【一章完結】地上に降りた最初の青春キメラ(修正済)
「……っつぁあ~! ひ、久しぶりに、ま、マジでビビった……! アトロポス、マジで邪神なのでは?」
女神の言った通り30秒ほどで地上に帰った俺は、某有名ハリウッド映画の殺戮マシーンの登場シーンみたいなポーズで着地した。
「でも、このお陰で大概のことには動揺しないメンタルになったな。アトロポスのお陰でまた一つ《勇気》が磨かれたか。………まぁ、狙ってやった訳じゃないんだろうけど」
女神に対して感謝と愚痴の混ざった言葉を呟きながら、俺は急いで行動を開始する。
「さて、ゆっくりしてる暇はないぞ。まずは俺と橘さんの荷物を回収しないとな」
そして俺は、廃ビルの屋上に登って橘さんの荷物を、次に大通りを横切って歩道に残した俺の荷物を回収する。
俺のスマホは合体の衝撃で失くしてしまったが、橘さんの鞄には彼女のスマホがある。鞄からスマホを取り出してロック画面を開き、天界で橘さんから聞いておいた暗証番号を入れると、すんなりとロックは解除された。
「よしっ! 次は地図だ、地図!」
俺はマップアプリを起動して、忘れないうちにすぐに橘さんの住所を入れる。これで宿無しは回避されるという寸法だ。
「おっし、ばっちし! なるほど、ここから徒歩で15分位か。まぁ、ちょっと迷っても20分もあれば行けるか!」
女神から聞いていたし、スマホでも確認したが、現在の時刻は夜の10時を回ったところだ。
橘さん曰く、今までどんなに遅くても9時を超えて家に帰らなかったことはないらしいので、今の俺は絶賛記録更新中だ。橘さんの家に帰ったら、彼女のお母さんからのお小言も覚悟するべきだろう。
「さて、荷造りをして出発しますか………とその前に」
俺の荷物を橘さんの鞄に入れる前に、俺は橘さんのブラウスの胸ポケットに手を伸ばす。それは、決して彼女の乳を触ろうというわけではない。いいね?
ポケットをまさぐると、そこに入っていたのはしわくちゃになった一通の手紙。
俺はそれをポケットから取り出すと、封も開けずにビリビリに破り捨てた。
細切れになった手紙は、大部分が春風によって夜空に散った。地面に少し残った破片を、俺は靴底で徹底的に踏み潰した。
手紙は橘さんの遺書だった。
もはや必要なくなったそれを、俺は念入りに処分したのだった。
「………はぁ。これでちょっとはスカッと………しないな。やっぱり原因を叩かないと駄目か」
踏み潰した破片を左右に足で払うと俺は決意を新たにする。
あの優しい橘さんにここまでのことをさせた畜生外道ども。
やつらには生半可な地獄では治まらない。
然るべき苦痛を与えて、二度と手出しが出来ないようにしてやる。
「待ってろよクズ共………!」
唸るように呟いた俺はすぐに荷物をまとめて、橘さんの家へと急いだ。
「メゾンハピネス、メゾンハピネス………ここか!」
橘さんの家は比較的すぐに見つかった。
メゾンハピネスは6階建てのマンションだ。間取りは全室2LDKでエントランスにセキュリティゲート、宅配ボックス完備、管理人常駐、主要部に監視カメラと、俺が親父と住んでいるアパートと比べればかなりの優良物件だ。
聞いた話によると、橘さんの両親が離婚した時に今後一人にすることが多い娘のためにとお母さんが奮発した結果らしい。交通機関への立地が悪いが、その分少し家賃はお安くなっているとのことだった。
セキュリティゲートのロックを外し、エレベーターに乗る。橘さんの部屋は最上階の602号室だ。
エレベーターに備え付けの鏡で最後の身だしなみチェックを行う。
髪の毛よし。
リボンよし。
制服は上着を鞄から出して着用済み。シワもなし。
靴下よし。
革靴よし。
オールクリア!
確認が終わると同時にエレベーターのドアが開く。するりと抜け出して、俺は602号室の前に立つ。
今の俺は橘さん。
今の俺は橘さん。
今の俺は橘さん。
自分に暗示をかけながら、呼吸を整える。
(………よし! いくぞ!)
