28 あたしを好きでしょう?
――――どうしてこうなった?
身体の震えが止まらない。頭がガンガンする。叫びたくても喉が引きつって、もう悲鳴すら出ない。悲鳴を上げて倒れてしまったリリィを助け起こしたいけれど、もう立っているだけで精一杯だ。意識を失えば、きっと今よりもっと酷い事になる。膝から崩れ落ちそうな身体を気力で支えた。
――――ジル。無理だよ。あたし幸せになんてなれないよ。
渦巻く魔力に巻かれて飛びそうな意識の中、縋るようにその名を声に出さず繰り返す。
ジル、ジル、お願いもう一度だけあなたに会いたい。こんな別れ方だけは嫌だ。幸せに。いつかあたしもあなたも幸せに。
あたしが馬鹿だった。この世界で最高に近い力を持つ死神の目を誤魔化す事なんて、出来るはずがなかった。風の結界なんて役に立たない。あたしがジルに話した事なんて、最初っから死神にはわかってたんだ。
「…………ない……で」
意識を繋ぐ為に必死で声を絞り出す。
「死なないで……ジル!」
焼けそうに熱く痛む頭に朦朧としながら、あたしは掠れた声を無理矢理吐き出した。
***
「行けるか?」
予め決めていたノックの合図に扉を開けば、ジルは部屋に入る事なく押し殺した声で短く囁いた。
無言で頷いて、あたしはリリィと共に部屋を出る。ここにはもう二度と戻ることはないだろう。ぎゅっと胸を締め付る痛みを無視して、あたしはジルの手を取った。
リリィ以外の四人とはすでに別れを済ませた。彼女達は皆、怪しまれないよう城外へと逃がしてある。実家が取り潰され、帰る場所の無いリリィだけは、このままあたしと一緒に救世軍に身を寄せる事になっている。彼女の強さは帰る場所が無く、ひとりで生きるしかないという覚悟からも来てたみたいだ。ジルとディディエに彼女の後見を、あたしからもしっかりお願いしておこう。
「こっちだ」
今は余計な事を考えている暇は無い。他事を考えるのをやめてジルの指示に従い、王宮から脱出する事にだけ集中する。茂みに隠されていた真新しい城壁の穴を抜け、人目の無いルートを選んで走った。道ではない場所を通る事もあったが、伊達に山林を駆け回る幼少期を過ごしてはいない。ジルの手を借りる必要も無く、むしろ遅れ気味のリリィのフォローをしていれば、二人からなんだか複雑な顔を向けられた。ええと……これあたし悪いの?
人の気配に息を殺して身を隠す事が二度程あった他は特に何も起きず、市街地と特権階級区の境に問題無く到着する。武装した兵が数人いてぎくりとしたが、ジルが片手を上げると軽く礼をして散っていった。おそらく人を寄せないように見張りに行ってくれたんだろう。
市街地との境は壁ではなく太い鉄柵で区切られている。人の背丈の二倍以上もあるうえ、上部は槍の穂先のようになっているそれをどうやって乗り越えるんだろ? 疑問に思って見上げていると、ジルは鉄柵の一部に手を触れて何かを呟いている。
魔法! 一瞬で答えに思い至る。ジルが手を離せばそこには鉄の扉が表れていた。ここは秘密の抜け道なんだ!
「リュミエから行け」
秘密の抜け道にちょっと浮かれながら、促されるままあたしは小さな扉をくぐる。続けてリリィが抜け、ジルも続くだろうと振り返ったあたしの耳に届いたのはガシャンという、不吉な音だった。
「ジル!?」
ジルの通る前に閉じた扉に血の気が引く。
なんで!? 時間制限とか人数制限とかでもあるの? まさかもう開かないとかないよね!?
急いで手を伸ばしても扉は溶けるように消えた後で、あたしの手は虚しく鉄柵を掴む。焦ってジルを見上げて、拍子抜けした。
穏やかに微笑む顔にホッと息をつく。なんだ脅かさないでよ。もう開かないわけじゃないんだ。
「リリィ。リュミエを頼む」
「え?」
ジルの言葉の意味がわからなかった。違う。理解する事を無意識に拒否した。
どういう事? なんでリリィは「はい」って答えるの? ジルは一緒に来るんでしょう?
女神がお付きの女官ごと消えたら真っ先にジルが疑われる。だからジルが内部工作済ませると同時に、一緒に逃げる事にしたはずなのに。
「なんで!? ジルも一緒に来るんでしょ!」
可能な限り声を出さずに静かにしていろと言われた事も忘れて叫ぶ。こんなの聞いてない。逃げるなら二人一緒じゃなきゃ駄目だ!
