再会
四月末、カレンダーでは毎年恒例の大型連休、所謂ゴールデンウィークだ。長い入院生活の文彦には余り関係が無く、当然実感が湧かなかった。
外も少しづつ暑くなってきているんだろうな、と思うが、まだ夏という気温ではない。比較的過ごし易い気温なのだろうと思いつつ、ナースコールを押した。
すぐに看護師が病室にやってくる。今回は島崎だった。
「早川さん、どうかしましたか?」
「すいません、これから外を散歩したいんですが」
「うふふ。今日は天気も良いし、散歩日和ですよねえ。分かったわ。すぐ用意しますね」
「お願いします」
外がどのくらいか分からないが、この間は春先に着ていたカーディガンは脱いでも寒くなかった。今回も多分不要だろうし、このまま行く事にする。
先ほど病室を出て行った島崎は、ものの数分で直ぐに戻ってきた。
そして車椅子をベッドの側に持ってきて、文彦を座らせる。
「さあ、行きましょうか」
「はい」
この頃は、リハビリの効果もあってか、大分歩行距離も伸びてきた。松葉杖を使わずに五メートルくらいは歩ける。今回も自分の足で歩いてみたい。少しづつ距離を伸ばしていきたいと思っている。
外はとても天気が良くて心地よかった。
文彦は背伸びして、太陽の恵みを満喫する。
「良い天気ですね。いつもこのくらいだと過ごし易くていいんだけど」
島崎は清々しい気分で言った。
「そうですね、でもこれから暑くなっていくのだろうな……」
「六月頃になると暑くなるでしょうね」
「さあ、今日も歩いてみようと思います」
文彦は車椅子から立ち上がった。島崎が転ばない様にサポートしてくれている。
「よいしょ」
文彦はわりとこの口癖を使う。こういう所は中年のオジさんだと思うだろうが、もう癖になってて無意識のうちに使ってる。しかし今の所、特に周囲から変に見られる事は無い様だった。なので現在も時々言っている。
少しヨタヨタした歩行ではあるが、杖を使わずに自分の二本の足で歩いている。一ヶ月くらい前まではとても出来なかった事だ。数メートル程先のベンチまで歩いていって、そこに座る。
「ふう……」
文彦はベンチに保たれて、次第に動く様になってくる自分の身体に、少しの満足感を得ていた。
「大分歩ける様になってきましたね。歩き方も段々普通になってきてると思うわ」
島崎が車椅子を押しながらベンチまでやってくる。ベンチの近くに車椅子を置いて、文彦の隣に座ろうとした時に、声をかけられた。
「やあ、島崎さん。こんにちは」
「あら、中村さん。お久しぶりですね」
島崎は声の主に答えた。
そのやりとりの中で、文彦は覚えのある名前が出てきて声の方を向いた。
そこには、意識を失う前に会った事のある<老化>の中村博之が立っていた。
「あ、あの……こんにちは」
文彦は懐かしくなり、少し照れながらも声をかけた。
「こんにちは、お嬢さん。散歩かい? 今日は良い天気だね」
ニコニコしながら文彦に話しかけた。
「そ、そうですね……」
「うふふ、この人は中村さんと言ってね。前にここに入院していたのよ」
「……<老化>ですよね」
「え? もしかして知っているの?」
島崎は驚いた。
「うーん、僕の知り合いには……いたかな? ごめんね、お嬢さん。ちょっと思い出せない」
中村はどう考えても思い出せず、首を捻った。
「あ、あの……島崎さん」
文彦は意識を失う前に、一度会った事がある旨を簡単に説明した。
「ああ——なるほど。それで」
島崎は納得した様だ。
「どういう事なんだい?」
「早川文彦という人を覚えていませんか?」
そう言われて中村は暫く考え込んだ。
「早川……ああ、二年くらい前だったかな。あの頃はまだ分からなかったけど、今にして思えば<若返り>だねえ。確か僕と同い年だったはずだ。彼はどうしているのかな」
中村は懐かしそうに思い出した。
「その彼が――この子なんです」
「ええ? いや、しかしこの子は女の子じゃないのかい? 若いけど、男には見えないが……」
中村はどういう事だろう? と思った。
