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第4部 火の鎖、虹の釼  作者: 沙魚川 出海
火の鎖、虹の釼
4/20

【イーリス】(一)

ここから本編

どういうふうに物語を始めるかでかなり悩み、この章は何度も書き直しました


最後のほうに百合描写があるので注意……ですが、イーリスと清火の場合、母と娘みたいな関係なのであまり百合っぽくないですね

『雪の果、春の光』のテーマが姉妹なのに対し、こっちは母娘をテーマにしたので

「イーリスーーーーーーーーッ!」

 背後からいきなり抱きつかれた。

 きつくしがみついてくる少女に嘆息を漏らしながら、私は首を回す。

「なんですか、清火(きよび)……」

「なんですかじゃないよ。酷いじゃないか、僕を置いていくなんて」

 大きな黒い瞳が元気よく揺れていた。短く切り揃えられた黒い髪に、端整な目鼻立ち。

「貴女が起きないのが悪いんです」

「起こしてくれたっていいじゃないか!」

 少女――火宮(ひのみや)清火は上目遣いで不満を零した。

 小さな体を引き剥がし、話を聞き流しながら廊下を進む。清火はすぐさま追いかけてくると、横に並んで腕を掴んできた。

「無理についてこなくてもいいですから、寝ててください」

 手で寝癖を直してやりながら諭すように言うと、嫌だ、一緒に行くと駄々を捏ねられた。

「清火」

「どうして? いいじゃん! 僕、足手纏いになってないでしょ? それにイサナだってイーリスには僕が必要だって言ってたよ。二人は組んだほうがいいって」

 引く気はないらしい。

 こうなると何を言っても無駄だ。

「……わかりました。でも、その格好じゃだめです。ヘリポートで待っていますから、着替えてきてください」

 やったあ、先に行っちゃだめだからね――身を翻し駈けてゆく無邪気なパジャマ姿。その姿が部屋の中に飛び込んでゆくのを見て、私はもう一度嘆息を漏らした。

 飛行場の隅にある待機室に移動すると、眼鏡をかけた気の弱そうな女性が挨拶してきた。

「お、おはようございます、イーリスさん。もう準備はよろしいのですか」

 私と清火の身の周りの世話を担当させられている不運な人だ。童顔であるため、スーツを着こなしているというより着せられている感が否めない。ただ、幼い面差しに反して胸や腰は女性的な体つきをしていた。

「おはようございます、沙汀(さてい)さん」

 挨拶を返すと、おはようございますおはようございますと何度も頭を下げられた。シュシュで一つに纏めている髪が、動きに合わせて子供のように飛び跳ねる。慣れるまでは過剰な演技をしているようにしか見えなかったが、元々こういう人のようだ。

「清火が来るのを待っているんです。今回は先遣としてなんで、私一人で片づけてしまおうかと考えていたのですが」

「ああ、清火君を……」

 沙汀さんが悲しげに目を伏せた。

 組織の中で私や清火を避けずに接してくれるのは、友人である鯨伏(いさふし)イサナと世話係の沙汀さん、そして一部の陽気な連中だけだ。もっとも、沙汀さんにはかなり無理をさせているような気がするけれど。

 沙汀さんにも椅子を勧め、壁一面に張られた窓硝子からぼんやりと飛行場を眺める。遠くまで続く鼠色の地面。真っ青な空。初夏の生温かい風がどこからか吹き込んできた。

「あの――」

 恐る恐る、といった感じで沙汀さんが口を開く。

「来週の検診のことなんですが……」

 そういえば、もうすぐ検診日か。私と清火に対して行われる『身体検査』の日だ。

「清火君に、今度はちゃんと受けるようイーリスさんからもお願いしていただけないでしょうか」

「前回は逃げ回っていましたしね……。というか、まあ、前回だけじゃなくいつもですが」

 清火は検診が嫌いなのだ。

 いや、検診自体が嫌いなのもあるだろうけれど、正確には検診が嫌いなのではなく大人が嫌いなのだ。特に、白衣を着た大人が。

 清火が懐いている大人は一握りだけだ。

「わかりました。私からも大人しく受けるように言っておきます」

 いつも迷惑ばかりかけてすみませんと頭を下げる。

「あっ、いえ、迷惑だなんてそんな……」

 すみませんすみませんとなぜか謝る沙汀さん。

 ちょうどその時、ドアが開いて清火が駈け込んできた。フードが付いた大きめの軍用ジャケットに、黒いワークパンツ。寝癖も直っている。

「お待たせーっ! ――あ、サティもいたんだ」

 沙汀さんはおはよう清火君と微笑む。

 普段から、彼女は何かと清火を気にかけてくれていた。それが同情から来ているものなのかどうかはわからないが――たとえそうだとしても、ありがたいことに変わりはない。清火には私やイサナ以外の、彼女を理解してくれる大人の存在が必要だと思うからだ。

