自殺少女は宙を舞う(改修済)
最初は暗いけどすぐにスカッとするから見とけよ、見とけよ~
段落追加と一部修正を行いました!これで見やすくなったかも?
桜の花も春風に散り、葉桜の青葉が隆盛を極めるある春の佳き日。
私、橘薫は今日この日を以て、自分の人生の幕を下ろすことを決めた。
理由は単純。私はいじめられっ子なのだ。
◇◇◇
生来の引っ込み思案で臆病な私は元々いじめられっ子の素質を持っていた。それでも中学校までは気の合う優しい友達を見つけてなんとかうまくやって来たのだ。
その歯車が狂ったのは高校に入学してからだった。私は偏差値の高い高校に進学すればそこに通う人間の質も高くいじめられることはないだろうと考えて、中学校最後の一年間を全て勉強に捧げることで晴れて名門と呼ばれる私立高校に進学した。
しかし、入学して蓋を開けてみるとこの学校には、入学時に親が多額の献金を行った上流階級と、部活などの実績で推薦入学を果たしたで構成される《特待生》と、通常の試験で入学した《一般生》という明確なカーストが存在していたのだ。
そして学校の広告塔ともいえる《特待生》たちは教師からも優遇されて、多少の無法も許容された。その最たる例が、《一般生》をターゲットにしたいじめである。
高校一年の二学期ごろから、私は《特待生》のある生徒によるいじめのターゲットになった。最初は軽い無視から始まったこのいじめは段々とエスカレートしていき、二学期も終わる頃になると私に聞こえるようなあからさまな暴言や、持ち物の紛失・破損のような実害を伴うものになっていた。
学期が変われば収まるかもしれないという私の願いも空しく、三学期もいじめは続いた。それどころか、どこからか私が片親で貧困家庭出身であるとの情報が漏れて、彼らの攻撃は私の人格や出自を非難し精神を抉るような苛烈なものになった。
この段階で、私は恥を忍んで担任にいじめの事実を告げた。壊された持ち物などの証拠を見せながら《特待生》の実名も交えて私の受けてきた仕打ちの全てを語った。担任は頷きながら私の話を聞いて、慎重に事実を確認して次の学年の学級編成では最大限の配慮をすると言った。
だから私は耐えた。進級すれば私をいじめる《特待生》から解放される。その事実だけが壊れかけた私の肉体と精神を支えていた。
そうして迎えた四月。教室前に貼り出されたクラス分けの紙を見て私は思わず呟いた。
「嘘……どうして……」
貼り出された紙には、私のクラスの中に私が担任に伝えた《特待生》の名前がことごとく入っていた。その日の放課後、崩れ落ちそうになる体をどうにか支えながら、私は担任のもとへ向かった。私の渾身の訴えが無視されている。その理由を直接担任の口から聞きたかった。
人目のないところに担任を連れ出し、私はこの事を問いただした。
「どうしてなんですか?」
最後の気力を振り絞って放った言葉に担任はこう答えた。
「慎重に調査を行った結果、いじめの事実は確認できなかった。だからこの事に関してはこれで終わりだ。あきらめなさい。」
あきらめなさい。
突き放すようなその言葉で私は全てを悟った。
なんてことはない。担任は元から私の側ではなくて《特待生》側の人間だったのだ。おろかな私はそんなことにも気づかずに、ホイホイと敵に情報を与えていたのだ。
もはやこの学校に味方はいない。待つのは暗い未来ばかり。
その事実に気づいた瞬間、私は自分の人生に自らの手で幕を下ろすことを決めたのだ。
◇◇◇
そうして私は今、臨海部の埋め立て地にある七階建ての廃ビルの屋上に立っている。人に忘れられただ朽ち果てるだけのこの場所が私の墓標だ。
私が自殺にこの場所を選んだ理由はいくつかある。
一つは屋上に通じる非常階段の施錠が壊れていて簡単に屋上に忍び込めること。建物脇の非常階段は南京錠とチェーンで施錠がされているが、南京錠が壊れていて引っ張るだけで簡単に開いてしまうのだ。最近はどこの建物も屋上への出入りは厳しく、他に選択肢はなかった。
二つ目は、知り合いに死んだ私の姿を見られたくなかったこと。家や学校で死ねば私の死はかなりのインパクトを残しただろうが、死んだあとまでいじめっ子のおもちゃにされたり、たった独りこの世に残していく母に少しでも迷惑はかけたくはなかった。廃ビルならば普通のビルのように中に入った会社に迷惑をかけることもないので私の考えうる限り最善の選択肢だった。
