【清火】(二)
こんにちは、ディレク・ジーターです
「あんたたちアルファに対して、そういった者達は――〈オメガ〉と呼ばれているようね」
綺麗に整頓された本棚、曇りなく拭き上げられた窓硝子。埃一つないくらい徹底して掃除されている部屋の中で、わたしとイーリスの顔を交互に見ながら――鯨伏イサナは言った。
「確かに、ソティラスがオメガと呼んでいました」
「オメガとは、デメテルの欠片を移植された人間のこと。人体に猛毒を仕込まれるようなものよ。拒絶反応によって溺屍体みたいなおぞましい姿になるのも無理はないわね」
ここは本館にあるイサナの執務室。余計な装飾品はなく、仕事に使う書類やパソコン程度の物しか置かれていない。
「それはつまり、イアカスが人間を利用して何かしらの実験をしている、ということでしょうか」
おそらくね、とイサナは疲れたように椅子の背もたれに体を預ける。疲労が溜まっているのか顔色が悪く、目の下にはくまができていた。
「先日あんたたちが向かった集落に、ロードトレインがあったでしょう。あの積み荷の調査が終わったわ。中身はいくつかの建築資材と――大量の施術器具。聖堂計画の遂行が目的であれば、建立のためにもっと大掛かりな資材と柱を祀るための祭具があるはず。けれどそれらは積まれていなかった。明らかに何かの実験のため――たぶん、集落の人達を実験に利用しようとでもしたんじゃない?」
聖堂計画。
天枢院の連中が日本全土に勢力を伸ばすため各地に聖堂を建て、人間に女神信仰を強制させるとかいう横暴な計画だ。聖堂には俗に〈柱〉と呼ばれる巨大なカルディアが祀られ、その柱を守護する〈聖女〉が人々に女神の教えを説くという。
現在、東京はイアカスに完全に掌握されている。実質的に権力を握り東京を動かしているのは中央枢府・天枢院の為政者達だ。奴等は口では人間との共存・共栄を謳っているけれど、聖堂計画を指揮しているのもほかならぬ天枢院だ。天枢院は集落で暮らす日本人に東京への移住を促し、特別赦令住民――いわゆる特赦となることを勧めている。
東京にはなんでもある。
だから、明かりに群がる虫のように――誘惑に負け、何もかも諦め、東京で暮らしている日本人も多い。
その明かりが偽りの光だとも知らずに。
「オメガ実験がAIの連中に知られたら、ちょっと面倒なことになるかもねえ。ちょうどニュースで、東京の大使が護国神社を参拝してるのが報道されてるし」
「イアカスは何を企んでいるのでしょうか」
「さあね。一つ言えるのは、この実験はどうも天枢院の指示とは考えづらいのよね。聖堂計画とは別と考えたほうがいいかもしれない。奴等があたしたちの合一実験と似た技術を持っていることにも驚いたけれど、それ以前に、天枢院が人間にデメテルの欠片を分け与えるなんてことを許可するとは思えない。イアカスの思想的に」
「……天枢院の命令ではなく、単独で動いている――と?」
「あいつらはまだ京都と睨めっこしてるからね。今さら波風立ててこっちのAIを煽るとは考えづらくない?」
「まあ、そうですね」
「聖遺物との合一実験は、確かにバーラエナの専売特許ってわけじゃあない。欧州での成功例も確認されてるし、中には――そうね、あんたたちと違って、自然にカルディアと融合したっていう嘘か本当かわからないような話もある。あたしら人間にできるんだから、イアカスができない道理はないかもしれないけど、さ」
イーリスもイサナも難しい顔をしている。わたしは二人の会話に口を挟まず、ぼんやり窓の外を眺めていた。
「そういえばあの集落にいたソティラスが、私のことを知っていたかのような口ぶりでした」
「は? 何それ」
「倒れる直前に私の顔を見て言ったんです。『まさか』――と。まさかお前は噂の――とか、そういうニュアンスの言葉でした。天枢院に私の情報が伝わっている可能性は高いかもしれません」
