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30 あたしの夢を叶えて。

 日なただとちょっと汗ばむぐらいの陽気に、乾いた風が気持ちいい。(ほろ)を半分かけてあるので日差しは避けれている。膝の上に体温を置いていても、じっとしていれば暑くはなかった。

 ただ、クッションを敷いていてもお尻はちょっと痛い。車輪が石を食んでガタリと揺れる度に顔をしかめてしまう。痛い。

 それでも膝の上のものを下ろす気にはなれなくて、柔らかな髪をそっと撫でる。指の間を滑るさらりとした感触を楽しんでいると、髪と同じ色の長い睫毛が震えて形の良い眉が寄せられた。ゆっくりと瞼が上げられる。


「おはよう。ジル」


 目覚めたばかりで意識がハッキリしないのか、ぼんやりとした顔のジルが可愛くて、あたしは子供にするようにまた頭を撫でる。寝起きのジルって初めて見た。どうしよう。無茶苦茶可愛いんだけど。


「リュミエ!?」


 あたしを見て覚醒したジルが勢いよく起き上がる。揺れる床に体勢を崩しかけて手をついて、荷馬車の上にいる事に気付くとさらに困惑の表情を浮かべた。続けて脇腹に手を当てる。


「綺麗さっぱり治ってるよ。後でシンにお礼言ってね」

「シン?」

「死神の名前。通称だけど。リリィ、シン。ジル起きたよぉ〜!」


 あたしが御者席に声をかけると、「ジル様!」と勢いよく幌が跳ね上げられてリリィが顔を出す。続けて「状況説明しといてね〜」と、のんびりした声が返ってきた。


「お体の具合はいかがですか? どこか痛んだりはいたしませんか?」


 勢いこんで尋ねるリリィにジルは少し戸惑いながら、大丈夫だと返す。

 リリィは漸く「安心致しました」と笑顔を見せてくれた。あたしやシンはジルの魔力の流れが安定してるのが見えていたけど、リリィは死んだように眠る姿にずっと不安だったはずだ。久しぶりの彼女の笑顔にあたしも嬉しくなる。


「ジル起きたし、リリィもこっちで少し寝なよ。ここ数日あんまり寝てないでしょ」

「今から寝たら夜に眠れなくなってしまいます。リュミエール様、ジル様に今までの事をご説明して差し上げて下さい。」


 不安が消えたからか、幾分か顔色の良くなった彼女はそう言って、幌を戻してまた二人にしてくれた。気を使ってくれたのかな? 無理に奨めても承知してくれそうにないので、お言葉に甘えることにしよう。


「リュミエ、説明してくれ。何故俺は生きている? ハクカはどうなった?」

「えっと、じゃあまずハクカの事から話すね」




 クーデターは成功した。国王はその混乱の中で死亡。王妃は拘束され、軟禁中に毒を飲んで自害した。

 アンセルムは自室で喉を掻き切られて死んでいるのを発見される。右大腿部に短剣が突き立っていた為、事情を知る者達は女神を害した罰が下ったのではないかと噂した。彼の側妃達とシルヴェーヌは軟禁中。いずれは教会に身柄を移され、名目上は修道女として余生を過ごす事になるだろう。

 その他の王族、貴族達は予めジル達が作成していたリストに添って軒並み拘束された。彼等はこれから順次裁かれていくことになる。但し、


「イシドール皇太子とその子供達だけは、行方不明」

「……そうか」


 ディディエ達は血眼になってその行方を探している。拘束が難しいなら発見次第殺しても構わないと密命する程に。他国に逃げ込まれてしまえば、ハクカに攻め込む正当な理由を与えてしまうんだから当然だ。だけど、あたしはあまりその点は心配じゃないんだよな。


「イシドール兄上は、もう二度とハクカに関わる事はないと思う」


 ジルも、同じ意見みたい。あのひとはきっと自分を拘束していたもの全てを捨てたんだ。わざわざまた縛られに戻ってくるとは思えないけど、これをディディエ達に納得させるのは難しいだろう。まあ、もう彼らに会って意見する事は二度とないんだけど。


「ディディー達はどうしている? 俺達はなぜこんなものに乗っているんだ?」


 意図的に後回しにしていた件に触れられて、あたしは少し緊張した。ジルがもう何を言っても曲げる気はないけれど、拒絶されたらと考えれば流石に身が竦む。

 でも、後悔はない。捨てられたモノを拾って、何が悪いの?