そして最後に、飛び降りという方法は世間に大きな衝撃を与えること。これが一番の理由だった。年頃の娘がビルの屋上からその身を投げ出すという行為は間違いなく世論を掻き立てる。そうすれば、学校で行われたいじめにも目が向いて、第二第三の被害者が現れることの抑止になるかもしれない。
私が世界から消えても《特待生》たちが消える訳じゃない。私という標的を失えば、遅かれ早かれ彼らは次の生け贄を求めるだろう。その流れに釘を刺すことが私にできる人生最期の奉公だった。
このように熟慮に熟慮を重ねて、私はここに立っている。もう後はここから一歩を踏み出して、その身を宙に踊らせるだけだ。
屋上には転落事故防止のフェンスが張ってあるが、長年放置されたそれは朽ち果て、四隅の部分には隙間が生まれている。私はその隙間をするりと抜けて屋上の縁に立つ。死体が発見されやすいように飛ぶ位置は正面玄関の真上を選んだ。
「いよいよだね……」
誰に聞かせるわけでもなくそう呟いて、瞳を閉じて胸元に手を当て呼吸を整える。
最期の刻、まぶたの裏側に浮かんで来るのは数々の優しい思い出たち。
私に優しくしてくれた中学校時代のクラスメート。
とくに親しかった数人の子はいじめが始まってからもずっと私の相談に乗ってくれた。その優しい言葉が、真摯な態度が、どれほど私の支えになっただろう。
(ごめんね。私、みんなに支えてもらったのに倒れちゃったよ。)
そして、誰にも代えがたい母の姿。
学生の時に私を妊娠して、親族から勘当された母。私を産んで数年後に父の浮気が原因で離婚してしまった母。私の子育てと仕事を一人でこなしてくれた母。再婚もせずに全ての愛を惜しみなく与えてくれた母。
私の全てが母で形作られたように、母にとっても私が人生の全てだったのだろう。本当にどれほど感謝をしても足りないくらいの愛を貰ったことは私の人生の幸福だった。
しかし、今私はそんな母を裏切り独りこの世を去ろうとしている。
なんと醜い独りよがり。
もしも地獄があるのなら、真一文字に空を裂き、私は地獄に堕ちるだろう。
私が地獄に堕ちた後、母は一体どうするだろう。
私のために怒るのだろうか。
私のために泣くのだろうか。
私を忘れて生きていくのだろうか。
私が心の片隅に染みのように残るのだろうか。
もしも願いが叶うなら、母には私の全てを忘れて欲しい。それから残りの人生を自分のために使って欲しい。
母の人生は私の存在が狂わせた。だから狂った歯車が外れた残りの人生はせめてまっすぐに歩んで欲しい。心の底から切に願う。
けれども、この願いすらも結局私の独りよがりに過ぎない。
こうあれかしと私が望んだ、私のために都合のいい幻想だ。
(結局、私は最後まで自分のことばかりだったなぁ………お母さんみたいに優しい人には最期までなれそうにないや……)
気がつくと私は胸元に当てた手を着ているブラウスごと強く握りしめていた。
「おっと、いけないいけない……」
慌ててブラウスの皺を伸ばす。たとえすぐに散る我が身とて、今は一端の年頃の少女なのだ。最期まで身だしなみには気を配りたいのが人情だ。
それに私が握りしめていたブラウスの胸ポケットには大切なものが入っている。
それは私の遺言状。私がこの世に残す最後の言葉。
その中身は、ビルの管理者への謝罪から始まり、実名を載せたいじめの告発、友人への感謝、そして母への感謝と謝罪で締め括られている。
私が死んだ後、この遺言状が私をいじめた者たちへの反撃の嚆矢になればいい。ただその一心で書かれた言葉。
胸元を確かめて遺言状の無事を確認し、いよいよその時がやって来た。
学校指定の革靴を揃えて脱ぎ、靴下で死の淵に立つ。靴下越しにコンクリートの冷たさが足を刺す。地獄もこんな風に刺すように冷たいのだろうかという考えが頭をよぎるあたり、私はやはり根っからの臆病者なのだろう。
落下まではあと三歩。三歩進めば全てが終わる。
一歩。迷うことなく足が出る。
二歩。先程よりも歩幅が減ったが足はまっすぐ前を指す。
さあ、最後の一仕事。
三歩。そして私の体は宙に舞う。