覚悟を決めた俺は、勢いよく玄関脇のチャイムを鳴らそうとして、
「………! おっふぉ!?」
すんでのところで指を逸らして、チャイムの脇の壁で突き指した。
(……危ない! 今の俺は橘さん! ここは自分の家! 自分の家に家に帰るのに、チャイムは鳴らさない!)
そう、ここは今の俺にとっては自分の家だ。人様の家のようにチャイムを鳴らす必要はない。危うく初手からミスを犯すところだった。
(やっばいなぁ、最初からこんなガバガバでやってけるのかな、俺?)
痛めた指にふーふー息を吹きかけつつ、俺は鞄から鍵を取り出してドアを開けた。
「……ただいまー?」
家の中を覗き込んで、探るような声を出したその瞬間。
「薫!あなた、こんな遅い時間まで家に帰らないで!どこにいたの!何をしてたの!どうして連絡しないの!」
「うひょお!?」
溢れるような声がまるで打ち寄せる波のように俺に迫った。
「……お、お母さん」
「なーに、薫。言い訳は聞きたくないから、先に質問に答えて」
「……はい」
話には聞いていたが、いざ目の前に現れると流石に圧倒される。
俺の目の前に立つのは橘夏樹。橘さんのお母さんだ。
年齢は30代半ばとのことだったが、若々しく覇気のあるその姿は20代でも通用するレベルだ。
思いきりよく切られたショートヘアー、意思の強そうな瞳に凛々しい表情。身長もすらりと高く、キレイとかカッコいいが全面に押し出された、橘さんとは真逆のタイプの美人だ。
そんな夏樹さんが、廊下の真ん中に腕組みをして仁王立ちで俺のことを待ち受けている。流石の俺でもこれには怯む。
そのオーラに気圧されながらも、俺は事前に用意していた答えを口にする。
「……えっと、学校で遅くまで勉強してから帰っていたんだけど、天気がよくて気持ちがよかったから、少し寄り道して埋め立て地の方まで散歩に行ったの。そうしたら月がとってもキレイでね、ベンチに座って眺めてたら、いつの間にか寝ちゃってて。起きたのがついさっきだから連絡もできなかったの。ごめんなさい……」
「なるほどね、こんなに遅くなった事情は分かった」
(………よかった。何とかこちらで考えていた言い訳で納得してもらえたか……)
夏樹さんの言葉で、俺は自分の弁明が疑われなかったことにホッと胸を撫で下ろしーー
「………けどね」
「えっ?」
「寄り道するなら、その前に一言連絡しなさい、このスカタン娘!」
「あばばばばばば!?」
ーー終わる前に、怒れる夏樹さんからの制裁を受けていた。
(駄目じゃん!? 全然許されてないじゃん!? あああ!?)
夏樹さんの怒りの両手が、俺の髪の毛をわちゃわちゃともみくちゃにしていく。たっぷり30秒ほど揉みに揉まれ、落武者もさながらの髪型にされた後、夏樹さんは俺のことを優しく抱き寄せた。
「薫。あなたが無茶するような子じゃないことは母さんよく分かってる。でもね、やっぱり母さんあなたが心配なの。あなたは私の全て。だからこれからはちゃんと連絡してね。」
「………わかった」
(そして、すみません。夏樹さん)
抱き締められた柔らかい感触を体で感じながら、俺は夏樹さんの深い愛情に感激し、そして申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
この愛情は本当なら橘さんが受けるはずのものだ。それを俺が受けるのは橘さん母子を騙しているようなものだ。
いや、事情を知らない夏樹さんに関しては、完璧に騙しているといっていい。
夏樹さんの愛情を味わいながら、俺はやはり早く元の体に戻りたいものだと改めて思った。
しばらくして、たっぷりと抱き締めて満足したのか、夏樹さんは俺のことを解放してくれた。
そして、リビングの方へと向かいながら、夏樹さんは衝撃的な発言を投下した。
「さーて、スキンシップも済んだし、母さんご飯温めておくから、その間に薫はお風呂入っちゃって。あんまり遅いから、母さん先に入ったからお湯がさめちゃうから。」
「分かったー…………………………………はい?」
「もう、ちゃんと聞いてる? お風呂よ、お風呂。冷めちゃうから、ささっと入って。ほら、着替え取って、早く」
お風呂。
おフロ。
OH! FURO!
