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これからの事

 三月に入り、外の寒さも若干落ち着いてきた。先日も外を散歩したが、二月頃に比べて大分寒さが和らいできたと感じていた。

 こうなってくると、病院の外に行ってみたい気もしてくるが、まあ、それは今は無理なんだろうと考えていた。

 散歩で外に行く様になって、ダウンジャケットを買ってもらった。ダウンジャケット自体は持っているが、体が男の時のもので、この華奢な体には少し大きかった。その為、今の体に合わせて新しいものを買ってもらう事になったのだ。

 あまり高額なものではないが、ライトグレーのスマートなデザインでなかなか気に入っていた。ちなみにブランドは不明だ。これは柴田に選んで買ってきて貰った。母の宣子だと何を買ってくるか不安だったからだ。やはり柴田のセンスの方が信用出来た。

 ベッドの側にあるコートハンガーに架けてある。文彦はしばらく、満足そうにダウンジャケットを眺めていた。


 新しいダウンジャケットを眺めていると、いつの間にか夕食の時間がきていたみたいだ。

 病院食というのは、基本的に味気ないものだ。味も薄く、あんまり美味しくない。聞いた話では<老化>及び<若返り>の患者は、栄養士の指導で調理されている特別なメニューらしい。しかし、いくら特別だからといって、特別に美味しいというわけではないようで、前に一度見た事がある、他の入院患者の夕食の方が美味しそうだった。

 文彦はこの姿になって、初めはものを食べる事が出来なかった。口も満足に動かせなかったからだ。しかし一ヶ月くらいすると、どうにかお粥みたいなものは口で食べられる様になった。

 あれから四、五ヶ月くらい経ち、現在はご飯とおかずなんかもどうにか食べられる様になっていた。

 文彦は元々好き嫌いが多い方で、特にカボチャ、ナス、貝類などが全く駄目だった。とにかく、絶対に口に入れたくないと思っている。しかし、変わってしまったこの体は、更に好き嫌いを多くしたらしい。

 まず、魚が嫌いになってしまった。なんというか——生臭いというのだろうか。以前は特にそうでは無かったが、この体になってからというもの、焼き魚だろうが、煮魚だろうが、食後の生臭い匂いが口の中に暫く残り、非常に不快になった。そのせいでよく残している。味は美味しいのだけれど……後で気持ち悪くなるので、なるべく食べたくないのだ。

 それから脂っ気の多い食べ物も食べたくない。以前、夕食で鶏の唐揚げが出て食べたが、その後暫く気分が悪くなってしまった。これは結構困りもので、文彦はもともと脂っ気の多い料理は好きだったからだ。食べる楽しみが感じられず、食事が苦痛な事もあった。

 ただ、一番の問題がある。

 文彦はお腹が空かない。どうしてなのか分からない。いや、お腹が空かないというか、正確には常に満腹感があるのだ。お腹いっぱいなのに無理に食べようとする感じで、全く美味しくないし辛かった。どうしてこうなっているのかは不明だ。他の<若返り>の患者には無い症状だという。岡本が言うには、<性転換>の副作用といったものかもしれないという。


「早川さん、全然食べてないじゃないですか。食べないと良くならないわよ」

 食事中にたまたま病室を訪れた原田は、殆ど残っている文彦の夕食を見て言った。

「でも……もうお腹に入らないです」

 文彦はお腹を片手で押さえながら言った。

「うーん……辛いのは分かるけど、食べないと体力が付かないし、リハビリにも影響出るだろうし。もっと頑張って欲しいな」

 文彦は苦笑いした。そして夕食を見て顔を曇らせる。元は男だった少女の横顔は、大変美しく繊細で可憐だが、それはともかく、このままでは問題だ。

 原田は、困ったものだわねえ、と天井を見て呟いた。


 文彦はスマホを弄っている。この病室はWiーFiでネットに接続する事が出来るので、時々スマホでネットの閲覧もしている。

 このスマホももう随分古いモデルだ。二〇一三年末に買ってもう四年以上になる。既に最新モデルが去年の九月に発売されている為、それに買い換えたいところだ。電話回線は両親が解約せずに長期の利用停止の手続きをしてくれている。今もその状態だがここでは電話は特に使わないし、WiーFiがあるので問題無い。退院したら機種の買い換えとセットで利用再開する事にする。

 そういえば電話代とかどうしたらいいだろう? と考えた。まあ親が払ってくれるのだろうが、早く働ける様になって、自分の収入で払える様にしなくてはならないと思った。

 

 文彦はニュース番組でも見ようと、テレビのリモコンに手を伸ばす。病院のテレビは正直な所、見難い。場所とスペースの関係上しょうがないと思うが、横を向かないと見れないのは割と見辛く感じる。こういう時にワンゼグがあれば良いのだけど……このスマホにはワンセグが無い。前からそうだけども、一向にワンセグを搭載しようとしない。最新モデルにも当然無い様だ。もっともスマホでテレビ番組を見る機会は殆ど無いと思うので、まあ別に良いのだけど。

