05 王宮は大根が豊作です。
王子様が怒って部屋を出て行った後、あたしは部屋の扉や窓を片っ端から開けようとした。案の定、無駄なあがきだったけど。
当然、扉には鍵がかかっていたし、嵌め殺しの窓には頑丈な鉄のレリーフが施されていて窓を割ったところで出られそうにない。どう見ても、貴人を軟禁する為の部屋ですね。
悔しくて、不安で、ボロボロ泣いていたら盛大に目が腫れた。朝になってあたしを起こしに来た女官さんに、この世の終わりのような悲鳴を上げさせてしまったよ。
そこからは、戦場だった。
朝から風呂に放り込まれ、まぶたに薬草を塗られてパックされ、全身マッサージで悲鳴を上げて、化粧を塗りたくられて……死ぬかと思った。
助かったのは、女神の衣裳はゆったりとしたシンプルなものだったことだ。ローブのようなものを上に何枚か羽織るが、コルセットが必要なかったのはありがたい。
あれは骨が折れるまで締め上げると母に聞いたことがある。コルセット、恐い。
髪も香油を薄く塗られたが、結い上げることなくそのまま後ろへ流される。髪飾りも、イヤリングも、ネックレスも無し。そのかわりシンプルな銀と石の腕輪だけは、二の腕と手首にいくつも重ねて付けられた。どうやら黒髪を可能な限り美しく見せることを意識した衣装のようだ。
お綺麗ですと見せられた鏡に写る姿はびっくりするほど整っていて、自分ではなくどこかからもってきたからくり人形に見えた。
そうしてあたしは王族達の前に、恭しく引き出された。
謁見の間ではないだろう。急遽整えられたらしい広間にあるのは、重厚な椅子が三客のみ。
その椅子の一つに、豪華な衣裳を纏った恰幅の良い初老の男性が一人。その横には高く髪を結い上げた化粧の濃い女性。どう見ても、国王と王妃だ。
三客の椅子を囲むように、若い数人の男女が立っている。王子達とその妃だろう。一人だけ国王と同じぐらいの年齢の男性と、何故かあの胡散臭い神官も立っていた。
一晩中泣いて寝不足気味だが、考える時間は沢山あった。まだ大丈夫。まだ頑張れる。あたしは嘘つきの性悪女なんだから。
頭を上げて、堂々と入室する。視線が集中するがしっかり前を向く。誰かがへぇ……と呟いた。
女官さん達の努力の賜物ですよ。あたしも鏡見て誰かと思ったし。
ジルと目が合う。
眉間にシワを寄せてあたしを見つめていた彼は、一瞬気まずそうな表情を見せて視線を反らした。あの、人形のような冷たい顔はしていない。こっそり安堵の息を吐く。
国王と王妃が立ち上がり、全員があたしに礼をとる。
「女神様にはご機嫌麗しく……」
国王のすぐ側に立った老人が、つらつらと挨拶を述べる。あたしが椅子に座ると、続いて室内にいる人物を紹介していった。
国王の名はコデルロス。本当はもっとバカみたいに長いが、覚えれるもんか。続いてソレーヌ王妃……正妃様だ。
皇太子の名はイシドール。彼は妃のシルヴェーヌを伴っていた。第2王子はアンセルム。第3王子のガエルは現在王都にはいない為不在。第4王子がジルで、第5王子はジョエルという名だが、まだ七歳と若年の為、この場にはいない。
胡散臭い神官様はディディエ枢機卿。思った以上の権力者だった。若いからよくて司祭ぐらいだと思っていたよ。
こうして皆を紹介しているのはラウール宰相。宰相様がやることではない気がするが、女神様に関わる話だから、王室外の人間を最小限に押さえたかったんだろうな。
紹介が終わるまでの間皆無言ではなく、隣の人とひそひそ話したり、くすくすと笑い声まで聞こえる。女神様を前にしての態度ではない。何なのこの茶番。ただ、ジルだけは無言でじっとあたしを見つめていた。
これは、役者が観客を兼ねた、趣味の悪い舞台だ。
彼らはあたしがどこまで『女神様』を演じれるのか、観劇している。あたしがここで女神なんかじゃないと言えば、即座に役者からただの道具にされてしまうんだろう。
子供を産むためだけの、ただの道具に。
「昨晩はジルを追い出したらしいが、夫とするに不足がありましたかな? そこのアンセルムにも正妃はいない。彼も女神様をお慕いする一人ですが」
国王陛下がいきなり下世話な話をする。手入れの届いた灰褐色の髪と髭。白い物も目立つが、まだ肌と共に艶が残っていて、……好色そう。
いまさらか。息子に『女神様』を夜這いさせるような人物だ。ただ、たまに鋭さを見せる視線は油断ならない。好人物にはとても見えないが、愚王ではなさそうだ。
アンセルム王子は三十歳前後か。王族ならとっくに結婚している年齢だから、側室がいっぱいいるってオチかも。
ちょっと痩せ気味で整った綺麗な顔をしているけど、目付きが粘っこくて気持ち悪い。笑顔は胡散臭い……というより嫌らしく感じた。勘だけど、なんか性格悪そうだな。
「……いいえ。ただ昨晩は疲れていたので、ジル殿下は私を気遣かって一人にしてくれただけです」
あたしが今朝、パンパンにまぶたを腫らしてたことも知ってるのかもしれないが、あたしの本心なんか国王にはどうでも良いはずだ。
黒髪黒眼の子供を産めばそれでいい。ついでに女神として公式の場で役に立ってくれればラッキー。ってとこでしょう。
驚いた顔のジルが目の端に移った。
昨夜、彼は結局無理強いはしなかった。冷静に考えれば、奇跡的な出来事だ。アンセルムがジルよりもマシには、どうしても思えない。
「ジルよりも私の方が女神様を大事に致しますよ。ずっと女神様をお慕いしていたのです」
ちょっとムッとしながらアンセルムが言う。大根。ずっとって何だよ。あたしが王都へ現れたのはほんの一日前でしょうに。
あたしの返事はここへ来る前から決まっている。今のこの状況で、あたしが頼るべき相手は
「私はこの国を愛し、その繁栄を願い祈る存在です。陛下がジル殿下を私の夫にとお考えになったのも、この国を思ってのことでしょう。ならば私の夫は、ジルです」
ジルの表情が驚愕から困惑に変わる。
一晩で心変わりしたと思う? それとも大嘘だと見抜く?
どちらでもいい。あたしの演技に付き合って。
「私は、女神としての役割を……ただ果たすだけです」
そう締めくくって静かに目を伏せる。膝の上で祈るように組んだ手の平が汗ばむ。小刻みに体が震えるのは止められなかったが、権力に屈して女神を騙る罪に怯えていると思わせられる。
お願いジル。あたしの立場を心配してくれた、あの言葉は嘘じゃないと信じたい。
誰かが近づく気配に顔を上げる。片膝をついてひざまずいたジルは、あたしの手を取るとそっと指先に口づけた。
「私の女神。この命が尽きるまで、御身をお守りする事を誓いましょう」
この日をもって、女神の降臨と第4王子との婚姻が、正式に国内外に公表された。




