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1話 蝕まれた日常

 ため息が出るようなニュースによって、私の気分は早朝から沈んでいた。

 ホームルームにて、「上之由沙さんはしばらくお休みするとのことです」と先生から簡単な連絡事項があったのだ。

 休みなら理由も述べてほしいし、そのしばらくがいつ頃までなのかも教えてほしい。

 彼女の友人達も私と同じ考えのようで、先生に問い詰めていたが「家の都合らしい」という曖昧な回答しか得られてなかった。というか、友人にも話してないなんて一体どんな理由で休んでいるのだろう……? 事件に巻き込まれた? 夜逃げ? ……いやいや。


 私、緒割七恵は上之由沙との接点はあまりない。同じクラス、ってだけで特に友人だったりお話を交わすような仲ではなかった。それなら何故、彼女の事で私が落胆しているのか。


 その理由は、“彼女の笑顔から元気を貰っていたから”だった。


 ある日、友達と喧嘩して落ち込んでいたときにふと、友人達と談笑する上之の姿が視界に映った。

 屈託のない笑みで、けれど儚さを感じるそれを、優しく照らす月光のように感じた。

 その笑顔から何故か目が離せずに釘付けになってしまい、気付けば喧嘩で煩った嫌な感情が和らいでいて不思議に思ったものだ。

 それからだろうか。暇さえあれば上之の姿を目で追っている自分がいた。

 ほぼ無意識的なものであり、友達の綾子に「なに見てるの?」と指摘されるまでは気付かなかったから危ない。

 悟られないように、見つめすぎないように注意しながら上之を盗み見る努力をした。……なんだろう、完全に怪しい人である。

 しかしそれは日課になってしまい、テストで良い点を取れなかったりバイトでミスをしたり、気分が沈んだ時は上之の笑顔を求めるようになっていた。決して私に向けられたものではなかったが、おこぼれでも私の心は充分に満たされたのだった。



 二日耐え、三日耐え……。気付けば上之が休んでから一週間が経過していた。

 朝礼の鐘が鳴り、いつもは鬱陶しく感じるホームルームが待ち遠しいものに変わる。

 流石に一週間目だ。今日は何か情報があるだろうと期待してみたが、上之由沙に関する新しいお知らせは特になかった。

 日々のもやもやした気持ちを引き継ぐ事によって、今日もまた朝から机上にぐでーっとしてしまう。日光が足りてない植物の気持ちが分かりそうな気がした。

 そして気怠い気分のまま昼休みを迎える。


 「最近、大丈夫なのあんた? 気合い入ってるのは朝の一時だけに見えるけど」

 「んー、あー、まあね」

 「べつに褒めてないからね」


 友人の綾子が心配してくれていた。さすがに何日もこんな調子だと気にもされるだろう。

 人前では上之の笑顔が見れない物足りなさが態度に出ないよう隠しているが、そろそろ限界のようで綾子の前ではボロが出始めていた。気力が足りないのを取り繕う気が起きない。


 「なんでも聞くから、お姉さんに話してみ?」

 「お姉さん……? どこにいるのそんな人」

 「辞書の角で殴ってやろうか」

 「冗談よ、冗談。それにべつに悩みとか、そんなんじゃないから」


 自らをお姉さんぶった綾子は小学校の頃からの幼馴染みであり、よき理解者だ。しかしお姉さんと呼ぶには少し……いや、かなり背が低くそんな風に見えない。関係上、私の前だとずけずけ遠慮がないのはいつものことだ。


 「嘘ね。ため息多いしさ……あっ、もしかして恋っ!?」

 「はあーっ? そんなわけ、ない? いや、ある……?」


 歯切れが悪い上に何故か疑問系で返してしまう。そんな風には、考えたことがなかった。けどいい機会なのでちょっと考えてみよう。

 上之の笑顔を毎日見ないと気が済まないのは事実だ。見てると安心するし、癒しをもらえる。今日も頑張ろうってなる。ドキドキは……してるな多分。では好きなのか? ……嫌いでは、ない。けどそんなに上之のことをよく知らない。それに私も上之も女の子だ。恋にはならないのでは? うーん。


 「へーっ、あの七恵が恋ねぇ、いいねー」

 「やっぱ違うと思う」

 「じゃあ、なんなの? 欲求不満?」

 「実はさ、休んでる上之が少し気になってるだけ」


 私が白状すると、少しふざけ気味だった綾子が咳払いをして素に戻る。こういう真面目な話の時に空気を読んでくれるところはありがたい。さすが幼馴染み。


 「あんた上之さんとなんかあったの?」

 「いや、べつに何もないけど」

 「何もないのに気になるのは、おかしいんじゃない?」

 「確かに……」


 でも、だからといって正直に「上之の笑顔から元気もらってました」なんて教えて笑いのネタにでもされるのは勘弁である。綾子なら、やりかねない。


 「けどそうか、ふ~ん」

 「な、なによ」

 「ときどき何を見てるかなぁと思ったら、もしかして上之さんのこと見てたの?」

 「…………うん、まあ」


 バレたか。いや、ここまで話せばそこに結び付けるのは簡単だろう。けど、こうなってくると本当の理由が聞き出されるのは時間の問題のような気がした。綾子の好奇心がどこまで働くかにもよる。

