6話 期待の新鋭、その名はコムギ?
プルプル
小刻みに震えている様は生まれたての子犬を連想させる物体、スラ犬は円らな赤い瞳でコムギを見上げる。
「おい、男なら一踏みで倒せる相手なんだぞ? お前でも何度か踏めば……」
「むりぃ!!」
隆二が何をしてるんだ? と顔を顰めながら言ってくるがコムギはスラ犬を凝視して両拳を胸の前に持ってくるようにして何かに耐えるような仕草でイヤイヤするように体を左右に振る。
頑ななコムギを見てどうしたものかと隆二が隣にいるフレイドーラを見る。
「スラ犬以下のモンスターは存在しないし、『宣託の儀』で得た力ももうそんなに維持するのは無理だぞ?」
続けて酒代と言って咳払いをするフレイドーラであったがその先の言葉は飲み込む。
何を一番心配しているかはともかくコムギの得た力を維持する時間というリミットは本当に近づいていた。
隆二とフレイドーラが呆れを隠さない視線に晒されるコムギは絶叫する。
「コムギ、絶対むりぃ! こんな可愛い生き物を殺すなんて!!」
「はぁ?」
コムギの言葉に肩を片方カクンと落とす隆二はマヌケな声を洩らす。
女神ノ学園でそんな理由で戦いを拒否する話を聞くのは珍しい。ここの門戸を叩く者は叶えたい願いがあり、戦いを受け入れた者がやってくるからである。
「はっはは、やっぱりママ以外はみんな愚か……と言いたいけど、コムギちゃんがここに来た経緯が僕達と違い過ぎるからね」
「そう言われてみればそうか……しかしな」
スラ犬とお見合いするようにして動かないコムギの背を見ながら、そういう覚悟がない女の子が可愛いモノを殺す事に忌避を感じるのは普通かもしれない事をここに来る前の生活を思い出して頭を掻く。
フレイドーラも聡の言葉を聞いて理解したようで嘆息する。
「倒せない、というなら元の世界に強制送還させるしかないのだが……」
「それもイヤァなの!」
「面倒くせぇ……」
もう付き合ってられないとコムギに近寄る隆二はスラ犬に向かって足を上げて踏む体制に入る。
隆二の行動に目を見開くコムギを見て隆二は告げる。
「コイツ等は倒しても倒していくらでも沸いてくる。何度か俺が倒してやるから見て慣れろ」
そう言うと躊躇なく上げた足をスラ犬に下ろそうとする隆二。
隆二の行動に背を押されたコムギが慌てて屈んでスラ犬を胸に抱き抱える。
「だめぇ!」
「「「あっ」」」
コムギがした行動を見た3人の言葉がはもる。
涙目のコムギがキッと隆二を見上げてくるのをヤレヤレという思いを隠してない隆二が見返す。
「スラちゃんは殺させない!」
「名前も付けてたのかよ……」
「しかも僕のあだ名と被ってるのが凄く気になる」
心外だ、と首を振る聡だが、単純にコムギのネーミングセンスが乏しいだけだろうな、と隆二は溜息を零す。
しかし、一番の問題はそこではない。
フレイドーラは咳払いをしてコムギの背に向かって話しかける。
「我がここに来るまでにした注意事項を聞いてなかったようだな?」
「ほへぇ?」
フレイドーラの言葉に本当に聞いてなかったコムギは目を泳がせながら首だけで振り返る。
その様子を見て、やっぱり聞いてなかった事を知ったフレイドーラは簡単に説明する事にした。
「我がした説明はスラ犬は最弱モンスターで人を殺害するのは基本無理だ。口鼻を塞がれて窒息死にでもならんとな」
窒息死も濡れたタオルを顔にかけられたと同じように振り払えない状態でもないと起こり得ない事態であった。
「だが、そいつの生態は特殊なのだ。人体に被害を与えない代わりに汚れや繊維質を好む習性がある」
「やっぱり良い子!」
フレイドーラの説明を受けて「コムギ大勝利」と嬉しそうにするコムギを見て隆二はかける言葉も見つからないとばかりに天を仰ぐ。
そんなコムギ達を見て頷くフレイドーラは虚空に手を突っ込み、手を引き出すと綺麗に畳まれた女物の学生服の上に小さな巾着袋を載せた物をコムギに差し出すように見せる。
「渡された時は首を傾げたのだが、学年主任、ヨルズ先生に感謝だな。制服と下着を預かってある」
「どうしてこんなところで着替え?」
訳が分からない様子のコムギに隆二はスラ犬を指差す。
「フレイドーラ先生は言っただろ? そいつは汚れと繊維質を好むって……お前が着てる、そのシスター服は何から出来てる?」
隆二にそう言われたコムギは目を見開いてプルプルと震えながら隆二が指差す先にゆっくりと目を向ける。
向けた先には透明なスラ犬を通して見えるコムギの胸元の服が溶け始めており、胸の全容が見える間際であった。
状況に気付いたコムギが悲鳴を上げてスラ犬ごと抱え込むようにして蹲る。