(……………………………………………………………)
「………ほっ、ほっ、ほわぁぁぁぁああ!?」
「!? ちょっと薫! 夜遅いから叫ばないの!」
「あいたっ!」
急に叫び声を上げた俺の頭に夏樹さんの鉄拳が飛ぶ。思わぬ衝撃に目の前に星が飛ぶ。
いやでも、叫ぶなってのが無理ですって!
奥さん、お風呂ですよ、お風呂!
それも橘さんの体で!
全部丸見えなんですよ!?
これ以上、この世に興奮することがあるだろうか?(いや、ない。)〔反語〕
はい、ここテストに出まーす。
そんな風に一人で錯乱していると、恐ろしい熱量をもった威圧感を背後に感じ、俺は油の切れかかったロボットのようなぎこちない動きでそちらを振り返った。
そこに立っていたのは一人の修羅、いや、鬼子母神というべきか。
「薫? 母さん一日に二度も怒りたくないんだけど?」
「すぐに入りまーす!」
夏樹さんの纏うただならぬ気配に、俺は慌てて橘さんの部屋へ着替えを取りに向かうのだった。
◇◇◇
「ご飯美味しい?」
「ウン、トッテモオイシイヨ、オカアサン!」
お風呂から上がった俺は、現在リビングで夏樹さんと遅めの夕食を摂っている。
夏樹さんの夕食はめちゃくちゃ旨い。それでいて彩りもよくバランスもいい。
俺がいつも作る料理は格闘家のさだめで体作りか、減量に特化したメニューばかりなので、まともな、それも他の誰かに作ってもらう食事は久しぶりだ。しっかりと味わって食べたい。
………けれど。
(全部見た。全部見た。全部見た。全部見た。全部見た。全部見た。全部………………………)
お風呂の衝撃が未だに頭にこびりついて、今はこの料理の旨ささえも、なんだか舌を上滑りして抜けていってしまう。
正直、部屋へ着替えを取りに入ってからの記憶は全てを断片的である。それは、橘さんの名誉のために、俺が意図的にあまり目を開けないようにしていたことも大きい。
しかしそれでも、わずかに目にした断片は、鮮烈なイメージとなって俺の精神にくっきり焼き付いた。
恐らく、二度と消えることはないだろう。
特に、頭からお湯を流した後に、思わず目を開けてしまって鏡に写った全身を見てしまったことと、脱衣場でブラジャーをつけるのに手間取って鏡をして見たときの下着姿は完璧に覚えた。
(………というか、この二つを覚えたらほぼ全部覚えているのと変わらないじゃん。ああああ! 俺のアホ! 馬鹿! スケベ!)
思わぬところで予期せぬカルマを背負ってしまった俺。その口調が片言になってしまうのも致し方ないわけだ。
「薫。今日のハンバーグはどう?」
「ウン。ワタシ、コノソース、スキ!」
「そう、よかった。今日はネットで見た新しいレシピにしたのよ。口にあったのならこれからはそのソースにするね」
「ワーイ、オカアサン、アリガトー!」
「………薫、あなたさっきからしゃべり方変じゃない?」
「ウェッ!? ヤ、やだなお母さん、そんなことないよ、ほらほら!」
「……?私の気のせいだったかしら。」
「そうそう! そうだよ! ははは! ………はぁ」
(いけない、動揺するな俺。こんなことで不審がられていては、夏樹さんにばれてしまうぞ。平常心、平常心だ。どうせこれから毎日風呂に入るんだから、早いとこ慣れないとな!)
そこまで考えて、俺は驚愕の事実を認識する。
(………毎日? ま、マジか!? 俺、これから毎日風呂に入るの!? いや、今までも毎日風呂には入ってたけど、この体で!?)
ウヒョー! これは毎日がエブリデイですよ!?(?)