「……ふうん、あんたの露出も増えたし――何年も表に出てれば向こうでも噂くらいにはなるか……」
考え込むイサナに、わたしはなんとなく疑問を口にした。
「あの人――あのオメガになっちゃった人はさ、なんでああなっちゃったのかな」
「ん? そりゃ、実験に利用されたからでしょ」
「そうじゃなくて、あの人は誰だったのかなってこと」
イサナとイーリスが顔を見合わせた。
「今も調べてるけど、身元の特定はまず無理だと思うよ。おおかたどこかの集落で捕まったんじゃないかな」
「進んで実験に協力したって可能性は?」
わたしがそう言うと、二人はまた顔を見合わせた。イサナは腕を組み、俯きながら答える。
「それは――確かに、否定できないわね。もしかしたら特赦が自分から申し出たってこともありうる。楽園を夢見てイアカスに憧れるバカはどこにでも少なからずいるし、東京に住んでる特赦ならなおさら」
「だとしたら、彼は自分がどんな実験に利用されるか知っていたのでしょうか。知っていたとしたら、彼は――」
イアカスになりたかったのでしょうかと、イーリスは言った。
あの人――いや、もう人じゃないんだっけ。
人間であることをやめ、神人になろうとして――けれどもそれにすら拒絶され、何にもなれず朽ちていったのだろうか。
「バーラエナでももっと調査したいとこだけど……人手がねえ。また警衛隊に回すことになりそうだわ。昔と違って、今じゃ鯨伏の名もただの飾り――何の役にも立たない。実質的にバーラエナを動かしてるのは官軍派だし」
自嘲するような薄笑い。
バーラエナには天神派と官軍派、大きく分けて二つの派閥がある。
天神派とは、春雷以前からこの国に存在していたという、バーラエナの前身組織――その伝統を受け継ぎ、あくまで時代の陰に生きるべきだとする者達のこと。
一方官軍派は、打倒イアカス、そして東京奪還のために組織を改編し、政府や警衛隊との協力体制をもっと強く敷いて陽の当たる舞台に立つべきだとする者達のこと。
どちらにせよ、わたしたちみたいに前線に立つ者にはあまり関係のない話だけれど、板挟み状態のイサナは心労が絶えないようだ。
「イサナ、あまり無理をしないでください。このままでは倒れてしまいますよ」
同じことを考えていたのか、イサナの体調を気遣うイーリス。けれどわたしたちの心配をよそに、スーツが似合う明朗な淑女はからからと笑った。白衣を着用している時とは違い、大人の女性の匂いがする。
「三十路を越えたおばさんへの嫌味かしら。はいはい、どうせあたしゃもう若くないっすよ。あーあー、あたしだけどんどん老けていくのはマジ納得いかねえ」
「三十過ぎた女性が不貞腐れないでくださいよ……」
あ。
そうか。
わたしは四年前のイサナしか知らないけれど、イーリスは何年も前のイサナを知っているんだ。そんな当たり前のことに今思い至った。
ということは、当時まだ若くて綺麗だった(この言い方では現在のイサナが綺麗じゃないみたいだけれど断じてそんなことはない)イサナは、枯れることなく咲き続けているイーリスを置いて、自分だけ年齢を重ねてきたのか。
それは――どんな気分なのだろう。
わたしが知らない、二人だけの思い出があるのだろうか。あるんだろうな。やっぱりあるよね。
……別にイサナに嫉妬しているわけじゃないぞ。わたしはそんなかっこ悪い子供じゃない。
でも、ちょっと気になるのも事実。
「それに、私をこんな体にした組織の人間の台詞とは思えませんね」
「だって、当時の四課――裏の連中と駆け引きしてたのは婆ちゃんだもん……。その時にはもう連中に好き勝手やられてたみたいだし。あと言い訳するわけじゃないけど、前のあんたを殺したのはバーラエナじゃないわよ。何者かに殺されていたあんたの屍体を発見して回収しただけみたいだし」