 しかし、次の綾子の言葉は予想とは違い情報を発していた。


 「病気、みたいだよ」

 「えっ?」

 「上之さん。なんのかは知らないけど病院で入院してるみたい。砂奈たちが話してるの聞いた」

 「そうなんだ。いつ退院するかは?」

 「そこまでは聞いてないなぁ」


 上之の笑顔を見るべく毎日様子を窺っていると自然と得られた情報がある。上之の周囲には人が結構集まるのだ。友達を作りやすい人柄なのだろうが、私みたいに笑顔に心をやられた人もいるのかもしれない。

 今、話にでてきた砂奈とは恐らく上之の親友だ。よく一緒にいるのを見掛けた。活発で行動力がありクラスの人気者といった印象だ。けれど私は少し苦手としていた。

 それにしても病気、か。それも入院するレベルの……。家の都合とはなんだったのか。一気に不安が込み上げてきた。もしかするとあの笑顔はもう見られないのでは? と万一の事を危惧する。

 

 「気になるなら行ってみたら? 病院」

 「えっ、いや……それはまずくない? 友達でもないし」

 「まず、なんで上之さんを気にしてるか知らないけど、このままでいいの?」

 「う……それは」

 「それとあんたに元気がないと、私がつまんないのよ」

 「それってどういう、意味……」

 「元気のないあんたなんて、しなびた植物と同じって意味よ。見てられないわ」


 酷い。聞いて損した。綾子はこういうことを平然と言うやつだった。これが原因でたまに喧嘩になるのだけど、実はこれは綾子なりの励ましだったりするのだろうか? ……いや考えすぎか。

 とりあえず上之の件は「友達になってみたかった」ということにしておいた。綾子は「ふーん」などと棒読みで返して、嘘だなって顔をしていた。なんですぐにばれるんだろう。幼馴染みって怖い。



 「で、お土産は何買って行くつもり?」

 「なんで行くことになってるの? それに綾子まで」


 放課後になり私たちは駅前に繰り出していた。上之のいる病院に行こうか行くまいか決めあぐねていて、とりあえずお見舞いの品が手軽に用意できれば行こうかなぁ、くらいの気持ちだった。

 上之のことは気になるが、あまり面識がないので正直気は重い。それにいきなり来て嫌がられたりしないだろうか?


 「流れ的にもう行くしかないでしょ。明日もまた一日しょんぼりしてるつもり? それにあんた一人だと行くかどうか迷ってるうちに面会の時間終わりそうだし」

 「うぅ、確かに……」


 こういう時の綾子には頭が上がらない。けど、上之にも都合があるだろう。受付けでアポを取って断られたらお土産だけ預けて帰ろう。そう決めて周囲を散策する。

 雑貨店が建ち並ぶ通りに生花店を見つけたので入ってみることにした。お見舞いといえば花が定番だと思ったからだ。

 しかし花に関しては知識も理解もないので、出迎えてくれた色とりどりの花々にただただ見とれるだけだった。感想も「綺麗だなあ」と簡素なものしか出てこず、自分の表現力が嘆かわしい。


 「……なんの花が良いと思う?」

 「私に振るんだ? 根付くイコール寝付く、って意味で鉢植えはまずいってことしか知らないかな。店員に聞いてみたら?」

 「それもそうか」


 近場にいた店員さんを呼び止め、お見舞い用の花になりそうなものを聞く。明るいイメージで人気のあるオレンジガーベラという花を勧められた。すぐに飾れるようにそのガーベラをバスケットに盛り付けた商品が人気らしい。

 あれこれ悩む選択肢も時間もないので、流されるようにそのオススメの品を購入した。予想外の出費だったが、まあ仕方ない。


 「けど珍しいわね。七恵が友達でもない人にそこまでするなんて」

 「これを機に友達になるかもしれないじゃない?」

 「そういう狙いかー。ズルくない? べつにいいけどさ」

 「冗談よ。元気になってもらいたいだけだから」


 そうだ。元気になってもらえれば、それだけでいい。いつ学校に戻れるのか――。その確認だけでも取れれば私は安心できる。別に本当に友達になろうだとかは考えてないし、今までの日常に上之が戻りさえすれば全て解決する話なのだ。


 「それよりさー、今更なんだけどいい?」

 「なに?」

 「勧めといてなんだけど、砂奈にいろいろ聞いてから来ればよかったんじゃない?」

 「ほんと今更だね。それは途中で思ったけど、話してくれるかわかんないしここまで来ちゃったし。もういいよ」

 「そっか。病状良くなってるといいね。なんの病気かわかんないけど」

 「うん」


 上之がなんの病気なのかを考えながら歩く。

 がんとかだったらどうしよう。抗がん剤治療って確か髪がなくなったりするんだよね? 上之の髪は結構綺麗な感じがしたから、もしそうならショックだったりしないだろうか? ……いや、がんと決まった訳じゃないし。インフルエンザ、とかの可能性は? それなら入院するケースも聞いたことがあるが――。時期じゃない。