「………それにしても、よかった。薫が元気になって」
「へっ?」
これから訪れる、桃色の日々にテンションがおかしくなっていた俺は、夏樹さんの言葉で急に現実に引き戻された。
「薫、ここのところずっと元気がなかったから。今日の薫はなんだか昔の薫みたいでほっとしたわ」
「お母さん……」
(やっぱり、夏樹さんは、橘さんの様子が変なことに気づいてたんだ。これが母娘の絆ってやつなのかもな……)
必死になっていじめの事実を隠していただろう橘さん。それでも、夏樹さんは彼女の異変に気づいていたのだ。
これを愛の為せる業と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
「薫。さっきも言ったけど、あなたは私の全てなの。だから何でも私に言って。一人で抱え込まないで。お母さんすぐに助けるから」
「……ありがとう」
ご飯を食べ終わった俺は、少し休憩をしてから歯磨きをして、寝る準備を整える。
洗面所から出て、部屋に向かう道筋のリビングを通るときに、テレビを見ている夏樹さんと目があった。
「あら、今日はもう寝るのね。」
「うん。ベンチでたっぷり寝たけど、まだ体が疲れているみたい」
「なら今日はゆっくり休まないとね。お休みなさい、薫」
「お休み、お母さん」
そうして、俺は橘さんの部屋のドアへと手をかける。
扉を開けて部屋に入る前に、俺はあることを思い出して、夏樹さんの方へと体を向ける。
「お母さん」
「なーに?」
「……お母さんが私を愛してくれているのと同じように、私もお母さんのことを愛してるからね」
一言一句間違えないように、はっきりと夏樹さんに聞こえるように、ゆっくりとその言葉を口にする。
それは、神の世界での作戦会議の時、俺が橘さんから預かってきた大切なメッセージ。
それは、当分の間会うことのできない娘から母へのメッセージ。
それは、本当ならば、決して伝わることがなかったはずのメッセージ。
そのメッセージは、今ここで俺の手を介して、娘から母へと確かに伝わったのだ。
「………ええ、知ってる」
ぼそりと呟くように応えた夏樹さんの目尻に、何か光るものが見えたのは、多分俺の気のせいではないだろう。
「それじゃあ、また明日ねお母さん」
今日、最も大切な使命を果たしたことを確かめて、俺はそう言い残して部屋に入る。
最後の言葉への返事はなかったが、その必要はなかった。
なぜなら、先程の橘さんからのメッセージへの夏樹さんの返事には、これ以上ないほどの喜色が溢れていたからだ。
だから、俺の言葉への返事は要らない。
母と娘の素晴らしき親愛。これを守ることができたこと。それが、俺にとっては何よりの報酬だった。
部屋に入った俺は、シンプルで可愛らしい布団のかかったベッドに直行する。
(ああ、ようやく1日が終わる……)
体を横たえてまぶたを閉じると、すぐに眠気がやってくる。今日はあまりにも色々なことがありすぎた。流石の俺でもこれは堪えた。
それに、明日からは怒濤の日々が始まる。それは、橘さんの未来を勝ち取るための日々だ。恐らく、ことと次第によっては激しい戦いとなるだろう。
そのためにも今は眠ろう。戦士にも休息は必要なのだから。
「お休みなさい………」
そう呟いた俺の意識は、急速に眠りの縁に落ちていった。
◇◇◇
「あっ、大切なことを忘れてたわ!」
俺は、閉じかけていた目をカッと見開くと、布団からガバッと跳ね起きた。
勉強机にある橘さんのノートパソコンを開き、ウェブブラウザを起動して、ある画像をダウンロード。それをすぐにプリンターで紙に出力する。
出てきた画像を適当なサイズに切って、飾ってあった写真たての中に入れる。
ベッドのサイドボードの上にティッシュの箱を逆さまに置いて、その上に写真立てを飾る。その両脇にスタンドライトを立てて、写真の前に部屋の菓子置きに入っていたマカロンを添えた。
写真立ての中からは昔の画家が想像で描いた、濃ゆい顔をした女神アトロポスがこちらを見ている。
そう、アトロポスとの約束だった女神の祭壇が、今ここに完成したのだった。
しかし。
「どう見ても仏壇なんだよな、これ……」
モノトーンの写真立てと、そこに飾られたアトロポスのモノクロの絵が、さらに仏壇っぽさを加速させていた。ちーん。
「………寝よ」
あまりの見映えの悪さに、流石の俺もどうにかしたい気持ちが抑えられなかったが、現状、部屋の小物ではどうにもならないので、俺は諦めて潔く眠ることにした。
決戦の時は近い。
第一章終わり!
割りと暗いストーリーだったけど追いかけてくれた人たちには感謝しかないんだよなぁ……
自分、涙いいすか?
第二章からはざまぁ&スカッとを入れていくから、ぜって~見てくれよな!(某予告風)