「それは何度も聞きましたよ。私が誰に殺されたのかわからないということも」
「もう十年以上前のことだしねえ。――あーあ、あたしもずっと若いままでいられたらいいのに」
「まだ十分若いじゃないですか。まだまだ心配しなくても大丈夫だと思いますよ。あと数年は持ちますから――たぶんあと数年は」
「どういう意味よそれ!」
際どい内容の会話に思えたけれど、お構いなしに軽口を叩き合う二人。きっと二人は、既に『そんなところ』など通り過ぎてきたのだろう。ずっと前に――わたしが二人と出会う前に。
ひとしきり他愛ない話で盛り上がったあと、イサナが言った。
「あんた、変わったわね――本当に」
誰の影響かしら、と意味ありげな呟きが耳に届く。咄嗟に二人の反応を窺うと、イサナはにやりと笑みを浮かべ、イーリスは俯いて顔を背けた。
「清火、イーリスを頼んだわよ。しっかりしているように見えて、どこか抜けてるんだからこの娘は。あんたが支えてあげなさい」
わたしが――イーリスを。
そんな。
そんなこと。
「――僕っ、先に部屋に戻ってるね! じゃあねイサナ!」
返事を待たず執務室から飛び出す。なんだか無性に走りたくなって、全力で廊下を疾走した。
――あんたが支えてあげなさい。
そんなこと、イサナに言われなくたってそのつもりだ。
「なんだ小さいの。今日は一人か」
縦に長かったり横に長かったりしている建物が何棟も並ぶ、無駄に広い敷地。関係者の人数に対して建物の数が多いので、全く使われていないものもいっぱいある。
なんとなく足を向けたのは、その中の休憩棟――自動販売機や小さな売店が入っていて、主に休憩目的で使用されるフロア。椅子とテーブルがたくさん置かれているけれど、売店のおばちゃんを除いて、わたしたち以外に人影はなかった。
缶コーヒー片手に談笑している四人の男の人達。話しかけてきたのはいつもと同じパイロットスーツを着た飛田のおっちゃんだ。
「小さいのじゃない。清火だ」
絡まれるのが嫌だったのでそれだけ抗議して立ち去ろうと思ったら、「君が清火ちゃんか!」と別のおじさんに声をかけられた。飛田のおっちゃんに負けず劣らずの強面で、顎の髭が揉上げと繋がっている。着崩れた作業着と銜えた煙草がさらに印象を悪くしていた。やはり類は友を呼ぶのか。見るともう一人――角刈りのおじさんの人相もすこぶる悪い。話しかけられただけで泣き出しそうな子供もいそうなくらい、爽やかさとはかけ離れた中年男性三人衆だった。一人だけ、狐のように目が細い若い人が混じっていて、四人の爽やか度の平均値をわずかに引き上げていた。
「はじめまして清火ちゃん。いやあ、こいつから話は聞いててさあ。一度会ってみたかったんだよ俺」
「そ、そう」
揉上げは予想に反してざっくばらんな喋り方だった。というかよく見たら銜えているのは煙草ではなく棒つきの飴だった。
「おい、余計なこと喋るんじゃねえぞ」
「いいだろ別に。聞いてくれよ清火ちゃん。こいつさあ、いつも清火ちゃんのこと心配してるんだよ。そりゃもうお前は清火ちゃんの親父かよってくらいに」
もう一人がうんうんと大きく頷く。飛田のおっちゃんは立ち上がって早口でそれを否定した。
「てめえ何を適当なこと言ってやがる!」
「うるせえロリコン野郎、本当のことだろうが!」
いい年をしたおっさんたちが子供みたいな罵り合いを始め、わたしは圧倒されてしまった。堅物だと思っていたおっちゃんに、まさかこんな一面があったとは。
「嫁さんに言いつけたるぞおいボケコラ。旦那が犯罪予備軍のロリコンだとな」
何ぃーっ!
このおっちゃん結婚してたのか!
「独身のてめえにはわからねえだろうがな、結婚して自分の娘を抱っこしてみろや。絶対ガキに弱くなるぜ」
子供までいたぁー!
驚愕!