「ジルは、死んだ事になってるから」


 にっこり笑って告げると、赤茶の瞳が少し揺れたけど、ジルは何も言わずに続きを待ってくれた。


「ディディエやガウルは怒ってたし、ジョエルは滅茶苦茶泣いてた。王位にはジョエルが就く事になったよ。ジルが望んだ通りに」

「……俺は全てを投げ出して、逃げたのか」

「違うよ。あたしが拐ったの。あたしがジルを拾って、隠して、身代わりの遺体をシンに作ってもらったの。ハクカから王を盗んで、本人の意志も無視して、無理矢理自分の国に監禁するの」


 違うだろうとジルは首を振る。違わないよ。ジルには何もこの件で言うことは無い。だって


「だって、ジルは捨てたじゃない。あたしが拾った命だからあたしの好きにしただけ。誰にも邪魔はさせないよ。ジルにもね」


 ああ。やっぱり緊張する。強気な事を言ってはいるけど、死神(シン)はジルの同意がなければ決してジルを国内に入れてはくれない。手のひらが汗ばんだ。


「あたしを好きでしょう? ジル。あたしを忘れたくないなら、一生愛して。あたしの本当の名前は花澤光(はなざわひかり)。花澤が家名で光が個人名だよ。父の名は智之(さとし)、母は(かおる)。東の国、『アズマ』の民」


 どんな国でも婚姻の成立に必要な最低限のもの。自分の名前に両親の名前と、属する国の名前。証人となる他人……これはシンでいいや。どうせ盗み聞きしてるでしょ。ジルのものはすでに知っている。


「ジル。もう一度誓って。あたしの夫はジルだよ。ジルの伴侶は誰?」


 ゆっくりと、ジルが目を閉じる。

 たぶん、ジルは気付いてる。ジルがあたしを伴侶と認めなければ、あたしが何と言っても死神はジルをアズマに入れないし、ジルの記憶からあたしの存在を消してしまうことを。今なら、あたしではなくハクカを選ぶことも可能だということを。


「俺の全ては、最初からリュミエのものだ。許されるなら……」

「許す。言ったでしょう? あたしがジルを許すって」


 ジルの目線があたしの手に落ちる。ヤバい。震えてるよ。慌てて隠そうとしたけど遅すぎて、王子様には似合わない少し荒れて武骨手に捕まえられてしまう。ジルの手、好きなんだよね。長い指に関節がぐりっとしてて思いの外男らしい。微かにある剣ダコも、ポイント高い。

 震える指を治める為にわざとどうでもいいことを考える。いや、どうでもよくない。手フェチには重要なこと。


「…………っ」


 指先に口づけられて、緊張による逃避から引き戻される。「ヒカリ」と呼ばれて心臓が跳ねた。


「ヒカリ。俺のリュミエール」


 リュミエと呼ばれるのが嬉しかった。リュミエールという名が愛しかった。でも、両親から貰った名も知って欲しかった。


「どうか、俺の妻に」


 赤茶の瞳はもう揺れていなかった。


「愛している」


 私もという返事はキスで消えた。餓えを満たすような乱暴な誓いのキスに、荷馬車の上での婚姻。どんな貧しい田舎の娘でも泣いてしまうような粗末な結婚が、幸せでたまらない。


 激しくなるキスの合間に何度も「好き」と囁いた。こんなに余裕の無いジルは初めてで、上手く息が出来ない。熱に浮され、ぼうっとした頭でジルにしがみつく。あたしの腰に回されていた手が、衣服の中に滑り込んできたところで、ガタリと大きく荷馬車が揺れた。


