2-2 奄美さんとアイツ
僕はスマホのメッセージアプリを眺めた。少なかった連絡先が増えている。
部会が終わってからの帰り道。僕は昨日のように、宮古さんと奄美さんと一緒に帰っていた。
「おい。隠岐」
「あ、ごめん。奄美さん」
「これ。食べるかって聞いたんだけど」
突き出されたのは白い筒状の物体。
「いや、僕タバコは……」
「プッ。お前なぁ。ただのココシュガだよ」
受け取ると、それは煙草のような筒状の細長い砂糖菓子だった。
宮古さんは一足先に咥えている。
「ココナッツシュガレット。浜音ちゃん大好きなんだよね」
「まぁな。そういえば、宮古、デコポンアメ買ってきたけど食うか?」
「うん!」
僕は渡された菓子を口に入れる。舐めるのは子どもっぽいと思って、半分くらいのところで噛み砕いた。
――甘い。
宮古さんも奄美さんから駄菓子を受け取って、嬉しそうに食べている。
前々から思っていたけれど、奄美さんは宮古さんを「溺愛」していると思う。教室でも奄美さんが宮古さんを気にかけているのをよく見かける。
そして、宮古さんも奄美さんには甘えているように見える。
でも……いや、考えすぎだろう。
その甘さが駄菓子のような、純粋な甘さではないように感じるのは。
「じゃあね。浜音ちゃん。隠岐くん」
「さようなら。宮古さん」
「また明日な。なぎさ」
奄美さんは宮古さんと別れると、ポケットからココシュガを取り出して咥えた。その様はまるでギャングのボスだ。
「やっぱりアイツはポンカンアメ好きだな。また駄菓子屋行くか」
幸いなことに台詞は平和そのものだったけれど。
そんなことを考えていたら、奄美さんと目が合ってしまった。
「ん? なんだよ。顔になんかついているか?」
「あ、ううん。なんでもないです……」
「お前、なんかいつも遠慮気味だよな。言いたいことあるんだったら言ったらどうなんだ?」
「えぇ……」
もしギャングに見えたなんて言ったら怒るだろうか。いや、間違えなく怒る。かと言って、このまま「なんでもない」と言って、逃れられる状況でもない。
僕は困って、なんとなく気になっていたことを聞くことにした。
「じゃ、じゃあ、聞いていいですか?」
「なんだよ?」
「なんで奄美さんって、宮古さんのことを僕の前では『アイツ』って言うんですか?」
奄美さんが驚いたように目を見開いた。
しばらく沈黙が続いた。
「こだわりみたいなもんだよ」
「こ、こだわり?」
「まぁ気にすんなよ。そういうお前もこだわっているだろ」
「え、僕が?」
「ずっと敬語だろ。ウチに対しても、アイツに対しても。別にお前はウチの舎弟っていうわけでもねえし、ただの同級生だろ。それとも、ウチにこき使われたいのか?」
――舎弟?