「驚愕!」
「あ? なんだ小さいの、俺に子供がいるのがそんなにおかしいか」
肩で息をしながら椅子に座り直し、じろりと睨んできたおっちゃん。
「いやおかしくないです。すみません」
早くこの場を離れたかったけれど、状況的にそうもいかなくなってしまったので、諦めてわたしも椅子にかけた。
「む、娘さんはいくつなんでしょうか」
「五歳だ」
缶コーヒーを一気に飲み干し、おめえは何歳だっけかと不機嫌な声で訊かれた。十四歳だと答えた途端、揉上げと角刈りが目を丸くする。
「え、清火ちゃん十四歳なの?」
「そうだよ。一応ね」
わたしの容姿はどう見ても児童のそれだし、驚くのも無理はない。狐目の人だけは興味なさそうにライターを弄っていた。
「前に話しただろ。こいつは特別なんだよ」
「ああ……。そういえば、そうだった」
申し訳なさそうな顔をする揉上げ。けれどそんなことをいちいち気にするほど繊細な心は持ち合わせていないので、わたしは大袈裟に若づくりでしょーと笑ってみせた。
「こいつらは元々〈東北〉に所属してたんだ。官軍派の連中が人手不足を補うために引っ張ってきたんだとさ。だからバーラエナのことも――お前のこともまだあんまり知らねえんだ」
確かに、三人が身につけている服は彼等の私物でもバーラエナの物でもなく、隊で支給されている作業着だ。
「ここも随分と人の出入りが激しくなったもんだぜ。ま、かくいう俺も元々兵隊なんだけどな」
「そうなの?」
「ああ。嫁がバーラエナの人間だったんで、結婚した時に俺もこっちに来た。もう十年前の話だけどな。――俺の先祖は旧日本軍の戦闘機乗りだったらしくて、ずっと昔の戦争で国を護るために飛んで、死んじまったって話だ。別に憧れたってわけじゃないけどよ、俺も隊に入ってずっと働いてたんだが、正直、国を護るってのがどういうことなのかいまいちわからなかった」
でもよ――と、そこでおっちゃんは一旦言葉を切った。そして大切なものに語りかけるような、今まで聞いたことのない優しい口調で言った。
「この歳になって初めて、嫁や子供を――家族を守りたいって気持ちは、なんとなくわかってきた」
家族を守りたい気持ち――か。
この、一見おっかなくて近寄りがたいおっちゃんの口から、こんな言葉が出てくるなんて。
何かっこつけてやがると茶化され、また小競り合いを始めたおじさんたちを眺めながらわたしは考える。
誰かを守りたい気持ち。
何かを護りたい気持ち。
――わたしだって、それくらい。
「おう、小さいの。おめえにもいつか見つかるぜ。守りたいものとか大切なものがよ」
「……僕にだって、それくらいもうあるよ。あるけど」
椅子から立ち上がって背を向ける。おっちゃんには教えなーいという捨て台詞を残し、わたしは小走りでその場から去った。
「なんだ火宮。今日は一人か」
左右に雑草が生い茂る舗装道路。
アパートに戻る途中、自転車に乗った女の子が声をかけてきた。ぶかぶかのフードつきスウェットパーカに、使い古しただぼだぼのジーンズ。パーカの胸元に躍っている英語は、かつて米国にあったという野球チームの名前らしい。量の多いぼさぼさとした黒髪が実に野暮ったい。見ているこっちが暑苦しくなる格好だ。
「う……まどちゃん」
あまり感情の読み取れない一重瞼の双眸が、鋭く光った。
「そんなに嬉しそうな顔をしないでくれ。あ、わかったぞ。この前見せたMLBホームラン列伝をもう一度見たくなったんだな。仕方ない、特別にまた見せてやろう。そうだ、先日ついに日本語字幕入り『今日で練習試合は終わりだぜ!』を手に入れたんだ。貧しい野球少年が、テレビショッピングで買った商品で猛練習しメジャーリーガーになる物語なんだが、これがまた涙涙また涙の神映画なんだ。初ホームランを打った時の決め台詞、『この前初めてホームランを打ったぜ!』は全米に空前の――おい待て先に行くな」
見たくねえよそんなもん。
という無言の圧力を全身から発するも、まどちゃんは全く意に介さず並行する。諦めてゆっくり歩くわたしに合わせるために、まどちゃんも自転車を降りて手で押し始めた。
「まどちゃん、今帰り? どこ行ってたの?」
先手を打って、こちらから話題を振った。
まどちゃん――浄土円は今年二十歳になった女の子で、わたしとイーリスを除いてあのアパートで暮らしている唯一の住人だった。古いもの――特に春雷以前のものが大好きで、一階の空き部屋には彼女が集めた骨董品だったり珍品だったりが所狭しと置かれている。今は百年以上前の大リーグというものにはまっていて、一度ビデオを見せられたことがあるけれど、簡単に言えば昔この国で栄えていた職業野球の本場アメリカ版らしい。
「ん、ちょっと寄合に。国守さんにもたまには挨拶しておかないとな」
「国守さん……」
バーラエナの重鎮、国守。
国守家は天神派の拠り所となっている一族で、組織の表に出てくることは滅多にない。たまに姿を見せるのは一族の中で一番若い男の人なのだけれど、常に近寄りがたい雰囲気を纏っていて、実際いつも側近が護衛しているので近寄ることはできないと思われる。今まどちゃんが口にした国守さんも、たぶんこの国守さんのことだろう。
「僕、未だに話したことない」
「いつも地下にいるしな。あの人は神域の中にいなきゃいけないから、話す機会なんてなくて当たり前だ」
まどちゃんは何話したの?
