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18 耐えられる痛みと耐えられない痛み

 

 太腿が、熱い。


 寒さと暑さが同時に襲ってきたような、焦りを伴った感覚。噴き出した汗が額から滑り落ちた。

 悲鳴を聞かせたくなくて、奥歯を噛んで耐えたのが気に入らなかったのか、突き立てた刃が捻られた。

 ぐぅ。と、喉が勝手に音を立てた。ふざけんな。動脈傷つけたらどうすんだ。


 骨に当たって外腿に反れたような感覚があったから、頸動脈は無事だと思う。そのぶんすごい衝撃だったけど。ナイフの刃が欠けて体内に残ったりしないか心配だ。

 ああ。吐き気までしてきた。たぶんナイフのせいだけじゃない。目の前の男の荒い息に対する嫌悪感のせいだ。馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、性格どころか性癖まで最低な男だとは思わなかった。血を見て喜ぶとか、サディストの中でも最低の部類じゃないか!


「さすがに大人しくなったな。そうやって黙っていれば、可愛がってやるものを」


 うるさい。いま口を開けば女神でいられないだけだ。頭の中ではあんたが青ざめるぐらい、滅茶苦茶に罵ってるよ!


 流れ出た血液を手のひらで拭うと、血まみれの手を広げて見せつけられた。怯む顔が見たいんだろう。腹が立って睨みつけると不満気に鼻を鳴らされた。

 ナイフで裂けた所から、衣装を引き裂かれる。刺さったままの柄に引っかかって、また喉が鳴る。


 痛い痛い痛い――ッ


 痛みに身を捩ると「失礼」とニヤけた顔でわざと傷口に布地を絡ませられた。やめろ変態!

 足に心臓が出来たようにドクドクの脈打つ。視界が歪む。脂汗が止まらない。

 傷口にわざと触れながら、アンセルムはあたしの足の間に体を入れる。血まみれの手が下着に触れた途端に、すべての理性が吹き飛んだ。


「触るな! 呪われろ! 死んでしまえ!」


 痛みと恐怖と嫌悪感に抗うように、罵声が口を突いて流れ出る。


「あんたなんか人間じゃない! 地獄の底に落ちて二度と人の世界に戻って来るな!」


 再び頬を張られた。痛みよりも頭がグラグラして気持ち悪い。飲み込んだら胃のものを吐きそうで、顔をそむけて口内に溜まった血を吐き出した。


「ジル……ッ」


 名前を口にすると、もう駄目だった。

 必死で耐えていた涙がボロボロとこぼれ落ちる。


「助けてジル……ジル!」


 髪を鷲掴みにされて、顔が近づけられる。暴力に酔った男の、興奮した顔に吐き気が増した。

 太ももに押し当てられた欲望が、狂気を孕んで血走った眼が、気持ちくて吐きそうだ。


「お前は王宮内に入り込んだ賊に攫われたことになっている。助けは来ない」


 囁くように耳元で告げて、千切れそうな程強く耳たぶに噛み付かれる。

 至近距離でたてられた(わら)い声に意識を失いかけて……



 突然、轟音を立てて部屋の扉が砕け散った。



「リュミエ!」


 待ち焦がれていたその声に、一気に意識が浮上した。

 助けに……来てくれた…………ッ


 ジルの名を呼びたいのに、涙で上手く息が出来ない。声が出ない。

 焦りの滲む声であたしを呼んだジルは、組み敷かれたあたしを見た途端に一切の表情を消し去り、アンセルムを殴り飛ばした。


「死ね」


 感情の抜け落ちた声で抜刀したジルを、急転した状況が飲み込めないアンセルムは、呆然と見上げる。



 …………ダメ!



