未知の病気
病室にはテレビがある。もちろん有料なので、料金を払わないと見れない。文彦は財布に不自由しない程度には持ってきているので、時々視聴している。みているのは大抵はニュースだ。
テレビの報道番組で、急激な速度で老人になる病気というのが報道されていた。以前中国だったかで、そういう症状の人がいるとかいう話があった様な憶えがある。その後どうなったかは分からないのだけど。
報道の内容は、少しづつ老化する症状、シワができたり色々と弛んできたりといった症状が出てきて、アメリカの患者では五十代の男性がシワだらけで髪は真っ白な老人、推定七十代以上かと思われる容貌になったという。かなり衝撃的だが、急激な老化は三ヶ月程で終息。その後は今の所は健康状態も良いという。もう一人紹介されていたが、まあ先の人と似たような症状だった。
文彦は世の中恐ろしい病気はいくらでもあるのもだな——とつくづく思った。報道ではアメリカ人の患者が紹介されていたが、世界中で発生している病気だというし、日本でも何人かいるという。
――僕の体は一体どんな事が起こっているのだろう。
文彦は得体の知れぬ病気に恐怖した。
今日から五月に入った。世間ではもういわゆるゴールデンウィークである。しかし入院してベッドの上にいる文彦には関係のない事だった。
そういえば山陽医大に例の老人になっていく奇病の人が、一人か二人ほど入院したと聞いた。そんな怖い病気が間近にも出てくるとは……僕もいつかは……。
ふと鏡をみると、なんだか痩せた様だ。文彦は結構ガッチリした筋肉質な体型であるものの、少し肥満気味で顔も丸かった。それが細くなった様に見える。実は全身の痛みと、最近は気分がすぐれない事が多いせいか、食べるのが苦痛で一応全部食べようとはしているものの、よく残している。間食を全くしていない上に病院の食事だけだから、痩せていくのは当たり前といえばそうだった。
この先どうなっていくのか? よくなる兆しが見えてこない事を考えると、あまりいい未来は想像し難かった。
特に何時だったかのニュースの話題は気になる。老人になるという病気の事だ。その後もニュースでは時折報道されていたが、まさかあの病気なのでは――考えれば考える程とても恐ろしい話だ。
様々考えていると、ふとドアを叩く音が聞こえた。
「早川さーん」
ドアの向こうから看護師の島崎の声が聞こえた。文彦は「はい」と返事をすると、ドアを開けて島崎が入ってきた。
「早川さん、気分はどうですか?」
島崎は笑顔で聞いた。
「うーん、正直あまりよくないです」
しかし僕の方は、笑顔で答える事は出来なかった。
「そうですか……でもきっと良くなりますよ」
「そうでしょうか。ニュースでやってた老人になる病気とか、あれはどうなんですか? そういえばここにも入院しているとか」
文彦は先ほど考えていた事を聞いてみる。
「今の所はまだよく分かっていない部分が多いみたいですね。うちに入院されている患者さんは、それ程酷い症状ではないと聞いていますよ」
あまり詳しい状況は知らないのか、敢えて伏せているのか分からないが、聞いてもあまり得るのものは無さそうだった。
「午後から岡本先生の診察がありますから、先生に相談されるのがいいでしょう」
「そうですね。そうしてみます」
午後から岡本先生の診察がある。その時に聞いてみる事にした。
「今日は天気がいいですよ。もう少し良くなったら外を散歩したくなりますね」
窓の外を見ながら島崎は笑顔で言った。
「そうですね、今日はちょっとそんな気になれないけど、もう少し楽になったら外を歩きたいな」
「うふふ、暑くなるまでに散歩したいですね」
島崎は笑顔で答えた。
午後二時頃、岡本准教授がやってきた。
「早川さん、こんにちは。具合はどうですか?」
「あまり良くないです」
午後になってもやっぱり良くはならなかった。はっきり言って、鎮痛剤を打ってもらった時くらいしか痛みが治まる事は無い。後は何かに集中すれば、少しは苦痛を忘れるくらいなものだろうか。
「うーん、良くないですね。昨日の検査の結果が出ると、何か進展があるでしょう。もう少しまってください」
「はい。先生、ちょっと聞きたいんですが」
「何でしょう」
「前に言っていた僕と似た症状の人、他の患者さんはどうなんでしょうか? 良くなっている人はいるんでしょうか?」
「今の所は聞きませんね」
「そうなんですか?」
「ええ。ただ、ある病気と共通点がある事で、ちょっと気になる事がありますが」
ある病気? 何の病気だろうか?