「そ、そうですね」
「なんか一度気が付くと、かなり気になるな。お前、ウチに対して敬語禁止な」
自然に右手を拳にする奄美さんに、僕は慄いた。
「と、突然です……だね」
「よし。いい調子だな」
奄美さんは満足そうに微笑んだが、その笑みはすぐに消えて黙り込んでしまった。
僕も特に話すこともないし、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに黙っていた。
宮古さんと奄美さん、そして僕の3人で帰る日々が増えた。奄美さんは気まぐれで陸上部に参加しているからいない日もあった。
僕はとりあえず後ろを歩きながら、話を振られれば答えたし、特に何もないときはぼんやりと歩いていた。
そんな放課後が、しばらく続いたある日。
僕は日差しが照らすグラウンドの真ん中に座っていた。
1週間後にある体育祭。そのクラス別対抗リレーの練習をしていたのだ。今、レーンには僕のクラスと隣のクラスの走者が走っている。
僕の走順は序盤にされていたので、あとは座って終わるのを待つだけだ。
周りのクラスメイトたちは応援に熱を入れていたけれど、僕はそのテンションについていけない。
僕はぼんやりと体育祭が終わった後のことを考えていた。体育祭が終わったら、七夕の準備が始まる。部員は他に4人。うまくやっていけるだろうか。邪魔にならないといいけれど。そんなことを考えていた。
ホイッスルの音が聞こえて、顔を上げる。周囲の様子から察するに、僕のクラスが負けたらしい。
僕は校庭にある時計を見た。授業終了まで時間はまだまだある。
「じゃあ、バトン練習して、15分後にもう一回やってみるぞー」
やっぱりまた走ることになるのか……。僕は重い腰を上げた。
「よう。隠岐。元気なさそうだな」
声をかけてきたのは、奄美さんだった。手首足首を入念に回している。
今の走順では、僕のあとに一人、コンピューター研究部の男子がいて、奄美さんにバトンを渡すことになっている。ちなみにその後は宮古さんだ。「遅い人を速い人でカバーするのが、このクラスの作戦だ」と、体育委員の男子がドヤ顔で言っていたことを思い出す。
「奄美さんは元気そう……だね」
「まぁ、練習だし。本気出して走ることはないでしょ」
「僕自身は走るっていうだけで、もう気が滅入るよ」
「走るの嫌いか?」
「奄美さんは?」
「ウチは好きだよ。走ることくらいしか自慢できることないしな」
奄美さんはそう言うと、軽快に体を動かしていた。
次の練習試合は拮抗した。こういう場面は無駄にプレッシャーがかかるから苦手だ。トラックを半周するなんてそうかかるはずもないのに、走っている間はやけに長く感じる。
直線に入って、男子の背中が見える。彼はテイクオーバーゾーンの真ん中あたりで待っていてくれた。テイクオーバーゾーンの間でバトンを渡すのがルールだ。バトンを渡す場所によっては、走る距離がかなり変わってくる。
「ハイッ!」
柄でもなく大きな声を出して、バトンを繋げた。
コースから避けると、列の一番前に宮古さんが座っていた。
「お疲れ様。隠岐くん」
「はい……宮古さんもがんばってください」
「うん。やるだけやってみるよ」
宮古さんはグッと握り拳を作ってみせた。
気合の入っている体育委員が彼女を誘導する。彼女はテイクオーバーゾーンの奥側に立った。奄美さんの走行距離を稼ぐためだ。
僕が待機列に座るころには、反対側から奄美さんが走り出していた。
宮古さんが絶賛していたのもわかる。他の生徒とは比べ物にならない速度で、グングンと彼女の姿が近づいてくる。他のクラスを突き放すペースだった。
あっという間に奄美さんが直線コースに入った。それを見た宮古さんも走りだす。
そして、無事にバトンが渡される。
誰もがそう思っていた。
その瞬間。僕は偶然奄美さんを見ていた。
表情が一瞬固まって、まるで意志に反したように、でも叫ぶように奄美さんの口が動いた。
「待って……凪咲!」
直後、彼女のバランスが崩れた。
かなりのスピードを出していたせいで、奄美さんは派手な音とともに砂埃を捲き上げて倒れこむ。
周囲のクラスメイトたちが悲鳴に似た声を上げる。
「くっそ。ゲホッ。なにやってんだウチは……。なぎさ! バトン!」
奄美さんがバトンを持った手を差し出す。
宮古さんはそれを受け取ると、走らずに奄美さんの上半身を起こさせた。
宮古さんが奄美さんの瞳を見ている。
二人の元へ、教師たちが焦りを浮かべながら近づいてくる。
周囲の誰かが、宮古さんにリレーを続けるように促している。
その中で、僕は宮古さんがあの表情を浮かべているのを見た。
「私は大丈夫だよ。――お姉ちゃん」
奄美さんは倒れこむ前と同じくらい驚いた表情を浮かべた。そして、なにかから逃げるように宮古さんから視線を逸らす。
「あぁ。大丈夫。大丈夫だから……」
「うん。わかった」
宮古さんは教師に奄美さんを任せると、一人走りだした。
僕はただその様子を遠巻きに眺めることしかできなかった。