「そもそもなんでそんな偉い人とまどちゃんみたいなだらしなくてぼさっとしてる女の子が話せるのだろう――と、前から疑問だった」
「鉤括弧使うところ一行ずれてるぞ」
カラカラと回る車輪の音。本気を出し始めた夏の太陽は、この星の生物を焼き殺そうとしているのか、強烈な陽射しを地表に突き刺していた。
「そうだな――別にわたしが何か特別なものを持っているわけじゃない。ただ、見えない力というのは目に見える暴力より、時に厄介なのさ。わたしは――いや、わたしたちは、か。自分で土を踏み締めようと思っても、周りが担ぎ上げてそれを許さない。足をばたつかせて逃げ出せたと思っても、結局は見えない鎖に縛られていて、その内側を行ったり来たりしているだけ。見えないから、千切れないし壊せない」
そう言ってまどちゃんは空を見上げた。わたしよりは少しだけ大きいけれど、まどちゃんの背も結構低い。それなのに服のサイズが全く合っていないため、相変わらず体の線がどうなっているのかよくわからなかった。
「いや――それも違うな。鎖が千切れなくても、首輪ごと外すことはできた――が、わたしにはそれを放棄できなかっただけの話だ」
しかし、注視してみるとなんとなく輪郭というか、歩くたびに揺れる物体というか、胸の辺りで弾んでいる球体というか――
「聞いているのか、火宮」
「あ、ごめん。聞いてなかった」
「キャッチボールは基本中の基本だぞ。会話は一方通行では成り立たないからな。しっかり捕って相手の胸元に投げ返さなきゃだめだ」
胸元……。
まどちゃんの胸元と自分の胸元を、わたしは交互に見比べた。
主に、大きさを。
「よし、それじゃあもう一度言い直そう。今度はちゃんと捕球して正確に返球するんだぞ。――なんだ火宮、今日は一人か」
「そこからかよ! もういいよ! ていうか嘘吐いて悪かったよちゃんと聞いてたよ!」
「聞いていたのか。お前の返球は不安定だな。送球2をつけてやる」
「くっ……あとで消せば問題は――」
「残念ながら選手エディットできないんだよ、あのゲーム」
「オールAになんてしないよ! むしろAなんて嫌だよ! 大きいほうがいいに決まってる!」
「大きいほうがいいのにAが嫌とはこれ如何に。はあん、さてはお前も、BやCが並ぶ、エースや主砲にはあと一歩及ばないがチームには欠かせない選手が好みか。わたしもそうだな、一歩身を引いてB的な生き方をしていきたいと思っている。ああ、わたしはBになりたい!」
「嫌味かよ! B以上あるでしょそれ!」
「わたしがB以上? お前はわたしの人間性をそんなに評価してくれていたのか。だが火宮、わたしがBならお前はAさ。いや、むしろS」
「エ、Sカップだとう!?」
そ、そんなに大きいのがこの世に存在するのか?
くっ、だが所詮わたしはA!
この現実は変わらないッ!
「くそう! まどちゃんの分、少し分けてよ!」
「分けるだと? お前は何を言っているんだ」
「胸の話だよ! 胸の話!」
きょとんとしたあとに「なんだ、つまらん」と零す隠れ巨乳女。
「胸がどうかしたのか。――ん、お前の胸はどこにあるんだ。Tシャツの中にホームベースでも隠しているのか?」
「酷いこと言ったね、今」
「冗談だ。――で、胸がどうかしたのか」
「別にぃ~。まどちゃんの胸が意外と大きくてびっくりしたってだけ」
今まで気に留めなかったけれど、パーカの内部では二つのボールが歩くたびに揺れ、重そうに弾んでいる。
「そうか。自分でそう思ったことはないが……。まさかお前、小さいのを気にしているのか?」
「……胸の大きさをエディットできればいいのに」
「案ずるな火宮。たとえお前の胸がジャイロ回転していようと、わたしはお前の味方だ」
「意味がわからないよ、まどちゃん……」
そうこう言っている間に、アパートに到着した。わたしは二階、まどちゃんは一階の部屋だ。
そうだ、最後に一言――別れ際にまどちゃんは言った。
「さっきの続きだが――火宮。鎖を壊すのに必要なのは力じゃない。わたしにはそれが足りなかった――足りなかったから、今もこうしてここに残っている。見えない鎖を断ち切るのに必要なのは、見えない力。即ち――」
勇気さ。
浄土円、入魂の一言。
「返球の必要はないぞ。なぜなら今のは、渾身のバックホームだからな」
ZIP-HIT!!




