1-5 僕の告白
慈愛に満ちたまなざしで男を見つめる宮古さん。
世界が一瞬止まったかのように、僕も、男も、動けなくなった。
その一瞬が永遠に続くとも思えた。
そこに甲高いサイレンが響く。誰かの通報でやってきたパトカーだ。
男は警察官に呆気なく捕まって、パトカーの方へ連れていかれた。
「大丈夫かい。君」
「は、はい」
僕と宮古さんは警官に誘導されて、路肩に移動した。
「大丈夫? 隠岐くん」
「あぁ。うん。宮古さんは……」
「私は大丈夫。慣れっこだから」
宮古さんはまた笑った。
さっきから、彼女の仮面のような笑顔しか見ていない。そのことが、どうしてだろうか、僕の心を締め付けた。
「さてと……」
警官が、コホンと一つ咳払いをする。僕は思わず姿勢を正した。
しかし、警官の態度は思いのほかフランクだった。
「大丈夫かい。宮古ちゃん」
「私は大丈夫です。淡路さん」
「ハイハイ。宮古ちゃんの大丈夫は大丈夫じゃない。頬が腫れているぞ。殴られたか?」
「えへへ。淡路さんにはなんでもお見通しですね」
「そういって、俺を持ち上げても、しっかり調書は書かせてもらうからな」
「宮古さん。この人と知り合いなの?」
「うん。この人は淡路巡査だよ」
「淡路巡査部長だ。そういう小僧は何者だ? まさか……」
警官が険しい表情で僕の顔を覗き込む。僕は焦った。僕はストーカー……犯罪者なのだ。
しかし、警官は僕を指さして一言。
「宮古ちゃんの彼氏だな!」
「違いますよ。同じ部活の隠岐 景文くんです」
「なーんだ。いよいよ宮古ちゃんにも春が来たと思ったのによ」
ガハハハッと大きな声を出して笑う。そして、気が済んだのか、この陽気な警官はようやく本職に取り掛かり始めた。
「それじゃあ、二人にはなにが起こったのか教えてもらおうか」
なぜ、僕がここにいるのか。宮古さんの言い方によっては、事態は逃れられないものになるかもしれない。 ――どうしよう。とりあえず、さっき地図を見ていた時の言い訳で押し通せるか?
僕は思わず宮古さんの方を見た。
「えっと……。淡路さん」
僕の脳裏に様々な考えが交錯する中、いよいよ宮古さんが口を開いた。
彼女はなにを語るつもりなのか、僕の緊張はピークに達した。
「実は私と隠岐くん。一緒に帰っていたんです。部活に関することでお話ししようと思って。そうだよね。隠岐くん」
宮古さんが言ったのは、「嘘」だった。
彼女は僕の方をちらりと見る。僕はなすすべなく頷く。
「それで、そう。あそこの丁字路の手前で別れたんです」
「ほう?」
「でも、家の前に成上さんがいて……あ、成上さんの話は後でいいですか?」
「……そうだな。後でじっくり聞かせてもらおう」
2人が僕のことをチラリと見た。僕がいる前では話しにくいことということだろう。
「えっと、それで、成上さんが私に迫ってきて、私が少し声を張り上げていたので、隠岐くんが心配して見に来てくれたんだよね。そうだよね。隠岐くん」
またもうなずく。
でも、全部嘘だ。
「ほぅ。なかなか男らしいところがあるんだな。小僧」
しかし、この警官はすっかり信じてしまっているようで、ウンウンと納得しているようだった。
その後、僕は電話番号を聞かれて、後日連絡するということになった。
「さて、宮古ちゃんには、もうちょっと詳しく話を聞かせてもらおうか」
「お手柔らかに。あ、でもその前に隠岐くんと少し話してもいいですか?」
「いいぞ」
そう言うと、淡路さんは気をつかってか、パトカーの方へ向かった。
「大変だったね。隠岐くん。ケガは大丈夫?」
「僕は、なんともないです」
よかったと言って微笑む宮古さん。
僕は彼女に、どうしても確認しなくちゃいけないことがあった。
「宮古さん。なんで、あんな嘘吐いたんですか?」
「嘘って?」
「一緒に帰っていたとかなんとか」
「そうした方が良いのかなって思って。隠岐くん。なんだか聞かれたくなさそうだったから」
「ははは」
僕の口からは乾いた声しか出なかった。
「ねぇ。隠岐くん。本当はなんでここにいたの?」
