11 天敵と天使。
「いやぁ……化けましたねぇ」
第一声がそれか。不躾にあたしを観察するディディエを睨みつける。
応接室に通されて、挨拶を交わしたところまでは恭しく、女神扱いされてたのよ。ジルが風の結界を張った途端にこの失礼発言。実際化けた自覚があるだけに腹が立つ。
何かあたしに恨みでもあんの。恨んでるのはこっちだってば。
今日は祈りを捧げる為に、ジルと共に朝から神殿までやってきた。
と、いうのは建前で、本命はディディエを交えた女神計画作戦会議だ。
因みに正式名は『女神様詐称計画』だが、「誰かに聞かれたら問題だからせめて『詐称』を抜け」とジルに怒られたので略称を採用している……使ってるのはあたしだけだけど。
「優秀な女官さん達に助けられてますから。そんな事を言う為に『女神様』を呼び付けたんですか?」
「褒めてるんですよ? 容姿の事を言ったわけじゃありませんし。国王との初顔合わせの時は見事でした。神殿前で震えて階段を転げ落ちそうになった小娘と、同一人物とは思えません」
「…………」
ほんとにあたし何かした?
どう考えてもディディエはあたしを嫌ってる。これがただの意地悪なら性格ひん曲がってるな。
ジルがため息をついて割って入る。
「とりあえず今日は顔合わせと、『女神の奇跡』について良い案がないか話せればと思っている。今の所『花びらの奇跡』は使えそうだが、それだけでは少し弱い」
「女神様は邪気を払い、雨を呼んで大地を癒し、花と緑でこの国を満たしましたからね。花びらを降らす程度じゃ説得力がありません」
あたしはジルから聞いた女神様の奇跡を思い返す。約三百年前、女神様が降臨した時のこの国は滅びる寸前だったそうだ。
ハクカは山と森に囲まれた、平野が少なく資源の乏しい国だ。森林資源には恵まれているが、鉱物資源や宝石などもあまり見つからない、ただの山と森しかない国だった。
たまたまその当時、魔術師が比較的多くいたため、時の国王は魔術師達に鉱山を探すようにと命じた。国の発展の為にどうしても鉱物資源が諦められなかった。
魔術師達は鉱夫達よりも楽に、鉱夫達よりも迂闊に深い穴を開け、運悪くとんでもないものを掘り当てた。邪気を帯びた巨大な魔力溜まりだ。
魔力というのはお互いに引き寄せ合う性質がある。特に負の属性を帯びた魔力はその傾向が強い。
それでも地上ならば風に負けて霧散してしまうのだが、地中の場合何か核になるものがあれば、濃く集まってしまう事がある。
そしてハクカにあった地中の核は、とんでもないものだった。
千年も前に滅びた竜の骨だ。
滅びゆく事を歎きつつ死んだであろう竜は、元々魔力の塊のような生き物だ。千年もの間、竜の遺体は際限なく負の魔力を引き寄せ、巨大な負の魔力溜まりが出来ていた。
魔術師が魔力溜まりのある地下洞窟を掘り当てた瞬間、外部からの刺激に膨大な魔力は暴走した。山が数嶺吹き飛ばされて消滅。邪気が降り注ぎ、ハクカ国のほぼ全土に渡って大地は汚染された。
邪気に侵された土地は命を育まない。作物も草花も枯れ、木々や弱い小動物が緩やかに死んでいく。
死んでしまった大地に、人々はこの国がほんの数日で滅んでしまう事を覚悟した。
そんな中に降臨した女神は、歎き、悲しみ、しかし負の感情に引きずられる事なく全てを愛おしみ、慈愛の雨を引き寄せた。
三日三晩降り続けた雨が止んだ時、邪気は洗い流され、木々は生き返り、大地は白い花に埋め尽くされていた。
可憐だがどこにでも生えている、ごくありふれた雑草に近い花。ハクカ。
だがこの花の咲く場所には作物が実る。何の役にも立たない白い花の広がる光景は、希望に満ち溢れていた。
それからの一年は苦難の一年だった。
だが女神の守護に力を得た大地は多くの実りをもたらし、数年のうちにハクカは今まで以上に豊かな国になる。
これがこの国で女神の起こした最大の奇跡だ。あたしはこれに匹敵する奇跡を起こさなければならないらしい。
「いや、無理でしょ」
あたしがぽつりとこぼすと、ディディエが呆れたような、馬鹿にしたような顔をする。
「そんな事はわかっていますよ。貴女の魔力は期待してません。ジルの魔法陣を使ってどれだけ……」「そうじゃなくて!」
