やりたい放題
タイトル通りの物語を書こうとしたんですが、出来上がったものがこれです。おかしいなあ……。
「はあ……これからどうすればいいのかしら」
腰かけるとぎしぎしと音を立てる宿屋の安ベッドの上で、ユフィーリアは深いため息をついた。
実はこのユフィーリア・コンストラッドは、この王国で王家に次ぐ権力を持つコンストラッド公爵家の長女であった。ただし、「元」だが。
ユフィーリアは幼いころにこの王国の皇太子であるヴォワール第一王子と婚約を結んだ。そして貴族の子弟が通う王立魔術学園を卒業したその日に正式に結婚の契りを交わすこととなっていた。
けれど結婚式が挙げられることはなかった。ヴォワール王子が先日の卒業パーティーで、突然ユフィーリアとの婚約破棄を宣言したからである。「ユフィーリア嬢に下級生いじめをはじめとした数々の疑惑がある。王家の婚約者としてふさわしくない」という理由で。
これはユフィーリアには寝耳に水の話だった。ヴォワールはその場で長々とユフィーリアの疑惑について述べ立てたが、そのうちに思い当たるものは一つもなかった。庶民の出の下級生をいじめたという話も、他の男子と不純な交友関係を持っていたという話も、すべて。むしろユフィーリアは庶民・貴族に関係なく下級生の前ではよき模範となるように振る舞ってきたし、王子に誤解されないように男子生徒との関わりは最小限にとどめていたというのに。
けれど「ユフィーリアからのいじめを受けた」という下級生や「ユフィーリアと関係を持った」という男子生徒といった証人が次々とその場に現れ、反省の弁を述べ、ユフィーリアを糾弾した。次第にパーティーの一般参加者たちもユフィーリアを非難し始め、冤罪だというユフィーリアの主張は誰にも聞き入れてもらえなかった。
結局、ユフィーリアは魔術学園を卒業直前に退学させられ、さらにコンストラッド公爵である父から勘当を申し渡された。お前は一家の恥だ、これから私に表社会でどういう顔をして生きていけというのだ、という罵倒と共に。
そしてユフィーリアは慈悲としていくらかの路銀を与えられ、ひとりの従者を付けられて家を追い出されてしまった。そして従者の勧めで宿泊料は安いがそれほど治安の悪くない場所の宿屋に部屋を借り、あまりに急すぎる事態の変遷にどうしてこうなってしまったのかと困惑しているのだった。
と、そこでドアが開き、従者のマリーが息を切らして部屋に入ってきた。
マリーはユフィーリアが公爵家の娘だったころの専属の侍女で、幼いころからよく仕えてくれていた。聞くところによると今回の事件の際も「お嬢様がそんなことをなさるわけがない」と擁護し、また従者としてついて行くと自分から申し出てくれたのだという。
ユフィーリアはマリーに静かにたずねた。
「どうしたの、マリー。そんなに急いで」
「お嬢様……! これをご覧ください!」
そう言ってマリーが手渡してきた新聞には、「ヴォワール王子、ウェステリア・ロワ侯爵令嬢と婚約す」との大きな見出しが一面を飾っていた。
「ユフィーリア様! 今回の事件はきっと、ウェステリア嬢と婚約するために起こされた陰謀に違いありません! 昨日の今日で婚約の決定なんて、おかしいに決まっています! 事態に困惑し、ユフィーリア様に同情的な貴族たち
もまだおります。声をあげれば、もしかしたら……」
その必死のマリーの言葉にユフィーリアは微笑で返す。
「いいのよ、マリー。もういいの」
「そんな……!」
「きっとヴォワール様は政略結婚ではなく、真に恋するお相手と結ばれたい、その一心だったのでしょう。私が声をあげても、ヴォワール様の気持ちが私に向くことはもうないし、いたずらに騒ぎを大きくするだけだわ」
「ヴォワール殿下のお気持ちなど関係ありません! 問題は、なぜそのためにユフィーリア様がこんな目に遭わなければならないのかということです! 自身の恋のために人に罪をかぶせて追放だなんて、そんな……」
「マリー」
静かな声だったが、ユフィーリアの声には有無を言わせぬ力強さがあった。
薄汚れた、ほこりの落ちた床に目を落としながらユフィーリアは続けた。
「もう一度言うけれど、もういいの。本当は、ヴォワール様のことを今さら蒸し返してほしくないの。思い出すだけで辛くなるから……」
「ユフィーリア様……」
マリーはそれ以上何も言うことができず、黙り込んでしまう。
しばらくの沈黙の後、ユフィーリアが口を開いた。
「それより今は、これからどうやって生きていくのか考えないといけないわ。まずは仕事を探さなければいけないわね。それと、『ユフィーリア』なんて仰々しい名前は変えないと。これからは『ユフ』と呼んで頂戴」
「はい……ユフィーリアさ……いえ、ユフ様のおおせのままに」
「本当に貴女は私のことをよく思ってくれているのね、マリー」
ユフは優しい眼差しでマリーを見つめる。マリーは口を開かない。表情からはユフに降りかかった理不尽な不幸に怒り、そして自分の無力さにこの上ない悔しさを感じていることが見て取れた。
ユフはそんなマリーを慰めるように声をかける。
「でもね、私、いまは少しわくわくしているの。こんなことを言ったら貴女は怒るかもしれないけれど……」
「えっ?」
「きっとこれから、コンストラッドの家に居たときには出会えなかったものをたくさん見ることができるでしょう? この安い宿屋の古ベッドも、薄汚れた壁もそう。さっき通ってきた街の市場、露店、いろんなお店も物語の中でしか見たことがなかったわ。いまこの眼に映るもの、この手で触れるものひとつひとつが、私にとって新鮮で、なんだか不思議とおもしろいの」
ユフはそこで言葉を切り、マリーを見上げる。
「ねえ、マリー。あなたはどうかしら?」
マリーはしばらくユフを見つめたあと、そっと目を伏せて答えた。
「……わたしには見慣れた風景ですから。でも、ユフ様が楽しんでいらっしゃるなら、マリーは何より幸せです」
「ありがとう。こんな素敵な従者がそばにいるんだもの、これからの生活だってきっとどうにかなるわ」
ユフィーリアはくすくすと笑いをこぼし、つられてマリーも少し笑った。そこでマリーは表情を真剣なものに切り替え、口を開く。
「ユフィ―……ユフ様、これからの生活のことですが。職業紹介所に行って、何かユフ様でもできる仕事を探しましょう。手元のお金でこれから1カ月は暮らしていけるお金があります。それだけの期間があれば、待遇のひどい仕事を受けなければならないことはないでしょう。本当はわたしが二人分の食い扶持を稼げればいいのですが……」