「えっと……それは、あのコッチに親戚の家があるんですよ。それで、今日はそこに用事があって」
「ふーん。どこにあるの?」
「いや。ここら辺はあまり来ないので、どこってすぐに言えないんですけど」
「隠岐くん」
「はい?」
「えへへ。嘘吐くの下手だね」
僕は焦った。もしかして、彼女は僕がストーキングしてきたことに気が付いているんじゃないのか? もし、そうだとして、そのことが周囲に言われたりしたら……。
僕の脳裏に、中学の時に「隠岐がストーカーだった」という噂が広まったことがフラッシュバックされた。
露骨に僕をさらし者にするクラスメイトもいたし、影で僕を責めるクラスメイトもいた。
転校の手続きが終わるまで、僕は家に引きこもるしかなかった。
親の面子を守るためにも、これ以上なにかトラブルは起こしたくない。
「あ、あの……」
「なに?」
「ここにいたことを誰にも言わないでおいてくれますか?」
「んー。隠岐くんが本当の事を言ってくれたらいいよ。……なんて冗談。隠岐くんが嫌なら誰にも言わないよ。約束する」
宮古さんは軽い気持ちで言ったのだろう。でも、そのちょっかいが僕をますます焦らせた。
どうするべきなのか、僕には一切わからなかった。
「――宮古さん」
僕の声は自分でもわかるくらいに震えていた。
「どうしたの隠岐くん」
「初めて話をしたとき、僕は、自分が犯罪者だって言いましたよね」
「あー。そうだったね」
「僕は――僕は――」
考えてみれば、こんな告白をする必要はないのかもしれない。
でも、今更言葉を止めることはできなかった。
「ずっとストーカーだったんです」
――ついに言ってしまった。
「で、でも、昔の話なんです。それで、気の迷いというか、今までもずっとしていませんでした。そうです。今日まで、宮古さんに会ってから一度も……」
「隠岐くん。落ち着いて、ね?」
「僕は宮古さんのストーカーです。でも、今日が最初で、今日が最後です。永遠にしません。誓います。本当です」
「うん。わかった。ありがとう。話してくれて」
宮古さんの手が、僕の固く閉ざされた手を包んだ。俯いた視線を上げると、宮古さんがこちらをまっすぐ見ていた。
僕は、たじろいでしまった。
宮古さんの表情はあの男に向けていた表情と同じだった。
慈愛に満ちたまなざしで僕を見つめる宮古さん。
それから彼女が口にした言葉は、信じられないものだった。
「隠岐くん。実はね。私今までもストーカーにあったことがあるの。だから大丈夫」
「え?」
「私は大丈夫だよ。でも、隠岐くんの方がなんだか苦しそう」
なにが大丈夫なんだろう。どうしてこの人は、僕の心配なんてしてるんだろう。
「私は大丈夫。なんならストーカーを続けてもいいんだよ。知らない人につけられているよりも、隠岐くんの方が気は楽だろうし」
「なにを言っているんですか? ……よくわからないです」
「隠岐くんがそれで幸せなら、ストーカーを続けてもいいんだよ」
目の前にいる宮古さんの言葉の意味を、僕は一つも理解できなかった。
ストーカーしていていい?
僕が混乱する中、パトカーの方から警官が戻ってきた。
「宮古ちゃん。もう、いいかな」
「はーい」
宮古さんは手を上げた。そして、僕に向かってこう言った。
「そうだ。お願いがあるの。私を見ていて、何か気が付いたことがあったら教えて」
彼女がスッと近づいて、僕の耳元に囁く。
「よろしくね。私のストーカーさん」
そうして宮古さんはパトカーの方へ歩いて行った。
その後、警官から色々と説明をされたのだけれど、あまり頭に入ってこなかった。
気が付くと、僕は家にいた。頭の中は宮古さんのことでいっぱいだ。
宮古さんは、僕のストーカーを許してくれた。いや、許してくれただけじゃない。受け入れてくれた。
どうしてあんなことを言うのか。僕には全く理解できなかった。
第一話はここまでです。
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*追記 区切りを考えて、次の話も一話ということにしました。