「その病気の患者は早老症の一種であると考えられています」
「ソウロウショウ?」
「そう、通常より早いスピードで老化する病気です。例えばウェルナー症候群というのがあります。簡単に言って、短期間に老人の様になっていく病気です」
岡本は淡々と文彦に説明した。
「それは最近、ニュースで報道されているやつでは」
「そうです。一ヶ月程で老人になってしまうとテレビで話題になりつつある、あの病気です。ここ山陽医大にも現在二人の患者が入院しています」
「どう共通点が? やっぱり……まさか僕は今後老人になってしまうんでしょうか?」
文彦はだんだんと不安になってきた。この全身の痛さに加えて老人にまでなんて……。
「いえ、そうとは限りません。共通しているのは、それまで健康だった人が突如症状が現れてくる点と、短期間で一気に症状が重くなる点があり……」
ある日突然何らかの症状が出て一気に悪化、それら三ヶ月程で症状が終息する。僕の場合もそういう風なのだろうか?
「詳しくは検査結果待ちですが、この老人になる病気と、早川さんの場合も『肉体の変化』が共通していると考えています」
「肉体の変化?」
「そうです。老化する患者は皮膚にシワが出てきたり、急激な変化が起こっています。早川さんにも変化があると見ています」
「確かに、入院前に比べて痩せたし、色も白くなってしまって、まさに病人という姿になってしまった。でもそれは入院してたら当たり前では……?」
「そうです、それは当たり前かもしれませんが、僕には早川さんの体にそれとは違う、肉体の変化が起こっているのではないかと考えているのです」
違う変化――シワが出来たり――とか?
「どのような、若しくは、どのくらいの変化が起こっているのか、それはまだ分からないのですが」
「なんか気味の悪い話ですね……」
「とにかく今はまだ結果を待ちましょう」
それから二日後、再び岡本の口から衝撃的な言葉を聞く事になった。
「実はアメリカの患者の症状に進展があったと聞きました」
岡本は文彦の目を見つめ、少し間を置いて口を開いた。
「人体が違うものに変形するのです。一言でいうと別人になっていくのです」
「別人?」
文彦は初め何を言っているのか理解できなかった。別人になるって。そんな映画や小説じゃああるまいし。
「例えば――僕の顔が、岡本先生の顔になる、みたいな事ですか?」
少し冗談めいた言い方で言ってみた。
「極端な話、そういう事です。信じられないかもしれません。ただ、これは事実な様です。まだ報道はされてませんが、近々発表されるでしょう」
文彦には信じられなかった。そんな無茶苦茶な病気なんてあるのか? もうこれはファンタジーの話だ。
「ど、どのくらい変わってしまうのでしょうか?」
「アメリカの例では、特に奇形といった状態にはならない様です。ただ誰にも本人だと分からないくらい、別人に変わりつつあると聞きます」
衝撃的な話だった。ただ、僕が狼人間になる様な、そういう訳ではないのがまだ救いがあるか。
「まだ確定はできません。検査の結果を待ちましょう」
それからまた二日後、検査の結果が出た。やはりと言うか、以前に岡本が考えていた結果になっているみたいだ。
「極僅かではありますが、早川さんの身体に変化があります」
岡本は文彦の目をじっと見つめた。その真剣な目に文彦は少したじろぐ。
「また、この変化に合わせて身体の痛みがあるのだと考えられます」
「この変化が――痛みの原因だと言う事ですか?」
「そういう事です」
~夢、二~
会社の敷地内、僕はずっと佇んでいた。
視界は良かったが、やはり色が無くモノクロの世界だ。普通には有りえない景色でもあり、どこか変な気分でもある。
目線の先には会社の作業場がある。正面の扉は開いていた。中からは音がしない。いや、そもそもこの世界の音が全く無いのだが。
作業場の中には人の気配がしない。誰も居ないのだろうか。
僕は中を見てみたくなり、作業場の中に入ろうと足を一歩踏み出す。
一歩、また一歩と少しづつ作業場の開かれた扉が目の前に迫ってくる。
そして、作業場の中に入った。中は暗い。照明は点いていない様だ。中の様子を確認する為左右を見渡した。特におかしい所は無い。
不意に後ろで気配がした。そっと後ろを振り返った。四~五メートル離れた所に人がいる。
何故か初めて会う人じゃ無い気がした。もしかしたら以前見た夢に出てきた人と同じだろうか。やはり顔は暗くて見えない。しかしその容姿は……パジャマ姿の様に見える。背丈は僕と同じくらいか――いや、もう少し低いだろう。
僕は思案しつつ、すそのまま突っ立っていると、その人が歩き出した。僕の方に歩いてきている様だ。
しかし、僕はその場所を動かなかった。いや、動けなかった。
その人はゆっくり歩いている。僕の方に向かって。
僕はその人から離れようとする。どうしてそう思ったのかは分からない。
しかし、僕はその場所を動けなかった。足は凍りついた様に動かない。ゆっくりと近づいてくる人。
僕の視界が白くなる。そして何も見えなくなった。
意識が薄れていく……。