02 生きてるって素晴らしい。
右手良ぉ〜し! 左手良おぉ〜し!
両足も揃ってる。胸もお腹も背中も痛くない。
見えないけど頭も無事っぽい……五体満足!
「……生きてた」
生きてる! あたし生きてる! よかったあぁ〜〜〜っっ
思わず泣きそうになったが、まだ油断しちゃダメだ。笑っちゃうほど不幸体質なんだからと気を引き締めて、身体の次は周囲を確認する。
あたしは清潔なベッドに寝かされていた。誰かが三つ目狼から助けてくれたのは間違いない。ごくごく普通の部屋だ。村長さんちの客室に似てる。
特に危険なものは見当たらないし、体は無事だからベッドを降りようとする。シーツを剥いで身体を横にしたところで、外から部屋のドアがそっと静かに開けられた。
「…………」
水の入った桶とふきんを持った、中年の女性と目が合う。
数瞬の沈黙の後、どうしたら良いかわからなくなってとりあえずぺこりと会釈してみた。途端に彼女はものすごい勢いで踵を返して走り去っていく。
「お目覚めになられましたああああ!」
絶叫が聞こえる。
なんか……ごめんなさい。これはあれですね。女神様降臨! とか思われてますね。
さて。どうしよう。誤解を解くか。このまま女神のふりをするか……。
ベッドに座ったまま、思案する。攫われて、ここまで旅すること約一年。故郷の村の人達みたいに善良な人ばかりじゃないことは、身を持って知っている。元奴隷だと知ったらここの人達はどうするだろう?
部屋の調度品をざっと値踏みする。村長さんちの客室と比べると、明らかに格下に見える。シーツはごわごわしてるし、壁は隅の方がボロボロになっている。
でも、掃除は綺麗にされていて、小さなテーブルの上には花が飾られている。女神を寝かせるために整えられた一番良い部屋がこれなら、おそらくここは故郷の村より貧乏だ。
――黒髪黒眼じゃねぇか
――こいつはきっと高く売れるぞ
ずっと、高値のつく『商品』として扱われてきた。女神じゃないただのよそ者の元奴隷は、ここではどう扱われるだろう?
命の恩人に嘘をつくのは嫌だし、ただの村娘のあたしに女神のふりなんて出来そうにないけれど……。
「女神様」
考えがまとまらないうちに、再びドアが開かれる。ノックするとか、入室の許可を求めるとかは無しですか……。
二人の人物が恐る恐る入ってきた。悪気があるようにも見えないから、おそらく文字通り礼儀を『知らない』んだろう。教育水準も、低いな。
覚悟を決めよう。ここで女神じゃないと言うのは危険だ。
あたしは嘘つきの性悪女になる。生きるために。幸せになるために。
油断すると険しくなりそうな顔を必死に宥めて、にっこりと笑う。女神っぽく上品に笑えてるかな? かあさんはどうやって笑うのが育ちよく見えるって言ってたっけ?
「あなたたちが、私を助けてくれたんですか?」
初老の男性が床に膝をつけて、伏せるように頭を下げた。後ろにいた人も慌てて同じ動作をする。さっきの女性だ。
「女神様を助けたんは、村の若い衆です。わしはこの村の長です」
どうやらたまたま山にいた男衆が、助けてくれたらしい。狼が苦手な煙り玉でも投げてくれたのかな? さっきから身動きするたび不快な臭いがするし、髪に染み付いてるみたいだ。水浴びしたい。
煙り玉があったにしても、三つ目狼から人ひとり助けるのはずいぶん危険だ。あとで直接お礼を言おう。
「何故、私が女神だと思ったんですか?」
「そりゃあ……髪と眼の色が」
「そうですか。変えてくればよかったですね」
あたしはそのまま黙る。村長さんは気まずそうにそわそわする。
何かありがたい言葉や奇跡が欲しいんだろうけど、あたしはおっとりした不思議ちゃんキャラでいくつもりだ。奇跡は、無理。
「女神様は、何故あんなところにいたんでしょうか」
「……女神と呼ばないで下さい。髪を隠す布を貰えませんか? すぐに王都へ戻らなくてはいけません」
持って参ります! と、後ろで平伏したままだった女性が勢い良く部屋を飛び出した。あなた少し落ち着いた方がいいよ……。
展開についていけずにおろおろする人の良さそうな村長さんに、ちょっと心が痛い。騙してごめんなさい。でもあたし、もうこれ以上不幸になりたくないんだよ。
「この村を出る前に、私を助けて下さった方に感謝を。会わせて頂けませんか?」
あたしはできるだけ慈悲深く見える笑顔を作って、微笑んでみせた。