12 檻の外の方が息苦しい。
「欲しければ摘んでいきますか?」
いつの間にか無意識に花びらに触れていた。欲しかったわけではないので首を振る。
こんな風に豪華で香りの強い花は、あたしには似合わない。手をかけなくても野に咲くような、女神様が咲かせたハクカのような花でいい。
ハクカの花が咲くのは夏の終わりから秋にかけてだ。今は春が訪れたばかり。国花であるその白い花ならともかく、その他の野の花が王宮に植えられてるわけがない。
神殿を出てから元気の無いあたしを見て、ジルは部屋に戻る途中で寄り道をしてくれた。
部屋の窓から見える中庭。窓越しに眺めてた時は出たくて仕方がなかったのに、今は早く帰りたいとすら思う。
外でのあたしは『女神様』だ。思うがままには振る舞えない。ジルの魔法陣の中が、一番楽に過ごせるって事に今更気付く。
競うように咲く大輪の花たちを見て、落ち着かないなと苦笑する。せっかくジルが気晴らしに連れてきてくれたのに。
あたしは人の好意を無駄にするのが得意みたいだ。
「ありがとうジル。綺麗に咲いているのでこのままで。そろそろ帰らないと昼食の時間ですね」
「そうですね。今日は私も貴女の部屋に用意してもらいましょう」
女神として振る舞わなければいけないから仕方ないんだけど、よそよそしい会話になんだか寂しくなる。
ジルが目配せすると、傍らに控えていた侍従が一礼して去っていった。予定の変更を伝えに行ったんだろう。周りにいるのは少し離れた場所の二人の護衛だけになる。
慣れない他人が側にいなくなると、少しだけ気分が楽になった。
「リュミエ……」
小声で何か言いかけたジルが、眉間に皺を寄せて黙る。
視線の先を追うと、満面の笑顔の第2王子アンセルム……うわぁ。
あたしを見て、足早にこっちに向かってくる……うえええぇ?
「女神様!」
勢い良く手を取られそうになったので、驚いた。慌てて触れられないように手を引いて避ける。
これは失礼な行為ではない。緊急時でもないのに気安く女神に触れるなど、国王ですら許されない。
許可なく女神に触れる事ができるのは夫だけだ。(世話をする女官さん達は別のようだが)手の甲に口づける、貴族令嬢への挨拶をしようとする方がどうかしている。
ただ、ちょっと嫌悪感から素早く避けすぎた。アンセルムは少し鼻白んだが、気を取り直して胸に手を当てる礼をとる。
「ご機嫌よう女神様。このような所でお会い出来るとは、なんて幸せな偶然でしょう。ずっとお会いしたいと願っていたのですよ?」
いや、ここ私の部屋のすぐ側だからね。国王やあんた達がいる主殿から随分離れてるのに、なんでいるんだよ。
とりあえず無難に挨拶を返す。
「ご機嫌ようアンセルム殿下。ジルにお庭を見せていただきました。綺麗な花たちですね。とても素晴らしい時間が過ごせました」
「おお! 女神様はお花がお好きですか。では私が庭園をご案内いたしましょう」
いや、なんでそうなる?
もう帰りたいからわざわざ『過ごせました』って言ったし、ジルに見せてもらったって言ったのに。
わざとか? ……わざとだな。めんどくさいなぁ。
「ありがとうございます。でももう充分に堪能させていただきました」
「では主殿の噴水広場にご案内しましょう。ここよりもずっと広く、この時期は色取り取りの花が咲き乱れてますよ」
……見事にジルを無視して話を進めるなこの人。弟とはいえ、偽物とはいえ、仮にも女神の夫でしょうが。
人目のある場所ではそれなりの態度を取れよ。三流。
「ごめんなさい。朝から祈りを捧げていましたので疲れが……またの機会にお願いします」
少しぐらいは話をして、第2王子の人となりも知った方がいいとは思うけど、今の精神状態じゃ、このめんどくさそうな人物の相手はキツい。
さっさと話を切り上げよう。やんわり『帰りたい』と意思表示する。
「大丈夫です。あちらには四阿がありますから休憩できます。昼食をそこへご用意致しましょう」
「…………」
何が大丈夫なんだ。疲れてると言う女性をすぐ側の自室に帰さず、歩かせる気かこの馬鹿。
ダメだ。受け付けないタイプだ。イライラしてきた。
「兄上。女神はお疲れになられてるのです。そろそろ部屋に帰りたいと先程もおっしゃられて……」
可哀相に思ったのか、あたしがキレそうに見えたのか、ジルが割って入ってくれる。
ありがとう……この人、気持ち悪いです。
こっそり安堵の息を吐いて、あとはジルに任せようと思った。
思ったのに、アンセルムの次の台詞に一瞬で頭に血が上った。
「黙れ。私は今女神と話しているんだ」
あ。ダメ……限界。
ジルの後ろに下がろうとした足が、勝手に前に出る。意識せず、声が低くなった。
「アンセルム殿下。ジルは、私の夫です」
突然声音を変えたあたしに、アンセルムはキョトンとする。
「存じておりますが?」
「そうですか。ご存じないのかと思いました」
ああ。こいつ普通に馬鹿なんだ。
睨みつけそうになるのを耐えてにっこりと笑う。
「夫を蔑ろにする者に、ついてゆく女はおりません。失礼します」
さらりと言い捨てて、ジルの腕をとる。困ったような顔でため息をつかれてしまった。
ゴメンナサイ。我慢できませんでした。
ジルの立場は、弱い。
後ろ盾となる親族は皆無に等しく、政治的な力は全く持たない。神力の強さだけで王室に縛られているに過ぎない。
あたしが現れなければやがて複数の妃をあてがわれ、子を作る事を強要されていただろう。
当然のようにアンセルムはジルを蔑む。同じ父を持つ弟なのに。
ジルはこの程度の事は慣れてるだろう。受け流す術も持っているはずだ。
わかってはいる。それでも、自分でも驚く程に腹が立った。
アンセルムは暫し茫然としていたが、去っていくあたしたちの背に、怒りを込めた声を投げつけた。
「……売女がっ」
小者め。護衛に聞かれたらどうすんの。
ジルの腕がピクリと反応したので反射的にぎゅっと握る。
「お腹空いたよ。早く部屋に帰りたい」
小声で言って見上げると、険しかったジルの目が少し緩む。にっこり笑うと、何故かまたため息が降ってきた。
ため息多いよジル。幸せ逃げちゃうよ?