 とまあ、私の思考できる範疇では検討もつかなかったので、健康であれと祈った。



 病院の位置は、線路を越えた一つ隣の地区と、徒歩で行ける距離なので割りと早くに到着した。白い外観の大きな建物はこの地域では一番大きい病院だ。こんなところに入る機会は生活上ほぼ無縁の為、つい足がすくんで往来する人を目で見送る。そうしてると綾子に背中を押されやっと足が動いた。

 自動ドアを潜ると病院特有の消毒されたような匂いに包まれる。見渡すと正面奥に“受付け”と読める場所があったので迷わずそこへ向かう。


 「すみません、お見舞いに来たのですが、面会できますか?」

 「はい。どなた様にでしょう? アポはとられてますか?」

 「上之由沙さん、です。アポ……はとってないので会えるか聞いてもらえますか?」

 「それでは、お名前と要件をここに記入を――」


 事務的なやり取りのあと、しばらく待つことになった。

 待合室で座ってる間、このまま帰ってしまおうかと何度か思った。やっぱりいきなりお見舞いなんておかしいし、非常識だろう。私が上之の立場ならそう思う。しかし、名前を受付けで教えてしまったのでもう遅い。せめてお土産が気持ち悪がられないよう願う。


 「……――の、あのー、すみません」

 「ほら、七恵。聞いてる? 面会行くよ」

 「あっ……うんっ」


 いつの間にか受付けの看護婦さんが横に来ていて綾子に催促されていた…………って、え? 面会に行くって、上之は了承してくれたのだろうか?

 何かの間違いでは? そう思いつつ教えられた病室へと進む。病院の廊下は、思ったよりも会話や人に溢れていてそれほど暗い感じはしなかったのでイメージと違った。大きい病院だから? 昼間だから? まあ、暗いよりは精神面も明るくなって患者さんたちにも良いかもしれない。

 病室は三階だったがエレベーターが使えたので楽だった。


 「303……ここだね。私はここで待つよ」

 「えっ、一緒に行かないの?」

 「私はただの付き添いだから。お土産もないし、顔合わせる理由もないし。何かあったら行くけど問題とか起こさないでよ?」

 「はあ? そんなことするわけないし」

 「なら行った行った」

 「むぅ、せっかくだからくればいのに……」


 この扉を開ければ上之がいる。笑顔が望める状況かは分からない。

 取っ手を掴むと、なんだか振動している。自分の手が緊張に震えていたのだ。

 思うように動かず膠着していると突然、パシッと両肩を叩かれた。綾子だ。「深呼吸ー」と言われ、ゆっくり言われた通りにし息を整える。震えが少し治まった。もう一度取っ手に触れる前に、ノックする事を忘れてることに気付く。

 軽くコンコン、とすると「どうぞ」という返事があったのでゆっくりドアを開いた。

 そろそろ夕暮れどきで日も傾いてきているのに部屋は消灯していて薄暗かった。すぐ横のスイッチで電気を付けると、上之はベッドで上体を起こしていた。眩しがるような仕草はなく寝てた訳ではないらしい。けどパジャマ姿だったので寝る直前だったのかもしれない。


 「あの、同じクラスの緒割よ。お見舞いに、来たんだけど」

 「ありがとう。でも、どうして緒割さんが私の入院のこと知ってるの?」

 「えっと、砂奈に聞いて……」

 「砂奈ってそんなにおしゃべりだったかな? クラスの人には言わなくていいって言ったのにー」


 少し頬をふくらませながらも、嬉しそうにニコッとしてくれたので心拍数が上がる。

 見た感じ元気そうで、外見も普段と変わらない気がした。髪も抜けていなければ、固定器具や変なチューブも刺さってない。もしかして退院間近だったのかも。もしそうならこの花のバスケットは退院祝いになるだろう。そう思うと気が楽だった。


 「あの、これお土産なんだけど」

 「何持ってきてくれたの?」

 「えっ…………?」


 さっきから私はお花で飾ったバスケットを両手で抱えるようにして持っている。他にお土産になりそうなものは見えないはずなのだが。けど、今まで接点がなかったしこれが自分のお土産だとは思ってないのかもしれない。

 私は近づいて「これだよ」と目の前に差し出してみた。すると上之の手は空をさ迷いながらゆっくりとバスケットに触れて、ぴくっとなり両手でそれをつかんだ。花を丁寧に撫でるように確かめてるようだが、視線はそこに焦点が合ってないようで私は違和感と不安を覚えた。少し前の浮かれた気分が冷たいものに変わっていくのを感じる。


 「お花かぁ。結構盛られてるみたいだけど高いんじゃないの?」

 「えっ、そ、そんなでもない……よ?」


 わけがわからなかった。この反応は、まるで――。そう、“見えてない”かのような……。そんな気がした。こんな状況で冗談を言えるだろうか? でも、仮に上之が冗談好きでこれが冗談っていうなら百歩譲って許したい。しかし、その僅かな希望は上之の言葉によって打ち砕かれる。


 「綺麗なんだろうけど、もうあんまり見えないから残念だなぁ」


 そう呟いた上之の表情には、笑いながらも涙が滲んでいた。

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