「ごめ〜ん。石踏んじゃったぁ」


 たまに揺れるから後ろの二人は気をつけてねぇ? と陽気なのにどこか不機嫌に聞こえる声が注意を促す。


「「…………」」


 見てたのね。いや、聞いてるだろうとは思ってたけど、そこはそっと目と耳逸らすとかさぁ!? ちょっと気まずくてジルとの距離が空いてしまう。

 少し冷静になってしまったジルは難しい顔をして、何か考え込んでしまった。もうちょっとぐらい甘い雰囲気楽しんでもバチはあたらないと思うの。シンの馬鹿。


「リュ……ヒカリ」

「リュミエでいいよ。ジルにそう呼ばれるの好き」

「そうか。ならリュミエの故郷に行ったとして、俺たちはまともに生活できるのか?」

「?」


 どうやらジルは金銭の心配をしている模様。言われてみればしごくごもっとも。あたしたちはほぼ身ひとつだ。他の国でなら、魔術師は歓迎されるし仕事はいっぱいある。だけど、アズマでは殆どの人間が息をするように魔法を使える。王宮育ちで世間知らずのジルにできる仕事があるかはわからない。でも、あたしはあまり心配していなかった。


「大丈夫だと思うよ。おじいちゃんを頼るつもりだし」

「祖父殿がご存命なのか。だが、リュミエの両親は駆け落ちされたんだろう? 歓迎されるのか?」

「アズマでは親の罪は子に影響しないからね。あたしにはおじいちゃんの財産を相続する権利があるし、時々手紙ももらってたよ」


 むしろ早く顔を見せろ。成人の祝いは盛大にしてやるから必ずこっちでしろとせっつかれていました。嫌われてはいないと思うし、当面の生活費を生前相続としてお願いすれば融通してくれると思う。ただ、ちょっとした問題はあった。


「かわりにおじいちゃんのお仕事手伝わされちゃうかもしれないけど、これは仕方ないと思って諦めるよ」

「嫌なのか? 辛い仕事なら……」

「嫌というか性に合わないんだよ。務まらないと思ってずっと断ってたんだけど、ハクカではなんとかなったし大丈夫……かな?」


 まあ、あったとしてもじいちゃんの横でニコニコ愛想振りまくぐらいだろう。田舎育ちで頭悪そうな既婚者にかまう人間も、そうそういないでしょ。


「ごめん、ジル。あたしのおじいちゃん、アズマの国王なの」

「は?」

「返上出来てないから十二だか十三番目だかまだ継承権持ってて……ジル、あたしと結婚しても……また、王族です」


 流石に予想外だったのか、ジルは唖然とした顔。黙っていたのは申し訳ないけど、生まれは選べない。あたしの責任じゃないし、諦めて。


「みんなに頼ろう? リリィもアズマに骨を埋める覚悟でついてきてくれたんだよ。おじいちゃんもシンだって助けてくれるよ。二人で幸せになろう。そしていつか周囲に恩返ししよう?」


 ジルが迷う時はあたしが背中を押してあげる。だからジルはあたしを守ってね。泣き虫のあたしが泣いた時には、優しく抱きしめてなぐさめて。

 一度にイロイロ聞きすぎて整理しきれないのか、ジルは眉間を押さえて難しい顔。

 考えたところでなるようにしかならないよ? 思うところはあるだろうけど、とりあえずあたしたちの幸せの障害になるような問題じゃないし、そろそろこっち向いてよ。


 かまってもらえないのが不満で、思い切ってあたしはジルの頬に素早く口付けた。

 たぶん、あたしからのキスは初めて。驚いた顔にしてやったりと思ったが、頬にじわじわと赤みが乗るのを見て、こっちまで恥ずかしくなってくる。お願いその反応、やめて。


「ね。いいこと教えてあげる。あたしの名前の意味はね……」


 幸せになろう。

 たくさん子供を作って。全力で可愛いがって。



 あたしを、幸せなお嫁さんにして。



 

 やっと。やあぁっと、本・編・完・結 !

 勢いだけで書きはじめ、途中で挫けそうになり、たった10万字に半年以上もかかってようやく……。

 ブクマして下さったごく少数の(物好きな 笑)方々、時間かかって本当にゴメンナサイ。そしてありがとうございました。


 お気付きと思いますが、広げたまま放置している伏線が複数あります。回収のための番外編をあと2~3話書いてから完結にしようと思っています。

 よろしければ、あともう少しだけお付き合いください。

 

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