無念そうな顔をするマリーに、ユフが何かを思い出したように手を打つ。
「そうだわ! 私、一度でいいから冒険者になってみたいと思っていたの!」
「冒険者……!? そんな、危険です! いくらなんでもそんなことは……」
「庶民の出の方たちがあれこれと語っているのを聞いて、どうしても一度やってみたいと思っていたの! 幸い私は魔法が使えるし、王立学園を出たなら立派に冒険者として通用する、って聞いたことがあるわ」
「それはそうですし、ユフ様の魔法はおそらく申し分ないレベルでしょうが……。冒険者なんて……」
「……お願い、マリー。一度でいいから。ダメかしら?」
上目遣いでお願いしてくるユフに、マリーは「駄目です」と強く言うことがどうしてもできなかった。
しばらく逡巡した後、マリーは諦めたように息を吐いた。
「……危険のない、初級のクエストをやるだけやってみましょう。私もついて行きますから、きっとどうにかなるでしょう」
その言葉でユフの顔に、ぱっと花が咲いたように笑みがはじけた。
「そうと決まればさっそく明日にでもギルドに行きましょう! ああ、楽しみだわ!」
実は口にした後やっぱり止めようかとマリーは思っていたが、うれしそうにはしゃぐユフを見るとそれ以上何も言えなくなってしまうのだった。
――翌日。ユフとマリーは冒険者ギルドで、登録の受付のための「鑑定」を受けていた。
登録は氏名・年齢などの情報の届け出のほかに、ギルドお抱えの「鑑定」スキル持ちによる能力診断が行われる。この診断をもとに、冒険者志望たちは自分がどの分野に適性を持っているのか、ある程度のレベルまで知ることができるのだ。
「鑑定」には10分ほど時間がかかり、その間は椅子に座ってじっとしていなければならない。まず、マリーが鑑定をしてもらうこととなった。
「ジェイステイルさんは『武闘』の方面にそこそこの才能をお持ちのようですな。それも剣などの武器を使わない、拳闘において」
ジェイステイルはマリーの苗字だった。鑑定結果を聞いてユフは「マリー、すごいじゃない!」と目を輝かせていたが、当のマリーは見るからにがっかりしていた。
「どうしたの、マリー? なにか不満があるの?」
「不満というか……『拳闘に優れる』ということは身体能力が高いことを意味します。でも、戦闘には不向きなんですよ」
マリーが説明したところによると、基礎能力が高くても実戦では武器が必須になる以上、『剣技』など何らかの武器の扱いに特化した人間の方が対人でも対モンスターでも強いのだという。『拳闘』持ちが強いのは武器不使用というルールでの武闘大会など、限られた場だけであると。
「これではお嬢様を守れないし、サポートできませんね……」
「いや、そんなこともない……かもしれませんぞ?」
落ち込んでいるマリーにそう言葉をかけたのは、鑑定師だった。
「貴女はどうやら『令嬢の味方』というユニークスキルをお持ちのようです」
「『令嬢の味方』……? 私はたしかにお嬢様の味方ですが、スキルとは……?」
「神託には『令嬢が苦難に遭ひしとき、共に寄り添え。さすれば彼女を守るための祝福が与えられん』と……」
「はあ……」
よくわからない結果を告げられ、マリーは困惑していた。それを見て鑑定師が続ける。
「ユニークスキルはスキルデータベースに未登録のスキル……すなわち『性質が分からない』ことこそが特徴でありますからな。しかし、その分無限の可能性を秘めている、とも言えますのじゃ。神々の恩寵たるスキルはかなりの部分が発見されてから1000年経った今もかなりの部分が未解明じゃが、貴女のスキルこそがこの世界に革命を起こす、そんな存在かもしれませぬぞ」
「『令嬢の味方』がですか……? 名前からしても大したものには見えませんが……」
「……こほん。まあ、これからスキルの解明につとめて下され。王立研究所に報告すれば報奨金も出ますぞ。……では次は、ええと、ユフ・ストラースさま、ですかな?」
ユフはもともとの苗字であるコンストラッドの代わりに「ストラース」という庶民に多い名前を使うこととしたのだった。咳払いで鑑定士に疑問をごまかされたマリーのじっとりとした視線とは対照的に、ユフの鑑定師に向けるそれは憧れとわくわくに満ちていた。
10分ほど経って、鑑定結果が出た。
「おお……! ストラース様は、魔法、それも大地の魔法に非常に秀でていらっしゃる……! そればかりか、これからも伸びる余地が大きくある、と出ておりますじゃ! これならB級冒険者も夢ではありますまい!」
「当然です。ユフ様なのですから」
ふふん、と鼻を高くするマリーを横目に、ユフは続きを辛抱強く待っていた。大地の魔法が得意なことは学園に通っていた時の成績で分かっていたが、自分にもマリーと同じ『ユニークスキル』なるものがないものか、どきどきしていたのだ。
「な、なんと! これは……!? ストラース様もユニークスキル持ちじゃ! 名前は……」
「えっ! そ、その、名前はなんですか?」
ごくり、と唾を飲むユフとマリー。そのふたりに、鑑定師は戸惑いの表情を浮かべながら告げた。
「――『政略結婚』ですじゃ」
「はあ?」
「えっ?」
「『本来は禁忌なるも彼のものには許されけり。対となる相手を見つけよ、さすれば道は開かれん』……って、いったいどういうことなのかしら」
「マリーにも全く分かりません。『政略結婚』だなんてそんな……。確か、学園でも進級時に『鑑定』はされるんですよね? その時にはなかったんですか?」
「ええ、だからこの1年ほどの間に発現した、ということになるわね」
「そうですか……。あっ、ひとつ見つけました」
ふたりは今、初級クエストである近くの山での魔法薬材料の収集に精を出しているところだった。このあたりは人里に近く、危険なモンスターは現れないためマリーがOKを出したのだ。冒険らしくない仕事にユフは少し不満げだったが、意外にもついこの間まで貴族令嬢だったとは思えないほどにこの仕事を楽しんでいた。
「あっ、私も見つけた! ねえマリー、見て! 見て!」
「これはよく似ていますが、違う種類の雑草です。残念ですが」
「そんなあ……」
ユフはこうやって一つ目的物らしきものを探し当てるたびに大はしゃぎする。そんな風に楽しそうなユフを見ていると、マリーはほっと安心するのだった。
「こうして汗を流すのもなかなかいいものね」
「しかし、このあたりはほとんどとり尽くしてしまったように見えます」
「そうね。どうしましょう、まだ請け負った量には足りないけれど……」
「一部でも納品すればその分の報酬は手に入りますが、ここで終わりにしますか?」
