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19 シュリ姉さんは二十六歳二児の母。

 泣き叫んだと、思う。

 正直記憶が曖昧だ。気づけば自室のベッドの上だった。右手が暖かかったので目を向けると、ジルの両手に包まれていた。そろそろと視線を上げると、気遣わしげな赤茶の瞳と目が合う。


 太腿と顔の痛みは消えていた。治療してもらった記憶は無いから、暫く眠っていたのかもしれない。

 ジルの手の中からそっと右手を引き抜くと、赤茶の瞳が揺れた。その両頬に向けて両手を差し延べると、触れる前にジルの身体が傾いできつく抱きしめられた。


 あまりに自然に流れ出す涙に、嗚咽すら出ない。自分の愚かさ加減にがっかりだよ。なんで……隠しきれるなんて思っていたんだろう。





 追いはぎ達は商人からあたしを受け取ってすぐ、その場で順番にあたしを犯した。

 あの時のことはよく覚えていない。思い出したくもない。覚えているのは、男達の笑い声と、助けてと繰り返す自分の声だけ。

 ボロボロの状態で引き渡されたあたしを身奇麗にした仲買いの男は、売価が下がるのが嫌だったんだろう。ハクカへに行く商人には、処女だと偽ってあたしを売った。


 追いはぎ達は知らなかったが、あたしの生まれた国やその近隣諸国の奴隷商人のあいだでは、黒髪の人間の売買は本来タブーなんだそうだ。売買に関わった人間は役人による検挙や火事や事故など、不幸を引き寄せて身を滅ぼすと言われているらしい。

 黒髪黒眼を欲しがっていたザザという商人は、処女である事を条件としていた。さっさと手放したいから処女という事にする。売れ残ったら他の買い手はつかないから始末すると言われては、逆らうことなんかできなかったし、逆らう気力もなかった。

 あたしはただ黙って西に向かう荷馬車に詰め込まれた。


 商品として荷馬車に詰められた女は、あたしを含めて五人いた。似たり寄ったりの過程を経て、自由を失った不幸を嘆く女達。その中で、あたしだけは特別扱いを受けることになった。

 奴隷の所持の認められる国に入ってからは、宿泊する町で村で、客を取らされ買い手を探されるあたし以外の女達。健康状態に気を使われ、慣れない馬車の旅で体調を崩せば、食べやすく栄養価の高い食べ物を与えられるあたし。

 女達の憎悪はザザ達以上にあたしへと向けられた。


 三月(みつき)を過ぎた頃にそれは爆発し、あたしは女達の一人に階段から突き落とされた。下腹部を押さえて呻くあたしにザザは慌てて医者を呼び、その診断結果に激怒した。


 あたしは、流産していた。


 死ぬほど殴られた。一生分の罵声を浴びた。今でも、男の怒声を聞くと身が竦む。少しでも乱暴に扱われれば、震えが止まらなくなる。

 女達はそんなあたしに冷ややかで、ざまあみろとばかりに嘲笑した。あたしを突き落とした女はよくやったと、他の女達どころかザザにまで褒められていた。

 知らぬ間に失った命に泣き喚くあたしは、完全に孤立していた。


 ザザは鳥を使ってあたしを買う予定の男……アンセルムだったみたいだけど……と何度かやり取りして、予定より安く買い叩かれるかわりにあたしに客を取らせる許可を得た。

 条件は、妊娠させないことと病気を移させないこと、怪我をさせないことに、ハクカ国内に入ってからは客を取らせないこと。怪我が治ると同時に赤い薬を与えられ


 あたしは、娼婦になった。





 ……そういえば、あたしはどこに監禁されてたんだろう? 王宮からはあまり離れてなかったみたいだな。

 ジルの腕の中で、どうでもいいことをぼんやりと考える。


「体は、痛まないか?」


 声を上げずに泣くあたしに不安になったのか、遠慮がちな声がかけられる。

 助けてもらったお礼、言ってなかったな。あの時のジルすごくかっこよかった。ちょっと……怖かったけど。


「大丈夫。助けてくれて、ありがとう」


 鼻を啜ってそう言うと、腕の力が強くなった。胸がじんわり温かくなる。

 きっとジルは今回のことに責任を感じている。でも今は、そのことを謝らないでいてくれてるんだろう。あたしが責めないのをわかっているから。逆に自分を慰めさせてしまうのが、わかっているから。


「あたしは平気だよ。汚されたなんて思ってないし、アンセルムなんかに蔑まれても……誰に何を言われても、平気。何も悪いことなんてしてないし、胸張って生きていけるもん」


 本当だよ。自分がするのは耐えられないけど、元々春を売る人達に偏見はなかった。娼婦を買っておきながら蔑む男なんて、今でも鼻で笑ってやれる。


「誰に知られても、平気。悪いのは、人をモノ扱いする奴隷商達……あたしは、ただの被害者。ちゃんと、わかってる」


 あたしの声が涙で途切れて上ずり始めると、ジルはポンポンとやさしく頭に手を触れる。その癖やめてよ……大好きなんだよ、それ。


「……平気なのに」


 ズルいよ。ジルを安心させたくて、話しはじめたのに。これ以上甘えたくないのに。


「なんでかなぁ? ジルにだけは、知られたくなかった……っ」

「リュミエ」


 完全に涙声になったあたしから身を離すと、ジルは頬に手を沿えて指先でそっと涙を拭う。絶対ひどい顔だ。見られれたくなくて下を向こうとしても、離してもらえなくて眉を下げた。


「キスをしても、いいか?」

「!?」


 思いがけない言葉に、思考が止まる。

 目線を泳がせるあたしに微かに笑って、ジルは嫌なら言えと囁いたが、考える時間はくれなかった。うろたえる暇も無く引き寄せられて、あの時と同じ喰むようなキスが落とされる。

 待って! ジル……あたし……



 は……鼻水出てないよねっ!?



 …………あ、泣き止んだねあたし。

 うん。よかったよ。慰めのキスだねきっと。だってほらあたし泣き止んだし。同じキスだし、あの時も花びら魔法が成功した喜びのキスだったのかもね。ジル、次の日ものすごく普通だったし。キスにもいろんな種類があるって斜め向かいのシュリ姉さんも言ってたし。多分あたしが上手く区別出来ないだけだし。そうそうシュリ姉さんっていえば昔


「……知っていた」

「え?」


 ……えっと、ゴメン。何を?


「赤い薬を見た時のお前の態度で、辛い思いをしてきたのだとすぐにわかった。それなりの値がつく薬だ。一般に出回るようなものではないのに、何の薬かとは聞かなかっただろう?」


 …………えええぇ!?


 知られていた? え? 知ってたの!?

 そりゃたしかにあの時あたしは、あれ? でも、ジル、だってそんなの


「それで」


 待って! ちょっと待って! あたし今イロイロ混乱してるから!


「俺のキスは何か変わったか?」

「う……ぁ…………」


 鼻先が触れそうなぐらい近い距離に、今更のように顔が熱くなる。


「俺の態度は変わったか? ……何も変わってないだろう? 指先に口づけて、守ると誓ったあの時からずっと、リュミエは俺の女神だ」


 あたしの黒髪を一房取って口づけるジルから目が離せない。視線が合うと細められた目が壮絶に……エロい。駄目でしょコレ心臓壊れるよ。なんでこんなだってあたしジルにだけは。


「……ああ。でも少しだけ変わったものもあるな」


 だって、女神(あたし)に触れられるのは(ジル)だけで。


「そろそろ、違うキスもしたい」




 三度目のキスは二度目よりずっと深くて長かった。



 

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