 気を取り直して、沙汀さんが今回の任務について説明を始めた。

「大丈夫です。昨夜のブリーフィングで確認しました」

「心配するなサティ。僕がついてるんだから大丈夫だ」

「……沙汀さんは貴女のことを心配しているんです」

 沙汀さんは苦笑しながらも、どうかご無事でと深々と頭を下げた。この人はいつも頭を下げているなと思いながらも、私は礼を言った。

「清火君。どう? 背、伸びた?」

「ぜーんぜん。もうこれ以上大きくならないのかも」

 清火は百四十センチほどの背を懸命に伸ばしながら、私の背丈と比べている。けれど残念ながら、私のほうが二十センチ以上高い。

 早く行きますよと言って、清火の手を取る。

「それじゃ、沙汀さん。行ってきます」

「はい、いってらっしゃい」

 待機室を出て、罅割れたアスファルトの上を歩き集合場所へ向かう。

 隣に並ぶ清火の、黒い短髪が風に揺れた。

 四年前から全く変わっていない背丈。過ぎ去ってゆく季節に背を向けて、大人になることを拒み成長を止めた小さな体。

 私と同じく――この子の時間は止まっている。

「イーリス、今日はどこ行くんだっけ」

 顔を覗き込んでくる清火。

 この子はことあるごとに僕がイーリスを守るから大丈夫と言うけれど、私にはこの子を呪われた運命から守ることなどできない。

 守るなんて、そんなこと――軽々しく口にできなかった。

 ちいさな清火。

 可哀想な清火。

 自分のことを差し置いて、私はこの子に同情する。

 そうだ。

 やはり、戦うのは私一人でいいのだ。

 戦いから遠ざけたところで、この子の運命が変わるわけではないけれど、それでも――

「昨日の指令、聞いてなかったんですか」

「僕寝てたし」

「……北関東です。集落で溺屍体が発生したかもしれません。元々、聖堂の建立を理由に立ち退きを強いられていたらしく、定期的に観察していたみたいなのですが――どうやら様子がおかしいと」

「ははあ」

「異状があれば無理をせず応援を呼びます。くれぐれも無茶はしないように」

 集合場所に着いた。一機の小型輸送ヘリに、パイロットスーツをだらしなく着崩した壮年の男性が寄りかかっている。飛田(とびた)という、同じ任務に就くことの多い――就かされることの多い操縦士だ。

