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第4部 火の鎖、虹の釼  作者: 沙魚川 出海
火の鎖、虹の釼
18/20

【イーリス】(終)

これでほぼ終わりです

 環水平アーク。

 空に架かる橋、天を翔ける焔。

 極彩色の光の下で、私は貴女と出逢いました。

 貴女は気づいていないかもしれません。

 貴女は信じてくれないかもしれません。

 私にとって貴女は、あの燃える空から舞い降りた天使でした。

 イサナとの別離を経て独りの現実を思い知った私が、無邪気な貴女の笑みに何度救われたことか。

 独りで輝くことのできない虹は、貴女という太陽に照らされ、雨空に大きな橋を架けました。

 その橋の向こうに、どんな困難が待ち受けていようとも。

 貴女と二人なら、きっと――



 槍先で炸裂する鉄色の光、剣先でそれを霧散させる虹色の光。

 激しい攻防の末に、礼拝堂の壁は穴だらけになっていた。埃一つついていなかったマキシドレスがたたの襤褸切れになるのも、時間の問題かもしれない。一方、クシフォス・サーヴァの黒衣は全く傷んでいなかった。

 敵の攻撃は必殺、一度でも直撃したらそれで全てが終わる。空を切る槍。唸る鉄色。槍から放たれる鉄色の光は相殺できても、あの槍そのものが生み出す打撃と刺突を防ぐのは不可能だ。常に超感覚的知覚を全開で使用し、なお且つ同時に不羇術も操らなければならない状況が既に一分以上続いていた。こちらの攻撃は実質、カルディアへの干渉のみ。間隙を縫って不羇術を攻撃に回す余裕などまるでなく、このまま消耗させられれば確実に先ほどの二の舞だ。敵に自分の能力を知られているという事態が、戦いをこれほどまでに不利にさせるのだと初めて痛感した。

「――――ッ!」

 大振りの刺突。好機。躱しざま菖蒲色の光を帯びた剣を至近距離で振り抜く。剣自体は空振りだが、光が相手を呑み込んだ。黒衣の動きがわずかに硬直した隙に、渾身の左掌底を叩き込む。左腕から迸る虹色の閃光。同時に、腕を伝って鉄色の敵意が逆流する。赤、橙――それ以上踏み込めない。這入れない。

「く、う……ッ!」

 右手の剣を握り締め巨躯の太い首に狙いを定める。喉笛を突き刺すつもりで放った一撃は、首を捻られ掠っただけだった。首筋から血煙が噴き出し、白と黒を緋く染める。

「ぬぬ、ぐおおおあああっ!」

 信じられないことに強烈な反撃が飛んできた。膝が腹部にめり込み、蹴り飛ばされる。驚愕に値する精神力・集中力の為せる業であった。接触が解かれ、再び対峙する剣と槍。

 強い。

 新たなカルディアの神性を以てしても攻めきれない、神威を体現した黒衣の槍手。

「ぬああああっ!」

「――――ッ!? な……ッ」

 黒衣の背に――翼が生えた。鈍くぎらつく鉄色の極光が形を為し、現れたのは溶岩の如き炎を纏った――黒衣の巨躯が小さく見えるほどの双翼。いや、翼というより鉄の塊を繋いで大砲の形をつくり、それを肩の上に担いでいるように見えた。三対の瞳――炎を吐き出す火口がこちらを睨んだ。

 これがこの男最大のマギアか。

 翼が唸りを上げた。炎を撒き散らしながら射出される七本の槍。私は剣を振るう。不羇なる菖蒲色の光、極限まで引き出した神格。永劫へと疾る刹那の刻の中で、虹の光芒が世界を呑み込んだ。

 轟音と震動。列柱は折れ、天井は落ち、礼拝堂が崩れ去ってゆく。何がどうなったのかわからないが、まだ生きていることだけは確かだった。粉塵で何も見えない。息が苦しい。力が入らない。全て出しきった。何も見えない。手にしていた剣もどこかへ行ってしまって、立ち上がる気力すら湧いてこなかった。水滴が肌を濡らす。雨が降っているのだろうか。何も見えない。何も――

「あ――」

 何も見えない暗闇に――光が射した。

 天井がなくなったからか、見上げると空が広がっていた。小雨がちらつく灰色の雲間から、青空が覗いている。

 そこに私は。

 あの日の極彩色を見た。

 あの日――空から舞い降りた、美しい天使を。


「イーリス」


 そこにいたのは、清婉なる火を宿した少女。

 風になびく長い髪も熱情を秘めた大きな瞳も、迷いなく清み渡った黒を湛え――大人びた風貌からは太陽にも負けぬ光輝を放っている。少し伸びた背。心なしか胸の膨らみも大きくなっている気がした。

 私の愛する火宮清火の姿が、そこにあった。

「清火……?」

「生きてたんだ――よかった、本当によかった……」

 壁に凭れかかっていた私に、清火は震える手で抱きついてきた。私の胸に顔を埋める、愛しい清火。この体温。この鼓動。なんだかとても懐かしい。何年も離れ離れになっていたみたいだ。

