7話
天井についた空調機がゆったりと回っていると、時間そのものがゆっくりと流れてるように感じる。夢の中にまだいるんじゃないかと思ってしまう。ロクロ―が目を覚ましてからそんな風な事を考えていた。仰向けになった自分の体を支えている冷快な寝床の温度を感じながらそう思い更けていた。
考えていてもしかたないから、体を動かそうとすると、寝床がぶよぶよと柔らかく反発して、どうにも身動きが取れない。それでも首だけでも起こして周りを見ようとしても、寝床が意思を持ってるかのように変化して体勢を全く変えることができない。じれったくなり、乱暴に体を動かして暴れようか、もしくはと考えていたが、どうにもそんな気持ちたちが強く長くも持てなかった。なにより今の状態が心地よいため、諦めたように全身の力を抜いてゆったりと体を楽にした。そうやってダラダラしていると、ハルがやってきた。ロクロ―はハルを注意深く見た。さっき左手の甲にかすかにあった傷跡が身体を侵しているようにその左手全体から顔の付け根まで、大きく広がっていた。その傷跡は火傷のように水膨れのように凹凸があったが、色味が真っ黒で生気を全く感じない。その部分だけは服のような無機質をロクロ―は感じた。
「もう目を覚ましたのか――あ、いい、起きるな。頭に衝撃が入ったからしばらくじっと寝ていろ。どこまで覚えてる?さっきまで、俺と軽く戦っていたこと覚えてるか?」
「うん。それは覚えてる」
「戦いの内容は?」
「わからない。俺、やられたの?」
「ああ。だとしても、そこまで頭に傷がいっていないのか、頑丈だな」
「へ?」
「人間ってのは頭に脳みそがあって、そこを揺さぶれたりして傷が入ると体も動かせなくなるし、記憶も飛ぶんだよ。でもその調子ならもうちょいしたら動くこともできるさ」
「へー、その首の、黒いそれなに?」
「あーこれはいろいろあってな、説明できないわけじゃないんだが……あんまり説明がうまくできなくてな」
「……ふーん」
ロクロ―はその話を聞き流しながら、全身に力を入れた。すると、体の周りに柔らかな淡い緑色の靄が全身を包み込み、やがて靄は頭の方へ移動し、頭の中へ消えていった。
「驚いたな。回復まで使えるのか」
「え?」
「それだよ、それ」
「ああ、うん。これね、回復って言うんだ」
「……知らなかったのか?」
「うん、だってそんなこと教えてもらってないし」
「山育ちだからか?いや、その前にお前、火の国出身か?」
「わかんない」
「そうか……」
ハルは髭を左手でさすりながら、ロクロ―をじっと見ていた。ロクロ―はそんな視線など気にせずに手早く元気になると、弾けるように起き上がった。そして、今まで寝ていた寝床を見ると、少し納得がいったような顔つきになった。透明度はほとんどない青色のスライムがロクロ―の視線の先でブルブルと揺れていた。
「スライムだったんだ」
「ああ、そうだ。気持ちよかったろ?」
「うん、ありがと」
ロクロ―はスライムの傍に行き、青色の肌を丁寧にさすった。スライムはさっきよりのびやかに揺れた。
「その、……俺をどうするの?……食べるの?俺おいしくないよ」
「は?」
「俺を殺さなかったのは一旦とっておいて、食べるためじゃないの?」
「食べるわけないだろうが、どんな生活を送って来たんだよ」
「だから、山で一人で生きてきたんだって」
「いやな、それ嘘だってわかるぞ」
「嘘じゃない」
「ああ、そうだな嘘じゃないかも知れないな、だがお前は俺と戦った時に炎魔法を使っただろ、それが証明だ」
「それがどうかしたの?」
「あの黄金の炎は竜の魔法だ。俺が知る限り、魔法使いですらあれは使えない。つーか出す事自体不可能だ。あーつまりはあれだ、お前、竜と一緒にいて魔法を教えてもらったな?それもかなり長い間、何年も一緒にいたはずだ。」
「いや、別に」
「お前から感じた魔力は正直、そこらのボンクラ魔道士どころか魔法使いを超えてる。というか、人間が持てるモノじゃない。魔力の量と質を伸ばすためには昔から魔法を使って魔力が入ってる容器をでかくする方法があるが、それ以外にも魔力があるやつと一緒にいると勝手に伸びて引き上げられるんだよ。お前はおそらく竜と一緒にいて魔力の質、量ともにそこまで引き上げられたものだろう」
「それは知らなかったけど、俺は竜なんて知らないよ」
「俺は竜と戦ったことがあるから知っているんだ。あの魔法の類は竜しか使えん。この腕はそれで失くしたからな」
ハルは右肩をぐりんと回し、ロクロ―に見せつけるように空っぽの服の袖がゆらりと揺れた。
「だから、俺は知らない」
「……そうか、ならいいや。お前さんが知っていようが知らなかろうがいいことだ。だがいずれバレる」
「何が悪いの?」
「今日みたいに魔法を使ってたらバレる日が必ずくる。そうすればお前さんは冒険者じゃいられなくなるぞ」
「なんで?」
「これほどの魔力があったら国のお偉いさん達が黙ってないからな。魔法使いの勧誘、仲間になれといってくるぞ、そうして拘束されて自由を奪われる。従わなければ殺される。他国に行かれて敵になっても困るからな。そして、もっとも重要な事は、お前さんを殺すのは意外に簡単できるということだ、今日みたいにな」
