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あなたを幸せにできましたか?  作者: 一ノ瀬 スグナ
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1-6 僕と彼女

 ストーカーは犯罪だ。

 僕が宮古さんのストーカーをしていたのは紛れもなく犯罪だ。

 なのに、彼女は笑う。

 慈愛に満ちた、でもどこか悲しみを抱えた笑顔。

 僕はあの表情を忘れることができずにいた。


「おはよー。隠岐くん」


 まだ人影の少ない教室に、彼女が呑気な声と共に現れる。

 僕は眠気覚ましのために飲んでいた缶コーヒーを机に置いた。


「おはようございます。宮古さん」


 宮古さんは一回りサイズの大きいブレザーの袖をこちらに揺らしてみせると、僕の席に近づいてくる。


「隠岐くん。えっとさ」

「どうしたんです?」

「もう2週間くらい経ったよね?」

「な。なにが?」


「隠岐くんが、私のストーカーになってから」


 僕は頭のなかが真っ白になった。


「どうしたの? 隠岐くん。隠岐くーん」

「こ、声が大きいですよ。宮古さん!」

「声大きいの隠岐くんのほうだけど」

「というか、ストーカーって、なんのことですか。知りませんよ。僕は」

「え、だって、『宮古さんのことをストーカーしていました』って」


 そう。僕が彼女のあとをつけたあの日から、ちょうど2週間が経っていた。


「もしかして、ス……」

「わかりました。わかりましたから、教室でその話は止めてください!」


 僕はできるだけ声を抑えて叫んだが、クラスに来ていた数人がこちらを振り返った。

 その気配に宮古さんも気が付いた。


「あ、うん。そうだよね。ごめんごめん。誰かにバレたら大変なことになるよね」

「でも、僕のことがみんなにバレた方が、宮古さんは楽になれますよね」

「ん? なんで?」


 彼女は首を傾げる。

 わざとはぐらかしているのか、それとも本当にストーカーをなんともおもっていないのかわからなかった。


「おっ。なぎさ。おはよう!」

「あ、浜音ちゃん。おはよう」


 突如現れたのは、僕に入部届を書かせたヤンキーもとい奄美さんだった。


「おはよう。隠岐。なぎさに何か用事でもあった?」


 こちらを振り返った奄美さんはとてもにこやかだった。にこやかな表情で僕を睨んでいる。僕は首を横に振った。彼女の前だとヘビに睨まれたカエルだ。


「用事があったのは私の方なんだよ。浜音ちゃん」

「そうなの?」

「うん。じゃあね、隠岐くん。また後でメールするね」

「あ、はい」


 宮古さんが自分の席に戻っていって、僕はふぅとため息をついた。


「おい。隠岐」


 顔を上げると、僕は再びカエルに戻った。


「な、なに奄美さん」

「最近、よくアイツと話しているみたいだけれど、アイツに何かしたらどうなるかわかっているよな?」

「う、うん。ハハハ。何もないよ。本当」


 僕は苦笑いを浮かべた。

 奄美さんにバレたら大変なことになる……。

 僕は背筋に寒気を感じた。


――――――


 後で送られてきたメールには、

「今日はちょっと寄り道するから、ついてきて」

 と書かれていた。

 警察に出頭……であってほしいとさえ思った。

 僕は犯罪者なのだ。もう行くべき場所に行って、心を直してもらった方が良いのかもしれない。

 でも、宮古さんはそうしないともわかっていた。

 学校が終わって、終業のチャイムが鳴る。宮古さんが友達と話している間、僕は本を読んで時間を調節する。彼女が教室を出そうな頃合いを見計らって、僕もいかにも本を読み終えた風に、片づけを始める。

 廊下に出てからは、スマホの画面を見るふりをしながら彼女の位置を確認して、後は適度な距離を保ちつつ見失わないように、しかし追いかけすぎないようにする。

 学校から出て、数分後。宮古さんがスマホを取り出しす。

 僕のスマホにメールが届く。


「ちゃんと付いてきている? 曲がり角にある喫茶店に入るから、そこでお話しよ。 宮古」


 彼女は周囲を窺うように、キョロキョロしてから建物に入っていった。僕も、少しためらったけれど、彼女が入ってから少しして店に入る。

 喫茶店は複合ビルの一階にあった。内装はしっかりしていて、木製のテーブルや模造品の梁が施されている。

 中に入ると、一番奥のテーブル席に彼女の後ろ姿があった。


「宮古さん」

「あ、来た来た。すぐわかった?」

「まぁ。そうですね」


 僕は苦笑いをしながら席に着いた。しかし、内心は緊張していた。一体「お話」とは何なのだろうか?


