3話 芽生る想いは未だ・・・2
私はただ、由沙に安心してほしくて先の行動に走ったのであって、やましい気持ちなど一切ない。
我に返った私は今は由沙から少し離れている。といってもそすぐ隣に寄っただけだが。
「七恵ちゃん今、すごいドキドキしてるね」と言われたのをきっかけに私は自分が何をしてるのか、冷静に考えて慌てて飛び退いたのだ。
いきなりの奇行に由沙は驚いたようだが、私は小さく咳払いをして横に座り直して今に至る。
確かにあんなに密着していれば心臓の鼓動も伝わるだろう。知られてしまったのが恥ずかしい。変に思われてないかが気掛かりだ。いや、もう変ってイメージが定着してるんだっけ……?
とりあえず何か喋らないと気まずくなる予感がして、私はあせあせと話題を探す。だがそうするほどに話題は浮かばず逆に沈んでいくような気がして、なんでもいいからと藁にもすがる思いで言葉を絞り出した。
「す、砂奈とかにもっ、こんな感じにする、の?」
飛び出した言葉は何故かさっきまで密着してたことに関する問いで、声は裏返ったり、ぶつ切りになったりで酸素が足りていない。恥ずかしさから、いっそこのまま気を失った方が楽かもと考えた。
「こんな感じ、って?」
「えっ、と……今みたいに、もたれかかったり……とか?」
「んーん、七恵ちゃんにしかしてないよー。どうして?」
首を傾げて「どうして?」って、それはこっちが聞きたいことだ。それに私にしかしてないなら尚更疑問である。何も答えられない私の気を察してか、由沙は続けて口を開いた。
「目が見えないの分かってて友達になりたい、なんて言うの七恵ちゃんだけだったし……、そこに甘えちゃったのかも」
てへへー、と舌を出しておどけてみせた表情に少し切なさを感じて胸の奥がきゅってなった。私はこの感覚や感情がよく分かっていない。なんで由沙といると変な気持ちになることが多いのだろう?
「砂奈にもやってるよーって言ったら、もしかして焼きもち妬いてた?」
「へっ!? やきもち? そ、そんなべつに、関係ないし」
「そーなのかなー? 怪しいなぁ」
「関係ないったら、もう……」
にまにましながら私の様子を窺う由沙は楽しそうだった。楽しませるつもりなんてない話題だったのだが、由沙が笑ってくれたのが嬉しくて釣られて私も笑うのだった。
「でもありがとうね、七恵ちゃん。さっき、すごく嬉しかった」
そして「またしてね」と耳元で囁かれ、蒸気が立ち昇るのでは? と思うほどの熱を自分の顔に感じた。
「また」、っていうのは……ぎゅっとしてしまったことを言ってるのだろうか? 無意識的にやってしまったので、意識してできる自信はない。ない、けど由沙が望むなら……うん、頑張る。
あの時、腕の中にあった由沙の温もりを思い出すと、心臓がばくばくと騒ぎだし手が震えてしまうのだった。
その後は、由沙がいろいろ雑談で話題を広げてくれた。
このまま学校に通うことは難しいので辞めて盲学校を検討してる話とか、たまに病院に検査に行って病状の進行度を見つつ改善法を探る話とか。
好きなぬいぐるみやクッションのこだわりの話は、私にとって馴染みのない話題なので新鮮で面白かったし、アニメなんかも好きなようで、共通のものを見ていたことが少し嬉しかったりした。
そしていつの間にか時刻は夕方に迫っていて、それでもまだ由沙と話しをしていたい、なんて思ったがさすがにダメだろう。
「由沙、そろそろ夕方になるよ?」
「え~っ、うそだよ……あっ、ほんとうだ!」
自分のスマホで時間を見辛そうに眺めてからの少しオーバー気味なリアクション。感受性を素直に出せるのも魅力のポイントの一つなのかな、と思ったりした。
「そろそろ、お母さんたちが帰ってくる時間かも」
「そっか、じゃあそろそろ帰ろうかな」
家族の人と顔を合わせるのはどこか気が引けた。私が“最近できた友達”ということを知られたらどんな風に思われるかが心配だったのだ。それに動機も少し変だったし、由沙にもその理由は教えていない。
けど、だんだんと普通の友達のように思えるようになってきたので、もっと堂々としても良さそうな気もする。心の準備がまだ、ってだけだ。
「今日は来てくれてありがとうね」
「いいよ、お礼なんて。その……友達、なんだし。もっとかしこまらずに? いこうよ」
「……ふふっ、うんっ! そうだね」
普通の友達から遊んだだけでお礼を言われるのは、私的に距離を感じてしまう。その事を伝えたかった。笑われてるけど、ちゃんと伝わっただろうか?
「じゃあね、由沙」
「うん、また来てね!」
「うん。……あっ、見送りとかいいから」
「え、そう? んー、じゃあここで」
「うん。またね」
「ばいばーい」
ほっとくと由沙は庭先まで出て来そうだった。また転ばれても困るので見送りは玄関まででいい。
満面の笑みに見送られながら、玄関から外へと出る私。ゆっくりとドアが閉まる間、由沙の姿を少しでも目に焼き付けようと瞬きをせずに見続けた。
扉が閉まってからは少し名残惜しい気持ちに浸りながら、上之宅を背に前へ進んだ。
・
なんだか変に疲れた気もしたが、幸福な気分だった。まだ心臓が早く脈打ってる感覚があり身体が温かい気がした。最近は夕暮れに近づくと肌寒くなっていたはずだ。心が温かいと体温にも影響するのだろうか?