あたしが言葉を遮ると、「礼儀知らずめ」といった顔で睨まれた。
お生憎様。あんたに見せる礼儀なんか持ち合わせてないから。
「女神様が奇跡を起こしたのは邪気で大地が死にかけてたからなんでしょ? それって、今のハクカに必要な奇跡じゃないじゃない」
ジルが真っすぐあたしを見て先を促す。ディディエが片眉を上げる。二人ともあたしが言いたい事がわかったみたいだ。
「女神様が降臨した時は大地を癒す必要があった。じゃあ、今のハクカには何が必要? どんな問題を抱えてる?」
「……腐った王家だな」
自虐的にジルが言う。
「もうちょっと綺麗な言い方しよっか。今のハクカは心を癒す必要がある。その為の力としては、『花びらの奇跡』ってピッタリに見えない?」
「国王や王妃が花びらの舞う光景を見て、感激したり悔い改めたりはしないと思いますが?」
「必要ないよ。あたしたちの目的は奇跡を起こすことじゃないでしょ? あたしを本物の女神だと思わせることでしょ?」
ディディエの言葉にあたしはニヤリと笑ってみせる。
「あたしが大した奇跡を起こすことが出来ないなら、女神様の力を制限すればいい。三百年前は大きな奇跡を起こす必要があった。だから女神はその力を持って降臨した」
「今はその力は要らない。女神はただ人々の荒んだ心を憂いて降臨した……ということか」
「そ。だからあたしは大した力は持っていない。『花びらの奇跡』はそんなあたしにピッタリでしょ?」
口先三寸。演技力はこの国に来てから嫌でも身についた。
無茶苦茶な奇跡を起こすよりもこっちの方があたしに向いている。どちらにしろ、この国の全ての人を騙さなきゃいけないんだから。
「リュミエの負担が増えるぞ。大丈夫なのか?」
「平気。あたし嘘つきだもん」
「確かに無理に奇跡を起こすよりは怪しまれるリスクは減ります。問題はどのタイミングであなたが本物の女神だと打ち明けるかですね」
話し合いの末、近くあるであろう国民への顔見せで『花びらの奇跡』を起こすことに決めた。
女神の婚姻ということで、式や披露の宴はすっとばしてジルと結婚したが、流石にそのうちお披露目ぐらいはあるはずだ。
国王はあたしを有効利用する気満々なんだから。
王城の拝謁テラスから集まってきた民に手を振るのは、王族の結婚での定番。ここハクカも例外ではなかった。そこであの大量の花びらを降らせば、必ずどうやったのかを聞かれるはず。
そこで『今の私にはこの程度の力しかないのです』と、言ったなら?
完全に信じられはしないだろうが、『まさか』という思いぐらいは植え付けれるはずだ。
「大体の方針は決まりましたね」
一刻半は話し込んだ。そろそろお尻が痛いし、女神様の衣装は何枚も重ね着してるから肩が凝った。
ディディエは席を立ち、廊下に出て通りがかった神官に新しい茶の用意を頼んでいる。
助かる。あったかいお茶、飲みたいよ。
「弟がジルと『女神様』に会いたがってます。使いをやったのですぐに来ると思いますよ」
ディディエ枢機卿の弟かぁ……似てたらヤだなぁ。コレが二人とかキツすぎる。『女神様』で会うみたいだからまぁいいけど。
用意された茶菓子は残念なことにケーキではなかった。山桃の砂糖漬けは村でもよく食べられる。むしろ好物のひとつで食べ慣れて……。
「兄さん!」
びっくりした。
お茶の用意をしてくれた神官が一礼して下がろうとすると、その横をすり抜けて小柄な少年が勢いよく飛び込んできた。そのままの勢いでジルに飛びつく。
え? なんでジルに!?
「久しぶりだなジョエル。元気にしてたか」
えええ? ジョエルって第5王子様だよね? ディディエの弟が来るって言ってなかった?
「ジョエル、女神様の御前です。ご挨拶を」
「ごめんなさい女神様、ディ兄さん。ハクカ国第5王子、ジョエル・ドゥ・ニュアージュ・ハクカと申します。どうぞよろしくお願いします」
ちょっと混乱していると、少年は慌ててジルから離れてあたしに向かって礼をとる。
うわ。天使だ。天使がいる!
サラッサラの亜麻色の髪に薔薇色のほっぺた。こぼれ落ちそうに大きな瞳は綺麗な空色。
『失敗しちゃった。許して?』とばかりに首を傾げて照れ笑いするのはあざとい……あざといけどかわいい……っ!