「遅い。早く乗れ」

 飛田さんが機内を指差し不機嫌な声を発した。

 唇を尖らす清火を宥め、いつもすみませんと私は頭を下げる。

「おおかた小さいのがまたなんかやったんだろ」

「何っ。僕は何もやってないぞ。寝過ごしただけだ」

 いいから早く乗りましょうと、反論する清火の背を押してヘリに乗り込む。清火はまだ納得していないようだったが、それ以上何も言わなかった。

「おい、小さいの」

「小さいのじゃない。清火だ」

「また面倒を起こすんじゃねえぞ。バーラエナ全体に迷惑がかかるんだからな」

 というか俺に迷惑をかけるなよと付け加える飛田さん。人相と体格のせいで誤解されがちだが、とても誠実な人柄で同僚からの信頼も厚い人だ。

「おうイーリス、小さいのが暴走しないようにちゃんと躾けとけよ。この前もよ、ヘリの近くで暴れやがって――」

 飛田さんの小言が勢いを増すと共に。

 ヘリはゆっくりと、空へ舞い上がった。



 血が染み込んだ大地から、腐臭が漂っている。

 瓦礫と屍体の山――荒れ果てた地には、死が行進した足跡が残されていた。

 古い木造の民家や大きな天幕が並んでいる通りに人の姿はないが、かすかに気配が感じられた。生きた人間の、生活の匂いだ。

「イーリス、あれ」

 清火が指差したほうを見ると、通りの向こう、開けた場所に長大な車輌が停まっていた。貨物運搬用のロードトレインだ。そして積載されたコンテナに施された印、あれは――

天枢院(てんすういん)のマークだ」

「そのようですね」

 この集落に天枢院の手が及んでいるということは、聖堂建立の話は本当か。

 まずは状況確認、そして周辺住民の保護と本部への連絡――と、これからやるべきことを頭の中で復唱しつつ、車輌へと近づく。

 百メートルはあろうかというロードトレイン。積んでいるのは聖堂建立のための資材だろうか。

 どこからか話し声が聞こえる。

 清火が手招きするほうへ近寄ると、広場に人だかりができていた。

 十名ほどの群がり――その中に。

「見つけた」

 ソティラスだと清火が言った。

 一目でそうだとわかる白い式服。腰に差した儀仗剣。日本人のものではない金色の髪。

「んー……、全部で何人いるのか知らないけど、あそこにいるのは三人だけだね。どうやら溺屍体じゃなくてあいつらの仕業みたいだ」

 そう言って清火は、ベルトにつけられた革のシースからナイフを取り出した。

「どうする? 僕が片づけてこようか。あんな奴等楽勝だよ」

「待って。とりあえず様子を――」

 バン。

 そんな音がした。

 驚いて広場に目を向けると、誰かが倒れていた。怒号と悲鳴。もう一度、乾いた音が空気を震わせた。

 気づいた時には、既に清火が飛び出していた。私も慌てて広場へと駈け出したけれど、呼び止める間すらなかった。

 パッ――と緋い花弁が散る。

 突然現れた影に反応すらできず、その男は頸から大量の血を噴き出し、銃を握ったまま崩れ落ちた。

「清火!」

 まるで獣だ。

 疾駆する小さな影は、その勢いで二人目のソティラスへと襲いかかった。

「なんだ、貴様は!」

 言い終わった時には、清火のナイフは男の頸を掻き切っていた。三人目の男がようやく現状を認識して銃を構える。だが遅い。駈け抜ける小さな獣。男は頸から血を飛び散らせながら倒れ伏した。

「ほらね」

 楽勝楽勝、とにっこり笑う清火。

 あっという間のできごとに、その場にいた人達は呆然と立ち尽くしていた。

 その時。

「――貴様等! 動くな!」

 広場から伸びている大通りの向こうから、もう一人のソティラスが現れた。隣では灰色の軍服を着た兵が、両手を上げた若い女性に銃を突きつけている。

 人質――ということか。

「あ、まだいたんだ」

 くるくるとナイフを回している清火に、動かないようにと私は告げた。

「訊きたいことがあります。貴女は手を出さないでください」

 十メートルほどの距離を置いて向かい合う私達。人質の女性が、恐怖に歪んだ顔で必死に助けを訴えている。

 ソティラスの男は、清火に倒された仲間を確認すると、いかつい目つきで睨みつけてきた。

「貴様等、どこの者だ。我々に逆らった以上、ただでは――」

 ソティラスのものに似せてつくられた白い式服、目につく髪の色――私の姿に気づいた男が脅し文句を止めた。怪訝な顔で、なんだ貴様はと呟く。

 それを無視して、私は問いかける。

「貴方達はこの集落で何をしようとしていたのですか。最近、関東で新しい聖堂建立の動きがあると耳にしました。それはつまり、天枢院が東京から外への侵攻を企てている――つまり聖堂計画の推進と見ていいのでしょうか」

「……勘違いするな、質問しているのはこちらだ。こいつがどうなってもいいのか?」

 兵が女性の後頭部に銃口を押しつけながら、手にした端末を操作している。

 数秒後――金属がひしゃげる凄まじい音が、ロードトレインのほうから聞こえた。車輛を内部から突き破り、姿を現したそれがゆっくりとこちらに歩を進める。

「な、なんだあれ」

 それは身の丈三メートルはあろうかという怪物だった。

 皮膚はどす黒く、鱗のような痕が刻まれている。何も持っていない手も何も履いていない足も、人類の規格を明らかにはみ出した大きさで、鋭い爪はまるで猛禽類のそれだ。首から上はまさに異形で、犬のように突き出た口と鼻、上顎から二本の牙が伸びている。肩にかかった毛髪は馬の鬣を連想させた。

