1.鳩時計の裏っ側
さて、僕の朝はハトの鳴き声で始まる。ちょうど12回目の鳴き声で目覚めるのだ。
隙間から入ってくる光は淡く人工的だ。常夜灯がついているのだろう。
ベッドから体を起こし、ぐっと伸びをする。パジャマからチョッキに着替えると気が引き締まる。
今日の獲物は食料だ。ついでにお洒落な布なんかもあればいい。僕は洒落者だからね。そろそろ新しいデザインのチョッキが欲しいんだ。
目的が決まれば、そのための準備が必要だ。
大きなリュックサック。手袋に靴。ロープとナイフを腰にくくりつけ、準備は完璧。さあ、出発だ。
ガラガラと回る歯車の隙間を縫うように登っていき、ハトのいる部屋に入る。
「やあ、ホワイトレディ。失礼するよ」
シャイな彼女は決まった時間に決まった回数しか鳴かない。だが、僕にはそれで十分だ。
扉を開けて外に出る。そこには広い広い空間が広がっていた。
大きなテーブル、大きなイス、大きなキッチン、大きな冷蔵庫、大きなテレビ。
そう人間の住む部屋は僕にとってはとても大きい。
頭の上についた耳を澄ませて気配を探る。人間は寝ているようだ。
僕は慎重にカーテンレールに飛び移り、カーテンをつたって床に着地した。
すばやく移動し、キッチンへ。目標は食料。引き出しの取手を使って登り、シンクを覗き込む。シンクの端に細々とした食料が入っていた。
大根の皮、キャベツの葉っぱ、きゅうりの切れ端。ごちそうだ。いそいそとリュックに食料を詰め込む。
さてと、あとは布があればとーー。
顔を上げた瞬間、大きな瞳と出会った。
人間の子供、少女だ。
「なにをしているの?」
少女はきょとんとした顔で話しかけてきた。見つかってしまったならば仕方がない。僕は優雅に礼をした。
「初めまして。リトルレディ。僕はチューと申します。以後お見知り置きを」
「ねずみさんだよね?」
「チューと申します」
たしかに僕はねずみという種族だが、チューという立派な名前があるのだ。
少女はくすりと笑う。
「わたしはミオ。ねぇ、チュー。チューはここでなにをしているの?」
「ミオお嬢さんだね。僕はちょっと冒険をしているんだよ」
「冒険?」
僕は大きく頷く。
「この大きな世界で誰にも気付かれず目的を果たす。それが冒険さ」
「わたしに見つかったわ」
「そうだね。だからお願いがあるんだ、ミオお嬢さん。僕のことは君のご両親には黙っておいてくれないかい?」
そうしてくれないと、僕はここに居られなくなってしまう。
僕のお願いにミオお嬢さんは少し悩む素振りを見せた。
「じゃあ、わたしと遊んでくれる?」
「いいともいいとも」
「じゃあ、黙っててあげる」
僕はミオお嬢さんの手のひらに乗ってミオの部屋へと移動した。
「ミオお嬢さんはこんな時間にどうしてキッチンへ?」
「のどが渇いてお水を飲もうとしたの」
「なるほど」
次からは気をつけなければと心に誓う。
「では、ミオお嬢さん。何をして遊ぼうか?」
「お人形さん遊びよ」
そう言ってミオお嬢さんが持ってきた小さな人間に僕は驚かされた。
「なんてお洒落なファッションなんだ!」
そう着ている服がとてもお洒落だったのだ。小さな女の子がレースをあしらわれたピンクのワンピースを着ている。よく見れば、花びらが細かく描かれておりデザイン性も高い。
「うーん、こんなステキなデザインは初めて見たよ」
「ママが作ってくれたのよ」
「素晴らしい」
ミオお嬢さんは嬉しそうに笑うと人形を抱きしめた。人形遊びに付き合わないといけないと頭では分かっていたが、どうにもそわそわしてしまう。
「ミオお嬢さん、ちなみにその布は余っていないかい?」
「え?」
我慢がならずに聞いてしまう。僕は新しいチョッキを作りたいのだ。
「ほんの一切れでいいんだ。人間には小さすぎて使い道のないような布切れで構わない。どうか譲っていただけないだろうか?」
ミオお嬢さんは少し考えるような仕草をすると、「ちょっと待ってね」と机の引き出しをごそごそし始めた。そして、歪な形の小さな布切れを取り出した。
「これはもう使えないからあげる」
「ああ! ありがとう!」
もらった布切れをリュックに詰めてほくほくと笑う。ミオお嬢さんとは目一杯遊ばなくてはならない。
僕はお人形のナイトとして精一杯演技をした。
ひとしきり遊んだ後、ミオお嬢さんがうとうとと船を漕ぎ始めた。
「ミオお嬢さん、そろそろ眠るといい」
「……うん。チューは?」
「僕は家に帰るよ」
「お家はどこなの?」
「それは秘密さ」
大きく膨らんだリュックを背負って立ち上がる。
「ああ、そうだ。ミオお嬢さん。最後にひとつだけ」
「なあに?」
首を傾げたミオにウィンクをひとつ投げる。
「鳩時計の裏っ側は、決して覗いてはいけないよ?」
おわり