15 ダンスは踊れない、踊らない。
「構え――ッ」
ザッと一斉に土を踏む音が響き、白刃が煌めいた。
切っ先の鋭さに思わず目をすがめる。
型をなぞるだけの御前演習とはいえ、あれは命を奪うことの出来る道具。それが抜き身のままずらりと並ぶ様は、どうしても落ち着いて見る事が出来ない。
歪んだ表情を見られないように、砂塵避けに持っていた扇で顔の下半分を隠した。
国境の警備に当たっていた第3王子が、女神の降臨と弟との婚姻に祝辞を述べるため、王都へ帰還した。
祝賀にと披露された御前演習は思った以上に大規模で、見応えはあるがその分少し恐くも感じる。
午前中に披露された馬術は格好よくてワクワクしたんだけどな。そっとジルを見上げると、食い入るように演習風景に見入っている。
やっぱり男の人はこういうの好きなのかなぁ? ジルの手には微かに剣ダコがあるのを、あたしは知っている。
演習を終えると、第3王子……ガウル殿下が改めて祝辞を述べてくれた。
馬上で指揮を執っていた時は堂々たる武人に見えたが、兜を脱いで片膝をついた彼は思ったよりも線の細い顔をしていた。
それもそうか。元々彼は武人ではない。国境の警備を任されているのは、正妃に王都を追い出されたからなんだし。
金の髪に青い目はこの国では一番ありふれた色。
神力がほとんど受け継がれなかった彼には王宮に居場所が無いだけで、正真正銘の王子様なんだから。
ただ、定型文のような祝いの言葉の後、ジルに向けられた視線が思いの外鋭くて、不安に駆られる。ジルの表情は変わらなかったが、あたしの視線に気付くとちょっと驚いた顔をした後、苦笑した。
「演習は迫力ありましたけど、ガウル兄上は恐い方ではありませんよ」
そんなに不安が顔に出てた? 慌ててあたしは否定した。
「いえ。ガウル殿下が恐かったわけではなくて、初めて演習を見たので少し驚いただけです。……良い経験をさせて頂きました。ありがとうございます」
これはホント。
今まで軍と関わる事なんてなかった。でも、どんなに平和な国でも軍隊はある。兵士はいる。
その事が、知識だけじゃなくて実感出来た。
「……光栄に、存じます」
ガウルが少し驚いた顔をして、初めてあたしの顔を見た。
む。侮られてたな。
てか、ガウルは馬鹿では無いんだな……って、あたしも侮ってたかもごめんなさい。
原因はアンセルムです。苦情は彼へ。
あまり時間は取れなかったので、二言三言当たり障りのない会話をしてガウルは下がる。
コルデロス陛下のお褒めのお言葉を最後に、御前演習は終了した。
演習の後は晩餐会。急いで自室に戻って準備する。
ガウルとはもう少し話してみたい。ジョエルと会えるのも楽しみだ。
最悪だったシルヴェーヌとのお茶会と違って、ちょっとだけワクワクしながらジルにエスコートされて広間へ足を踏み入れた……のに。
シルヴェーヌに、捕まった。
お友達認定ですか。そうですか。うわぁ……アンセルムがめっちゃ睨んでる。
あ。ディディエとジョエルとガウルが固まって、何か話してるな。いいなぁ。あたしもそっち行きたい。
ナチュラルにあたしとジルを小馬鹿にする人達に囲まれて、眉間のシワを宥めながらニコニコ笑う。
「ゲームだと思え。キレたら負けだ」
耳元でこっそり囁かれる。
ジルの腕を取る手に力が入る度に、腰に回された手で宥められた。
この際だからと、あたしはイシドール皇太子殿下を観察する事にする。
イシドールの髪色はジルよりも少し薄い赤茶。瞳の色も同色。ジルに次ぐ魔力を持ってるはずだが、どこか覇気のない青年だ。
三十一歳のはずだが、シルヴェーヌ言った通り四つ下なら、二十七歳。二十九歳のアンセルムよりも年下の兄になる。
人形のように全てに無関心な目で、シルヴェーヌのどうでもいい話にただ頷くだけ。我の強い人物ばかりの王宮で、その無気力さはなんだか不気味だった。
ただ、所作だけは優雅で、音楽が流れ始めるとシルヴェーヌと共に完璧なステップで踊ってみせた。
「女神様!」
シルヴェーヌとイシドールが踊っている隙に、あたしたちは保守派貴族の輪から抜け出してジョエル達に会いにきた。
真っ先にジョエルが気づき、嬉しそうな声を上げる。
ディディエが私に礼をとり、慌ててジョエルがそれに倣う。
ガウルは貴族のそれではなく、踵を鳴らして武人の礼をとった。
……違和感。
ガウルは私ではなく、ジルを見ていた気がする。
戸惑いが顔に出ていたのか、あたしの表情を伺ったガウルはにっこりと笑って貴族の礼をとった。
