも橘さんを自殺に追い込んだクズ共の罪は重い。
(……この《勇気》を以て、その全てに鉄槌を下す必要がある)
俺は証拠の入った缶の蓋をそっと閉じると、丁寧にもとの場所に戻した。これが必要になるのはもう少し先のことだ。いずれ芽吹くそのときまでは、春を待つ花の種のようにじっとそこで待っていてもらおう。
「……よし。さて、今日の夜の《夢渡り》はマジで重要だな。少し金銭も絡むし、橘さんの判断を仰がないとな」
この時をもって、俺はいよいよクズ共との臨戦態勢に突入する。
ここから先はいついかなるときにクズ共が何をしてこようとも、確実にクズ共を刺せる準備をしなければならない。
もちろん、刺し違えるのではダメだ。こちらが一方的にクズどもを蹂躙する以外に勝利はない。
そして、一度計画がレールに乗れば、微修正は可能だろうが、大きな流れを決定できるのは恐らくこれが最後となる。
《夢渡り》で話さなければならないことを頭のなかで整理しながら、いつも通り夏樹さんとの夜を過ごして俺はベッドで眠りについた。
◇◇◇
《ふじっち、おっす、おっす!》
「こんばんは、不二さん」
「おーう、来たぜ二人とも」
眠りに落ちた俺は、神界のいつもの場所で目を覚ます。ここは雲の広間。初めてこちらに来たときにみんなで話をした場所だ。
《んじゃ、いつもの場所で座ってトークしますか》
「うーい」「はーい」
女神に促されるままに俺と橘さんは雲の上に座る。雲の広間には椅子などはないが、それでも毎日来ればいつも座る場所は自ずと決まるものだ。体の下の雲の形を整えると、話の口火を切るために俺は顔を上げた。
「よっしゃ、それじゃあ今日は大切な話をーーー」
「ーーーその前に不二さん。ひとつよろしいですか?」
「ん? どうしたの橘さん?」
しかし、早速核心に入ろうとした俺を遮って、橘さんが声をあげる。
「はい。私、不二さんに大切なお話があります」
「………えっ?」
ーー大切なお話。
この言葉が出た瞬間、俺の背中に冷や汗が浮かぶ。
今まで橘さんがこの言葉を出したときは、絶対に俺が叱られる流れだったからだ。
「俺、また何かした?」
探るような声色で橘さんに問いかけると、彼女はにこりと微笑んだ。
しかしそれは、その内では橘さんの怒りが渦巻いていることを俺に確信させる笑顔だった。
「はい、胸にてを当てて考えてください」
「………はい」
俺は胸にちゃんと手を当てて思考を巡らす。
(………いや、でも、今日は大切なお話に心当たりはないぞ? 最近はこっちの体にも慣れたし、デリカシーのない振る舞いも減って、お叱りを受けることも格段に減ったしな。今日だって、いじめっ子達に水をかけられた以外は特に何も…………あ。」
「…………分かりました。橘さん、言ってもいいですか」
「はいどうぞ」
橘さんはまだまだニコニコしている。
その笑顔が今は何より怖い。
女神はにやにやしながらこちらを見ている。
くそう。邪神め。
助けてくれない女神に恨みがましい視線を送りながら俺は遠慮がちに口を開く。
「えーっと………その、水を………」
「水を?」
「あっ、水がかかったときに………」
「かかったときに?」
「えっと、自分の状態をよく確認しないまま教室に入りました。」
「………。」
「…………橘、さん?」
「…………さんの、」
「え?」
「不二さんのアホー!」
「ぎゃー!ごめんなさい!ごめんなさい!」
叫び声とともに、橘さんが襲い掛かってきて、俺の体をポカポカ叩く。俺は体を丸めてひたすら耐える。
「ふ、不二さんに下着や裸を見られるのにもようやく心に折り合いをつけたのに!よりにもよって!不特定多数に!私の下着を見せるなんて!」
「悪気はなかったんです!ただ、不注意だっただけで!許してください!許して!」
《ふじっち、さいて~!これにはアトロポスちゃんも幻滅~!》
「アトロポス!ここは俺を助ける場面では!?」
《だって私も女の子だしぃ~?たっちーの気持ちの方が分かるしぃ~?》
「ぐぎぎ………、確かにその通り………あっ、橘さんごめんなさい!ほんとに勘弁して!お願い!」