「いいえ、もう少し続けましょう。もう少し奥に行けばまた群生地があるでしょうから」
「わかりました」
草むらをかき分けて山の奥の方へ入り、歩みを進めていく。しばらくすると、いつのまにか木の種類がさっきまでとは変わっていることにマリーが気づいた。さっきまでは背の低い針葉樹が生えていたのだが、いつの間にか葉の生い茂った背の高い広葉樹の中へ入り込んでいる。陽は葉に遮られて辺りは暗くなり、虫が多くなり始めた。
実は、最初に採集していた場所はすでに山の奥深いところだったのだ。もちろん受注時に職員から注意を受けてはいたが、ユフもマリーも初めて来る山であって地形をよく分かっていなかったことが二人にとっての不運だった。
マリーとユフはほぼ同時に足を止めた。二人とも異様な雰囲気に気づいたのだ。
「ユフ様、引き返しましょう。この辺りの雰囲気はちょっと、怖いです」
「そうね、私たち、少し奥へ行き過ぎたのかも……!?」
「ユフ様?」
どうかしたのですか――というマリーの次のセリフは、ユフの詠唱にかき消された。
「『母なる大地を司る精霊よ、我に力を貸せ。大地に根差す草木たちを動かし、彼の者を捕らえたまえ!』」
ユフの詠唱によって地面からにょきにょきと蔓が顔を出し、驚いてその場に伏せたマリーの上を通過して、10mほど先の木に絡みついた。
蔓に絡みつかれた木がみるみるうちに姿を変え、一匹の狼の姿になった。
狼は絡みつく蔓から出ようともがきながら、森の中をつんざくほどの声で高くいなないた。
「まずい……! マリー、こっち! 逃げなきゃ!」
「えっ!?」
「いいから早く!」
ユフがマリーの手を取って駆けだす。と、先ほどの高いいななきが、いつの間にか反響するように周り中から繰り返し繰り返し聞こえてくることにマリーは気が付いた。
「ユフ様、これは……!?」
「ウッデンウルフよ! 学園の魔獣生態学の授業でやったの! 普段は魔獣特有の擬態で樹木の姿で森の中に潜み、それで……」
「それで……!?」
「なわばりに獲物が入るといななきで仲間に知らせるの! それで集団で襲ってくるの!」
そう言われて振り向いたマリーの眼に、二人を追いかけてくる狼の群れの姿が映った。まだその姿は小さいが、だんだんと大きくなってきている。
「どうしましょう……! このままじゃ追いつかれます!」
「とにかく逃げなきゃ! さっき採ってた場所まで行ければ……!?」
そこで二人が目にしたものは、前方からこちらに駆けてくる数頭のウッデンウルフだった。
「そんな……!?」
マリーが悲鳴に近い声をあげるが、ユフは冷静さを失っていなかった。
『母なる大地を司る精霊よ、我に力を貸せ。土よ、礫となり彼の者たちへ降り注げ!』
詠唱直後、地面から現れた無数の土の塊がウッデンウルフたちを襲う。
『土よ、そびえ立つ壁となり彼の場所に姿を現せ!』
前のウッデンウルフは土の礫に怯み、後ろの群れは土の壁で足止めを食らう。その隙に脇をすり抜けて引き離すが、しばらくするとウッデンウルフたちは一つの群れになって追ってきた。
息を切らしながらユフが言う。
「ごめんなさい、マリー……。私が冒険者になりたいなんて言ったばっかりに……」
「そんな……! お嬢様のせいではありません! 危険を見極められなかった私こそが……」
そこでマリーが急に足を止める。
「マリー!?」
「私はここで奴らを食い止めます! どうか、お嬢様だけでも……!」
「そんな、ダメ!」
つられてユフも足を止めてしまう。足を止めた二人にウッデンウルフの群れが迫る。二人は身動きが取れず、どんどん距離が縮まり、そして――
『風を司る精霊よ、我に力を貸せ。風よ、刃となり、彼の者たちを切り裂け!』
ひゅん、という音がして、鋭い風が自分たちのそばを通り抜けていったことに二人は気が付いた。一瞬のちに聞こえてくるウッデンウルフたちの悲鳴。見ると、数頭は血まみれになって倒れ伏している。そして残りがターンして逃げていくのが見えた。
何が起こったか分からずぽかんとする二人の前に、鎧に身を包み、腰にナイフを下げた一人の青年が木から降りてきた。
「大丈夫かい、君たち?」
その優しい言葉で緊張がどっと抜けたせいか、ユフもマリーもへなへなとその場に座りこんでしまった。
――街の食堂。
「ええ!? じゃあ君たちは、君らだけで初クエストで『ワイザの山』の第三区域に入ったのか!?」
「すみません……。私たち、勝手が分からなくて……」
そうしょんぼりとした様子で返すマリー。ユフも暗い表情で、目の前のスープに手を付けようとしない。
二人に向かい合う青年は悩ましげに額に手を当てた。
「本当に、ボクがいなければどうなっていたことか……。初級のクエストでも、最初は誰か中級の冒険者に依頼して師事を乞うものなんだよ」
「そうだったんですか……本当に、無知で申し訳ないです」
青年はミコ・エイレンドールという名で、中級の冒険者だという。あの山には魔術の実験動物の捕獲のために来ていたのだと語った。
「まあ、なんだ、食べなよ。命があることに感謝してさ。今回のは教訓だったと思って」
二人はまだ落ち込んでいたが、ユフがそっとスープに口を付けた。それを皮ぎりに、二人ともテーブルの上の料理を食べ始めた。
ミコはユフたちにたくさんのことを教えてくれた。初級の採集クエストであっても魔道具屋で地図とコンパスを買い、現在位置と魔獣の出現レベルが分かるようにしておくべきこと。防具も一式そろえるべきであること。そもそもリストの依頼から自分で選ぶのではなく、職員に相談したうえで紹介してもらうということなど、様々なことを。そのうちに話題は評判のいい魔道具屋はどこで、食堂はどこで、という話になり、いま食べているスープのしょっぱさに及ぶころには二人の緊張もすっかりほぐれていた。
「そういえば、ジェイステイルさんとストラースさんは、何向きの冒険者だって言われたの?」
と、ミコが何でもないように言った。素直に言っていいものか戸惑うマリーに対し、ユフは気にせずに答えた。
「マリーは『拳闘』向きで、私は大地の魔法がかなりいいそうです」
「へえ! 『拳闘』は最初は不便に思えるかもだけど、修練を積めば十分強くなれるよ! 素質があるってことだからね」
「そ、そうなんですか!」
「それで、スキルは何か無かったの?」
「えっと、ユニークスキルが、二人とも……」
「へえー! 実はボクもユニークスキル持ちなんだよ! でもさ、なんとそのスキルの名前が――」
――『婚約破棄』なんだよね。笑っちゃうでしょ?
