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2話 貴女のための些細なこと・・・1

 黄斑変性症――。

 それが“とりあえず”上之が侵された病名らしい。

 あまり耳に馴染みのないそれの症状は、ものを見るときに重要なはたらきをする黄斑という組織が何らかの形でダメージを受けて視力が低下する病気らしい。

 とりあえず、というのは他の病状も同時に見られたことと、脳や他の部分に原因がある可能性があるとの事らしい。そのせいで入院を勧められたんだとか。

 目は危険な状態だったが、応急処置を施して失明までは免れたらしく、目の端や顔がくっつくくらいに近づけた物は見えると上之は言う。

 現に上之は私が持ってきた花をしっかり見ようと、顔に近づけたり角度を変えたりと試行錯誤している。渡した際に僅かに見せた涙はもう引っ込んでいて、「オレンジの花だぁ」などと嬉しそうにしている。あのまま泣かれていたら私はものすごく焦っていただろう。


 「あのさ、治るんだよね? その目って」

 「……ううん。難しいみたい」

 「医学って最近かなり進歩してるよね? レーザー治療とかも優秀って聞いたことあるけど」

 「それだけじゃダメみたいで、やったとしてもリスクもあるってさ。けどこのままじゃどんどん見えなくなる一方なんだよねぇ。一つの病気はお年寄りに多い症状みたいで、なんでいきなり発症したかは原因不明みたいだし」

 「そう、なんだ……」


 上之の置かれた状況に、自分の身を置き換えて考えてみると、身が凍えるかと思うくらいの恐怖を感じた。今はわずかに見えていても、どんどん見えなくなるってことは最終的に失明するって意味なのだろう。この歳でいきなり、それも理由もわからず視力を奪われるなんて上之が何か悪い事でもしたのだろうか? 神様がいるなら問いただして怒りをぶつけたいところだ。


 「砂奈から目のことは聞かなかったの? 話すならこういうことは教えるはずだけどなぁ」

 「へっ、あぁそれは急いでて……というか、なんというか」

 「……いそぐー?」


 上之の意識はまだお土産のお花に向いてるが、さすがに少し怪しまれていた。こういう場合の嘘ってバレたらどうなるのだろうか? 悪いことはしてないはずなのに、変に罪悪感を感じる。病状を知って、いたたまれない気持ちになってるせいもあるかもしれない。

 何か会話を始めようと試みるもショックが強くて頭が真っ白に近かったので、声が出ずに息だけが口からこぼれる。空のスポイトで空気を押し出してる感覚に似ていた。

 沈黙がしばらく続き、上之も堪能し終えたのか花のバスケットをベッドの横に添えている。


 「緒割さん……? そこにいる?」

 「うん、いるよ」

 「えっと。どうして今日は来てくれたの?」

 「その……ずっと休んでたし、心配だったって理由じゃ、ダメかな?」

 「だめじゃないけど、あんまりしゃべったことなかったよね? 私たち」

 「う、うん。そうね……」


 それからまたしばらくの沈黙。上之は視線を下げて何か考えるように首を傾げている。多分、進行形でいろいろ疑っているのだろう。当然といえば当然だが、私の方も疑われないようなちゃんとした理由を作っておいた方がよかったなと今更な考えに至る。


 「緒割さんは、他のクラスメイトが休んでもこんな風にお見舞いに来るの?」

 「えっ、いや……さすがに、いかな――」

 「実は今日来たのには別に理由があってね~。この場所を知ったのは、あたしが砂奈たちが話してるのを勝手に聞いてて、七恵に教えたんだよ。あー、私は同じクラスの綾子。七恵の友達で付き添いだよ」


 見るに見かねたというように、綾子が割り込んできていた。突然のことに驚いたし、綾子が表れるほどマズい状況だっただろうか? 反論しようとしたが、手で制された。

 「そういうことか」と小さく呟いた上之は「でも別の理由って?」と疑問の本質について知りたがっている。綾子はどんな理由をでっち上げて乗り切るつもりなのだろう?