「溺屍体――にしては不自然じゃない? しかも、こいつらに飼い慣らされてる感があるんだけど」

「確かに、様子が変ですね」

 人間が自然に〈溺屍体〉となった場合、意識を失い、肉体にも異常を来すのは間違いないが、多くは肌や骨格が変化する程度だ。ほとんどはヒトとしての原型は保っている。

 だが、あれには人間だった頃の面影が全くない。しかも、意思を持ち行動しているようにすら見える。

「こいつらを片づけろ」

 命じられた怪物が跳び上がり、私達目がけて襲いかかってきた。振り下ろした腕が鈍い音を立てて地面にめり込む。避けるのは容易いが、まともに当たったら一発で即死だろう。

 荒い息を吐いた怪物は、今度は呆然と立ち尽くしたままの住民達に牙を剥いた。逃げ遅れた一人が踏み潰され、血と肉を撒き散らしながら絶命する。悲鳴を上げることすらできなかった。

 まずい。怪物は逃げ惑う住民に標的を変えてしまったようだ。

 ソティラスの男が苦々しい表情をしていた。おそらく元は人間だったはずのあの溺屍体は、なんらかの方法で奴等に操られているのだろうが、完全に制御されているわけではないらしい。

「おい化物、こっちだっ」

 清火の飛び蹴りを側頭部に受けた怪物がよろめいた。低く唸りながら腕を振り回し反撃するも、清火には当たらない。一瞬の攻防の後――頸から緋い液体を流した巨躯が、ゆっくりと地に倒れ伏した。

「バ、バカな……。オメガを――」

 オメガ?

 私が向き直ると、ソティラスと兵の男は愕然としていた。彼等を無力化するのは造作もないが、恐怖のあまり顔面蒼白となっている人質の女性のことを考えると、迂闊には動けない。

 ――仕方ない、か。

 こうなってしまった以上、やるしかないのだ。

 元々、私は『そのために』存在するのだから。

 菖蒲(あやめ)色の輝き。

 私を中心に拡がる青紫の光の環は、ソティラスも兵も女性も、怯えて動けない住民達も、そして清火をも呑み込み空気に溶けてゆく。。

「な、ん――」

 ソティラスの男が突然のことに驚き身構える。だが、もう手遅れだ。私は何の警戒もせず正面から兵に近づき、立ち尽くす男の胸に右手で軽く触れた。

 それだけで、兵士は卒倒する。

 解放された女性は何が起こったのかも理解できずに、魂が抜けたように呆然とへたり込んだ。

「きっ、貴様っ――」

 身動きを取れるようになったソティラスの男が勢いよく飛び退く。

「何をしたっ!?」

 私はすぐさま男に詰め寄ると、その胸に指先で触れる。

「か、体が――」

 無駄ですと冷たく告げる。

 もうこの男に、私から逃れる術はない。

「貴方達のカルディアは所詮偽りの光。本物の光の前では、その輝きは蝋燭の火のように朧げなもの」

 貴様、まさか――男がかろうじて動かせる口で言葉を紡ぐ。私の顔を呪うように見つめながら。

 菖蒲色の光が弾け、虹霓を描く。何かを言い終える前に、胸の内側にある『それ』を破壊。びくん、と体が大きく跳ね、男は地面に崩れ落ちた。

 ――さて。

 まだほかにも敵がいるのか、あの貨物の中身は何か、住民への説明はどうするか――

 私と清火だけでは骨の折れる作業だ。ここまで介入する予定はなかったのだが、目の前で人が撃たれてしまったのでは黙って見ているわけにもいかない。それに任務は少人数のほうがよいとお願いしているのは私であって、何人か同行させようかとイサナに気を遣われることもあるが、私はそれを断っていた。