引っ捕まえて撫で回したくなるのを必死で堪えてにっこり笑う。ワタシハイマメガミサマ……私は今女神様。
「気にしないで? 可愛い弟が出来て嬉しいわ。仲良くして下さいね」
「はいっ」
ジョエルには神官としてのお勤めが分刻みであるので(修業中だそうだ)、少しの間だったけど三人でお茶をする。
『ディ兄さん』『ジル兄さん』と二人を呼ぶのは気になったが、空気を読んでスルーしておく。
ジルの事が大好きみたいで、一生懸命話してるうちに身振り手振りが大きくなるのが微笑ましい。
あたしに対してはちょっと緊張するらしく、話しかけると頬を染めて目線を泳がせる。
……コレ持って帰っちゃ駄目ですか? 女神モードで対応しなきゃいけないのが口惜しいっ。
「もう戻らないと」
名残惜しそうにジョエルが言うと、ジルが送っていくと席を立つ。ジルも弟が可愛くて仕方ないらしい。
ディディエと二人になるのは勘弁してほしいので、あたしも腰を浮かすと「女神様」と、呼び止められた。
「お茶のおかわりは、いかがですか?」
……これは話がしたいという意味か。仕方がないので座り治す。
丁度いいのかもしれない。ジルがいないぶん、お互い遠慮せずに話ができる。
ジル達が部屋を出ると同時に、前フリも無くディディエは語り始めた。
「ジョエルの母は国教の教皇の娘……私の母です。国王陛下に見初められ、病がちだった父の死後、喪に服す間も無く強引に後宮へ召し上げられました」
うわぁ……時間が無いとはいえ、サラっといきなりディープな話題。
教皇の娘が母ってことはディディエとジョエルは教皇の孫か。若くして枢機卿なんて地位にいるわけだ。
「高位の神官の多くは、遡ればハクカ王家との縁戚関係にあります。母は聖女と呼ばれる程の治癒魔法の使い手でした。私の魔力量も皇太子に匹敵します。魔力の強い御子が望めると思ったのでしょうが、ジョエルは見た通り色素は薄く魔力も弱い。今の王家で一番魔力の強いのは……」
ディディエは睨むように私を見ながら言葉を紡ぐ。
「次代の王はジルです」
予想はしていた。
膿んだ王家。優しいジル。
王族の責務を正しく理解しているであろう彼が、王子として生まれた責任を果たそうとするならそれは。
「あたしが聞いてもいい話なの?」
「貴女がもう少し愚かなら話す必要はありませんでした。小賢しく余計な事に気付くものだから、手間がかかる」
「……賢いと怒られるとは思わなかった」
「怒ってはいません。私のミスです。ただ、腹立たしいだけです」
それって怒ってるってことじゃないか。
「……理不尽すぎる」
「助けてあげた相手が問題ばかり起こすんです。腹も立つでしょう」
何それ? 出会った瞬間に駒にされた記憶はあるけど、助けられた覚えはないんだけど。
あたしが恨みを込めて睨みつけると、ディディエは鼻で笑う。
「貴女は神殿に逃げ込んで匿ってもらえば、安全だとでも思ってたんですか? すぐに王族の誰かにバレて攫われますよ」
言われて気付く。この国の神殿の立場は王家よりもずっと弱いんだ。教皇の娘を強引に奪われるほどに。
「貴女の身を守るためには女神の降臨を民衆に知らしめ、こちらから『ジル殿下の妃に』と王家に差し出すしかなかった。『魔力の強い、黒髪の御子の誕生を』と」
あたしは馬鹿だ。利用されてると思っていた。それは間違いではないだろうけど、それ以上に守られていたんだ。最初から。
「泣くか喜ぶかしてジルの寵愛を受けていればよかったんです。いずれ解放されるよう手筈を整えるつもりでした。これ以上、ジルの優しさを利用する事は許しません。不用意な発言を避けて、正しく距離をとるように」
弾かれたように伏せていた顔を上げ、ディディエを見る。
この人は、ジルにあたしを会わせた事を後悔してるんだ。
「貴女はいずれジルの前から消える人物なんでしょう?『保身の為に子供は売らない』と言ったそうですね」
そうだ。あたしはここからいつか逃げ出す。
「ジルを産んだ女は産まれたばかりの赤子を置いて、王宮から逃げ出しました」
思い出す。人形のように強張った顔と低い声。
あの時ジルは、いったい何を思っていたんだろう?
「これ以上、私の王を惑わせないで下さい」
わかっていた。
ジルは決してあたしを見捨てない。
最後に裏切るのは、きっとあたしの方なんだ。