「見ないでっ!!」
「うん、見ない、見ない」
顔を真っ赤にして必死なコムギに軽い返事をする隆二は本当に未練も感じさせない様子でフレイドーラが居る側に戻り、コムギの背を見る側に行く。
コムギがウゥー、だとかムムゥーと情けない声を洩らし、しばらくその状況が続き、背後から見ているとスラ犬の融解が進んで背中越しでも肌色が見え始める。
背後から見える耳も真っ赤なコムギの姿を眺める隆二と聡は顔を見合わせる。
「前に女騎士がスライムに纏わり付かれて身を悶えながら頬を染めてるのを見た時、ドギマギしたんだが……誰でもいいって訳じゃないんだな」
「あったね、隆二、顔を真っ赤にしてた」
以前、受けた依頼で同行した女騎士がそういう状況に追いやられた時があり、それを思い出した隆二がフムと頷く。
そんな馬鹿話をする隆二達を余所にコムギの隣に近寄るフレイドーラは目を瞑りながらコムギの手が届く距離に預かっていた学生服一式をそっと置く。
「そろそろ決断せんと全裸になるぞ?」
「――っ!?」
フレイドーラが話しかけてから間もなく、コムギは試練をクリアする。
訓練用ダンジョンから出て行こうとする隆二達には見慣れた女子用学生服ではあったが着せられた感が拭えないコムギの姿が追従するように歩く。
決して目を隆二達に合わせないようにしているコムギをチラリと振り返る隆二と聡。
「女って可愛いやら言ってても一瞬で非情になれるもんだな……ある意味、尊敬するわ」
「はっはは、女の子の絶対は絶対であって絶対じゃないってママが言ってた」
「深いな……我もヨルズ先生達と出会ってから実感し始めたところなのにな」
男達3人は女のいくつもある深淵の1つを覗き、知恵を付けた。
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表に出るとコムギ待ちしてたと思われる学生達が一斉に目を向けてくる。
そのぎらついた視線にビクッとするコムギに駆け寄る学生達に隆二と聡は弾き出されるようにしてコムギを囲む。
話しかけられて困っている様子のコムギを見て、聡が隆二に言う。
「コムギちゃんの面倒を見るのはここまでかな?」
「だな、面倒だったがアイツも俺達と違うパーティに入った方が先があるしな」
ワタワタしてステータスチェックを急かされるコムギを見る2人の視線には少し寂しさがあった。
女神ノ学園に入園して2ヶ月経った隆二達であるが、ずっと2人で行動してきたので少しの時間でもメンバーが増えたようで楽しかったという思いはあった。
そんな2人を余所にコムギを中心は賑やかに騒がれていた。
騒ぐ学生達を押し留めるようにするフレイドーラがコムギに告げる。
「知りたいと思いながらステータス、と言ってみろ。そうしたら頭の中に文字が浮かぶはずだ。それがお前の能力だ」
「えっと、ステータス?」
フレイドーラが言うように言ったコムギがびっくりしたような顔をした後、目をパチクリさせながら呟く。
「空腹の女神の御手?」
「ふむ、それは『宣託の儀』で得た能力だろうな」
「ねえねぇ、もう1つあるでしょ? そっちが重要なのよ!」
コムギを必死に勧誘していた女だけのパーティだと言ってた者が詰め寄るように顔を近づけてくる。
その気迫にビビりながらも虚空を見つめるようにして言葉を紡ぐ。
「えっと、えっと……どりる?」
コムギの言葉、「どりる?」を復唱して首を傾げる学生達。
フレイドーラに使いたいと思うように言われて素直に頷いて口をへの字にして力むようにするとコムギの右手がドリルになる。
変化した右手をその場にいる者達が凝視するなか、コムギのドリルがクルクルと廻り始める。
その後も加速する事もなく一定の速度で廻るドリルを見つめていたがフレイドーラが廻るドリルを素手で掴む。
掴むとあっさりと止まるのを見て頷くフレイドーラ。
「ただ廻ってるだけのようだな」
シーンと静まり返る場。
そして、1人、また1人とその場から離れて行く学生達。
状況が分からず、「えっ、えっ?」とワタワタするコムギを眺めるフレイドーラはその場に残る学生が2名、隆二と聡だけになるのを確認した後、隆二達に目を向ける。
「高田、面倒を見てやれ」
「謹んでお断りします」
半眼で本気で嫌そうに言う隆二と現実から目を逸らすように母親の写真に語りかける聡。
そして、隆二の足に縋りついてアンアンと号泣するコムギの鳴き声が訓練用ダンジョン出入口で響き渡った。
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