22 あんただけは恐くない。
円卓の間から出て数歩歩いた所で、床へ崩れ落ちそうになった。慌ててリリィがあたしを支える。
「無茶のし過ぎです! アンセルムだけを相手にする予定が、国王まで引っ張り出すなど……肝が冷えました!」
「この先の中庭にレナとフラヴィが控えています。そこまで御辛抱ください」
はは。足が笑ってる。ごめんリリィ重いよね?
リリィに支えられてヨロヨロとその場を離れる。角を二回曲がった所で、二人の女官があたしたちを認めて走り寄ってきた。
「女神様!」
「いかがなされましたか!?」
リリィからあたしを受け取ると、二人は中庭のベンチにあたしを座らせる。早く自室に戻りたかったけれど、足が言うことを聞かないので仕方ない。気を許した者だけに囲まれて、ホッと一息ついた時だった。
「女神様!」
空気が凍る。あたしを除く四人全員が般若の表情で声の主を見遣った。あたしは……もうなんかどうでもいいわ……。
「どうか、もう一度お話をさせて下さい。何か誤解があったと思うのですよ」
「そこで止まりなさい! 女神に近付く事を禁じます!」
ぬけぬけと言い放ち、近寄るアンセルムにディディエが切れた。
アンセルムに一番怒りを覚えているのは彼だろう。彼の王を奪われたのだから。勿論あたしも腹は立っている。殺してやりたいと思った事もあるけれど……。
「ありがとうディディエ枢機卿。でも私は大丈夫です」
にっこりと笑ってみせれば眉を寄せた彼は一瞬沈黙し、横を向いてため息をついた。……何そのジルみたいな反応。
あたしが向き直るとアンセルムはニヤリと笑い、手を振って護衛を遠ざける。西側の回廊の方へ下がろうとした護衛は、踵をかえして南の端へと控えた。
「気をつけた方がよろしいですよ。私は貴女の過去を知っているのだから」
周囲に聞こえないように小声で話すだけの知恵はついたようだ。言葉遣いを崩さないようにしてるのも成長だね。でも切り札のつもりで手にした武器が、両刃の剣である事に気付かないのが残念すぎる。
あの時あたしは泣き叫び、取り乱した。さっきも震えて逃げるように退室した。だから、ちょっと脅せば言うことを聞くと思ったのだろうけれど。
「何の話でしょう? 前から思っていたのですが、私にご不満があるのでしたら」
目を細め、口端だけで笑って小首を傾げる。
「国王や王妃、それから皇太子殿下などに全てお話しして、助言して頂いてはどうでしょう?」
……できるもんならね。
顔色を変えたアンセルムに、ディディエが失笑する。レナとフラヴィは相変わらずアンセルムを睨んでいたが、リリィはいつの間にかにこにこと穏やかな笑顔を浮かべていた。
……怖いよこの子。どこまでわかっているのか、それとも空気を読むのが上手いのか。
黒髪黒眼のあたしをこの国に攫ってきたのは、完全にアンセルムの独断だ。国王の許可を得たものじゃない。
そしてアンセルムがあたしを使って手に入れようとしたのは、おそらく『国王の父』という権力。黒髪黒眼の王子をあたしに産ませ、ゆくゆくはその子を国王の座につける……そんな計画が許されるわけがない。公になれば破滅だ。
「だ……騙したのか? 人と話すのは怖いんじゃないのか!?」
怯む事なく対峙するあたしに、アンセルムがうろたえる。
べつに、騙したわけじゃない。他人に会うのはまだ怖いけれど、あんただけは怖くない。
「罪には罰。傷つけられるのは恐ろしいですよ。私に害をなすものへの罰を、私自身で決めることができませんから」
人差し指を立てて、天を指す。
「貴方を救う事はもう出来ない。ですから……貴方だけは、恐ろしくありません」
目線が泳ぐ。いよいよ蒼白になったアンセルムは怯えたように辺りを見渡した。庭の隅に吹き寄せられたままの薄紅の花弁が目に入ると、顔を引き攣らせて後ずさる。
まさか、と思いはじめたんだろう。誰にも真似の出来ない、大規模な花吹雪。……ただの小娘のはずだ。天の裁きなど下らない。でも万が一、本物だったなら…………?
ふわり。
一陣の風が吹き抜け、花びらが舞う。「ひっ」と小さな悲鳴を上げて、アンセルムは挨拶もせずにその場から逃げ出した。慌てて護衛が後を追う。あたしは腕を下げると、回廊の柱の向こうに声をかけた。
「……意地が、悪いですね」
あたしもディディエも風を起こしてはいない。花びらを舞い上げてアンセルムを怯えさせたイシドールは、相変わらず感情の見えない顔でこちらに歩み寄ると、完璧な所作で一礼した。
「女神に無礼を働いた弟に、少し灸を据えただけです」
笑ったり怒ったりして言えば親しみの持てるセリフなのに。抑揚なく、無表情に話されると何だか気が滅入る。
アンセルムを脅して大げさなパフォーマンスをしたのは、柱の影で盗み聞きしていた皇太子に見せるためでもある。花びらの奇跡が記憶に新しい間に、できるだけ「もしかしたら本物かも?」という空気を作っておきたい。
リリィ達が膝をついて頭を下げた。そういえば、三人共アンセルムには頭を下げなかったね……あなた達強気すぎるよ? あれでも一応王族なんだよ!?
そんな事を考えていたせいか、反応が遅れてしまった。彼があたしに敵対することはないと思い込んでいた所為もある。大仕事を終えて、少し気も緩んでいたのかもしれない。
「失礼します」
イシドールが、いきなりあたしとの距離を詰めた。
頬へと伸ばされた腕を反射的に振り払う。一番近くにいたディディエの腕にすがりついた。恐怖にヒュッと喉が鳴る。リリィが悲鳴を上げてあたしを抱きしめた。
「殿下!?」
私を背後に庇うと、ディディエが怒りを隠さずに叫ぶ。イシドールは素知らぬ顔でディディエを一瞥すると、私に向けて指先に挟んだ小さな欠片を示した。
「髪に、花弁が付いておりました」
「口でおっしゃってください! たとえ髪の一筋といえど、許可無く女神に触れることは許されません!」
……び、びっくりした。心臓がバクバクしてる。驚いたけれど、イシドールが何故こんなことをしたのかは理解できる。私の対人恐怖症が本物なのか、確かめたんだ。
「気が……済みましたか?」
流石に腹が立ったので、恨みの篭った声が出た。イシドールは暫く無言であたしを眺めていたが、ふっと目を伏せるとほんの少し感情の滲む声でつぶやいた。
「貴女は、きっとジルの女神なのでしょうね」
……どういう意味だろう?
わからない。いったい何が言いたいのか、何をしたいのか?
無気力すぎる男。何もかもに興味が無いようなこの男が、何故わざわざあたしに接触する?
「ジルは、解放されるでしょう。王は貴女に興味を持っています」
一瞬後には優雅な礼を済ませて踵を返した皇太子に、あたしはかける言葉を見つけることが出来なかった。