「少し見ない間に、随分変わりましたね」

「そっちこそ。どうしたの、その髪」

 互いの顔を見つめ合って、私達は笑った。

 清火は立ち上がって目を凝らした。その視線の先に敵を捉えた彼女は、いつの間にこんな表情ができるようになったのだろう――決意に燃える力強い瞳をしていた。

 土煙の晴れた瓦礫の上に、黒衣の男――クシフォス・サーヴァが姿を現した。こちらは息も絶え絶えで力を使い果たしたというのに、黒衣には傷一つ見当たらない。

 未来に立ちはだかる、黒き槍手。

「なんだ貴様は――貴様もニセモノか!? ニセモノだらけかあっ!」

 そして――

 過去に立ち向かうは、焔の少女。

「偽物――そうかもね。わたしは本当の自分を知らない。自分が誰なのかわからない。本当の親も、本当の心も忘れてしまった。でもそんなの――今はどうだっていい」

 清火の周囲でパチパチと、炭火が爆ぜるような音が鳴り出す。その音は次第に大きくなり、同時に彼女の体から橙色の光が溢れ出した。電光を伴いながら明滅を繰り返すそれは、だんだんと真珠のような白色に近づき、やがて青白く輝きを増してゆく。雷鳴と共に稲光が走り、轟音が空気を震わせた。

「今度こそ僕は――大切な人を守る」

 電光と閃光の奔流。

 清火が手を翳しただけで、辺りに眩い光が炸裂した。

「ぬっ……! ぐ、おおおおっ!?」

 青白い焔は鉄色の光を灼き尽くし、

 青白い雷が鉄色の槍を壊し砕いた。

 黒衣が吹き飛ばされ、瓦礫の山から転げ落ちてゆく。

「――火雷(ほのいかづち)だ」

 いつの間にかすぐ傍にいたあの犬――フライがそう言った。

「ホノ、イカヅチ……?」

「イザナミより産まれし八雷神(やくさのいかづちのかみ)、其の一柱。あのガキに与えられた――いや、あのガキが有していた神格。黄泉国の劫火、燦然たる火色の紫電。神も人も憎み、生を奪う清怨なる雷神の欠片だ」

 強く、迅く、熱く、鋭く――敵を討滅する武器の具現。

 意志によって意思に従う――敵を灼き殺す雷神の顕現。

 この国に古来より伝わる、焔纏いし疾雷の神。

「がはっ、はっ――バカな、貴様はいったい……!」

 青白い焔を帯び、悠然と歩み寄る清火に、黒衣は初めて焦燥感を漂わせ後退った。

「僕は火宮清火だ! イーリスを傷つける奴は許さん!」

「ぐっ――お、おおおおっ!」

 激しい光が吹き荒れたあと。

 仰向けになって倒れている黒衣の男と、こちらに笑顔を向けている火色の少女。青白く燃え上がっていた瞳が低温の火色に変化し、やがて元の漆黒に戻ってゆく。

 そこに――空気を切り裂いてあの怪鳥が飛んできた。黒衣を拾い上げ、あっという間に空の彼方へと消えてゆく。声を上げる暇すらない見事な早業だった。

「ああっ! フライいるじゃん! いるならさっさとイーリスを助けてよ!」

「バカを言え。お前等がいるのになぜ俺が戦わねばならんのだ。俺の貴重なエネルギーをこんなところで使ってたまるか」

 止まっていた時計の針を動かし、年相応の背格好となった清火。背伸びをして私の頭に手を置くと、乱れに乱れた散切りの白髪を優しく撫でながら、悔しそうな顔をした。

「この体になっても追い越せなかったか……」

「ふふ、清火、まだ十四歳じゃないですか。これからまだまだ伸びますよ」

「うー。帰ったら、二人とも髪切らないとね」

 手を握る彼女の温もりが、空っぽだった私の心に火を灯す。

 私はぎゅっと、その手を握り返した。離さないように。無くさないように。

 けれど、まだ雨は降っている。

 私達にはまだ、やるべきことが残っていた。

「行こう、イーリス。僕達の問題は――まだ全て終わっていない」



 異臭がした。

 透明な液体が建物の至るところに撒かれている。

 清火が拘束されていたという部屋に、彼女――沙汀渚はいた。

「お二人とも、イメチェンしたんですか? まるで別人みたいです」

 沙汀さんは中央の機械――その中で眠る屍体に寄り添い、儚げに微笑んだ。

「サティ……」

「お二人は――先へ進むんですね。二人で、永遠の未来へ」

 沙汀さんは銃を持っていた。あの狐塚という男を殺した拳銃だ。

 そして、この臭い。

 ――ガソリンだ。

「わたしは、だめでした。先へは進めなかった。過去に戻りたかった。わたしは彼と――永遠の幸せを手に入れたかった。カルディアの研究を進め彼を甦らせ、そしてわたし自身もオメガとなり、永遠に……」