ユフとマリーは、思わず顔を見合わせた。
「ユフ様、本当にやるのですか?」
「だって、『政略結婚』と『婚約破棄』よ? これが『対の相手』じゃないなんて有り得ないじゃない?」
「ユフ様の好きなロマンス小説ではそうかもしれませんが、つい先ほど出会った相手と『婚約』なんて……」
「あはは、まあすぐに破棄する婚約でしょ?」
それに、と口にしてミコは続ける。
「ボクの説明にも『対となる者を見つけよ』ってあったしね。二人で発動するスキルなんて聞いたこともないから、これはひょっとしたらすごいものかも知れないよ」
「そう、でしょうか……」
「とりあえず、物は試しよ。やってみないと何も始まらないもの。エイレンドールさん、よろしいでしょうか?」
「うん、ボクのほうはオーケー」
「じゃあ、マリー、いいわね」
「うう……分かりました……」
どうしても不安なマリーだったが、ユフからのお願いとあれば断れないのが彼女の性分だ。躊躇しながらも仕方なく祝詞を唱える。
「『この世界を統べし37の神々と800の精霊たちの名において、花婿、ミコ・エイレンドール、花嫁、ユフ・ストラース、あなたがたはここに婚約の契りを結ぶことを誓いますか?』」
「誓います」
「誓います」
と、向かい合ったミコとユフの下の地面が、円を描くように輝き、二人を包み始めた。
この世界では婚約も『誓い』の魔法のひとつであり、練習したものしか扱えない。マリーはユフの婚約や結婚を巫女として執り行えるように、これらの魔法を習得していた。婚約の魔法は成功した際にはそれがこの光と、もう一つが効果として現れる。
だが、光は本来の強さの輝きまで達することなく、だんだんと弱まっていき、ついには無数の珠になって消えてしまった。つまり――
「失敗ですねえ」
のんびりとした口調で言うミコに対し、マリーは身構えていた。こうなることが分かっていたから。
失敗の原因は分かっている。光が途中で弱まって消えるのは、「婚約する者の名前が間違っているとき」だ。つまり、これでユフが偽名であることがミコに知れてしまった。
別に偽名を使うこと自体は珍しくもなんともない。けれど、ユフの明らかに庶民のそれではない立ち居振る舞いなどから、なにかを弱みとして握られてしまうのではないか――それをマリーは心配していた。
が、それは次のミコの言葉で杞憂となる。
「あー、実はボク、偽名だからさ。そりゃ失敗するよねー」
「え?」
「隠しててごめんね。最近はボク自身も偽名だってことを忘れてたよ」
あはは、と笑いながらミコが言う。と、そこでユフが口を開いた。
「実は、私も偽名なのです」
「ユフ様!?」
「エイレンドールさんが正直に告げてくださったのです。私が伝えないのは、道理が通りません」
マリーは心配してミコの方をうかがう。が、彼はいつも通りのポーカーフェイスだった。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、ジェイステイルさん。というか、言っちゃっていい?」
「え? 何をですか?」
「実はストラースさんは高貴な出で、ジェイステイルさんはその侍女。そうでしょ?」
「えっ……」
マリーは動揺したが、ミコは何でもないように続ける。
「いや、『様』って付けて呼んでたら、それは分かるよ」
「あっ……」
「まあ、ストラースさんの振る舞いからも、庶民の出じゃないんだろうなあ、って分かったのがもう一つあるけど」
後悔するマリーを横目に、ユフはぽんと手を叩いて言った。
「じゃあ、これからは『ユフ』と呼んでくれるってことね!」
「ええっ!? ユフ様、それは……」
「うれしい! わたし、こうやってマリーと名前を呼び合う間柄になりたいわ、ってずっと思っていたの! いい? これは命令だからね」
「そんな、むごいこと……。それにユフ様は、そんな……」
気軽に名前を呼ばれるべきお方ではないのだ、家を勘当された今でも――とマリーは主張したかった。が、できない。ここにはミコがいる。
「ほら、呼んで? 『ユフ』って」
「うう……ユ…………ゥ……」
「聞こえないわよ?」
顔を真っ赤にするマリーとは対照的に、ユフはとてもうれしそうだった。マリーはやけになって叫んだ。
「ユフ! は、はい! これでいいんでしょう!」
「ふふ。もう1回呼んで?」
「ユ……。や、やっぱり無理です!」
「そう、マリーは私の正体がバレてもいいのね……。ああ、悲しい」
「ユフさ……ユフ、もう、勘弁してください……」
そんな二人のやり取りを、ミコは笑って見ていたのだった。
あれからユフ・マリー・ミコはパーティーを組んでクエストを受けるようになった。ユフは「私のせいでマリーを危険な目に遭わせてしまった。もうクエストは受けない」と主張したが、ミコによるとどんな職業に就いたとしても初級クエスト程度の素材採集などは自分でやらなければならない場合がある、クエストについて一通りのことはやっておくべきだ、と諭され、ミコに師事を受けながらクエストをクリアする日々が続いた。そんなに日が経たないうちに、3人は互いを名前で呼び合うようになった(ミコもユフを呼び捨てにすることに慣れた)。
マリーは最初、ミコがユフを狙っているのではないかと心配していたが、一緒にクエストをこなすうちにどうやらそれはなさそうだと考えを変えた。ミコはそもそも恋愛というものにまったく興味を示さなかったのだ。一緒にいるうちにユフがお気に入りのロマンス小説について話したり、街のパン屋のおばさんから聞いた噂話(マリーは余計なことを吹き込まないでほしいとこのおばさんを恨んだ)を話題にすることもあったのだが、ミコはそれに乗る気配がない。それどころか、常に湛えている微笑で話題を受け流し、いつの間にか別のものに変えてしまう。また、街で美人だと評判の冒険者とすれ違う時も、視線を流すことは全くないのだった。
むしろマリーは一緒に過ごしてきて、ミコのことがどんどん分からなくなっていくような感覚を覚えていた。いや、ミコ自体は『婚約』を試したときからずっと変わらず、どこか飄々とした雰囲気を身に纏っている。ただ、彼がどんな人間なのか分からない。何が好きで何が嫌いなのか、出会って1ヶ月経った今も全く分からない。
もっと別の男性、例えばヴォワール王子などは分かりやすかった。彼の中心をなしていたのは権力欲と支配欲で、ユフを見ていたのではなくその向こうにあるコンストラッド公爵家との繋がりによって得られる利益だけを見ていた。他の冒険者の男性も分かりやすい場合が多い。ユフはその顔立ちと体つきで、それ目当ての男を自然と引き寄せる。それを見極めて引き離すのも自分の役目だとマリーは心得ていた。ほんわかしたユフの代わりに、自分が相手を見定めなければ、と。そういう意気でマリーは幼いころから男性の本質、本当の意図を見抜く能力を養ってきたのだ。
そんなマリーにもミコの本性だけはわからなかった。彼は常に微笑を湛え、その仮面によって何もかもが巧妙に隠されているようにマリーは感じていた。ただ、悪い人間ではないということも直感していた。それは彼の行動の端々から垣間見える優しさ――出会ったその日から、それだけは透けて見えるのだ。
けれどそんなマリーとは対照的に、ユフは随分とミコに気を許しているように見えた。というか、懐いているという表現の方が正しいだろうか。最初はどこか緊張した様子があったものの、今ではマリーへ向けるものと同じ表情をミコへも向けるほどになっていた。
ただ、マリーには不思議な点があった。ユフは時折、ミコが別の方角を向いているとき、その横顔を、あるいは背中を、どうしようもなく哀しそうな表情で見つめることがあるのだ。しかしミコがこちらを向くとそれを隠し、いつも通りに振る舞う。その理由がマリーには分からず、またユフに聞いても「なんでもないの」と首を横に振られるのだった。
