8羽
8
バサッ。
羽の息吹。
「ルカ! ルカ! 聞こえてる?」
ルカの目は羽に埋もれるようだ。だが、まだ人の姿をしている。体のあちこちから羽根は生え、すぐに散りゆく羽根もあった。それは、厳かな儀式にも見えた。人間が、行異へと変貌する過程。
「ルカ! 聞いてくれ! 君は、悲しみに満ちたそんな姿になることなんてないよ! 君は醜くなんかない!」
ルカの目は刹那を確かに見ていた。しかし、何も言葉を発することはなかった。静かにじっとただ時の流れを待っている。
「『キレイな愛』なんてすぐ見つかる。僕とルカが一緒に探せばすぐだよ」
「すぐ……?」
ルカがやっと反応を示した。
「すぐだよ!」
堂々と刹那は言った。
「わかってない……。私の探しものは、探して見つかるものじゃないのよ。そこらへんに落ちてるものじゃないの」
絶望へと近づくたびにルカの進化は勢いを増す。
「うっ!」
刹那は行異の負のオーラにあてられ気分が悪くなった。
「でも……、確かに探してたんだろ? ここで」
刹那は顔を歪めながら、それでもルカの前から離れなかった。
「……もう、私には無理」
「だめだよ……! のまれるな! 僕は一目見た時から……」
刹那はそこで言葉を止めた。
その一瞬、ルカの行異化が止まったように感じた。
「言って……。言って欲しい。その言葉が欲しいの」
ルカはしっかりと刹那を見た。刹那はもうずっとルカの目を見つめている。ここに来てから、ルカと出会ってからずっと、短い間でもルカの瞳をずっと見ていた。
「『キレイな愛』は僕らが出会ったときから見つかってた。ほら、君と出会ったとき、見つけてあげるって言っただろ? 約束は破らない」
刹那の顔に笑みがこぼれる。
その2人の様子を、絵里奈は少し離れた場所から見ていた。そこはもう、2人だけの空間だった。他の行異はもはやルカに従うように大人しくその場にいるだけだったから。少しの距離をおいて、絵里奈は2人の様子をその目でちゃんと見ていた。そして聞いていた。刹那の言葉を。
「僕は、一目見た時から君のことを、愛してる。なぜだろう、わからない。でもね、君だけは守りたいって、君と離れたくないって、ただ、そう思ったんだ。だから、君を無理やりにでも連れて来たんだ」
刹那は自分の心を確認するように、自分の気持ちをルカに伝えた。
「これが、僕からの愛だよ」
刹那はルカの目を見て、真実を伝えた。
「キレイ……。お水の色ね」
ルカの目から涙が止まった。
「透明な……、ただただ透きとおる水の色?」
刹那は聞いた。
「そう、私には見える色」
「見つけたね」
刹那は嬉しかった。『愛』を見つけたルカはとても美しかった。
「だったら、その透明な心で、私の胸に飛び込んで?」
ルカは美しく笑ったまま、刹那に向かってそう言った。
「え?」
そこで刹那の顔は曇った。それは、愛の言葉ではないとわかったから。飛びこむ行為は、ここでは抱きしめるということとは違う。それに、ルカは平静を取り戻しただけで、その姿は未だ羽にまみれた『行異』だった。
「行異になった私が最上部への入り口よ。夢遊塔へ入るとき、行異の中に入ったでしょ? あれと一緒よ。ね? 助けたい人がいるんでしょ?」
「できない!」
刹那の顔は一瞬で青くなった。まさか! あの行為をまたしろと?
「お願い」
「できないよ!」
刹那は完全に下を向いた。ルカから目を離した。
「そして気付いてあげて。あの人の気持ちに」
「?」
刹那は顔をあげる。
「知ってるでしょ? 行異は殺されるのを待ってる悲しい存在なの。でも、ただ死ぬだけじゃ悲しみが残る。だけどあなたの力があれば行異は悲しみから解放される。だったら、殺してくれるよね?」
「悲しいでしょうけど、最上階へ行かなければ全てのものを助けることはできません」
時を見計らったからのように、上級天使のクリアな声が背後から聞こえた。
「みんなを救って」
ルカも上級天使から後押しをもらったように刹那に言った。行異になって、ルカはますます美しさを増したように見えた。なぜだろう。出会った時の無機質な喋り方はもうしない。心からの言葉を発していることがわかる。
残酷だ。
「……ひどいな、神様は」
刹那は鼻をすすった。その目に涙は見えなかった。
「セツナ……」
上級天使が後ろから包み込むようにセツナを誘う。
「ルカの願いが殺してくれっていうのもひどい! 愛してるって、言ったばかりなんだぞ!」
刹那はどこかふっきれた様子でルカを指さした。
「刹那さん……」
ルカが刹那の名を呼んだ。
「本当にいいんだな?」
「願いなの。言ったでしょ?」
ああ、本当に残酷だ。刹那は悲しく微笑みながらそう思った。
「すべては仕組まれているかのようだな」
刹那は後ろを振り返り上級天使に向かってそう言った。
「いいえ。セツナ、それはあなたがわかっているはず。あなたこそが証明できるはず。そしてそれはルカもわかっている。あなたたちは、ただ惹かれあっただけだということを」
ああ、本当に残酷だ。刹那は同じことを思ったが、今度はどこか晴れやかな気持ちだった。
「その手の中にあるディスク。それがあれば全てを終わらせることができる。どうか、よろしくお願いします」
「任せてくれていい」
刹那は言った。
「エリナ、あなたもよ」
そこで上級天使は振り返る。後ろで手を口にあてただただ立ちすくんでいる絵里奈がそこにいた。刹那も、絵里奈の顔を今改めて見た。
「私も……?」
絵里奈の声は少し震えていた。
「でも……」
「行こう、絵里奈」
刹那が言葉を引き取った。刹那が笑っている。笑って、一緒にいてもいいと私に言ってくれている。絵里奈はそれだけでよかった。刹那が許してくれた。そう思えた。許してくれないと思った。
「うん……」
絵里奈は首を縦に振った。許してくれるなら、どこまでだってついて行く。
「会ったのが今日なら、さよならも今日か?」
刹那はルカに向かってそう言った。
「これも運命よ。さよなら、キレイな人」
「さよなら、ルカ」
愛しいキレイなルカ。キレイな愛、そのもののルカ。
「ルカさん、ごめんなさい」
絵里奈は目を合わせることができなかった。
「それはこっちのセリフです」
ルカは絵里奈のことを怒っても、ましてや恨んだりなんてしていなかった。むしろ、謝りたいのは私の方だと、心の底から思っていた。
「……」
絵里奈はルカを見て思った。ああ、とてもキレイな女の子だわ。
「行って!」
ルカが叫ぶ。
「絵里奈! 行くぞ!」
ここへ来たときと一緒。絵里奈に手を差し伸べ、ついてこい、と、刹那は言っている。
刹那はルカの体へと飛び込んだ。
なぜだろう、刹那はその時あたたかい人のぬくもりを感じた。
待ってろ……。待ってろよ、ユッチ!
刹那は本来の目的を今しっかりと頭の中に刻んだ。ルカに包まれた時、その目的だけが希望の光となって、正しい判断に導いてくれると思った。
ドサッ。
夢遊塔と同じく、やはり顔から落ちた。
「って……」
やはりこの衝撃はなんだかイラッとくる。刹那は体を起して周りを見渡す。
「ここは、どこだ? 絵里奈?」
「神経塔だよ」
懐かしい声が聞こえた。
「和加?」
刹那はここいちばんの間抜け面でその名を呼んだ。