少年の憂鬱とその青春後記
「十段はよ」
今日もこうしてツイッター上でフォロワーと煽り合う。
僕は恵美博雅。第一志望に合格できず浪人生になってはや四か月。予備校に行き、帰ると勉強し、勉強に飽きたらスマートフォンでツイッターをする。まるで変化のない生活を送っている。
「もう朝九時か」
朝九時―それはいつも予備校に向かう時間だった。スマートフォンを閉じて鞄に押し込み重い足取りで家を出る。そんなつまらない日常。
予備校までは電車で三十分かかる。予備校は家の近くにもあるのだが、親が僕のことを思ってか近所で一番進学実績のある予備校に通わせてくれた。
満員電車に揺られながらiPodに入っている音楽をシャッフルする。その中は基本電波ソングかハードコアしか入っていない。
『ガコン!』
電車が突然大きく揺れた。僕は趣味で鍛えた足腰で何とか耐えたが横に立っていた女性が揺れに耐えきれず僕の方へ倒れてきた。咄嗟に僕は手を差し出してその女性を抱き上げた。
「すいません」
その女性は僕の顔を見て一礼すると、すぐに顔を反らして人ごみの中に紛れてしまった。
『次は池袋、池袋』
電車が池袋に到着すると僕は早足で電車を降りた。そこはいつも僕が降りる駅ではなかった。遅めの通勤をするサラリーマンたちが足早にホームを駆けていく中、僕はそのままホームに立ち尽くしていた。顔が熱くなっているのに気付いた。手足も震えていた。吐き気がした。このまま逃げてしまいたかった。
さっきの電車で倒れてきた女性―彼女は僕の元恋人―彩華だった。
「やべ、もう九時かよ」
僕は時計を見て嘆くと焦りながら自転車にまたがる。僕は今日の九時半に彼女とデートをする約束をしていた。
高2の秋、彼女が出来た。きっかけはあまり覚えていないけれども、確か文化祭の時に彼女が僕に告白してきたのがきっかけだと思う。そこから付き合い始めてそろそろ一年になる。
冬用のコートの袖を捲って待ち合わせ場所まで自転車で飛ばす。今日は彼女と池袋で服選びをする予定だ。
「ごめん待った?」
待ち合わせ場所に着くと、自転車をこいで乱れた息を整えながら彼女に謝る。
「ううん、私も今来たところ」
彼女は僕に微笑んでそう返す。彼女の顔は寒さのために紅潮していて、言葉を紡ぐたびに口から白い息がこぼれた。今来たばかりなんて言うのは真っ赤な嘘だと分かりきっていた。彼女はやさしい、いつも僕の一番でいてくれる。
「そっか。それじゃあ今日は彩華の行きたいところ一杯行こうな」
僕がそう告げると彼女は笑顔で頷き、僕の左手を握った。
最高に惚気た話になるが僕と彩華はまさに相思相愛であった。付き合って一年、喧嘩も一度もないし別れ話も出たことがない、クラスでも公認カップルと揶揄されるほどにお互いを愛し合っていた。僕にとって彩華は既に生活の一部であった。
「ちょっとカフェでも寄らない?」
一通り買い物を終えると珍しく彼女にカフェに誘われた。休憩するときに誘うのはいつも僕の役目だった。
「いいね。あっちにケーキがおいしいところあるんだけどそこなんかどう?」
僕がそう提案すると彼女はまた笑って僕の手を握った。僕はその手を握り返して路地裏のカフェへと引いた。
「ねえヒロくん」
イチゴのショートケーキをフォークに刺したまま僕に言う。
「どうした?」
「あのさ、ヒロくんってクリスマスって予定空いてる?」
そっか。今日は十二月十日、もうすぐクリスマスだ。今年は受験勉強が忙しすぎて全く意識していなかった。
「もちろん空いてるよ。ほらクリスマスだしね」
僕がそう答えると彼女はまた微笑んだけれどもすぐに少し表情を曇らせた。
「でもヒロくん今年受験だよね、勉強の方大丈夫?私なんかと会ってる場合じゃ」
「大丈夫大丈夫。一日ぐらい勉強しなくても死にやしないよ。それにクリスマスはやっぱり彩華と過ごしたいしね」
僕がそう答えて見せると彼女は顔を紅潮させてまた微笑んだ。
その日、家に帰ると居間に母親と塾の先生が座っていた。塾の先生がウチに来るとは珍しい、何かあったんだろうか。
「ヒロ、ちょっと来なさい」
僕が二階の自分の部屋に行こうとすると、母が険しい顔をして僕を呼び止めた。嫌な予感しかしない。
僕が居間に座ると母は僕に一枚の紙を突き出した。それはこの前受けた模擬試験の成績表だった。
「これはどういうことなの」
成績表を見ると得意な数学は良いのだが、それ以外の教科はことごとく点数が低かった。元から数学以外は苦手なのだが、点数が前回の模擬試験から下がっているのが問題だった。
第一志望の大学の判定には赤黒く「D」という文字が刻まれていた。
「これではちょっとマズいね。もうちょっと点数取れないと今の第一志望校はちょっと」
塾の先生が僕の成績表を見て唸る。
「あんた毎日のように夜に彼女と電話しとるせいじゃないの?いい加減受験生としての自覚を持たないと」
全くの図星だった。最近彼女のことが好きすぎるあまりに毎日のように通話していた。勉強をおろそかにしすぎていた。
「あんたこれ行きなさい」
黙る僕の前に母はまた一枚の紙を突き出した。今度は塾の冬期特別講習の案内だった。
「これ行ったら塾の先生がみっちり勉強教えてくれるそうだから行きなさい」
そんな母の言葉を受け流しながら案内を読む。