そんな風に日々を過ごしていたある日の夜、クエスト達成後にいつも寄る食堂で、ミコに核心的な質問を投げかけたのはユフからだった。
「そういえば、ミコはどうして冒険者になったんですか?」
それまで流れるように続いていた会話が途切れ、沈黙が場を支配する。それを打ち消すようにミコが口を開いた――あのいつもの微笑、見ているとどこか不安を感じさせるその微笑を湛えながら。
「別に普通だよ。食い扶持のためさ。ボクが別の国から来たという話は前にしたよね。その国の魔術学園に通ってたって話はしたっけ。平民出の魔術学園卒業者はたいてい冒険者になる――そうだろう?」
「それは嘘でしょう?」
がやがやと周囲の客が会話に興じる中で、しん、と静寂が三人のいるテーブルを支配した。
「――どこが、どうして嘘だと思うのかな?」
「貴方が平民の出だということ。理由は立ち居振る舞いです」
「……」
「私には分かります。テーブルマナーや言葉遣いなどは、完全に一般の人のそれと同じです。でも、もっと細かい仕草――たとえば歩き方、ドアの開け方、靴の脱ぎ方……そうした部分に見えてしまうんですよ、訓練されていないと身につかないものが」
「へえ……。じゃあユフ、ボクからも聞いていいかな。君の本名は?」
「ちょっと……!」
なんてことのない、おどけた調子でそう言ったミコに、マリーは思わず立ち上がって抗議しようとした。それはお互いが意図して触れないようにしてきた部分だった。それを壊そうとしているのだ、彼は。
「マリー、君の言いたいことは分かるよ。でも、先に踏み込んできたのはユフの方だ。なら、それ相応の対価を支払ってもらう必要がある。そうじゃないかな?」
「でも!」
「マリー、いいのです」
ユフは立ち上がりかけるマリーを制して、静かに告げた。
「私の本名は『ユーフィリア・コンストラッド』。コンストラッド公爵家の長女でした。以前までは」
その言葉にミコが驚いて目を見開いた。
「王子の婚約者でもあるこの国のNo.2の公爵家のお嬢様が学園を追放された、とは知っていたけど……。まさか君が?」
「私はとっくにバレていると思ってましたが」
「他の国の人間だからね。この国の有名どころでも名前くらいしか分からない」
そう言って肩をすくめるミコ。マリーはただおろおろすることしかできない。
「じゃあ、ボクも答えよう。礼儀としてね。『ミコラ・シングルト』。それがボクの名だよ」
その言葉に真っ先に反応したのはマリーだった。驚きの表情を浮かべ、席から立ち上がる。
「『シングルト』!? あのレイヴ王国の?」
苦笑を浮かべるミコ。
「あまり大声でその名を呼ばないでくれ。目立ちたくないんだ」
「あ……」
マリーは辺りを見回すが、どうやら自身の発した言葉に反応した人間はいないようだった。
――レイヴ王国。この星の約半分の面積を占めるシタリウス大陸の大部分をその支配下に収める超大国。その王家の名が「シングルト」。
「でも、ミコラなんて名前の王族、聞いたことが……」
「ないでしょうね。だって、それ、嘘ですから」
「えっ!?」
ユフが口にしたその言葉で、ミコの表情がさっと青ざめる。マリーは全く話についていけず混乱してしまうが、なんとか言葉を絞り出す。
「彼はシングルト王家の人間ではない、ということですか?」
マリーのその問いに、ユフは首を横に振って答える。
「それは分かりません。でも、ミコは『ミコラ・シングルト』ではありません。なぜなら――」
――男女で名前の語尾が変わるレイヴ王国において、『ミコラ』は男の名前だから、です。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。周りのテーブルの雑談――今日のベイルフォックスは大物だった、二丁目のシューの奥さんが浮気してるらしい、アリー・ゴルダ通りの薬屋に毒消し薬をぼったくられた――そんなまとまりのない言葉たちがマリーの耳を通り抜けていく。
口を開いたのは、顔からあの微笑が消えたミコだった。
「――いつから」
ボクが男のふりをしていると気づいていた?
その問いにユフは淡々と答える。
「『婚約』を試したときです。あの時、『性別が間違っている』ときの証が出ていました」
「えっ? そんなものがあるんですか?」
「知らなくて当然です。おそらくマリーも教わっていないのでしょう。『性別を間違える』なんてこと、普通はあり得ませんから。私は興味をもって専門書を読んでいたので、たまたま知っていたんです。普通光は溶けるように消えていきますが、性別を間違えたとき、光は無数の珠になって消えるのだと……」
「そうか……。まさかあの時とはね」
ミコが苦笑する。
「――そうだよ。『ミコラ』は男の名前。ボクの本当の名前は『ルゥ』だ。ミコラはボクに使えていた侍従の名前からとったんだ」
「『ルゥ・シングルト』。第二王女の彼女は齢十三のときに病死した、と聞き及んでおりましたが」
「病死したことにされたのさ。そのとき死んだ弟――第一王子の代わりにね」
少し間をおいて、ミコはこんな言葉で語り始めた。
「そもそもボクは『存在しない方がいい人間』だったのさ」
――ルゥ・シングルトには母親の記憶がない。
それは王家の人間が一般的に母よりも乳母と長く接するから、ではなかった。ルゥの母は病弱で、ルゥを産んだ時に亡くなってしまったのだ。
ルゥには姉が一人、兄が一人いた――それぞれリリル、アウロラという名だった――が、リリムはルゥのことが嫌いだった。いや、嫌悪を超えてそれは憎悪の域にまで達していた。
理由はいくつかあった。ルゥが産まれたことで母を亡くしたこと。それと同時に、父である王が別の女性と公然と仲睦まじい姿を見せるようになったこと。世継ぎ候補を作るためにも、新しい寵姫の方が優先され、世継ぎになれないリリルは――ルゥもだが――段々と腫れ物を触るような扱いになったこと。
ルゥは姉であるリリルを慕い、リリルの後をついて回りたがったが、リリルはそれを拒絶した。拒絶どころか、ルゥを蹴り、殴り、罵声を浴びせた。そしてついにある日、「あんたのせいでお母様は死んだんだ」と言い放った。
その日から、ルゥはリリルと距離を置くようになった。リリルだけではなく、全ての人間と距離を置くようになった。そして部屋にこもり、本の中の世界へ入り込んだ。
そんなルゥが唯一心を許せる相手は、兄のアウロラだけだった。彼だけはルゥが部屋に籠るようになってからも声をかけ続けた。おかげでルゥは、現実世界との繋がりを完全に断ち切らずに済んだ。
――けれど、アウロラは流行り病にかかってあっけなく死んでしまった。15歳のときだった。
自分を大切にしてくれた兄の死を知り、いつもの書斎でひとりでさめざめと泣くルゥの元へ、父である王が突然やってきた。王は、ただ短く言い放った。
「お前は今日からアウロラになるんだ。いいな」
このとき、ルゥにとって不幸な状況が重なっていた。王は後妻との間に男児をもうけられず、男の跡継ぎはいない。そしてルゥはアウロラとよく似ていて、髪を切り眉の形を変えればそっくりになった。そしてリリルはそれほど似ていなかったのだ。
そこからが本当の悲劇の始まりだった。ルゥは男のふりをさせられ、常に嘘をつきながら過ごさなければならなくなった。家を継ぐために作法や習い事の特訓を一日中課せられ、大好きな本を読む時間は無くなった。そして何より、姉であるリリルから向けられる憎しみと、陰での嫌がらせに耐えなければならなかった。リリルは大嫌いなルゥに構うアウロラも嫌いで、彼が死んだことで自分が女王になれると思っていたのだ。それがルゥのせいでそうはならなくなった。
リリルは『ルゥ』のものをすべて奪い、壊した。ルゥがルゥだったときに持っていたもの――お気に入りの本から大切な手紙まで――を全て燃やした。ルゥは、いったい自分が誰なのか分からなくなってしまった――