 まずはバーラエナに報告しなければ。あとは上が処理してくれるだろう。

 固まって立ち尽くしている住民達に目を向けると、皆一様に怯えた表情で私を見ていた。

「清火、ヘリに戻って飛田さんに連絡を頼んできてください」

 はーい、と緊張感の欠片もない返事。

 清火が場を離れようとした時――

 人質だった女性が呟いた。


「イアカス――」


 恐れはやがて怒りへと変わり、住民達は囁くように――罵るように、口々に言葉を発した。

「なんでイアカスが――」

 誰かが言った。

「イアカスさえいなければ――」

 誰かが嘆いた。

「帰れ――」

 誰かが叫んだ。

「お前達のせいで、俺達は――」

 誰かが咽んだ。

 忌み。

 恨み。

 悲しみ。

 憎しみ。

 真っ黒な感情を孕んだ見えない矢が、私の皮膚に容赦なく突き刺さる。

 私の――人間とは違う、この肢体に。

 月白の髪。

 菖蒲の瞳。

 日本人でもなく。

 人間でさえない。

 そして、正確には既にイアカスですらないのだ、私は。

「出てけっ! ここは俺達の国だ! てめえらイアカスのものじゃねえ!」

 いつの間にか大通りには、人々の姿がちらほらと見えた。隠れていた住民達だ。やはり都市に住んでいる人と比べると、痩せぎすで質素な身なりの者が多いように見受けられた。

 彼等の全てがこの辺りの出身というわけではないと思うけれど、それでも、この地に愛着と誇りを持っているからこそ、不便ながらもこの場所で暮らしているのだろう。そうでなければ東北なり関西なり、ここより暮らしやすい都市に移住しているはずだ。

 そんな彼等の故郷を奪い――さらに奪おうとしているのは。

「お前等さえ――イアカスさえいなければ……ッ!」

 誰かが投げた石が、顔に当たった。

 別に痛みは感じなかったし、血も出ていないし、驚きもしないし怒りが湧いてくるわけでもない。

 けれど次の瞬間。

「お前――――!」

 よくもイーリスに――声を震わせながら、石を投げた若者に清火が飛びかかっていた。

「イーリスをあいつらと一緒にするなあっ!」

「あ、ああああっ!」

「イーリスがいなかったらお前等なんか死んでたんだっ! イーリスがいなかったら! それなのに! それなのにっ! よくも――」

 まずい。

 手で首を絞められた若者の喉から苦悶の声が――いや、声にすらなっていない呻きが漏れる。傍にいる人達は誰も清火に近づけない。こうなった彼女に触れられるのは――彼女を止められるのは。