「失礼致しました。こちらの挨拶に慣れておりませんので」
「お気になさらず。武人の礼は凛々しくて格好よろしいですね」
値踏みされている。
この笑顔には覚えがあった。ジルとか、ディディエとか、ディディエとか……ディディエだな。
不愉快ではあるけれど、気にしないことにする。
好きすればいい。ジルとディディエが好意的なら、私の情報は彼らから伝わるはずだ。ジルから特に頼まれてもいないんだから、ガウルからの評価を気にする必要はない。
「会えて嬉しいわジョエル。先日は少ししかお話しできなくて残念でしたから、今日はいっぱいお話ししましょうね?」
ガウルにあたしを知ってもらうより、ガウルを知る事の方が先だ。あたしはガウルの視線をまるっと無視して、ジョエルをかまう事にした。
男共はそっちで自由におしゃべりして下さい。聞き耳立てるから。
くっ……と、ディディエが笑い声を立てた。
「警戒されましたね。ガウル殿下」
「……そのようですね」
無視だ無視。
ジョエルを愛でながら飲み物とスイーツを楽しむことにする。ジルも苦笑いしてたが、何も言わなかったので問題無い。たぶん。
三人の話題の中心はガウルの国境での生活について。
ほとんどは他愛のない雑談だが、隣国の状況や軍の熟練度といった気になる話題もぽろぽろ混じる。
ハクカと国境を接しているのは四国。うち二国は険しい山が隔てているので、交流どころか小競り合いすら無い。
残る二国のうち東の商業国とはこの三百年関係は良好。
南の一国とは少し険悪だが、今は代替わりの真っ最中で揉めており、内政に手一杯とのこと。
だからガウルは王都に帰還する事ができたわけだ。
「女神様。一曲お相手下さい」
時々三人の話を盗み聞きしながらジョエルを可愛がっていると、嫌ぁ〜な声が聞こえた。
無視したい。すごく、無視したい。
アンセルム……あんた貴族でもないあたしがダンスなんて踊れると思ってんの?
「ごきげんようアンセルム殿下。残念ですが、私の衣装はダンスを踊るように出来ておりません」
女神の衣装は何枚も重ね着していて袖も長く、やたらに重い。そもそも女神が踊るなんて、この場にいる誰も想定していない。
周囲にいる誰もが一瞬呆気に取られ、次いで好奇の視線が集中した。
ジル、目が恐い。ディディエ、面白がってないでジルをちゃんと抑えといてよ?
「ゆっくり踊れば大丈夫ですよ。私がきちんとリード致します。それとも……もしかして踊れないのですか?」
なるほど。つまりあたしを笑い者にしに来たのか。嫌われたもんだわ。
いいよ。受けて立ちましょう。
「もちろん。踊れませんよ?」
あまりにあたしか堂々と宣言したものだから、一瞬『踊れますよ』と聞き違えた人もいたみたいだ。一拍遅れてから眉を寄せた顔がちらほらあって、笑いそうになった。
「私に触れる事が出来るのは、ジルだけですから」
『あんたに触られたく無いんだよ』ともとれる言葉に、さざめくような笑いの波動が広がる。
さすがに声を立てる者はいないが、明確な嘲笑。
シルヴェーヌが上がった口端を扇で隠すのが見えた。保守派には面白い見世物だろうな。
アンセルムは真っ赤な顔で瞼を震わせたが、公の場で女神を罵倒するわけにはいかない。
結局何も言い返さずに、足音荒く広間を出て行った。
あたしが言うのもなんだが、小物すぎる。
もう少し言い返して来ると思ってたのに、なんだか弱い者イジメした気分だ。『どちらかと言えば革新派』の理由がわかった。筆頭に置くには、役者不足。
「今代の女神様はお気が強い」
そっと笑う気配にガウルを見れば、素の顔で微笑まれた。予定外の所で合格点貰っちゃった? ……まぁいいケド。
ジルは怒るべきか否か迷う表情。一応お説教は覚悟しておこう。
ディディエ、笑うな。肩を震わせるな。堪えろ。
オロオロと不安そうな顔の君だけが、あたしの心の癒しだよ。ありがとうジョエル。
「女神様ったら、意外と容赦ありませんのね」
騒ぎが収まると、ご機嫌でシルヴェーヌがこちらへやってきた。
「アンセルム殿下もどうしちゃったのかしら。女神に触れようなんて……どんなに恋い焦がれても無理ですわ。無体な事をされたら言って下さいね。私が守って差し上げます」
冗談めかした口調だが、女神は自分の手の内だという革新派への牽制。
これで『女神様』は完全に保守派だな。
ジョエルを愛でる時間はアンセルムのせいで終了。
私は再びシルヴェーヌの横で、愛想笑いの限界に挑戦することになった。