そこまで話し終えたところで、マリーが止めた。彼女の眼からは涙があふれていた。
「もう……もうやめてください! そんなに辛いことを思い出させてしまって……」
「いいんだよ」
そう言うミコ――ルゥの顔には、あの仮面の微笑が湛えられていた。
「もう食堂も閉まる。今日はおしまいだ」
そう言って席を立ち、何事もなかったかのように「店員さん、会計」などと言って歩き出す。
ふとマリーが横に視線をやると、ユフは席に座り、皿の下げられた何もないテーブルの上を、身じろぎもせずじっと見つめていた。会計を済ませるルゥにも構うことなく、ただ視線を下に落とし、微動だにしない。
会計を終えたルゥが戻ってきて、「今日はボクのおごりでいいよ。じゃあ、また明日――」と別れの挨拶を済ませようとしたとき、ユフは顔をゆっくりと上げた。
その眼はただまっすぐに、どこまでもまっすぐにルゥの眼を射抜いていた。
そして一言、告げた。あの有無を言わせぬ力強さで。
「――ルゥ。私と『政略結婚』しましょう?」
店を出た後、マリーはルゥからずっとおどけた調子で話しかけられていたが、ただおろおろして「あ……」とか「う……」のような、言葉にならない言葉しか返すことができなかった。ルゥはユフにはまったく喋りかけなかった。ユフも一言も喋らなかった。そうしているうちに、ルゥも次第に口数が少なくなり、ついには黙ってしまった。
いつも泊まっている宿屋に入り、階段を上り、201号室に入って明かりをつけた。大きくないベッドがふたつ、ランプの載った小さな机が一つ。ここに帰ってくるのがマリーとユフにとっていつの間にか当たり前になっていた。
マリーはユフを見やる。マリーには分かる。これは怒っているときのユフの顔だ。何に怒っているのかまでは分からない。今夜はいろいろなことがありすぎたから。
ユフは部屋の中央、ドアを向いて立った。ドアの前にはルゥが所在なさげに黙って立っていた。
「来なさい」
そうユフが言うと、ルゥはびくり、と身体を震わせる。
「来なさい」
ユフがゆっくりと、しかし強い口調で繰り返す。諦めたようにルゥは恐る恐る歩いていき、部屋の中央でルフと向かい合った。
「マリー、祝詞を」
「えっ、あっ……はい!」
呼ばれてマリーは二人のそばに立ち、やっとのことで言葉を絞り出す。
「『この世界を統べし37の神々と800の精霊たちの名において、花婿……』」
と、そこで止まる。――花婿、ではない。それでは『性別が間違っている』ため、光は珠になって消えてしまう。だとするなら――。
「『花嫁』。そうでしょう?」
「で、でも、花嫁と花嫁の婚約なんて、聞いたことが……」
「いいから」
ユフに押され、言われるままに祝詞を唱える。
「『この世界を統べし37の神々と800の精霊たちの名において、花嫁、ルゥ・シングルト、花嫁、ユフィーリア・コンストラッド、あなたがたはここに婚約の契りを結ぶことを誓いますか?』」
「誓います」
はっきりとユフがそう口にする。
一方でルゥは動かない。ただじっとうつむき、肩を震わせている。
「ルゥ……さん。あの……」
「……わけ……ぁろ…………」
「え?」
「言えるわけないだろう!」
ルゥの絶叫が部屋に響き渡った。
「ボクは女であることを捨てたんだ! 『ルゥ・シングルト』はもういないんだ! いまここにいるのはただの冒険者の青年、『ミコ・エイレンドール』なんだ! どうしてそれを許してくれないんだ?」
ユフはただ黙っている。そんなユフに敵意の籠った鋭利な視線を向けて、ルゥが続ける。
「何が婚約だ! 結婚だ! ばかばかしい! どうして君らに優しい『ミコ』のままで居させてくれないんだよ! こんなことしたって何にもならないだろう? なあ、ユフ……ユフ・コンストラッド?」
「なるわ」
そう静かにユフは言い放った。確信に満ちた一言だった。
「何が……!」
「私は知ってるから。『ルゥ・シングルト』がどうなったか」
「それって……?」
意味が分からない、といった様子でマリーがおどおどしながら問うと、ユフは淡々と言葉を紡いだ。
「パーティーの場で公爵令嬢に突然婚約破棄を宣言。その後王家を追放され、姿をくらました。発表では死亡が確認されたことになってたわね」
「婚約破棄……?」
「そうだよ」
はは、と乾いた笑いがルゥの口から漏れた。
「ボクはくだらない『政略結婚』を破棄してやったのさ。公衆の面前でね。相手の不貞を暴いて」
「で、でもそんなのおかしいですよ! だって、その相手も女の方だったのでしょう? だったら最初から婚約しても世継ぎなんて作れっこないのに……」
「そうだね。マリー、君は正しい」
それから一呼吸おいてルゥは続けた。
「だから、全員グルだったんだよ」
「え……?」
「全員だよ! 文字通り全員が! あの父親も、姉も、ボクと婚約した女も、その親の公爵も、全員! ボクと婚約した女はボクが女だって知ってて婚約したんだ。だから世継ぎは作れない。姉が公爵の令息と結婚して、そこで生まれた子供がボク達の子供――王子になるんだ。 それは世の中に公表されることはない、全部ね。それなら上手くいくだろう?」
マリーがそこで小声で、「だったら……」と口にした。
「だったら、最初からお姉さんが女王になればいいじゃないですか……それで、全部」
「それはできないの。いや、しなかったという方が正しいかしら」
首を横に振ってユフが言う。
「シングルト王家は、男を王座に戴くことしか認めていないから。女王にはなれないのよ」
「そんな……そんなのおかしいですよ! ただのしがらみじゃないですか! そんな理由でルゥさんがお兄さんのふりをし続けなきゃいけないなんて……」
「そうだね。だから全部ぶちこわしたんだ」
マリーは何も言えなくなってしまった。ルゥは乾いた声色で続ける。
「あの女はボクが女だって知っていたから、他の男とこっそり付き合ってたのさ。だから不貞でもなんでもないのかもしれない。
でも、ボクは耐えられなくなった。全部! もう全部さ! ボクが『アウロラ』でいれば彼女にとっても、誰にとっても都合がよかったことが! だってそうだろう? ボクがアウロラのふりをしていれば彼女は好きな人間と付き合えるんだ、王家との繋がりを持ったまま――姉だって表向きは王姉でも、実際は自分の息子を次の王位につけられる――父親はシングルト王家の男系を維持できる――。
『ルゥ』はどこにもいないんだ! ボクは誰にも必要とされてないんだ! ボクが不貞をばらして婚約を破棄して、王家を去ったあとだってそう! アウロラは精神の病で療養中ってことになった――結局ボクは何のためにアウロラを演じてたんだ? それに『ルゥ・シングルト』は十三歳のときに死んでいて――だから――だから……」
ルゥの悲痛な叫びは、最後には涙声となって夜の静かな部屋に響き渡った。それでもルゥは続けた。
「――だから、もう思い出させないでくれ! 『ルゥ・シングルト』は死んだんだ! お願いだから、ボクを『ミコ・エイレンドール』でいさせてくれよ……なあ、ユフ……マリー……」
最後にはルゥは膝からくずおれて、ユフの膝にすがりつき、その言葉はこれまでマリーが受け取ったことのないような、心からの懇願の調子を帯びていた。
そこでユフが静かに口を開いた。
「それはできないわ」
「なんで!」
「貴女は『ルゥ・シングルト』だから――これまで全ての人に否定され、存在を消されても、貴女はやっぱり『ルゥ』なのよ」
少し間をおいて、ユフは続ける。
「それは誰にも変えられないの。王様でも、姉でも、公爵でも――。神様がそれを決めているのよ、ルゥ。貴女だって分かるわ、『婚約』すれば」
そこでルゥがはっと顔を上げる。
「『婚約の魔法』は、正しい名前じゃなければ成立しないの。だから貴女――『ルゥ・シングルト』は、ここにいるの! ここに存在しているの!
