6羽
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新しい仲間が入り3人になったはずだが、会話もはずむことなく刹那たちは無言の中、階段を昇り続けた。
「扉があるわ、刹那」
黙々と前を歩いていた絵里奈が立ち止まる。目線が下へと向いていた刹那は顔を上げて、絵里奈の言う扉を見た。
「本当だ……。ここが中央部?」
やっと景色が変わった。白い両開きの扉。取っ手だけが妙に金色に光っている。
「扉を触ればわかる……。中で行異が泣いているのが……見える」
絵里奈が白い扉に両手をつき、耳をその扉に近づけ、独り言のように呟いた。
「絵里奈?」
刹那はその絵里奈の姿を見ているとなんだかゾッとした。
「お前……、なんかおかしいぞ?」
目が……。いつもの目と違う、まるで……。
「絵里奈!」
刹那は絵里奈の肩を持ち、無理やり扉から離した。
「あれ?」
刹那と絵里奈の目が合った。その絵里奈はくりっとした大きな茶色い目をしたいつもの絵里奈だった。
「どうしたの? 随分昇ってきたよね。そろそろ中央部ってのでいいんじゃない? 行こうよ」
「あ……、ああ。そうだな」
刹那は確かに、絵里奈に『行異』を感じた。だけど、そんなことがあるはずない。刹那はその時の不安を胸に閉じ込めた。
「私が、先に……」
2人の合間をぬって、ルカが金色の取っ手を握った。
「あ!」
不意を突かれ、扉が開けられた。その瞬間、
「すっごい揺れ~」
絵里奈が壁に手をついて体を支えるようにして言った。
「これも神が近いから?」
扉の向こう、中が暗くてあまり先が見渡せなかった。
「いや……、これは……」
この揺れ、なにかが違う。昇るにつれて揺れの頻度が高くなっていたのは確か。だけど、種類が違う。
「聞こえる……。何かがこっちに来てる……。群れをなして……」
足音と呼べるものではないが、確かに近づいてくる。大きくなっているのは、揺れだけじゃない。
「それって……」
絵里奈がわかっていても言いたくない、というように言葉を飲み込んだ。
「行異よ」
代わりに無表情なルカがハッキリとそう言った。
ドグ……ッ
「ルカ! 逃げろ!」
扉を開いた瞬間、行異の群れがところどころから湧いてきた。行異の住処。神もいるけどここには大量の行異がいる。一体どういうことだ? 行異を浄化できる僕は、神ができないことができるということか? 浄化をすることは、僕じゃなくて神の仕事ではないのか?
「止まっちゃだめよ! 刹那!」
絵里奈は無意識に走り出す。刹那も走っていた。だけど、ルカは動かなかった。ルカのまわりにみるみるうちに羽が、ドロッとした羽がたくさん集まっていて、ルカをじっと覗き込んでいた。
「ルカ!」
刹那は足を止めた。
「刹那?」
絵里奈は嫌な予感がした。だめよ、だめ。絶対やめて。絵里奈は心の中で刹那に懇願していた。
「止まったらダメ!」
刹那の足は動いた。絵里奈の方ではない。入り口で固まったままのルカの方へ。
「刹那―!」
絵里奈の声が虚しく響いた。
刹那は行異の隙間をかいくぐって、ルカを守るように自分の腕の中へ引き寄せた。
行異の臭い、行異の悲しみ、刹那はルカをギュっと抱きしめる。目を開くことはできなかった。自分に紋章があることも忘れ、ただひたすらルカを守ることだけを刹那は考えていた。
「……」
あれ? 襲われていない? そのことに疑問を持った刹那は静かに目を開ける。
行異は確かにそこにいた。だけど、そのまま何をするわけでもなく、しばらく刹那とルカのまわりを取り囲んだだけで、そのままスッと姿を一瞬で消してしまった。
「え……?」
拍子抜けの刹那。
「消えたわ。奥に天使様がいる」