「清火!」

 人間である彼女とは異なるイアカスで。

 日本人である彼女とは異なる越境者で。

 けれど互いの胸によく似た光を抱く――私だけだ。

「清火」

 イアカスを殺すために造られたイアカスであり、

 神を屠るために創られた両性具有的神人である、

 ――私だけ。

「清火、やめなさい」

 肩を揺すると、はっと我に返った清火が若者の首から手を離した。

 その首は――真っ赤に爛れ、皮膚が破れていた。

「あ――」

 低温の火色――橙に揺れる瞳が、いつもの黒に戻ってゆく。

「……この方の治療が必要です。飛田さんを呼んできてください」

 清火は無言で頷くと、元来た道を足早に戻っていった。

 その場に残った私と住民達の間に、重苦しい空気が漂う。

「……見ての通り、私は確かに人間ではありません」

 害意がないことを伝えるためにできるだけ優しい声音で話そうと努めたが、考えてみれば私にはそんな愛想も愛嬌もなかった。

「ですが、あなたがたに危害を加えるつもりはありません。私達〈バーラエナ〉は、〈東北〉と横の繋がりを持つ独立した組織です。この集落は我々が責任を持って保護します」

 自分なりに精いっぱいの誠意を込めたのだけれど。

 きっと私の言葉は、彼等には届かないだろうなと他人事みたいに思う。

 彼等と私を隔てる壁。

 それはニンゲンとイアカス――相容れぬ存在を別つ、高くて厚い壁だ。

 私に、その壁を飛び越える羽はない。



 悠遠の昔、この世界にはたくさんの神様がいた。

 眩い光が降り注ぐ、カミとヒトが手を取り合い共に詠った世界。

 だがその神々は――もういない。

 人間が殺し、この世界から追い払ったからだ。

 繰り返された恐ろしい冬。

 終末へと疾り出した争い。

 畏れを忘れた人間族は、神族と戦い、殺め、世界を征した。

 神が去り、別たれた世界。

 神の恩恵を失った人間は、それでもなお永い年月をかけ力を増し、世界の安定を図ろうとした。

 かつて〈旧い神〉が安寧をもたらしていた世界は移ろい変わり果て、だからこそ世界は――この世界自体が、〈新しい神〉を求めたのだ。

 春雷。

 百年ほど前に世界を崩壊させたという、昏い冬の終わりを告げた神の稲妻。

 それは今とはまるで異なり平穏だったと云われる静謐な世界を、刹那の瞬きで打ち砕いた。

 春雷は各地で言い伝えとなり、巨大隕石の衝突とも、異常な地殻変動による大地震とも、某国の軍事兵器だとも噂されている。

 澄明な光に呑まれた世界。

 空は割れ、

 海は荒れ、

 陸は崩れ、

 多くの国が亡び、多くの島が沈み、多くの命が消えていった。

 黒い雨が降り、死の灰が舞い、誰もが世界の終焉を疑わなかった。

 原因は未だに解明されていない――いや、知らされていない。

 真実は隠されているだけだ。

 何が起こったのかもわからずに、この星は一瞬で恐慌状態に陥り、そして。

 彼等――いや、私達はやってきたのだ。

 母神デメテルより産まれし越境者――イアカス。

 自らをそう称する彼等は、不思議な力を操り傷ついた世界を修復し、少数ながらも圧倒的な武力で諸国を侵略していった。春雷によって壊滅的な傷を負い、既に国家の体を成していない地も多く、疲弊していた人間にイアカスの侵攻を防ぐことはできなかった。

 人類は為す術なく蹂躙され――現在、イアカスは世界中を闊歩している。

 イアカスはニンゲンではない。

 人間とは異なる種の生命体であり、人間とは異なる能力を持った存在である。

 外見は人間に近く、身体構造も極めて酷似している。個体によって特徴や性質がばらばらな部分もあるが、全てのイアカスに共通する点がある。

 それが〈カルディア〉だ。

 カルディアはイアカスにとって第二の心臓とも呼ばれ、全てのイアカスが体内のどこかに有している。

 大きさ、色、形は様々。概してその輝きが強い者ほど実力者だとされる。

 もちろん本物の、臓器としての心臓もある。だが不思議なことに、イアカスはカルディアを失うと生命活動を維持できなくなるのだ。逆に、カルディアさえ無事なら死の淵からも生還できるという。

 母なるもの――大地母神デメテル。

 百年前の春雷と共に現れたとされる、イアカスが信仰する神の名。

 その姿を見た者がいるのか、本当に実在するのか――私は知らない。

 女神なのか。

 天使なのか。

 悪魔なのか。

 怪物なのか。

 善なのか、

 悪なのか――

 いや――少なくとも大多数の人間にとって、デメテルやイアカスは善きものではない。

 春雷以後の、混沌とした世界に秩序を取り戻したのが彼等だとしても、人間とイアカスは決してよい関係を築いているとは言えない。

 イアカスは人間から国を奪い、統治・管理を進めてきた。

 イアカスからすれば、奪ったのではなく、ぼろぼろに壊れていたものを新しくつくり直したという認識なのだろう。

 結局、訪れたのは友好でも協調でもなく、戦争と闘争の時代。

 人間はイアカスに反逆し、自分達の国を――故郷を取り戻すために。

 イアカスは人間を救済し、自分達の神を――威光を遍く謳うために。

 人間の中には、イアカスに迎合し彼等と共に生きている者もいる。日本で言えば、中央枢府・天枢院に許可された者が、東京でイアカスと共に暮らしている。

 それでも、多くの日本人はイアカスの管理下に入ることを拒み、東北や関西にある大きな街で生活している。現在の日本でイアカスに対抗できる軍隊を所有し、安心して生活できる治安を維持している街は、仙台と京都くらいしかない。そこで暮らしたくない者は、荒れ地に囲まれた小さな集落や町村で細々と生きてゆくしかないのだ。

 人間とイアカスの共存を叫び、平和を目指す運動を起こす者は双方にいる。そうなればいいと私も思う。平和が一番だ。争いのない世界が一番いいに決まっている。

 けれど。

 人間とイアカスは――絶対にわかり合えない。

 イアカスの存在は、人間を滅びへと向かわせる。

 そして、私の胸の〈神臓(しんぞう)〉はイアカスを殺すための兵器。

 だから私は、イアカスと共に在ることができない。

 デメテルから産まれ、人間によって生かされている中途半端な生命である私。

 何を忘れてきたのか?