神様だけじゃないわ、私も、マリーも、貴女――『ミコ』じゃなくて、ついさっき、『ルゥ』を見て、知ってしまった――そうしたら、もう後戻りはできないの! 私とマリーの中で、あなたは『ルゥ・シングルト』で、他の誰でもないの――」
「だって――そんな……」
「立ち上がりなさい、ルゥ」
びくり、と肩が震える。ユフの言葉の強さに押されてのろのろと立ち上がったルゥの肩を、もう逃がさないというようにユフががっちりと掴んだ。
「マリー、祝詞を」
「えっ……。……はい。『この世界を統べし37の神々と800の精霊たちの名において、花嫁、ルゥ・シングルト、花嫁、ユフィーリア・コンストラッド、あなたがたはここに婚約の契りを結ぶことを誓いますか?』」
「誓います」
「……」
ルゥはうつむいたまま、微動だにしない。そのとき、ユフがルゥの肩から手を放し、頬を両手で掴み、ぐっと引き寄せ――
ふっ、と。
ルゥの唇が、ユフの唇と触れ合った。
「ルゥ。世界の誰も貴女を認めなくても、私が貴女を、ルゥを愛するから――だからお願い、『誰にも必要とされない存在だ』なんて、悲しいことを言わないで!」
ユフがルゥをきつく抱きしめる。最後の言葉は涙声になっていた。
ルゥは微動だにせず、しかしその身体は小刻みに震え出し、それはだんだんと揺れを増していき、ついに――。
「いい……のかな……? ボクは『ルゥ』でいて、いいのかな……?」
「いいの! ルゥ! さあ!」
そうして、ルゥの震える唇が、か細い声で、その言葉を紡ぎだした。
「……い……ぁ……」
「もっと! もっと大きな声で!」
「誓い……ます!」
そこからは堰を切ったように、ルゥの唇から言葉があふれだした。ルゥの眼からは無数の涙の粒が零れ落ち、ユフの服を濡らしていく。
「ボクは……、ボクは『ルゥ』だ! 『ルゥ・シングルト』なんだ! 誰が何と言おうと、ボクは『ルゥ』なんだ!」
その時だった。床が二人を包む大きさの円形を描いて光を発し、輝き始めたのは。
その輝きはどんどん強さを増し、粒となり波となって溢れ、抱きしめあうルゥとユフをベールとなって包み――。
次第にふたつの小さな光の輪となって収束し、二人の右手の薬指に白銀色の指輪として嵌まった。
マリーは胸の奥からこみ上げてくるものを感じ、次の瞬間には涙となって流れ落ちていった。それはルゥも、ユフも同じで、三人はしばらくただ涙を流し続けた。
一夜が明けてマリーが目覚めたとき、反対側のベッドですうすうと寝息を立てるユフだけが視認できた。
……ええと、あれからどうなったんだっけ、たしか――
「おはよう、マリー」
「あっ、ルゥ……」
そこには顔をタオルで拭くルゥの姿があった。いつも通りの、飄々としたあのルゥ――『ミコ』だった時と変わらない様子のルゥだった。
マリーはベッドから抜け出ると、ルゥに歩み寄り、その身体をぎゅっと抱きしめる。突然のことに困惑するルゥに構わず。
「……ええと、マリー? どうしたの?」
「……つらかったね、ルゥ」
ルゥの方が背が高いため、マリーはルゥの胸に頭をうずめる形になりながら続けた。
「……でも、わたしも、ユフもいるから。それを伝えたくて」
もう一度、力を込めてぎゅっと抱きしめる。それに呼応するように、ルゥの方からもマリーを抱きしめてきた。
「――うん、もう大丈夫」
「本当? 本当に本当?」
「マリーは心配性だなあ」
あはは、と笑うルゥは、昨日までの『ミコ』と同じでいるようで、その実何かが違っているのだと、マリーは何故だかそう感じた。
「あ、ふたりとも、ずるい」
そう言って目を覚ましたユフが抱き着いてきて、マリーはふたりに挟まれる形になる。
「私も、ぎゅってさせて? ルゥ」
「ちょっと、ユフ、苦しいよ……」
「マリーごと、ぎゅー」
「ル、ルゥ! 助けて!」
「……うん」
「『うん』じゃないよう! 苦しいんだってば!」
そう懇願するマリーと自分に抱き着いてくるユフの身体の熱を感じて、ルゥはそっと、二人を抱きしめる腕に力を込めた。
彼女の瞼から一筋の涙が零れ落ちたことを、誰も見ていなかった。
「……ところで、そのぅ……言い出しにくいのだけど……」
抱きしめあいが終わったところで、ユフにしては珍しくおずおずと口を開く。
「昨日の『政略結婚』、破棄してもいいかしら……?」
「えっ……」
途端にルゥが絶望の表情を浮かべたのを見て、慌ててユフが言う。
「ち、違うの! ただ、スキルの『政略結婚』の効果を確かめたくて……」
「あ、ああ、そういうことね。それなら、まあ。ボクもずっと知りたかったし」
「えっ、破棄しちゃうんですか? せっかく感動的な婚約だったのに……」
「いいんだ。……またいつでもできるし。そうだよね?」
「あ、ルゥ、赤くなってる。かわいー」
「そうね。かわいらしいわ」
「も、もう! ええい、『婚約を破棄する!』」
「あっ、そんな投げやりな――」
と、途端に白い光が3人を包み始めた。
「えっ? えっ? 何、これ?」
「分からない、けど――」
そこでマリーからはユフの声が聞こえなくなり、視界がすべて白一色に包まれ――
――しかし、しばらくして元に戻った。
「何だったんでしょうね?」
「さあ……分からないわね」
と、辺りを見回す三人だったが、何も起こった様子がない。
そこでルゥが声をあげた。
「あっ、指輪が消えてる……」
ユフとルゥの右薬指から、指輪が消えていた。他に変化がないか三人で探したが、どうやら起こったことはそれだけのようだった。
「指輪が消えるだけかあ」
残念そうにルゥが言う。
そしてルゥは朝食に行こっか、とふたりを誘ったが、ユフは何やら立ったまま考え込んでいる。
「おーい、ユフ? どうしたの?」
「ちょっとね」
その時はそれだけ言って、ユフはルゥとマリーに続いて部屋を出た。
「ねえ、もう少し実験してみてもいいかしら?」
朝食を終えて部屋に戻ったあと、ユフがそう口にした。
「ユフ、食事の間もずっと考え込んでましたが、なにか気づいたんですか?」
「何もないけど、でもこれだけってことはないと思うの」
「じゃあ、今日はクエストはお休みして、『政略結婚』と『婚約破棄』の日にしよっか!」
「どんな日なのか、聞いても全然わかりません……」
そして3人はひたすら『政略結婚』と『婚約破棄』を繰り返すことにした。
「『……誓いますか?』」
「『誓います』」
「『誓います』。そして、『この婚約を破棄する!』」
「早い!」
「ふふ、婚約破棄の世界最速記録なんじゃないかしら」
「そんな記録、持っててもうれしくなさそうです……」
「でも、さっきから10回くらいやってるけど、何も起きないね。やっぱり外れかなあ」
「うーん……ちょっといいかしら」
「? どうしたんですか、ユフ?」
「実は、行きたいところがあるの」
「行きたいところって……図書館ですか?」
「そう。もう一度、『婚約』のことを確認しようと思って」
ユフが棚の番号を確認しながら通路を歩き、二人はそれについて行く。
「256番……257番……258番。この棚の……これだわ」
ユフが手に取った本は、「結婚と婚約に関する魔法」というタイトルの、分厚くて重そうな本だった。
「持つよ」
「あら、ありがとう」
そう言ってルゥが本を受け取る。重そうな本であったがルゥは苦にせず運び、近くの机の上にそれを置いた。それをユフが慣れた様子でページをめくっていく。