刹那に抱き寄せられたままのルカが言った。
「あっ! ごめんルカ」
刹那はルカから体を離した。
「なんて言った?」
「天使様がいる」
ルカが繰り返す。
「上級天使……?」
刹那はルカの言う「奥」へと目を向ける。さっきまで行異がいて見えなかった。
「そう、アジレスタ様よ」
行異の代わりに現れたアイオーンは無機質にそう言った。
「でも、ここから先、行けるのは回音刹那だけ。涙目のルカと春名絵里奈はわたくしと一緒にここで待つの」
奥に、小さな扉が見えた。上級天使は思いがけずひっそりとしたところに隠れるようにしてある扉の中にいるようだ。
「行ってくる」
刹那はそう言うと、ルカの方を見る。
「ルカ、大丈夫、ここで待ってて」
刹那はルカに優しく笑いかけた。そんな刹那を絵里奈は横目で見ていた。上級天使に一人で会いに行く刹那を、止めることなく静かに見送った。
「お呼びでしょうか? 天使様?」
パタン……。
扉が閉まった途端に、どこか悪意を込めて刹那はそう言葉を放った。
「……よくぞ、ここまで来てくれました」
悪意などまるで飲み込んでしまう上級天使はあたたかい光を放ち、刹那を迎え入れた。なぜ、アイオーンを見たときにこの目の前の天使と間違えたんだろう。全然違う。僕にオーラを見る力なんてないはずなのに、この天使は確実に、全身から白い光を放っていた。神聖なるものの証を背負っていた。
「なんとかね」
刹那は少し冷静になる。
「みんな無事だよ。飛び入りの子もいるけど」
「涙目のルカ、ですね、彼女は……」
「なんだよ」
刹那はあたたかい光を受け入れなかった。上級天使に続きを言わせなかった。
「いいえ、謎の多い子です。ただそれだけです」
上級天使はそれだけ言った。
「ここは一体なんなのか、ルカが一体何者なのか、そんなことはもうどうでもいい。こんな得体の知れない場所で起こる出来事、説明してくれたところで理解できるはずもないんだ。だけど、目的は? 僕の目的はユッチを助けること。じゃ、お偉い天使様の目的は?」
「和加の望みと同じです。行異の浄化です」
一つの間もあけず上級天使は言い切った。
「……方法は? まさか、僕が一つ残らず切らなきゃいけないわけ?」
「あなたの能力は、あなたを守るためだけに。方法は、このディスクを、最上階、ユウイチのいる部屋で流して下さい。この塔全体へ響き渡るように……」
小さなディスクが上級天使の手の中に現れた。
「それだけ?」
刹那は思わず聞き返す。
「それだけです……けど、問題が」
「わかりやすい方法だと思うけど、なんの問題が?」
少しぶすくれた刹那は上目遣いで上級天使に尋ねた。
「ここは……、夢遊器官塔は、3つの塔から成り立っているんです。最下部からルカのいた場所までが夢遊塔。そこからここ、中央部までが器官塔。そしてここから上が……、わからない」
「わからない? 僕はあなたの言っていることがわからないけど、とにかく行ってみればいいだろ」
刹那は上目遣いの上にさらに不信感を込めて上級天使を見た。
「入り口さえも……わからないんですよ」
その言葉には刹那も絶句した。不信感すらもふっとんだ。
「な……、でも、和加も言ってた。ユッチは最上階にいるって!」
「和加の行方も、わからなくて」
「……」
わからないことだらけじゃないか! ここで行き止まりになるとは……。刹那はあたたかい、優しいだけの存在に、『善』の象徴であるはずのものに、違和感を覚えずにはいられなかった。僕を呼んだのに、導く術を持たないなんて。
刹那の頭の中で、希望がポン、と弾けて消えた。あなたに会いにくれば、安心できると思ったのに……。その『貴方』である上級天使は、少し悲しそうに笑っていた。