十二月二十四日。案内にはこう記されていた。それは僕が彼女と過ごすクリスマスの日付であった。
「いや僕この日彼女とデートなんだけど」
「デート位塾終わってからでも行けるでしょ。はい決定ね」
母は僕の意見も聞かぬままに申込書にサインをして先生に渡した。その後、塾の先生と話があるからと僕を二階の部屋に追い返した。
今年のクリスマスは忙しくなりそうだ。僕はそんなことを思いつつ二階への階段を上る。家の天窓から見える景色は、東京には珍しく雪模様で、寒々としていた。
「おはよう恵美くん」
二十四日の朝、塾へ行こうと外へ出ると塾の先生が立っていた。
「あれ先生こんな朝早くにどうしたんですか?」
僕は眠い目をこすりながら先生に尋ねる。
「君のお母さんにお迎えを頼まれてね。君逃げそうだからって」
母はどうやら僕の心中をお見通しだったらしい。僕は塾に行くふりをして離脱するつもりだったけれど諦めるしかなさそうだった。
「まさか、逃げるわけないじゃないですかー」
僕は全く気持ちのこもっていない営業スマイルを先生に見せて先生の車に乗り込む。この車の行き先が彩華との待ち合わせ場所だったらいいのに。
無情にも車は塾の建物の軒先に乗り付けた。今からこの閉鎖された建物でひたすら勉強するのかと思うと酷く鬱屈した気分になる。
教室に入ると僕以外にも数人の生徒が集まっていた。皆それぞれに鬱屈した表情をしているようだった。クリスマスに勉強して嬉しい奴なんていないに決まっている。席に腰かけるとすぐに先生が入ってきた。何やら話していた気がするが全く頭に入って来ない。その後一時限目が始まったが案の定全く集中できない。彩華のことが気になって仕方なかった。
やがて昼休みになった。午前中の授業は結局全く聞いてなかった。持ってきたお弁当を食べながら彩華にメールを送る。
《ゴメン、今日塾があってちょっと遅くなるかも》
メールを打ち終わるとある男子生徒が僕の肩を叩いた。学校で同じクラスの八木だった。
「おっ彼女とメールかお熱いねえ。今日クリスマスだしまあアレだよなあ」
八木が羨ましそうな顔で僕の顔を除きこむ。
「まあな。塾終わったらデートだよ」
「いいなあ。でもお前塾来てて大丈夫か?」
「え、何で?」
僕がそう尋ねると彼は急に顔を曇らせた。
「何ってお前知らないのか。今日授業夜中0時まであるぞ?」
「え?それどういうこと」
僕が尋ね終わる前にチャイムが鳴って講師の先生が教室に入ってきた。午後の授業の始まりの合図だった。
午後の授業が始まってからも授業には全く集中できなかった。今度は彼女のことじゃなくて如何にしてここを抜け出すかだった。彼女との約束の時間は夜七時、このまま塾にいては到底間に合わない時間だった。
そうやって考えているうちに時間だけが過ぎて行ってついに待ち合わせ時間を過ぎてしまった。休憩時間になり携帯を見ると彼女からメールの返信が来ていた。
《ううん大丈夫待ってる。塾頑張ってね》
彼女はやさしいからいつまでも僕を待ってくれるだろう。それでも僕は彼女をこれ以上待たせたくないと思った。
再び授業が始まったけれど相変わらず授業に集中しようとは思えなかった。もちろん何とか早退する方法を考えていた。そして色々考えた結果、結局仮病を使うことにした。
九時の休憩時間、僕は勇気を出して講師に早退したい旨を告げた。
「腹が痛くて早退したい?うーんあと二時間ぐらい頑張れんか」
「絶対に無理ですこれ以上は死にます。お願いします帰らせてください」
僕はお腹をぎゅっと抑えてまるで死にそうな顔で告げた。
「それはさすがにまずいな、気を付けて帰れよ。親御さん-」
先生が言い終わる前に僕は一礼して教室を出た。一刻も早く彩華のところに行きたかった。
「おいヒロ!」
僕が急いで教室を出ると、八木が僕を追いかけてきた。
「お前今日先生の車で来たろ、これ貸しとく」
そういって彼は僕に向かって一本のカギを投げた。それは八木の自転車のカギだった。彼は無言で僕に笑いかけると、僕に親指を突き上げた。僕は彼に目で礼をすると早足で教室棟を出た。
結論から言うと彼女はもう待ち合わせ場所にいなかった。待ち合わせの時間が七時で僕が着いたのが九時半、いないのも当然だろう。しかし、彼女は自分の意志でその場を去ったわけではない。これは後日聞いた話なのだが、彼女は九時ごろまで一人で待ち合わせの場所に立っていたけれども、寒空の下一人で立っていたせいか倒れ、そのまま救急車で病院に運ばれたらしい。僕は彩華の彼氏失格だった。
それ以来僕たちは疎遠になってしまった。いや、僕が勝手に疎遠にしてしまった。あれ以来僕は責任を感じて彼女を意図的に避けていた。彼女の体調は別に問題なかったらしいが僕はこれ以上彼女を傷つけたくなかった。
高校三年生ということで一月の終わりには学校も自由登校になってしまい、ついに自発的手段を取るほかに彼女に会う機会はなくなってしまった。無論こちらから自発的に連絡を取ることなんてできなかった。
僕の恋は終わってしまった、いや自分で恋を終わらせた。
今となってはこれも僕の青春後記になってしまった。
終
Twitterの方でお題を頂いたので書かせていただきました
テーマはある少年の青春です