「俺は戻る。王族としてやらなければならない事がある」
「駄目! 戻っちゃ駄目だよ。下手したら殺されちゃうよ!」
「それでも、お前を忘れて生きるよりはいい」
――――何だそれ!
「ふざけんな! あたしはジルを忘れるとでも思ってんの? あたしは辛くないとでも思うの? そんなの自分勝手だ。王族としての義務を果たすなら……」
「俺は必ずリュミエを忘れる」
うわ。ちょっとショックなんだけど。
一生あたしを思ってろなんて言わないけど、たまぁ〜にでいいから思い出して欲しかったのに。目の前にいなければすぐ忘れちゃうような存在なんだろうか。大事にしてくれたのは女神(偽者だけど)だからだったの? 言葉を失ったあたしの顔を見て、ジルは「泣くな」と柵越しにあたしの身体を引き寄せた。いつものように、優しく頭に触れる。
「……死神に会った」
弾かれたようにジルの顔を見る。あたしより先にジルに接触した? なんで!?
「リュミエが聞いた死神の話は、子供向けに簡略化されていた。ある意味、リュミエの知っている俺は殺される」
困惑するあたしとは対照的にジルの声は穏やかだ。頬に手が触れ、顎を上げられる。
「全てが終われば、俺は死神にリュミエに関する記憶を消される」
そっと、触れるだけの口づけ。
「この感情ごと、全部」
鋭い痛みが胸をえぐった。
――――そっか。ジルの命は奪われないんだ。
安堵感は、来ない。ただただ心臓が痛い。秘密を漏らしたあたしに対する、なんて効果的な罰。記憶を失う事で周囲に心配をかけるかもしれないけど、ジルはあたしを忘れて幸せになれるね。うん。よかった。
「よかった。それなら何の問題も無いよ。とりあえず一旦逃げようよ。やり残した事があるなら、あたしから死神に協力を頼んで……」
「リュミエ、現国王は死ぬ」
それはそうだろう。でも今言う事かなぁ?
外聞を考えて、処刑は無理かもしれないけど、幽閉ののちに病死という形になる可能性が高い。生かしておくには危険すぎる。
「直接手を下さないだけで、あの男を殺すのは俺だ。この国には父殺しで神力持ちの王など要らない。神力はもう王家にとって害でしかないんだ」
その件については何度も話し合ったじゃないか。神殿の協力を得る為にはガウルでは駄目だ。彼には神力がほとんど無い。神殿に神力の無い王を認めさせるには、長い年月が必要になるだろう。
ジルがいなければジョエルが王になって、孫の代ぐらいには神力の無い王も望めただろうけれど……。
――――ジルがいなければ?
「そんなの! 王族の義務を越えている!」
「そうだな。だが、俺には王として致命的な欠陥がある事にも気付いてしまった。リュミエの言う通り、俺は自分勝手なんだ」
ジルが何をしようとしているのか、理解してしまう。
嫌だ。父殺しの汚名を自分一人で被って、自分より弱い近衛兵に殺されてやるつもりなの!?
「自分の手も汚さずに、血の繋がった父を殺す事に耐えられない。リュミエを忘れてしまうなら、死を選ぶぐらいに狂ってもいる」
軽くパニックを起こしていて反応が遅れた。気付けば手の届かない場所にジルはいて、指先が空をかいた。
「さようなら、俺の女神。お前の無事と……幸せを祈る。」
――――駄目。認めない!