「そうなんです。出来ればこの事は内緒にしておいて欲しいのですが……、早川さんは<若返り>で若い容姿になったのですが、それと同時に女性、いわゆる<性転換>されてしまった事で、今はこの姿になっているのです」
「……<性転換>とは。うーん、にわかには信じられないが……そうなのかい?」
中村は目の前に座る少女に聞いた。
「そうなんです。僕はこんな姿になってしまったんですが……あの、お久しぶりです」
中村は俄かに信じがたいものの、だからと言って疑ってもしょうがないとも思った。それに誠実な島崎が嘘を言うとは思えないと考えた。そう結論して、信じる事にした。
「なんと……そうなのか。いや、本当に久しぶりだね。大変そうだけど、無事再会できた事は嬉しいよ」
中村はそう言って文彦の前に手を出した。
「僕もです」
そう言って、中村の手を握って握手した。
「世間では色々と不思議な出来事が多いね。<老化>もそうだし、<若返り>もそうだ。更には<性転換>か。何というか、君も大変だね」
「こうなってしまったのは、もうどうにもなりませんが」
「しかし、その姿だと……中学生くらいかな? 二十歳どころじゃないくらい若返っているね。大分痛むと聞くし、相当辛かったんじゃなかろうか」
「……そうですね。体もまともに動かせなかった……それに長い間、眠っていました」
「眠っていた?」
「一年以上、意識が無くて昏睡状態だった期間がありましたね」
島崎が言った。
「それは何とも……随分と大変だったみたいだね。それに耐え切った君は大したものだ」
「……はは」
文彦は照れて笑う。少女の照れ笑いに中村もつられて笑った。
「それにしても、テレビでもよく報道されてるし最近はどうなんだろうね?」
中村は腕を組んで、それから顎を摩った。
「今は<老化>も<若返り>も増えてきていますね。ここにも二十人以上の患者が入院していますよ」
島崎の言う通り、現在山陽医大には<老化>患者が十八人、<若返り>患者が六人が入院していた。この患者達は経過は順調ではあるものの、以前と比べて段々と患者数は増えていた。
「そんなにかね? どうなってるんだろうね。僕の時には数人しかいなかった様な」
「あの……研究が進んで色々と分かってきているらしいですけど……予防は出来ないんでしょうか?」
文彦は前から疑問に思っていた事を口に出してみた。
「――そうね。正直な所、防止策は今の所は無いみたいだわ。まだまだ未知の部分が多すぎると岡本先生は言ってますね」
「まだ増えるんだろうね」
「何とかしたいのですけれど」
島崎は顔を曇らせた。
「まあ、あんまり暗い話は止めようか。こんなに天気がいいのに」
中村は空を見上げて言った。
「そうですね」
「……中村さんはどんな用事で?」
文彦が聞いた。
「今日はね。検査の日なんだ。症状はもう止まって久しいけど、相変わらず検査は続けないといかんらしい。まあお金が掛からないからいいんだけど」
「大変ですね」
「まあ、家が近いから特に大変でもないよ」
「……ああ、そういえば以前、そう言ってましたね」
「うん。退院したら遊びにおいで。何時でも歓迎するよ」
「そうですね。楽しみにしてます」
三人はベンチに並んで座って、穏やかなひと時を堪能していた。
「いやあ、いいねえ。美人看護師に可愛いお嬢さん。両手に花とは当にこの事」
「まあ、中村さんったら」
「僕は体は女でも……」
「ははは、それでも側から見れば羨ましいと思うだろう」
「そうなのかなあ……」
文彦は、確かに他人には分からないからなあ……と思った。
「さあ、僕はもう行かないとね。遅れてしまうな」
腕時計を見た中村は立ち上がると、正面玄関の方を向いて少し歩いてからこちらを見た。
「じゃあね。また会おう」
そう言って、行ってしまった。
「さあ、早川さん。もうちょっと向こうまで行ってみます?」
「あっちの駐車場の方まで行ってみようかな」
段々と歩ける距離は伸びている。早く松葉杖無しで歩ける様になりたいな。
そう思って頑張る文彦だった。