それからしばらくの間、俺はただひたすら謝りながら嵐が過ぎ去るときを待ち続けたのだった。
「………もう!今回はこれで許しますけど、次はもっとひどくしますよ!」
「………肝に命じます。」
《いやー、女の子の裸がらみでこの程度で済んでマジラッキーだよね。神様的にはマジで(注1)鹿に変えられても不思議じゃないよ?》
「アトロポスが言うとえらく説得力があるな………」
あの後、ありとあらゆる謝罪の言葉を並べ尽くして何とか橘さんの許しを得た俺は、再びみんなで円を描いて座っていた。
かなり脇道に逸れたが、ここからは切り替えて本題に入らなければならない。
一つ大きく深呼吸して俺は話を切り出した。
「それじゃあ、ここからは俺の大切な話。………俺はいよいよいじめっ子との決戦に移ろうと思う。」
「………!そう、ですか。」
《うぉー!ついに来たか~!女神的にもマジでこの時を待ってたっていうか!》
橘さんと女神の反応はベクトルこそ違えど、共に決戦への決意が感じられる。
二人にゆっくりと視線を送り、頷いてから言葉を続ける。
「恐らくここからは作戦の微修正はできても大きな修正は効かない。だから最後の確認をする。」
「はい。」
《おっけー!》
「まず、いじめっ子への反撃はあちらが否定できない、衆人環視のなかであちらに仕掛けられた時に行う。これはいいね?」
「はい、大丈夫です。」
《異議なし!》
「次に、基本的に教師もいじめっ子側だと思って行動する。助けは最後まで求めない。」
「それが安全ですね。」
《うんうん、リスクは減らしてかないとね。》
「で、最後に、やるからにはとことんやる。いじめっ子も、その肩を持つ教師も徹底的に潰す。慈悲はなく、容赦もない。最悪、向こうが死を選ぶぐらいまで追い込みをかける気でいく。いいな?」
「………分かりました。助けてもらう立場ですから、その結果何が待っていようとも、私は不二さんに全てを委ね全てを受け入れます。」
《いいよ、いいよ~!目には目を、歯には歯をやるからにはやっぱりこうでなくちゃ!》
俺の言葉に橘さんと女神が賛同する。
優しい橘さんにとっては、相手が破滅するのは心苦しかったかもしれない。しかし、それでも彼女は受け入れて、全てを俺に任せてくれた。こんなに嬉しいことはない。
《運命》の女神アトロポスは、恐らく最初からずっとこちらの意思を尊重してくれている。態度こそ軽いものだが、《運命》の女神が背後に居るのはそれだけで大きな心の支えだ。
俺は大きく頷いて目を瞑る。
一つ深呼吸を入れてから、瞠目して言葉と共に気炎を放つ。
「みんなの気持ちはしかと受け取った。ここから俺は修羅道に入る。邪魔立てするものは全てを排し、勝利を掴むそのときまで決して歩みを止めはしない。」
「不二さん!」
《ふじっち!》
言葉を終えて、俺は手を前に差し出す。
橘さんと女神の手がその上に重ねられる。
その手はとても小さいけれど。
その想いはとても重く、とても熱い。
それをしっかりと自分の手に伝えてから俺は叫ぶ。
「俺たちは絶対に勝つぞ!えいえいおー!」
《「えいえいおー!!」》
俺の叫びに、二人の叫びが重なってその声は天の極みに登っていった。
「あ、そういえば橘さん。ちょっと確認したいんだけど。」
そろそろ意識を肉体に戻す時間になったとき、俺は橘さんに声をかける。
「なんでしょう?」
「橘さんってさ、銀行に口座持ってる?」
「えっ?えーっと、確か奨学金を貰うために口座開設したのでありますけど……もしかして作戦で結構お金をかける感じですか?」
「ん~、ちょっとね。型落ちのボイスレコーダーを同じ機種で二台とそれに刺すSDカード1枚、あと100均で料理用の真空パックを少々。」
「………?それくらいでしたら、口座から出さなくても、部屋の貯金箱にあるお金で買えると思いますけど………」
橘さんが不思議そうに首を傾げる。まぁ、無理もない。多分買うものだけ言っても何に使うのかは分からないだろう。
「あー、買い物については俺の金で大丈夫。回収した俺の鞄に財布入ってたからそこから出せる。」
「???じゃあ、どうして……?」