「あたしを好きでしょう。ジル!」
気付けば叫んでいた。わかっていても決して口にする事のなかったお互いの気持ち。穏やかだったジルの表情がほんの少しだけ揺らぐ。
「あたしを好きなら生きて! あたしを忘れた方があなたは幸せになれるよ。あたしは、ジルが幸せに生きてくれれば、それだけで幸せだから!」
最後の言葉は、ジルにつく初めての嘘。本当は辛くて死にそうだけど、お願い騙されて。
ほんの少しの間目を伏せたジルは、そのままあたしから目を逸らす。
届かない。あたしの腕も、言葉も。
犬が息をするような音が聞こえて、それが自分の呼吸の音だと不意に気付く。頭が焼けるように熱い。
「…………いやだ」
早くなる息を心配して、リリィがあたしの背に手をかけた。彼女に「頼む」ともう一度言って、ジルはあたしに背を向けた。
「嫌だジル! そんなの絶対嫌だ! 忘れていいよ。ジルがあたしを忘れても、ジルの事はあたしが許すからっ」
「行かせてあげて下さい! リュミエール様!」
走り去るジルの背に手を伸ばすあたしを抱きしめて、リリィが声を荒げた。
涙声の彼女にお願いですからお静かにと諭されて、あたしは唇を噛む。騒げばリリィも、ジルの身も危険に晒す。頭の隅で理性が注意を促すけれど、感情がそれよりもジルを止めろと駄々をこねた。
「リリ……リリィは知って、なんで、止め」
「止める事はできませんでした。私も、もしかしたらリュミエール様を忘れさせられるかと思うと、苦しくて仕方ありません」
息の上手く出来ないあたしの背を摩りながら、震える声で彼女は告白した。
「リュミエール様はジル殿下の光なんです。一度与えられた光を無慈悲に奪われて、生きていくのはあまりに辛い」
声を出すのも辛くなって、緩く頭を振って否定する。あたしはそんな大した人間じゃない。幸せになりたくて、嘘をついて、隠し事をして、騙そうとして……うっかり周囲の人間に情が湧いただけだ。
「リュミエール様。リュミエールという名の意味をご存知ですか?」
知らない。神殿の書物庫では調べる前に足を怪我してしまった。
「リュミエールとは、『光』という意味なんですよ」
――――限界だった。
感情が爆発した。後悔が押し寄せた。愛しさが溢れ出した。
最後の留め金が外れる音を聞いた。渦を巻いて魔力が引きずり出される。リリィが弾き飛ばされて意識を失った。
魔力が、暴走した。
――――もう、どうでもいい。
ジルを失うなら。ジルを守れないなら。
捨て鉢になりそうな思考を、奥歯を噛んで振り払う。魔力に当てられて、気を失ったリリィが視界の端に映った。
このままでは彼女を殺してしまう。込み上げる吐き気に耐えて、魔力の流れを必死で追った。
上手く息が出来なくて、飛びそうな意識を気力でつなぎ止める。魔力の暴走。見過ごせるはずがない。必ず死神は来る。それまでは。
『わるい子には死神がお仕置きに来るよ。でも、いい子にしてれば守ってくれるからね』
ふっと、母の言葉が頭を過ぎった。
――――耐えろ! 一度だけチャンスはある!
死神は思ったよりも優しい存在だった。母の言葉を土壇場で思い出せた。
あたしはわるい子かもしれない。でもジルは?
絶対に意識だけは失っちゃいけない!
「うわぁ。見事な暴走だねぇ」
能天気な言葉と共に、リリィを中心に淡く光る結界が張られた。
「し……が、み」
オレンジの髪に明るい緑の瞳。何処にでもいそうな、目立つ特徴の無いごく普通の青年。広場で見た時から、あたしがずっと恐れていた彼が目の前で両手を拡げた。
「初めまして……じゃないか。こないだぶり、お姫さん。ちょぉ〜っと、待っててなぁ。純血の暴走はさすがの俺もそれなりに手間取るわ〜」
細長い、短冊型の紙が数枚宙に現れて、弾けた。
途端に胸の痛みが消えて、息が楽になる。思わず咳込み、大きく息を吸って唾を飲み込んだ。
死神は次々と短冊を宙に出現させては消していく。息が整い、話が出きるようになると、あたしは迷わず彼に懇願した。
「助けて」
吹き荒れていた力は無理矢理抑えつけられたかのように凪いでいて、空間が帯電したかのようにピリピリとしている。
短冊が消える度に、過剰に失われた魔力が綺麗に調えられて、あたしのなかに戻ってきた。指先の痺れが消えて、末端からじわりと湯に浸かったように温かくなってくる。
「うん。大丈夫助けるよぉ。助けるけど、すごい魔力量なんだよなぁ。あと三分……じゃわかんないか。二百ぐらい数えて待ってて〜」
知ってる。三分は百八十秒でしょ? そうじゃない……そうじゃない、あたしが助けてほしいのは。
「違う! あたしじゃない」
涼しげな顔で、膨大な魔力を精密に操っていた青年の眉尻が上がる。ちょっと嫌そうな顔になったのは、あたしが何を言うか分かったから?
でも、絶対に引き下がらない。あたしは沢山ルールを破った悪い子だけど、ジルは違う。知らなかっただけ。知る術が無かっただけ。
「お願いジルを助けて! 彼はあたしの夫なの。ジルはあたしの伴侶なんです!」
死ぬなんて、絶対に許さない。




