1-2 僕の出会い
僕が宮古さんと初めて話したのは、一週間前のことだった。
僕が教室で本を読んでいるところに、彼女は突然声をかけてきた。
「こんにちは。隠岐くん」
その時は、名前も知らなかった。ただ、小柄なクラスメイトが僕に話かけている――くらいの認識だった。
「……何の用ですか?」
「これ」
彼女が渡してきたのは、入部届だった。
部活動欄には「家庭総合研究部」と書かれている。繊細で綺麗な字だった。
「隠岐くん。今はどこの部活にも入ってないよね」
「そうですけど。僕は部活に入るつもりなんてないです」
彼女が親指だけ閉じた手を突き出す。僕は驚いて、丸くなっていた体を起こした。
「えーっとね。実はこの部活。先輩が一人だけでね、新入生が4人必要なの。4人」
彼女は指を曲げる。
「私と浜音ちゃん。あと2人必要なの。それで、少なくとも2人は役員になるから、兼部不可なんだって。それで……」
「つまり、名前を貸せっていうことですか?」
「そうそう」
僕は本を閉じた。
僕は高校生活が始まるにあたって、出来るだけ人間関係を作るまいと決めていた。人間関係には信用・信頼が付き物だ。僕にはまだ他人を信じる自信はない。
「断ります」
「どうして?」
「僕は誰かと話をするような人間じゃないんです」
「そんなことないよ。ほら、現に今。私とお話しているでしょ」
穏やかに微笑む彼女。
僕は心の扉を叩かれた気がした。それと同時に僕の警戒心が強くなる。
ここで、僕は妙案を思いついた。
「いいですか」
「なに?」
「僕はですね。犯罪者なんですよ」
最初からこうすればよかったのだ。こうすれば、誰からも近寄られることはない。
信じてもらえないだろうが、おかしなヤツだと思ってくれるだろう。
そう踏んで言ったのに。
「それは……大変だったね」
彼女の表情は真剣そのものだった。
思っていたのと違うリアクションにこちらが動揺する。
「安心して。先輩もすごくいい人だから。きっと大丈夫だよ」
「いや……ですから」
「しかもね。この部活『家庭総合研究部』だから、社会復帰に良いと思うよ。……あれ、なんか説得の仕方間違えている?」
「たぶん。間違えています」
「えへへ。ゴメンね」
僕は先ほどから高鳴る心拍数にブレーキをかけながら話をしていた。
だが、その心臓も一瞬止まることになる。
「おい。お前」
突然後ろから声をかけられて、思わず振り返ると、鋭い目つきをした女子が立っていた。ギャルというより……チンピラだ。
「さっきからグズグズうるせえぞ」
「ひぃ」
「ここに名前を書けば、終わるんだよ。ほら」
ドン! という強い衝撃音と共にボールペンが机に叩きつけらる。
「浜音ちゃん。ゴメンね。私に任せてって言ったのに」
「いいんだよ。なぎさ。コイツが頑固なだけさ。ほら、素直になれよ」
コロッと口調を変えながらも、僕の方には威圧感を放ち続けるヤクザのようなクラスメイトに、僕の心拍数は先ほどとは違う意味で上昇していた。
「まさか、自分の名前忘れたわけじゃないよね?」
「い、いえ」
「なら書けるな?」
僕は無言でうなずいて。泣く泣く用紙に名前を書いた。
ヤクザは満足そうに用紙を奪い取る。
「隠岐……これ下の名前なんて読むんだ?」
「『かげふみ』だよね。隠岐くん」
小柄な少女が改めて、こちらを向く。
「それじゃあ。よろしくね。隠岐くん。私の名前は宮古 なぎさ」
「ウチは奄美 浜音。よろしくな」
「は、はぁ」
そうして、僕と宮古さんは出会ってしまった。
その日。僕はいつもより疲れて帰った。
でも、部活に参加する必要はない。あの二人とも適度に距離を取っていれば、問題ない――そう思っていた。
「隠岐くん。おはよう」
「部室来てみない? ダメ? そっか、じゃあ明日ね」
彼女は予想外にも僕にちょっかいをかけてきた。
彼女をしばらく観察してみると、僕だけでなく、他の人にも分け隔てなく話しかけていた。それが少しショックだったかと聞かれれば、否定はしきれない。でも、最初から宮古さんがいわゆる「人たらし」な女性であることはなんとなくわかった。
その姿が初恋の人を思い出させた。
彼女も誰にだって優しい人だった。
でも、その優しさは結局偽物だった。
宮古さんもそうなのだろうか。
ふと――そう思ってしまった。