刹那、重力の軛を逃れた私の体はしかしそれに抗いきれず、無機質なアスファルトの花と散る。
これで、私の人生は終わりーーー
ーーーそのはずだ。
ならば。
ならば今こうして思考している私の自我はなんなのだろう。
それは単純な理屈だ。
私の足は三歩目を踏み出してなんかいない。
私の足は二歩目を踏み出した状態のまま止まり、屋上に縫い付けられている。
「っ……!あれだけ覚悟したのに、どうして前に進まないのっ……!」
思わず口から溢れた言葉と同時に、熱い液体が頬を伝う。
泣き疲れ、もう枯れ果てたはずの涙があとからあとから湧いてくる。
一体この涙はなんなのだろう。
絶望か。
後悔か。
悲哀か。
憤怒か。
安堵か。
あるいはその全てなのか。
ぐちゃぐちゃになった頭ではもはや涙の理由すらわからない。
ただ一つ明らかなのは、無様に死にぞこなって泣きじゃくっている一人の少女がここにいるという事実だけだ。
「私はっ……自分で自分の運命を選ぶこともできないの?うっ……動けっ、動けっ!」
言葉で自分を奮い立たせ、握りこぶしで太ももを叩く。しかし、足は動かない。まるで屋上のコンクリートと同化したようだ。
「今動かないとダメなんだよぅ……どうして……どうして………」
もはや、自ら奮い立つための言葉すらなく。
私は死の淵で泣きじゃくりながら立ち尽くしていた。
◇◇◇
一体、どれほどの時間をそのまま過ごしたのだろう。
私はまだ同じ格好のまま屋上の縁に立っている。進むことはできず、かといって戻るわけでもないどっち付かずのコウモリ女。それが今の私だ。
先ほど流した涙は既に渇き、心は凪の海のように穏やかだ。
それでも、最後の一歩は踏み出せない。
いや、むしろもとより踏み出す気などなかったのかもしれない。
冷静になって考えれば、私のような臆病な人間が自殺なんてしようと思ったのが烏滸がましかったのだ。身分不相応になけなしの力を振り絞って行動したのがそもそもの間違いだった。何もできない矮小な私は与えられた環境で貝のように耐えるのがお似合いだ。
「………帰ろう。」
今日のことは全て忘れて、明日からまたいつも通り生活しよう。いじめだって長くてあと二年の辛抱だ。それは長い人生の一時にしか過ぎないんだ。私には耐えられる。たぶん、きっとそうなんだ。
だから戻ろう。惨めな私のいるべき場所へ。
心は決まった。
だから後はそれに従って体を動かすだけでいい。
私はもとに戻るため、死の淵から体を翻そうとした。
刹那。
「あっ……」
私の背後から一陣の風が吹いた。
風は屋上のフェンスの網目をするりと抜けて瞬く間に私を包み込む。穏やかで温かい春の風。
風は一瞬私を撫でて、そのままビルの向こうへと抜けていく。その行方を追いかけた私の目に映ったのは隈のないみごとな満月だった。
私の目は丸く見開かれ、その瞳の中に月が溶けていく。
今一歩を踏み出せば、私はあの月にまで飛んで行ける気がする。
吹き抜けた春風が私の心を拐った。
月の光輝が瞳に満ちる。
現実と空想の境界が混ざる。
私の足は先ほどまでの硬直が嘘のように、自然に最後の一歩を踏み出していた。
宙へと踏み出されたその足は、月への道を踏みしめることは決してなく。
私の体は地上に向けてぐらりと傾ぐ。
思い描いたものとは違うけれど、私はちゃんと自分の務めを果たしたのだ。
地面に堕ちるその一瞬、私の口から人生最期の言葉が漏れる。
「もしも生まれ変われるなら、今度はもっと《勇気》が欲しいなぁ………」
私は確かに最期の務めを果たした。
でもそれは、環境に助けられたお陰で自分の力ではなかった。
だからもし次があるのなら、その時は自分の《勇気》で道を拓きたい。
零れたその想いは誰にも届くことなく春風に溶けて、私の体は宙に踊る。
いよいよ地面が迫ったそのときに、私の耳は誰か男の人の叫び声を聞いた気がした。けれどももはや私にそれが何なのかをを確認する術はなく。
そうして私は永久にその意識を手放した。
見てくれてありがとナス!
四月からの転職前の手慰みで書いた作品なので、もしかしたら続かないかもしれないんだ、すまない。
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