 沙汀さんは髪を束ねていたシュシュを取り、じっと見つめた。乱れた髪を気にすることもなく、髪飾りを大切そうに撫でる。

「あの施設で――わたしはカルディアと生命体の合一実験について学びました。清火君、貴女を犠牲にしてね。東北を売って、バーラエナを売って――イアカスに近づき特赦となったわたしは、ある時行方不明の七政――ゼフテラという女性の話を聞いたんです。ぴんときました。写真を見たらイーリスさんにそっくりの女性で……。彼女を捜しているというクシフォス・サーヴァに接触したのも、清火君の研究で得た知識がオメガ計画に役立つと踏んだからです。オメガ計画は天枢院とは別の組織が主導しています。彼等も一枚岩ではないようですね。清火君に復讐して旧きカルディアを手に入れたかったわたしと、イーリスさんに会いたがっていたあの男とは、利害が一致したんです。だから――手を結んだ」

「サティ、僕は――僕は」

「いいんですよ、清火君。元はと言えば自業自得――命を冒涜し、女の子を酷い目に遭わせた罰なんでしょう。わたし自身、逆恨みだと――わかってはいたんです。聖遺物を利用しても彼が甦る保証なんて、どこにもないのに……。それしか、わたしには希望がなかったから」

「僕は――殺したかったわけじゃない。信じてもらえないかもしれないけれど、僕はただ――守りたかったんだ。ママを虐める奴から、ママを守りたかっただけなんだ」

 清火は泣きそうな顔だった。けれど決して泣くまいとしていた。過去と向き合うために、過去を乗り越えるために。

「ええ。わたしは貴女に嘘を吐きました。清火君、確かに貴女は火継さんの実の娘ではありません。けれどあの方は――貴女を誰よりも愛していましたよ」

「ママは――パパにいつも叩かれて、殴られてた。ずっと我慢してたんだ。でも、あの夜――パパが僕を蹴った時、ママは――パパを刺しちゃったんだ」

 清火は震える声で続ける。

 憶い出したくない光景を、しっかり見つめながら。

「ママもパパも血だらけで、ママは泣き続けた。白衣の人達がママを責め始めて、それを見て僕は、ママを助けようとして――」

「清火」

「大丈夫――大丈夫だよ、イーリス。――なかったことにしようと思った。この場にいる人をみんな殺してしまえば、ママがパパを死なせてしまったことは隠せるんじゃないかって思って――思っただけのはずなのに、僕はいつの間にかみんなを殺してた。ママは僕を抱き締めて、そして」

 火を――放った。

 火宮火継は清火を愛していたからこそ、娘との心中を選んだのか。

 娘と共に死ぬことを選んだのか。

 だが――清火は死ななかった。

 母から継いだ人性と人格、焔から授かった神性と神格が、清火を生かした。

「清火君。わたしは火継さんの気持ちがわかる気がします。貴女のお母さんは、貴女を愛して――愛していたからこそ、貴女と一緒に死ぬことを選んだのだと思います」

「でも僕は――それでも、僕は一緒に生きていたかった。一緒に死にたかったんじゃない、どんな罪を背負ったとしても、僕は一緒に生きたかったんだ」

「清火……」

「僕は――イーリスと一緒に行く。もう喪うのは嫌だ。大切な人を守れないのは、もうたくさんだ。だから僕は――強くなる」

 沙汀さんは、清火に優しく微笑んだ。

 羨むような、そんな表情に見えた。

「清火君。イーリスさん。騙していてごめんなさい。嘘だとしても、偽物だとしても、貴女達と過ごしたこの四年間は――今思えば楽しかったかもしれません。貴女達の歩む未来を見てみたい気もしますが――ここでお別れです」

 わたしは彼と行きます――そう言って沙汀さんは、ポケットから取り出したライターを着火させ、ガソリンに引火させた。

 凄まじい勢いで燃え広がる炎の中、沙汀さんが拳銃を――頭に突きつける。

「――サティ! 僕達と一緒に帰ろう! 僕はサティともっと、もっと一緒にいたいんだ!」

「あらあら、浮気はよくないですよ、清火君。浮気は――よくありません。わたしはやっと彼と結ばれるんですから。最後まで、彼と共に――」

 一発の銃声が――私達と彼女の別離を告げる。

 結ばれた二人を送るのは、祝福の灯火か地獄の業火か――

 炎に追い出されるように、私達は建物から脱出した。

 雨上がりの空からは、眩しい太陽が覗いている。

「空が――燃えてる」 

 空を見上げて清火が呟いた。

 極彩色の光が――鮮やかに煌めいて空を燃やしている。

 神秘的で幻想的なその光景は、環水平アークと呼ばれるものらしい。太陽と同じ方向に、水平に広がるように架かる空の橋。

 私達が出逢ったあの日も――空は燃えていた。

 今――私が見ている空はあの日と同じ空だろうか。

 それとも違うのだろうか。

 私はあの日から前へ進んだだろうか。

 それとも何も変わっていないのだろうか。

 天に住まう者が地を征く我等に何かを知らせるように――夏の空に揺らめく焔のオーロラは、その美しさとは裏腹に凶兆を告げるものだとされてきたそうだ。

 火の虹。

 あの橋の向こう――私と清火が行く未来に、たとえどんな不吉が待っていようとも。

 二人でなら、きっと。

あとはエピローグ的なね

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