 テレビのリモコンを持って電源を入れた。少し間を置いてテレビに番組が表示される。ニュースでは丁度先程ネットで見た<老化>の最新情報の報道がされていた。


 今回発表されたのは、アメリカの研究機関の発表で、<老化>患者の遺伝子に通常のヒトの遺伝子には見られない特殊な部分があると発表された。これは<老化>の症状がで始めた頃に、それと同時に遺伝子の変化が現れるという。どう特殊なのかなど詳しい事は報道されていないし、説明されても理解出来ないだろうからどうでもいいが、何が原因でその様な事になるのだろう? それを今必死になって研究しているのだろうけど。ウイルス感染説、他の病気の影響説、ストレスによる影響説など色々と言われてはいるが、まだはっきりしていない。

 ちなみに<若返り>の遺伝子については<老化>と変わらないと発表されていた。やはり<若返り>は<老化>の突然変異的な状態であると、ほぼ確定されたと言っていい。


 文彦はテレビの電源を切った。

 少しづつだけど病気の事が分かってきている。だけども——とりあえず患者としては、目の前にある破綻してしまった生活をどうやって立て直していくか、そしてどう生きていくか、というのが問題だな——と、天井を眺めながらぼんやり考えていた。


 文彦は一日の間で、自由な時間が多い。検査などで長い時間拘束される場合もあるが、基本的には動ける範囲でなら好きな事が出来る時間が長かった。

 最近は色んな事を勉強している。こんな体になった為、今までと同じ仕事はもう無理だ。今は休職状態にあるが、結局退職する事になるだろう。ならば、こんな体で仕事が出来る事をしていかなくてはならない。

 しかし何をすればいいのか? それが問題だった。

 色々考えた結果、やはり体力を使わない仕事――やっぱり事務員とかだろうか。事務員の仕事は結構やれそうな気はするのだけど、比較的誰でも出来そうな感じのする仕事なだけに、そもそも求人があるのだろうか。まああるのだろうけど文彦には厳しい気がした。自分の仕事に求めるものが違うと思った。やっぱり何かを作る仕事がしたい。贅沢言うなと思うかもしれないが。

 店舗の販売員とかはどうか。はっきり言って、口下手な文彦にはかなり厳しいだろう。それに、業種によっては肉体労働がある。本屋の店員などまさにそれだ。本は重いのだ。それを抱えて歩かなきゃならない。こういう業種は駄目だと思った。そやはり自分には合わないと思った。

 コンピュータのプログラマーだとか、そういうのはどうだろうか? これは中々良いかもしれない。ただこの仕事は全く経験が無いので、それに伴うスキルを身につけなきゃならないのだろうと思う。まあ、これは勉強すればどうにかなるのだろうか……。

 しかし、やはり就職をする上での最大の問題がある。この容姿である。多くの人は文彦の姿を見てどう思うか? ほぼ全員が高校生か中学生の少女と見るだろう。とてもまともに就職して仕事をするような年齢には見られないと思う。これは就職をする上で大きな問題だった。

「うーん、色々と……難しいな……」

 あれもダメ、これもダメで、つい呟いてしまう。

 それから、もうひとつ大事な事があった。それは――自動車免許である。

 文彦は免許を持っている。自動車も持っているのだ。文彦の住んでいる田舎では車は必須で、無いと行動範囲がとても制限される。電車は本数が少ないので、いまいち使いづらい。

 この自動車免許で問題がある。実は免許を取り消されてしまった。<老化>にせよ<若返り>にせよ、体格が大きく変わってしまった場合は、一度免許を取り消して再度試験を受けなくてはならないと決まった。変化の度合いは担当の医師の判断に委ねられており、それで免許の失効を国が判断するそうだ。文彦はとても無理だろう。取り消しは免れないと思う。

 それにしても今更実技試験なんて受かる自信無いし、学科はまあ勉強すれば問題無いと思う。やっぱり教習所からやり直さなきゃダメだろうと思った。

 どちらにせよ体がまともに動く様にならないとどうにもならないので、当分免許の再取得は無理の様だ。

 ちなみに教習所に行く場合は国は何かしてくれないのだろうか。社会問題化した今、政府はどう対応していくか現在も色々と模索している様だが、こういう所もどうにかして欲しいと思う。発病によってこれまでの仕事を続けられなくなった人達に対する再就職支援もして欲しい。

 残念な事だけど、今の時点ではまだそういった具体的な国の支援は決まっていない。困っている人は多いだろうに。


 翌日、病室に来た柴田に仕事について聞いてみた。

「うーん、そうですね。未成年に見えてしまうのは色々と不利になるでしょうが、考えようによっては容姿を気にしない職業とかならいいんじゃないでしょうか」

「例えば……何かありますかね」

「そうですね、個人でする職業、例えば画家とか……イラストレーターとかですかね。早川さん、絵心あります?」

「いや……ちょっと厳しいかな」

「そうですか……まあ、そういうのは才能とか重要な気がしますしね」

「ですよね」

 柴田は何かないか、更に考える。

「絵がダメなら文章ならどうですか? 小説家とか。早川さん、よく読んでますよね」

「うーん、僕は読むのはいいけど、じゃあ書く方になると……やっぱり難しい気がする」

 文彦は読書はするが、文章を書くのはあまり得意ではなかった。

「難しいですね。先の事も大切だと思うんですが、また時間が経てばいいアイデアも浮かんでくるかもしれないです。今はリハビリに専念してもいいんじゃないでしょうか」

「まあ……そうですよね」

 二人は偶然にも同時にため息をついた。そして同時にお互いの顔を見た。

 これまた同時に照れくさそうに苦笑いした。

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