「それなら魔法を使わずに戦っていくもん」
「確かにお前の身体能力はそんじゃそこらにいるようなやつなら圧倒できる。だが、それも雑魚相手だけだ、いずれ行き詰る。強い魔物や、お前には手に負えない戦う技術を持っている奴が襲ってきたりしたら、まず無理だ。それでお前さんは死ぬ」
「……」
ロクロ―はしばらく追い詰められた小動物のような表情のままハルの事を見詰めていた。ハルも眉をややしかめた目でロクロ―の様子を見ていた。
「こらこら、なにしてるの?いじめ?」
ふと二人の緊張を切る声がした。いつからそこにいたのか褐色の肌に黒髪をなびかせた整った顔立ちの少女がハルの後ろにいた。ゆったりとした紺色のローブを着ていて体の線が見えないが、首周りが細く華奢な少女だ。その日緋色の目は澄んでいて、この少女の生命の力強さを感じさせた。
「アンリ、俺は優しく諭してるんだぞ?」
「どうみてもいじめてました。だめだよ、め!」
「いやな、そういうことじゃなくてだな」
「もっと言い方があるでしょうが!そんなにねちねちと情けない!」
ロクロ―は呆然としてハルとアンリと呼ばれた少女を見ていた。あのハルが、少女に頭が上がっていない様子が不思議でたまらない。そして、いきなり緊張が途切れたもんだから、どういう表情したらいいのか、どういう動き、話をすればいいのかわからず、ただじっと二人の会話を聞いていた。ただ緊張の糸が緩んだためか、少しだけ居心地がよくなり、顔に怯えがなくなったようだ。
「ったくいっつもこうなんだから。あ、ごめんね、私アンリ。あなたは?」
「ロクロ―」
「ごめんね、うちのハルが怖い事して、怖かったよね」
「いや、アンリ、俺はな」
「ハル?……それでよろしい。それで何でロクローくんはここにいるの?」
「それは……」
ロクロ―がたどたどしく説明を始めた。それを聞いているアンリの顔は少しずつ尖っていく。一方のハルはどこ吹く風か、スライムをポンポンと叩いて暇を弄んでいる。
「へえ、それで戦ってねえ……ハル、どういうこと?」
「いやな、それはな、その、戦って分かり合おうと」
「どこの世界に戦って分かり合う人間がいるのよ!」
「人間にも色々なやつがいるだろ?つまりはそういうことだ」
「何言ってるか、わからないわよ!どうして私を呼ばないの?」
「いやなあ――」
「どうせ、久しぶりに戦いたかったとかいうんでしょ」
「ああ、わりと楽しめた。こいつは筋がいい。鍛えればいい戦い手になる」
「もうだめだわこの人。ごめんね、ロクロ―くん、うちのハルがバカで」
「ああ、ううん、べつにいいよ。その……俺もじろじろと家見てたし、悪いというか、その」
二人の熱量に、正確にはアンリの怒涛の勢いにロクロ―はついていけずに、おろおろしてるところにいきなり会話を振られると言葉がすぐには見つからなかったが、勢いのあるアンリの標的にならない程度の言葉を探り探り発した。自分がハルを擁護してるかのような物言いをしている自分に少し腹を立てながら、アンリの表情をつぶさに観察しながら喋った。日緋色の目はロクロ―に向けて、ただ真っすぐに向いていた。
「きっちり後で言っとくから、安心して」
「ああ、うん。あの……魔法使いにされるってそんなにまずいの?その冒険者をしながらできないの?」
「それね。それは本当。まず拘束されて行動全部がこの国の思いのままに動かなければならなくなるの。そりゃ多少の自由は利くでしょうけど、さすがに冒険者はできないと思う」
「そっか……」
ロクロ―は少し悩んだ。確かに自分の全力が出せないとなると、かなりまずい。その前に、それ以外の戦い方を知らない。どうしたらいいだろう
「ねえ、なんでそんなにボロボロの服を着てるの?」
「え?ああ、それは口減らしにあって、山で暮らしていたからだよ」
「ええ、それはよく生きてたわね」
「それはうそだって――」
「ハルは黙ってて」
「……」
「これからどうするの?」
「いや、山に帰ろうかなと思ってて」
「え、宿とか借りてないの?」
「うん。そういうのよくわかんないし」
「よくわかんないって……」
「なんというか、その……俺、何にも知らないんだ。お金のことも人のことも街のことも、悪い事もしていないのに、ただそこにいるだけなのに皆、俺を襲ってくるし、もう嫌だし、だから冒険者組合にはこれからも行くけど、寝泊まりは山にしたほうがいいのかなと思って」
「……ねえ、ロクロ―くん、うちに泊まっていかない?」
「おいちょ――はいはい、わかったよ。黙ってますって」
「ええっと」
「大丈夫、ハルには何もさせないし、私たちはあなたに無理にとはいわないから」
「何もしない?」
「うん」
ロクロ―は迷っているようだった。ハルとアンリを交互に見た。ハルはロクロ―と目を合うとアンリの方に目線を流した。アンリの方を見ると、変わらずにこちらを真っ直ぐに見ていた。その黄金にも似たその目に懐かしさを覚えた。
信じてもいいのかもしれない。
「その、お世話になります」
ロクロ―は頭を下げた。アンリは少し、きょとんとしたが直ぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「ようこそ、私たちの家へ」