「隠岐くんは何か飲む?」

「え? あ、じゃあ、コーヒーで」

「ふふふ。コーヒー好きだよね。隠岐くん」

「コーヒー以外飲まないだけですけどね」

「そうなの?」


 通りがかった店員さんを呼び止めて、僕がホットコーヒー、宮古さんはウーロン茶を頼んだ。

 しばしの沈黙が流れる。僕の喉は緊張でとっくにカラカラになっていた。早くコーヒーが来ることを願いながら、水を飲む。


「あのね。隠岐くん」

「な、なんですか?」

「このお店、一人でも来るんだ。テーブル席が適度に囲まれていて、落ち着くでしょ?」

「そうですね」

「しかも、いつ来ても空いているから、お話にはもってこいかなと思って」


 ちょうど店員さんが飲み物を持ってきて、切ない表情を浮かべて戻っていった。

 お互いに飲み物を一口すする。

 先に切り出したのは、僕だった。


「そ、それで話って言うのは?」

「えっと……。どうかな?」

「どうって……何がですか?」

「この前の時に言ったよね。私の事で気が付いたことを教えて。って」


 彼女があの日の別れ際に耳元で頼んだことだった。

 僕自身は今の今まで忘れていた。


「そうでしたね……」

「どんなことでもいいよ。気付いたことない?」

「いや……その……」

「まだ、わからないか。うん。もしなにか気が付いたら教えてね。メールとかでもいいから」


 宮古さんは優しい諭すような口調で、僕に語り掛けた。

 そういう人だ。

 クラスの中での様子を見ている限り、宮古さんが心から怒ったり、悲しんだり、感情を露にするところを見たことがない。笑うことはよくある。というか、いつも笑っている。

 だから、彼女の笑顔は全部偽物じゃないのかとも思った。

 彼女は感情を隠している。

 宮古さんは嘘をついている。


「あの、どうしてそんなこと僕に聞くんですか。自分の事なんて」

「んー。ちょっとね。自分って何かなって最近思うの」

「自分?」

「そう。隠岐くんは観察とか得意そうだから、私の知らない私を見つけてくそうだなって」


 宮古さんは宮古さんなりに悩みがあった。

 僕はどこか安心して、次の質問を投げかけた。


「自分のことを知りたいからって、あんなこと言ったんですか?」

「あんなことって?」

「僕が幸せならストーカーしてもいいって……」


「いや? 私のことは別に()()()だけど?」


「ついで……? じゃあ、本当に僕を幸せにするために?」

「うん。あの時、隠岐くんはストーカーの自分を許せずに苦しんでいるみたいだったから」

「それは……その通りですけど」

「だから、私だけでもそのことを受け止めてあげたら、隠岐くんは何か変われるのかな、幸せになれるのかなって――そう思ったの」

「それは……何かおかしいですよ。ストーカーは犯罪ですよ。宮古さんは被害者になっていいんですか?」


 首を横に振ってほしかった。

 でも、彼女は頷いた。


「うん。それで君が幸せなら」


 彼女は笑った。

 何時でも彼女は笑っている。

 そうやって彼女は僕を許す。

 どこまでも僕を許す。

 それが僕には――耐えられなかった。


「あ、でもあの人みたいに直接突っかかってこられると困るかな。私も平凡な日常を送りたいし。それだけはしないでほしいな」


 そういうことじゃない。

 僕は彼女と大きなすれ違いをしているような気がした。


「宮古さんは……自分がストーカーされていると思って、どう感じましたか?」


 普通だったら「気持ち悪い」とか「嫌だった」とか答えるところだと思う。

 でも、彼女は違う。


「まぁ、成上さんだってストーカーだし……慣れているから、大丈夫だよって」

「それって、慣れてなかったら……本当は大丈夫じゃないってことですよね」


 宮古さんが、目から鱗が落ちたような、驚いた表情を浮かべた。


「まぁ、正直言って気持ちいいものじゃないか。うん。でも、私は大丈夫だから、気にしないでいいよ」