***
部屋に戻るとすでに昼食の用意が整っていた。
給仕されるのはあまり好きじゃない。今までは下がってもらって一人で食べていたけど、今日はジルいるしどうしよう?
迷っているとジルはさっさと女官さんたちを追い出して、風の魔法陣を発動した。
こっちを見るジルの笑顔が怖い。目が笑ってないんですが。
えっと、これはもしかしてヤバい?
「アンセルム兄上には気を付けるようにと、言ったよな? 敵対してどうする」
……四半刻近くこんこんとお説教されました。
ああ。ご飯が冷めちゃったよぅ。
しょんぼりしながらスープを飲んでると、ジルが食事の手を止めてこっちを見ていた。
「なに?」
「いや、ついでにテーブルマナーを教えるつもりだったんだが、必要ないな」
そっか。普通はこんなの、ただの村娘は知らないよな。
「母がいいとこのお嬢さんだったって言わなかったっけ? 花嫁修行にってテーブルマナーとか、お茶の入れ方とか、叩き込まれたから」
「そういえば言ってたな。随分しっかり仕込まれたみたいだ」
「必要無いと思ってたし、嫌々やってたんだけどね……思い切り役に立ってしまったよ」
お茶を入れるのは好きだけど、裁縫と各種マナーの勉強は苦痛だったなぁ。
そうあたしがぼやくと、ジルはちょっと寂しそうに笑った。
「どれも立派にリュミエの力になっている。良いご両親だな……いつか、再会できたら礼を言うといい」
ディディエの言葉が頭を過ぎる。ジルは家族に恵まれていない。あたしみたいに愛されて育っていない。
でも、だからといって後ろめたく思ったりはしない。自慢の両親だもん。父さんも、母さんも、あたしの誇りだから。
「二人とも死んじゃったから暫く会えないかな? 八十年後ぐらいに再会する予定だから、その時言うよ」
できるだけ、明るく言う。この事で気を使われたくはない。ジルは一瞬だけ後悔の色を滲ませたが、「そうか」と笑ってくれた。
ありがとう。それでいい。
両親のことを褒められるのも、思い出して少し胸が痛むのも、あたしは好きだから。
いつまでもウジウジしてはいられない。
こっぴどく怒られたせいで、逆に落ちてた気持ちも浮上した。……違う意味ではへこんだけどね。
ジルはこの日、午後は予定がなかったらしい。食事の後は一日中魔法の練習に付き合ってくれた。
『正しい円に一年』は、あくまで『正しい円』にかかる時間だそうだ。
無駄にしてしまう魔力を気にしなければ、あたしにも下級の魔法陣は描けるらしい。
ただ、中級以上の陣は可能なかぎり効率的に魔力を込めないと、完成する前に魔力が尽きてしまう。
「まずは均等に魔力を込めて、真っ直ぐ線を引く練習だ。リュミエの場合、難しい事を考えるより体で覚える方が早いだろ」
よくわかっていらっしゃる。習うより慣れろで生きてきました。野生のカンには自信があります。
「ペンを通して流れる魔力の感覚に慣れろ。流れる魔力量がきちんと把握できるようになれば、陣を扱う時にも発動に必要な最適量がわかるようになる」
「上手く線が引けたかどうかってジルが見たらわかるの?」
「自分で確認した方がいい。陣を発動する要領で線をなぞってみろ。指先に反応があるから」
なるほど。確認作業も魔力に慣れるための訓練になるのか。
陣を描くには可能なかぎり薄く均等に、決して途切れることなく魔力を込める必要がある。
ムラがあれば陣が揺らいで効果が薄れるし、途切れれば発動しないか、暴走する。
あたしの描いた線は途切れてはいないが、濃すぎるしかなりムラがあるみたいだ。ジルの引いたお手本を確認してみるとよくわかる。
つまり、暫くは魔力を込めた線をひたすら引く練習だ。つまんない。
不満気なあたしにジルは笑って、三日我慢したら簡単な陣の書き方を教えると約束してくれた。
そのかわり暇があったら魔力が尽きるまで線を引く練習。魔力が尽きたら綺麗な正円を描く練習をしろとのこと。
あたしは啄木鳥みたいに何度も頷いた。
やった!
三日後にはあたしも魔術師(見習い)だ!