「口座が必要な理由はむしろ逆だよ。実はね、今まで秘密にしてたけど、この作戦が成功したらそこそこ大きな額のお金が入るかもしれない。」
「えっ?増えるんですか?」
「まー、確実じゃないから話半分で聞いといて、実際上手くいったら儲けものぐらいに思ってて。」
「そうなんですねー。」
言葉は素っ気ない感じだが、橘さんはちょっとそわそわした様子だ。まぁ、お金はあって困るものではないし、反応としては自然なものだ。
打ち明けた時の、橘さんの反応が悪くなかったので、俺はここで今までずっと温めていた服案を繰り出すことを決めた。
それは、俺としては、結構踏み込んだ感じの提案だ。口にするのには結構な《勇気》が必要だ。
落ち着けよ俺。
自然に、さらっと、何でもない風に切り出せ。
ステイクール。ステイクール。………よし。
十分に心が落ち着いたのを確認してから、俺は橘さんにごく自然に話を切り出した。
「そうそう!そっ、それでさ!もしお金が手に入ったらさ!元に戻ったときにさ!ちょっといいレストランでも予約してさ!二人で食事でもしてさ!パーっと使わない!?」
…………ダメだ。めっちゃ動揺したわ。
それでも俺は言ったぞ!ちゃんと言ったぞ!
橘さんとのデートの約束を!
「えっ、いいんですか!?」
橘さんは驚いて目を丸くする。でも、その表情はあまり嫌そうじゃない。
これは、押せばいけちゃう?いっちゃう?
でも、あまりがっつくのもよくないから、ちょっと一歩引く感じでーーー
「ーーーいいよ、いいよ。どうなるか分からないし。それに、もし手に入ったとしても、それは橘さんのものって形でだから、もし橘さんが貯金したいならそれはそれーーー」
「ーーー行きましょう、レストラン!!」
「でいいんだけど………って、いいの?ほんとに?」
「はい!素敵ですよね、レストラン!私とっても夜景が綺麗なところがいいです!!」
「おぉ……、結構食いつきいいのね………。まぁ、それだけ期待してくれるなら、もし金が入らなくても俺が自分で出すよ。それで二人で祝勝会しようぜ。」
「や、約束ですよ!!約束!!アトロポスも聞きましたよね!?」
《はいはい、聞いた聞いた~。よかったじゃん、たっちー。一歩前進、みたいな?このこのぉ!》
「えへへ!」
よっしゃあ!通った!
アトロポスが橘さんに言っている、一歩前進って言葉の意味は分からないけれど、俺にとってこのことは間違いなく一歩前進だ。
「ーーーこの一歩は人類にとっては小さな一歩に過ぎないが、俺にとっては大きな一歩である。」
流石、ニール・アームストロングさん、良いことおっしゃる(誤用)!
最後に少し日和って祝勝会って言ったけれど、実質的これはデート!
俄然やる気が沸いてきた!
「それじゃあ、橘さん、アトロポス。今日もありがとう。」
「はい!」
《いいってことよ~、頑張りなよ、ふじっち!》
「OK、絶対に俺は勝つから。」
いよいよ今日の《夢渡り》の時間も終わり、俺たちは別れの挨拶を交わす。
作戦決行までの時間は読めないので、これからもちょくちょく会うのだが、皆の決意を固めたという点で今日の《夢渡り》は一つの大きな転機といえた。
「じゃあ、行ってきます。」
《おう、どーんと行け!》
「夜景の綺麗なレストラン、約束ですよ!」
「ははっ、大丈夫。忘れないから。」
笑顔で橘さんに応えると、俺の意識が薄れていく。
地上の肉体に意識が溶けてゆく。
大丈夫だ。
絶対に忘れない。
そして、俺は、いや、俺たちは勝つ。
勝たねばならない。
それはデートのためだけじゃない。
その先の未来のためにも勝たねばならぬのだ。
俺が橘さんの肉体に戻り、その目が開く。
起き上がって部屋のカーテンを開ける。
朝日が部屋に差し込む。
それは、決戦の日々の始まりを告げる光。
俺はしばらくの間その光をただ黙ってじっと見つめていた。
さあ、いじめっ子解体ショーの始まりだ(歓喜)
割りとガチで次の話が書きたくてここまで頑張ったんだよなぁ(詠嘆)
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