「何も大丈夫じゃないです」


 僕は呟いた。

 コーヒーカップを持つ手が震える。


「ストーカーは犯罪です。人殺しと何も変わりません」

「それは言い過ぎだよ。隠岐くん。確かに、ストーカーは犯罪だけど……」


「ストーカーは人の心に一生残る傷をつける……そういう犯罪なんです!」


 僕は思わず声を荒らげた。

 一瞬、静寂が店を包んだ。


「隠岐くん。落ち着いて」

「す、すいません」

「ううん。謝るのは私の方だよ。ごめんね。隠岐くん……」

「宮古さんが謝ることなんて……」

「あるよ。私、全然隠岐くんのことわかっていなかった。私はとんだ偽善者だよ。私、隠岐くんを許していい気になっていた。これでいいだろうって軽く思っていた。そんなじゃないよね」


 冷めた声だった。冷徹に自分を咎めるような口調。

 僕は動揺した。


「それは……考えすぎ……だと思います」

「優しいね。隠岐くん」


 宮古さんが目を細める。僕を見ようとせずに、俯いて、ウーロン茶のストローをかき混ぜる。

 氷が小さく音を立ててぶつかる。

 その姿を見て、不思議な気持ちになった。たぶん、宮古さんがこんな表情になるところを初めて見たからだと思う。


「ねぇ。隠岐くん。聞いてもいいかな」

「な、なんですか?」

「どうして嫌だったのに、私のことをストーカーしたの?」

「宮古さんのことをストーキングしたのは……」


 僕はどこから説明したらいいのかわからなかった。


「あの。昔話をしてもいいですか?」

「いいよ」


 それから僕は初めてストーキングした時のこと、他人を疑うようになったこと、ストーカー行為が周囲に知られたときのことを離した。

 今まで、頭の中でゴチャゴチャ考えていた癖に、いざ話すとなるとうまくまとめられなかった。それでも、宮古さんは黙って、話を聞いてくれた。


「――と、いうわけなんです」

「つまり、隠岐くんは私が影で悪口言っているって思っていたんだ」

「ま、まぁ……そうです」

「そっか。でも、それって大変じゃない? 怪しいと思ったら、みんな怪しいじゃん」

「ええ。だから、親しくなった人のことは大抵追いかけていました。先生をストーキングしたこともあります」

「徹底しているね……」

「流石にドン引きですよね」

「でも、その執念は探偵とかに生かせそうだよね」

「どうでしょう?」


 宮古さんと普通に会話ができている。その自然さが不自然に感じた。

 宮古さんのまとう空気は不思議で、全てを受け入れてくれている感覚に陥った。でも、それは危険なものだとも思う。僕がストーキングしたことだって、宮古さんを傷つけていたに違いない。でも、彼女はその傷を見ようとしない。誤魔化そうとしている。

 僕は心の底でそう感じた。

 



 カフェを出ると、太陽がきらめいていた。

 僕には少し眩しすぎる。


「ねぇ。隠岐くん。もうストーカーじゃないんだよね。じゃあ、一緒に帰ろう?」

「え?」

「だって、さっき言ってくれたじゃん。『親しくなった人のことは追いかけていた』って、じゃあ。私は隠岐くんの親しい人……そういうことでしょ?」


 宮古さんが笑った。仮面のような笑顔じゃない。顔全体で嬉しさが表現されているような、とてもさわやかな笑顔だった。

 その時、風が草木を揺らした。


「まぁ……。そうかもしれないですね」

「そうだよ。きっと」

「あの……どこか無理してませんか?」

「無理なんてしないよ? 最初から」

「ちょっと信じられないです」

「信じられないなら、また私のストーカーになる?」

「なりません!」

「だよね。そう言ってくれるって信じていたよ。だからさ、隠岐くんも私の事信じてくれないかな?」

「それは――」


 僕は、彼女の問いかけには答えられなかった。

 僕はまだ、そこまで自分を許せてはいなかった。


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