10 初めてのプレゼント。
今日は暖かくて、南からの風が気持ちいい。嵌め殺しだと思ってた窓は、隅っこに描いてある魔法陣に女官さんが触れると消え失せた。
魔法の窓だったんだ……良いこと知った。これならいつでも外の空気に触れられる。レリーフという名の鉄格子のせいで、腕一本外に出すことは出来ないけども。
喉が渇いたので水差しに手を伸ばすと、あっというまにお茶の用意が整った。『花びらの奇跡』の所為か、今まで以上に恭しく扱われてる気がする。
もしかしたら、掃除が嫌だから余計な奇跡起こさないでよ? ってアピールだったりして。
用意された甘味はふわふわで、ベリーの実と甘いクリームが乗っていて、信じられない程美味しかった。
コレってもしかしたら話に聞く『ケーキ』ってやつかもしんない。ここに来て初めて心の底から幸せ感じたよ。恐るべしケーキ。
お腹がくちくなって欠伸を噛み殺してると、日記を返却するためにジルが部屋にやって来た。
女官さん達が頭を下げて退室して行く。
「何かわか……」
「ケーキってすごく美味しいねっ」
「…………」
「間違えた。女神文字って難しいねっ」
呆れないでよ。ジルだって特に成果なかったくせに。
まぁ、ジルはものすごい量の紙とインクを消費して推測立ててたけども。残念ながら一つも確定には至らなかったが。
「だって……あたしみたいなただの村娘に、誰にも読めない文字の解読ができると思う?」
「別に俺と同じようなやり方で解読しろとは言ってない。リュミエの強みは独創的な着眼点と発想だろう」
そんなこと言われても。女神文字に関しては力になれそうにないし。
「どちらにしろ時間切れだ。返却してくる。また折を見て借りれればいいんだが」
魔法の箱から日記を出して手渡す。あたしの同意の下で所有者を変えなければ、ジルでもこの箱を開ける事は出来ない。
日記を渡すとかわりに三枚の紙を渡される。
「お前が扱える陣のリストだ。一枚目はかなり楽に扱える陣。二枚目は数回で魔力が尽きるもの。三枚目は一回扱うのが精一杯のものだ」
「これらを組み合わせて『奇跡を起こす』わけだね」
「そうだ。目を通して何か良い方法がないか考えておいてくれ。それから……」
ジルは一旦テーブルに日記を置くと、小さな箱を取り出す。蓋を開けると、中にはストーンカメオのペンダントが入っている。
花の咲く小枝に止まった二羽の小鳥がキスをするデザインだ。
「かわいい!」
もしかして……とジルを見ると、ちょっと照れ臭そうに『やる』と差し出された。
「お守りだ。ロケットになっている」
言われてみれば、カメオだという事を差し引いてもかなり分厚い。留め金を外すと、中には数粒の赤い丸薬が入っていた。
ザッと、血の気が引いた。
「これ……」
手が奮える。赤い薬が一粒、こぼれてテーブルに落ちた。
ジルはそれを潰さないようにそっと拾う。
「……避妊薬だ。これを飲んだ前後、半日は妊娠しない。風呂の時はこの箱に仕舞って、それ以外では常に身に着けておけ」
ペンダントに丸薬を戻しながらジルが言う。何か話さなきゃと思ったが、言葉が出ない。
「元々、子供を作る気はなかった。リュミエがここまで聡くなければ……何も説明せずにこっそりこれを飲ませるつもりだったんだ。何も、知らない方が安全だと思っていたから」
「……そっか」
「兄上達の、特にアンセルム兄上の様子がおかしい。リュミエをこの部屋にいつまでも閉じ込めてはおけない。明日には一緒に行ってほしい場所もある。だから……お守りとして持っておいてくれ」
「うん。わかった」
歯切れ悪く、時々言い澱みながら説明するジルの様子を見て、あたしは少し冷静になった。なんとか笑顔を作って、ありがとうと付け足す。ジルは困ったように笑ってから、ペンダントを着けてくれた。
着けやすいようにとよけた髪からあたしが手を離すと、子供にするようにポンポンと二度優しく頭に触れる。
「これはただのお守りなんだ。そんな顔をするな。お前がこの薬を使う事が無いように、守ってみせるから」
「……うん。ありがとう」
「今夜は用があるからここには来れない。扉に陣を貼っておくから、寝る前に発動させろ。朝まで誰も侵入できない」
「ジル、朝まで来ないの?」
ジルがいない夜は初日を除いて初めてだ。でもここはジルの自室じゃないんだから、渡りの無い日があってもおかしくはない。
不安感を隠せないあたしを宥めるように、ポンポンとまた頭に触れられる。
「陣が発動すると俺も朝まで入れないから起こしてしまう。今日はしっかり寝ておけ」
日記を持って部屋を出ていくジルに、起こしてもいいから来てと言いたいのに、言えない。ぐるぐると色んな事を考える。
『この薬を使う事が無いように』
ジルはあたしの純潔を護ろうとしてるのだろうか?
何の為に? ……いつか、あたしを手放す時の為に?
好都合でしょ。
あたしは機会があればここから逃げ出すつもりでいた。
ジル達が何の為にあたしを使おうとしてるのかはまだわからない。でもいずれ解放してくれる気でいるのなら、協力できる。
知らず、握り締めていたペンダントに目を落とす。花と鳥。あの時、女性が好きなものとして挙げた三つのうち、二つが入っている。まさかね。
鎖を摘んで揺らしてみると、風に揺れる枝で小鳥が遊んでるみたいに見えた。揺れた弾みでペンダントが裏返る。
「あ」
…………泣きたくなった。
裏面には月と星のモチーフが刻まれていた。
間違いない。ジルはこれをあたしの為に探させたか、もしかしたらこの短時間に作らせたんだ。
短い時間で、死にそうになりながら作業した人が何人かいるだろう。
「これだから他人に命令し慣れた人間は……」
つぶやいて、後悔する。
あたしはいつもそうだ。多少小狡く頭が回っても、肝心な事にはすぐに気付けない。
「もっと、喜んであげればよかった」
あたしはいつまでも、ジルからの初めてのプレゼントを眺めていた。