いつもの朝が変わる時
携帯電話のアラームが鳴り、私は目を覚ました。
一つ伸びをしてからベッドを降り、制服に着替えて髪を櫛で梳きつつ、テレビをつける。
『……今日の天気は、ほぼ全域で曇りのち雨の予報となっています。降水確率はーー』
そこまで聞くとテレビを切り、屋内のベランダに布団を干すと腕時計を見る。その針は5時2分を差していた。
そろそろ、朝食の支度をしなければならない時刻だ。
少し慌てつつリビングへ入ると、ガランと静まり返っていた。人の気配はない。
「まだ寝ているのか……」
私は一つため息をつくと、一切飾り気のない水色のエプロンを身につける。
「昨日の夜は洋食だったし、今朝は和食にするか」
そう呟くと、冷蔵庫の中にある食材を取り出し、調理を開始した。
数十分後、白米に味噌汁と焼き魚というベタな和食が食卓に並んでいた。
それを見ながら、両親をもう起こすべきか考えていると、玄関の扉が勢いよく開かれた音がし、リビングへ人が飛び込んできた。
「良ちゃーん! おーはーよー!!」
「おはよう。今日も朝から元気だね、京」
「元気じゃねーと、やってけねーよ! 学校行ったら、自主練するんだしさ!」
そう、京は笑顔で言った。
だが、私は知っている。
京の『自主練』が、部活や道場の練習量の数十倍過酷だということを。
そのため、京の『自主練』中には生徒は勿論、教師ですら武道場に近付くのを恐れているのだ。
「京はすごいな……。私には出来る気がしない」
「そーかな?」
「そうだよ。……っと、もう5時半か。京は先に食べ始めていたらどうだ? 自主練をするんだろう?」
「『俺は』? ……良ちゃんは、俺と一緒に食べないの?」
「父さんと母さんを起こしてきてから、だな。食器を片付けてから学校へ行きたいし」
「りょーかい。んじゃ、いっただーきまーす!」
食べ始めた京を目の端で見ながら、リビングの扉を開けると、父さんが眠そうに目を擦る母さんの手を引いて、こちらに歩いて来ていた。
「ほら、もうすぐリビングだから、起きないといけないよ?」
「分かってるけど、眠いの〜」
「おはよう、父さん、母さん。朝ご飯は出来てるよ」
「あら〜。それは楽しみなの〜」
「……いつも済まないね。家事を全て任せてしまって」
父さんの言葉に、私は笑顔で首を横に振る。
「私が、好きでやってることだから」
そう、『好きでやってること』なのだ。
「……良ちゃーん! ご飯って、何杯までおかわりして良いのー?」
「三杯までだ。……全部食べるなよ?」
「うんうん。分かってる、分かってるー♪」
京の返事を聞いて、全部食べ尽くされる光景しか浮かばない。
「父さん、母さん。早く朝ご飯を食べよう」
「あー、うん。そうだね、分かったよ」
「分〜かったの〜」
父さんと母さんを席に着かせると、丼茶碗いっぱいに盛ったご飯を運ぶ京とすれ違い、普通の茶碗二つに適量を盛るとそれぞれの目の前に置いて、私も自分の席に着く。
「いただきます」
「「いただきます」」
「いただいてまーす」
私たちの生きる糧となる生物に感謝を捧げ、自分が作った料理を黙々と食べ切る。
「「ごちそうさまでした」」
「二人とも、息ぴったりだね」
「ね〜。もう、結婚しちゃえばいいと思うの〜」
「断固断る。誰が、このばかと結婚なんかするものか!」
母さんの趣味の悪い冗談に、思わず怒鳴ってしまった。
それにより、若干気まずくなった空気から逃げるかのように、流しへ食器を持って行く。
「良ちゃん、ごめんね。悪気はなかったの」
という母さんの謝罪を聞きながら、食器を片付ける。
「でも、俺は良ちゃんとなら結婚したいかな?」
「黙れ、ばか」
京の言葉に反射的に言い返すと、米を研ぎ炊飯器にセットする。
「暇なら、私の鞄を玄関へ持っていってくれ」
「分かった! 待ってるよー」
私の鞄を片手に持ち、大きく手を振って玄関へと走って行った。
「あらあら。あらあらあら〜」
「……茜音さんの夢、現実味を帯びてきたね」
父さんと母さんが何か言っているのを聞き流しつつ、小さなホワイトボードに今日絶対にしなければならないことを箇条書きで書くと玄関へ向かう。
玄関では、京が靴の手入れをしていた。
我が家にある革靴が新品同様になっている様には、正直感嘆を禁じ得ない。
「良ちゃん、ちょーっと待ってね。すぐ片すから」
そう言って京は手早く道具を片付けると、私の通学用の靴を履きやすい位置に置いてくれた。
「ありがとう、京」
「どーいたしまして!」
満面の笑みを浮かべ、元気良く返事をしてくれる京に一瞬耳と尻尾を幻視した。
「ねー、早く行こー?」
「分かったから、少し待ってくれ」
袖を引っ張っていた京を宥める様に言うと、袖から手をはなしてくれた。
靴の踵に、指を掛けて履いた。
「準備オッケー?」
「ああ」
「んじゃ、行こっかー。おじさーん、おばさーん、行ってきまーす!」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい〜」
「気をつけて行って来るんだよ?」
いつも通りの挨拶をすると、玄関の扉を開けて家を出る。
そこで目に飛び込んで来たのは、見慣れた住宅街の風景ーーではなく、大量の木々だった。