 「実は、七恵は上之さんと友達になりたいんだってさ」

 「ちょ? ばっ、綾子!」


 綾子には確かにそう伝えてたがそうじゃないのだ。さっきは信じてないように見えたのにあれは演技だったのか? それともこれはわざと……? しかし今は目の前の状況の収拾が先だ。「違うから」と否定するのは失礼だなと逡巡してると、上之の方が先に口を開いた。


 「それは、やめといた方がいいと思う」

 「えっ……?」

 「緒割さんが友達になりたかったのは“目が見える頃の私”でしょ?」


 その言葉にあまりに寂しく暗い印象を受け、息が詰まりそうになる。まるで今の自分を前とは全く違う存在だと否定してるかのような、そんな気がした。


 「今の私と友達になっても面倒なだけだよ。絶対迷惑かけるし……だから、嬉しいけど、ごめんなさい」


 あくまで気丈に振る舞おうとしてるのか、上之は控え目に笑んでいた。けどそれは仮初めのものだと私にはすぐ分かった。だって、見てると嬉しくなる処か逆に胸が苦しくなったから。

 きっとお土産を渡した時に溢しそうになった涙が本音に違いない。それでも普段通りであろうと頑張る上之は、見た目よりもずっと強い子なんだ。


 「せっかく来てもらったのに、気分悪くしたよね」

 「ううん、勝手に来たのは私だから。……あのさ、ひとつ聞いていい?」

 「なーに?」

 「なんで面会の許可、出してくれたの?」

 「……暇だったから、かなぁ」


 そう言った上之を見て、これは本音なんだろうなと私の勘が告げた。



 「大丈夫?」と、綾子が心配そうに私の顔を覗き込んだ。大丈夫じゃない……。上之の置かれた状況を整理しようとして胸を痛めている最中だ。

 まさか失明寸前だったなんて思いもしなかったので、一息ついた今でも受け入れがたい。

 病院を後にした私たちは、少し休憩する為に最寄りのカフェに来ている。こんな時でも綾子は平常運転で、付き添いのご褒美という名目で私がコーヒーをおごった。


 「なんであの時でてきたの?」

 「あー、空気悪かったし、自覚ないだろうけど会話の流れも変だったし。まあ私が出てもあまり変わらなかったけどね。少しは何か分かった?」

 「……うん、少しね」


 心の内側が少しは覗けたような気がする。平静を取り繕う鎧の中に見た、泣いてうずくまる感情。それが何かを求めて泣いてるのか、何かを諦めて泣いてるのか……それは分からなかった。けど、どっちもなのかもしれない。


 「そういえば、このままだと上之どうなるのかな?」

 「どうなる……か。多分、もう学校には来れないんじゃないかな」

 「それは困る――! あ、ごめんっ……」


 つい熱くなってテーブルを叩いて立ち上がっていた。周囲に頭を下げて座り直すと同時に、私はそれほど上之の笑顔に固執しているのだなと気付いた。


 「でも、もうどうしようもないんじゃない?」

 「そう、なのかな……?」

 「だってすぐには治せないんでしょ?」

 「うん、でも……」


 でも、このままだと。視力が失われていくように笑う心も失われていく。実際、既に失われつつあるかに見えたのでそう確信が持てた。

 そんなのは嫌だけど治療が無理に近く、自然に治るような奇跡も望めないのだ。私は医者でもなければ魔法少女でもない、ただの無力な女子高生だ。そんな私ごときが上之にしてあげられる事なんて何もない…………のか? ほんとに?

 何かないかと上之と交わした会話を、足掻くように反芻してみると別れ際に言われた“暇だから”という言葉が引っ掛かった。

 暇だから――、会ってくれたんだよね?


 「ね、私って昔から諦め悪いよね?」

 「ん? そーね、いきなりどうしたの?」

 「明日も上之のお見舞いに、行こうかと思う」

 「は? バカでしょ。何を諦めきれないか知らないけど、もう関わらない方がお互いのためじゃない? これ以上会っても目が良くなる訳じゃないだろうし……」

 「そうなんだけど、さ。このまま終わりたくないっていうか」

 「はぁ…………もしかして、好きなの?」

 「えっ?」

 「上之のこと。こんなにあんたが誰かのために何かしようとすること、今までなかったし」

 「そうだった? けど、そんなんじゃないよ」

 「違うの? ほんと分からないわー」

 「私もわからないよ」

 「なんじゃそりゃ」


 上之は知らないとしても、私は今までその笑顔に救われた経緯がある。それなら今度は私が助ける番ではないだろうか? 例え馬鹿で無謀な考えだったとしても、意思表示する前から諦めるのは私らしくない。

 明日は、上之が笑顔でいられるにはどうすればいいのか、もう一度会って何ができるかを探ろうと思う。でも見つからなかったときは、その時は……。

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