「あったわ」
「へえ……こんなに細かく魔法のことが書いてあるんですね。あ、『性別が間違っているときの発現』もちゃんと書いてある……」
「それで、ユフはどうしてこの本を見たいと思ったの?」
「正確な祝詞のバリエーションを確認するためよ」
「バリエーション? 祝詞って一種類じゃないんだ」
「そう。えーと……あった。マリー、この祝詞でちょっとやってみて」
「え? 分かりました。ええと……『この世界を統べし37の神々と800の精霊たちの名において、花嫁、ルゥ・シングルト、花嫁、ユフィーリア・コンストラッド、あなたがたはここに……』」
「ん? どうしたの、マリー?」
「えーと、ここに理由を入れないといけないみたいで……」
「そんなの、『今日が晴れだから』とかでいいんじゃない? 実験なんだよね?」
今日が晴れだから婚約する、だなんて適当な婚約だなあ、と少し心配になったが、マリーはそれを使うことにした。
「えーと、……『この世界を統べし37の神々と800の精霊たちの名において、花嫁、ルゥ・シングルト、花嫁、ユフ・コンストラッド、あなたがたはここに【今日が晴れだから】婚約の契りを結ぶことを誓いますか?』」
「誓います」
「誓います」
するといつも通り、光が集まり、指輪の形に収束して二人の右手薬指に嵌まった。
「そうしたら、ルゥ、破棄して」
「うん。『この婚約を破棄する!』。……うん、指輪は消えたね。でも、これが何だっていうの?」
と、そこで階下の入り口付近が急にざわめきだした。見ると図書館を出て行こうとした人たちが慌てて戻り、またたくさんの人が押し寄せるようにして入ってくる。
「あれ? あの人たち、みんな濡れてる……?」
「あ! 見て!」
丁度ユフの背後には窓があったのだが、そこにさっきまではなかった強い雨が打ち付けていた。耳を澄ますとゴロゴロと雷の音まで鳴っている。
「『今日が晴れだから』結んだ婚約を破棄したら、『天気が変わって雨になった』……って、ええ!? そんなことある!? ユ、ユフ!」
驚きおろおろするルゥとマリーだったが、ユフは冷静なままだった。
「まだわからないわ。もっと検証しないと」
「と、とりあえず、これを晴れに戻そう! なんだか怖いし!」
「は、はい!」
それからも三人の検証は続いた。
「『婚約を破棄する!』って、うわ! おじいさんのカツラが風で飛ばされた!」
「『婚約を破棄する!』」
「あ、あー! 目の前で別れ話をしてたカップルが急に仲睦まじく!」
「『婚約を破棄する!』」
「『お菓子の店が近くにないから』婚約したら、破棄した瞬間に市場へ瞬間移動したわね……」
一通り効果を確かめると、ルゥが興奮した様子で言った。
「こ、これ、すごいよ! なんでもできちゃうじゃん! 物質操作から瞬間移動まで!」
「でも、どういうことなんですか?」
マリーの問いに、考え込みながらユフが答える。
「仮説だけれど……『○○という理由で婚約したが、それが破棄された。ということは、○○ではないということにしないと辻褄が合わない!』ということじゃないかしら」
「めちゃくちゃですね……。というか、さっきから神様をすごく下らないことにこき使ってるような……。カツラを飛ばしたり、お菓子の出店の前に瞬間移動したり」
「そんな理由で1日に50回以上も婚約して婚約破棄したって、歴史に残りそうだねー」
「のんびりしてる場合じゃないですよ、ルゥさん! 神様の怒りを買ってしまったらどうするんですか!」
「まあ、あまり使いすぎない方がいいのは確かみたいね」
そう言ったユフだったが、その声は弾み、眼はらんらんと輝いていた。マリーは、あっ、これは面白いおもちゃを見つけたときのユフだ、と気づいたが、何も言わないでおくことにした。
「おい、聞いたか? あのパーティーの話」
「ああ、なんでもAランク級パーティーでも攻略できてないっていう『セルボの洞窟』を踏破したっていう……」
「しかも、洞窟の中で婚約して、それを一瞬で破棄してたらしい」
「!?」
「お、おい! 聞いてくれよ! いま街中で瞬間移動の術師に出会っちまったんだ!」
「お前、瞬間移動なんて使えるやつがそこらにいるわけないだろ? 嘘も大概にしろよ」
「それが、いたんだよ! さっき馬車が暴走して女の子が巻き込まれて大けがを負ったんだが、周りにポーションを持ってるやつがいなくて……。そしたら若いおなごたちが、一瞬で消えて、次の瞬間にはポーションを持って戻ってきたんだ!」
「へえ……明日の新聞の一面に載りそうだな」
「ああ、おかげで女の子は助かったよ。でも、それだけじゃないんだ。なんと、そいつら……」
「そいつら?」
「俺らの面前で婚約の儀式をして、そしたら片っぽが『この婚約を破棄する!』って高らかに宣言して、消えたんだ」
「!?」
「ねえ、聞いた? ヴォワール殿下のこと」
「聞いた聞いた! 最近毎日婚約破棄されてるらしいわね。この前、ついに100人を突破したとか」
「私は一時間かけて10人から連続で婚約破棄された、と聞きましたわ」
「側室を持つのは当たり前だし、チャーミングだと思ってたけど、そんなに婚約してたとはね……幻滅」
「そういえばこの前、うちの屋敷のじいやから『この婚約を破棄する!』って宣言されたらしいですわ」
「!?」
「おい、レイヴ王国のリリル王女に何かあったって聞いたが、どうしたんだ?」
「ああ、実は悪夢にうなされてるらしい」
「へえ、どんな悪夢なんだ?」
「婚約者の公爵令息さまに『この婚約を破棄する!』って宣言される夢を毎晩見るんだとさ。しかも、色んなシチュエーションで」
「そりゃまた、変な悪夢だなあ」
「それが、あの『婚約破棄の呪い手』によるものらしい……」
「なっ……!? つまり王女様は『この婚約を破棄する!』って宣言されて『この婚約を破棄する!』って宣言される呪いをかけられたってことか!?」
「俺もよくわからなくなってきたが、たぶんそういうことだ」
「あはは! これでスカッとしたよ。もう姉さまや父さまのことはいいかな」
「殿下にはちょっとやりすぎたかしら……」
「でも、【ユフィーリアに対して後ろめたいことがある】場合に限って【無差別に婚約破棄を宣言される】ように婚約破棄したから、当然の結果なんじゃないかな?」
「王子は当然の報いだと思います。にしても、いいんでしょうか……こんなにぽんぽん神様をこきつかっちゃって。私たち、地獄行きかなあ」
「地獄でもこの3人が一緒なら、楽しそうって思っちゃうのはボクだけかな」
「地獄ですよ地獄! わたしは怖いです……」
「それより……」
「ん? ユフ、どうしたの?」
「私たち、婚約を破棄してばっかりじゃない? だから……その……」
そこまで言うと、ユフは照れて押し黙ってしまう。けれど、そこまでの言葉でルゥもマリーも察することができた。
「簡単だよ。そのときは、この魔術を使うのをやめるとき。そして……」
「そして……?」
「こう言えばいいの!
『この世界を統べし37の神々と800の精霊たちの名において、花嫁、ルゥ・シングルト、花嫁、ユフィーリア・コンストラッド、花嫁、マリー・ジェイステイル、あなたがたは【健やかなるときも病めるときも、互いを愛しぬき】ここに婚約の契りを結ぶことを誓いますか?』
ってね!」
気に入ってくれたら評価やブックマークをいただけるとありがたいです。