 何を置いてきたのか?

『私』は何なのか。

『私』は誰なのか。

 憶えていない。

 憶いだせない。

 もう十年以上前になる、あの日――

 昏い揺籃で眠っていた私は、人間達によって目覚めさせられた。

 憶えているのはそれからのできごとだけ。

 きっと本当の心は、あの日――亡くしてしまったのだろう。

 あの日から針は止まったまま動かず、私の時計は壊れたままだ。

 だから今の私は、『二人目』の私なのだと思う。

 ――あの集落へ向かった翌日。

 私達は後始末を任せてバーラエナの本部がある東北の都市に帰ってきた。

 とりあえず、あの集落からイアカスの影は消えてなくなったので、しばらくは安心だろう。隊に協力を要請し引き続き警戒に当たっているらしいが、それもずっとというわけにはいかない。あの地で暮らす限り、いつかまたイアカスが襲って来る可能性があるけれど、それでも彼等はあの地を――故郷を離れようとはしなかった。

 残された住民の保護と、イアカスに意見して殺された住民の遺体の葬送、ロードトレインに積まれていた貨物の調査など、やることは山積みだが、私と清火の任務は隊へ引継ぎを終えた時点で終わりだ。

 私達にできることは、戦うことだけだから。

 隊の基地に隣接して建つ、バーラエナの本部――広大な敷地内にある居住区の一角、誰も住んでいない建物が並ぶ中に、古びた二階建ての共同住宅がある。今にも崩れそうな外観で、何度も修繕を繰り返した跡があるアパートメントハウス。そこに私の部屋はある。

 夜。

 控えめな音で玄関の薄い扉がノックされた。

「――入っていい?」

 清火の声だ。

 清火の部屋は隣にあるが、実質的には私の部屋で一緒に過ごしている。そもそもここで暮らすようになったのは清火が強く望んだからで、イサナに頼み込んで許可してもらったのだ。私達以外に住んでいる人は一人しかいない。部屋の片づけや建物の管理は沙汀さんが任されていた。

 扉越しに鍵がかかっていないことを告げると、清火はおずおずと部屋に入ってきた。

 簡素な造りのこの建物は、壁が薄いために音が響く。清火が自室にいる時、彼女が水道の蛇口を捻ったりテレビをつけたりするのが音でわかる。今も扉の開閉の音が耳に届いたので、私の部屋に来るのは予想できた。