由沙の家からはまだ数歩しか離れておらず、明日も日曜で暇してるんじゃないかな? なんて考えながら歩いていた。すると――。
「緒割、さん……だよね?」
「えっ――!?」
驚いて対面側の道路を見ると怪訝な表情を浮かべた部活のユニフォーム姿のクラスメイト、谷川砂奈が立っていた。部活帰りだろうか?
こうして由沙と会っていると、いつかは鉢合わせる可能性は頭の片隅に持っていたが、こうも早くにそれが訪れるとは。できるだけ避けたかった事態に縮こまりそうになる。
「今、由沙の家から出てきたように見えたけど?」
「え、う……そうだけど」
「何か用だったの?」
少し高圧的な態度は、私が怪しいと睨んだからだろう。由沙と私が友達になった件を砂奈は知らない。怪しまれて当然だ。
「なんで何も答えないの?」
「いや、えっと。少し話してただけ、だよ……」
「話……? 最近学校に来ないから興味があった、とか? 目の事、知ってどうだったの?」
「それは、辛いだろうなとは思う……けど」
「他人事だからそう思えるんだよね。緒割さんって他人の不幸に首突っ込むような人だったっけ?」
「ち、違う! 私はただ、心配で。元気になってもらいたくて――」
「それは偽善、だよね? そんな気持ち押し付けられても、もう見えないんだし、見えるあなたに構われたりしたら余計辛いに決まってるでしょ?」
「そんなの――――」
そんなの、違う……。あんなに楽しそうに笑ってくれてたし、元気付けることもできた。それともあれは演技だった? いや、そうは思わない。ならなんで、私は砂奈の言葉をちゃんと否定できない……?
「最近病院にも誰か来てるなって思ってたけど、もしかして花持ってきたのも緒割さん? 残酷だと思わなかったの?」
「その時はまだ、目の事は知らなくて」
「ってことは知ってからも関わってるだ。どういうつもりなの……? これ以上関わると由沙が可哀想だと思うけど」
「わ、私は…………由沙と、友達だから――」
「友達……? なんで今更友達になる必要があるの? もしかして、弱みに漬け込んで何か企んでたりする?」
「そんなことっ――――!」
「まぁ、いいわ。由沙は優しすぎるから。どんな経緯であなたが親しくなったかはこの際どうでもいいけど、これから先も関わるつもり? 目が見えない由沙と、向き合い続ける覚悟はあるの?」
「そ……れは…………」
「これから先、由沙はたくさん辛い思いをするはず。表にはあまり出さないけど今もとても辛いはず。私は付き合いは中学からの友達だけど、親身になって支えてあげられるか? と問われれば難しいと思う。けど、友達だし定期的に様子は見に行ったりするつもりよ。拒絶されない限りは」
砂奈は言葉を止め、私の様子を見てる。私は呆然とするだけで何も返せず、目を逸らすばかりだ。だって由沙と話し始めて友達になって、まだ日が浅い。私が知らない由沙を砂奈はたくさん知ってるはずだ。
そんな相手から、あなたがやってることは偽善だのなんだのと不安を煽られて気にしないほど、私は図太く出来ていなかった。
「緒割さんもこれから先はよく考えて動いて欲しい。中途半端な気持ちなら付き合わない方が由沙のためだよ。それに忠告……ではないけど、もし冷やかしとか悪巧みしてるなら許さないから。人として」
それだけ言うと、砂奈は私とすれ違い由沙の家へと向かった。何をしに行ったのかは気になったけど聞ける雰囲気ではないし、そんな根性もない。にしても随分と悪印象を持たれたな……。
砂奈がまた戻って来る前に、私は足早に引き返した。途中、足が震え、視界が涙で歪んだ。
何も言い返せなかった自分が、誤解されたままの自分が、悔しかったのかもしれない。
・
気が滅入りながらも休日を終え、週明けの月曜を迎えていた。
結局、昨日は家からは一歩も出ずに由沙のことについていろいろ考えていた。
このまま友達を続けるのは、砂奈の言うように由沙にとって辛いことなのか。私がやってることは偽善なのか。それから、向き合い続ける覚悟があるのか――。
何一つ答えは出なかった。由沙の考えてる事が分かるほど私はまだ由沙を理解していないし、お互い知るために距離感を縮めようと頑張ってる段階なのだ。
いつものように昨日も由沙からチャットがあった。返すついでに砂奈の件を聞いてみたが、忘れ物をしただけだったみたいだ。通話に誘われたが気分ではなく、「今は話せない」と返したら返信は以降来なかった。今は打ててるチャットも、いずれは出来なくなるんだろうなと考えると辛くなった。
「よっ、七恵。貧乏神にでも憑かれた顔してるよ」
「はぁ……どんな顔よ」
自分の席で考え事をしてると、相変わらず朝からうるさい綾子に突っ掛かられた。私の周りをぐるぐる歩いてるのは、その憑き物を追い払うおまじないでもしてるのかもしれない。
「何考えてるかは分からないけど、今どんな気分かは分かりやすい七恵さーん」
「なによ、わざとらしい……」
「上之さんと友達になれたんでしょ? もう喧嘩したの?」
「なんで? 違うけど」
「じゃあ何? 何があったの? すごく元気ないように見えるよ」
「べ…………、べつ、にっ…………あれ――?」
気付けば涙が溢れていて、涙腺を制御できていなかった。自分でも驚いて、顔をハンカチで覆う。
「わっ、ごめん! 後で話聞くから、泣き止んでよ」
綾子に頭をぽんぽんとされるがそんなの逆効果だ。触らないでほしい。
これから授業が、一日が始まっていくのに……。
意地で他のことに意識を集中させ、なんとか授業までにはこの不安定な感情を鎮めた。