「ジ……ル……!」


 咳き込みながら声を上げる。掠れた声だったが、ジルは弾かれたようにあたしを見た。

 アンセルムから意識を逸らしたくて、痛みを我慢して身じろぎする。慌てて駆け寄ったジルは剣を収めて傷を確かめると、深々と刺さった刃に顔を歪めた。


「少し、我慢しろ」


 腕の拘束を解いてもらっていると、バタバタと複数の人間の足音がした。


「ジル殿下! 女神は……」


 武装した兵を引き連れて飛び込んできたディディエは、血まみれのあたしを見て絶句する。

 ナイフが突き立ったままで、隠すことも出来ない足と裂かれた衣装に気付くと、外で待て! と兵達を追い出してくれた。


「治癒の陣をよこせ! 持っているだろう!」


 あたしの身体を隠すように抱き込んでジルが怒鳴る。

 床に転がったままのアンセルムを一瞥したディディエは魔法陣をジルに手渡すと、彼が逃げ出したら拘束するよう、外にいる兵に指示を出した。

 入口で見張りながら風の結界を張ったのはナイスだ。外の兵隊さん達に聞かせるわけにはいかない事、口走りそうだもんこいつ。


 応急処置が終わると痛みはずいぶん軽くなったが、足からナイフを抜く時には悲鳴を上げた。

 刺さる時より抜く時の方が痛いんだね。こんなこと一生実感したくなかったよ。

 ディディエがいてくれてよかった。この国一の治癒魔法の使い手である母親の作った魔法陣を、彼はいつも持ち歩いている。


「なんでだ……なんでここがわかった!?」


 ようやく事態が飲み込めたアンセルムが喚く。やめてよ! ジル思い切りキレてんだから! 死にたくなかったら気配消してて!


 ジル達がここを見つけた理由は単純明快。魔法を使ったからだ。

 女神が誘拐される危険がある事は二人とも重々承知していた。もちろんあたしもだ。防げなかった時の対策は、しっかりと準備してるに決まってるでしょう。

 あたしの血を混ぜたインクで書いた魔法陣は、発動すれば術者にその居場所を教えてくれる。複雑で高度な魔法だから陣を書ける人は限られるし、発動するだけで膨大な魔力を消費するから度々は使えないけれど、ジルなら使用可能だ。


「口を閉じていただけますか。兄上」


 ジルの口調は氷点下。傍らで聞いているだけのあたしですら恐怖に身が竦むのに、馬鹿は気付かない。黙らない。お願いだから大人しくしていて……ジルに、身内殺しはさせたくない!


「女神だなどと偉そうにして、本当はただの奴隷だろう! そんな女に何故神の血を引く私が膝を折らねばならない!? 奴隷に自由など要らない。閉じ込めて犯して子を産ませれば……」「黙れと言っている。下種が!」


 激昂するジルを抑えるために、力の入らない指でジルの袖を握り締る。冷静になってもらうためにはどうすれば良いか、必死で考えた……のだけど


「お前は何もわかっていない! リュミエはこの王宮で、唯一汚れの無い至高の存在だ!」


 続く、崇拝に近い叫びに暫し放心した。


 ちょっと待って、コレ演技だよね? キレててヤバいと思ってたけど、結構冷静だったりするの!?


「俺の女神を汚すことは、許さない」


 指を絡められ、痛い程強く握られる。怒り以外の熱の篭る視線に息を飲む。

 花びらに埋もれたあの時と同じだ。頭の芯が痺れてフワフワした。痛む足の事も、アンセルムの事も、どこか遠くなる。

 ……て、待て待て待てあたし! コレ女神様詐称計画の一環かもしんないから! 汚れないって、至高って、一体誰の事だよ!



 混乱するあたしの横面を叩いたのは、アンセルムの捨て鉢な笑い声だった。


「汚れの無い女神? その薄汚い奴隷女が? そいつがこの国に来る道中で、何をしていたか知らないのか?」


 ナイフを振り上げられた時以上の恐怖に、頭が真っ白になった。


 身体が震えて叫びたいのに声が出ない。

 そんな、嫌だ。ジルには、ジルにだけはそれは


「逗留した町で、村で」


 やめて。ジルにだけは言わないで!




「その女は何人もの客に股を開いた、淫売だ」




 

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