 パジャマ姿の清火は、置きっ放しにしてある彼女の私物とすかすかの本棚くらいしかない部屋の真ん中で、俯きがちにごめんなさいと言った。

 弱々しい声。

 私の前でだけ開いてくれる、嘘偽りのない彼女の心の扉。

 反省している気持ちは十分伝わってきた。

「怒ってる……?」

「怒っていませんよ」

 寝衣に着替え飾り気のないベッドに腰かけていた私は、同じく彼女の前でだけ出せる自然体の声で言った。

「ほんと?」

「本当」

「許してくれるの?」

「許すも何も、私のために怒ってくれたんでしょう? ありがとう、清火」

「でも、また抑えられなかった。どうしてもだめなんだ。頭が真っ白に――目の前が真っ赤に燃えて、体が動いちゃうんだ。自分の体じゃないみたいに」

「大丈夫――大丈夫です、清火。また一緒に頑張りましょう。今度は寝過ごしてもちゃんと起こしますから」

 私が笑みを浮かべると、清火も花のような笑みを小さな顔一面に咲かせた。

 両手を広げて抱きついてきた清火を受け止めて、そのままベッドに倒れ込む。

「ありがとう。僕、また頑張るねっ」

 耳元で甘えるように囁く清火を抱き締めながら。

「ママ、大好き――」

「……ええ、私も。――愛しています、清火」

 私は、彼女の頬に口づけをした。



 四年前。

 清火は両親を殺した。

 いや――両親だけではない。

 あの場にいた研究員は、全て清火に殺されていた。

 まだ十歳の女の子が、何人もの大人達を一夜のうちに殺害したのだ。

 あの燃えた施設で何が行われていたのか――そして、あの夜何が起きたのか。

 今となっては、詳しいことは不明だ。

 あの事件はバーラエナにとっても禍々しい――闇に葬るべき暗部となった。

 だが、判明していることもある。

 あの施設で行われていた実験にはバーラエナの一部の者が関わっていたが、組織はそれを把握していなかったという。

 火宮夫妻を中心に、およそ十年間続いた実験。

 そして、実験の犠牲になったのは夫妻の娘である――清火だった。

 彼等は禁忌を破り人間を被験体にして、カルディアとの接続を試みたのだ。

 カルディアと言っても、イアカスが持つ〈新しい神〉デメテルの欠片ではない。

 彼等が実験に用いたのは、この世界の〈旧い神〉のカルディア――かつての神の心臓と云われる、高次の物質である。

 それは遥か太古の時代から歴史と共に在り、星の記憶を刻み続けた神の聖遺物。

 旧い神が遺したカルディアは、光を湛えたまま世界の各地に存在していた。考古学上、従来の整序からは場違いな感じを与える遺物をオーパーツと呼ぶが、あれはカルディアが形を変えた姿だとされる。

 旧いカルディアが持つ神性はデメテルの力に対抗する貴重な手段であったが、それをどう利用するかが問題だった。

 カミの雄大な光は――ヒトの矮小な灯を呑み込む。

 その光にただの人間は耐えられない。

 つまり、天に届くほどの輝きを有する、神性の高い人間でなくてはならないのだ。

 そのために実験が繰り返し行われた。

 どのようにカルディアの力を人間に送り込むか。

 どうやってカルディアを利用した兵器を造るか。

 そして目的を実現するために、人間は――捕らえたイアカスを実験台にすることにしたのだ。

 もちろん公にではない。

 研究者の間には、イアカスは人間ではないのだから、人類のために有効活用するのは致し方ないという大義名分が立てられていた。

 捕獲。

 実験。

 失敗。

 処分。

 捕獲。

 実験。

 失敗。

 処分……。

 いくつもの屍――いや、屍ですらないただの『空の器』が積み重なった山の頂で。

 私は産声を上げた。

 だから私は、イアカスで在りながらデメテルの――母神の欠片を有していない。

 私の胸に宿るのは、人間にとっての母なるもの――天神の欠片、旧き神の心臓。

 人間でもなく。

 神人でもない。

 私は――なんなのだろうか。

 けれどそんなこと、どうだっていいのかもしれない。

 胸の中で神臓が叫んでいるのだ。

 デメテルを殺せと。

 イアカスを戮せと。

 私は機械だ。

 私は兵器だ。

 私は人形だ。

 私は偽物だ。

 だから、これでいい。

 これでいいのだ。

 ――でも。

 でもあの子は違う。

 あの子は――

 清火は、人間だった。

 人間の――女の子だったのだ。

 私を『ママ』と呼ぶ時、清火の心は――ここにはない。

 あの子は夢を見ている。

 永遠に抜け出せない、閉ざされた暗い光の中で。

 母親に愛される夢を。

 父親に好かれる夢を。

 事件があったあの日、清火を見つけたのは私だった。

 烟る深い森に隠されていた施設を、なぜか簡単に見つけられたのだ。

 そう、あの日私は任務で重傷を負って力尽き――

 誰かに呼ばれた気がして。

 何かに誘われた気がして――

 それがなんだったのか、頭の中に残っているあの日の光景は、霞がかかったようにあやふやで、今ではよく思い出せない。

 私は惨状を組織に伝え、清火を保護した。

 あれから四年が過ぎた。



 清火は夢を見ている。

 永遠に抜け出せない、閉ざされた暗い光の中で。

 清火は夢を見ている。

 鎖された昏い焔の中で……。



 ――そして今。

 清婉なる火の鎖に、いつの間にか私の心は縛られていた。

 烈しく灼ける森と、鮮やかに燃える空。

 あの時見た極彩色だけが、今でも色褪せることなく――

これを書いていた当時の記憶が甦って感慨深い……

仕事が本当につらくて、休日に家に籠って泣きながらキーボードをカタカタしていました

主人公のイーリスが暗い性格になってしまったのは、あの時の私の精神状態が影響している気がします

しかし、あのつらい日々も今ではよき思い出

私は救われました


GO is GOD

GO is GOD

GO is GOD...

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