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第4部 火の鎖、虹の釼  作者: 沙魚川 出海
火の鎖、虹の釼
13/20

【溟き海にて、兄と邂逅せし遠き妹】

永遠の少年

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 全てが白い。

 いや、色がないのか。

 空も。

 雲も。

 花も。

 草も。

 砂も。

 土も。

 海も。

 そして、自分自身も。

 自分の感覚がとても希薄だった。このまま風に溶けてしまいそうなほど薄く、海へと流れていってしまいそうなほど軽い。

 だが、それが心地よかった。

 無意識に――海のほうへと足が進んでいた。

「イーリス!」

 いつの間にかすぐ傍に、よく見知った顔があった。カジュアルなワンピース姿に、私とお揃いの麦藁帽子。肩にかかる濃藍色の髪も、向日葵のように咲く笑みも、色鮮やかに輝いて見えた。

「お待たせー! 待った?」

 がばっと抱きついてきた彼女を抱き返し、いいえ、全然――と返す。

 私はいつまでも待てますから。

 ずっと、ずっとイサナを待っていられますから。

 だから、ゆっくりでいいんです、イサナは。

「イーリス……なんだよ、泣きたくなるじゃんか。あたしだって、あたしだってさ――」

 腰に手を回しながら、彼女は幸せの言葉を口にする。

 嬉しかった。

 こんな私を必要としてくれる人がいる。

 こんな私を強く求めてくれる人がいる。

 この人とならどこへでも、どこまでも行ける気がした。

「ほら、イーリス。行こう! こっちこっち!」

 イサナが差し招いているほうへ、一歩、歩み寄る。

 海のほうへ、一歩、また一歩。

 すると波打ち際に集っていた見知らぬ男女が、私を取り巻いて話しかけてきた。

 誰だ、この人達は。

 あれ……?

 イサナはどこへ――

「ゼフテラァ! 何やってんだよ、おせーよ!」

 鎌を持った娘が不機嫌な声でそう言った。

「僕は構わないさ。むしろたまにはこういう時間も必要だろう。そう、二人を別つ時間が長ければ長いほど、距離が遠ければ遠いほど、再会した時の愛は火山の如く燃え上が――いてっ」

 鎗を持った青年を、鎧を身につけた壮年の男が殴った。

「七人揃ったのはいつ以来だ?」

 ホルスターに銃を収めた少年が静かに言った。

 リン、と錫を鳴らし、性別不明の若者が答える。

「ん~、半年ぶりくらいかな?」

 そして、釵で髪を結った女性が穏やかに、安らかに微笑みながら。

「お帰りなさい、ゼフテラ」

 ――あ。

 なんだろう、この感覚。

 私はこの人達を知らないのに、向こうは私を知っている。

 自分が自分でなくなるような、他人の中に自分が這入り込んだような、違和感。

 右手に持った釼を顔の前でまじまじと見つめる。

 この剣は――私の?

 私の剣?

 刃に映り込んだ影が、ぐにゃりと曲がって笑みを形づくったような気がした。

 六人の男女が、海のほうへと向かい歩を進める。もう波が踝まで届いて、足が濡れている。

 待って、置いていかないで――

 はっとして目を凝らす。

 誰か。

 誰かいる。

 腰まで海水に浸かり白い波に揺られながら、目を据えてじっとこちらを観察している女の子だ。

 少女は私が手にしていたはずの剣を右手に提げ、口を開くことなく背を向けると、もっと深いほうへどんどん進んでゆく。

 あれは――誰だ。

 白い髪に、碧い瞳。

 女の子は剣を振り上げ、何度も何度もそれを海面に叩きつけた。波の飛沫がばしゃばしゃと音を立て、けれども全く意に介さず剣を海面に突き刺し、振り下ろし、振り返ってはまた叩きつけた。

 何をしているの……?

「見てわからないの? こうするとみんな死ぬんだよ。ほら、こっちにもいっぱいいる。切らなきゃ、いっぱい切って殺さなきゃ」

 どうして?

 どうして殺すの?

「だってっ、私っ、これしか知らないものっ」

 ばしゃん、と海水が跳ね上がる。

 幼い顔つきに冷たい月影を宿した女の子は、剣を振り回し、無表情に、淡々と。

「お姉ちゃんだってそうでしょっ」

 え――

「ほかに何か知ってるの?」

 女の子が遠ざかってゆく。お姉ちゃんもこっちへおいでよと、剣を振って私を呼んでいる。

 どんどん遠ざかる面影。

 どんどん失われる幻影。

 今行かなければ、もう二度と取り戻せない気がした。それがほかの全てを犠牲にしてでも取り戻さなければならないものなのか、それとももっと大切なもののために切り捨てなければならないものなのか、心のどこかで自問する自分がいた。

 けれど答えを出す前に、吸い寄せられるように体が海へと向かう。

 一歩、また一歩。

 ゆっくり、私は、溶けるように、消えるように、海の中へ――

「そっちへ行っちゃいけないよ」

 少年の声が前進を止めた。

 砂浜に佇むボーイソプラノの少年が、微笑みながら私を見つめている。

 真っ白な世界と同じ、色のない美貌と静謐を湛えた少年――しかし、妙に存在感のある少年だった。

「はじめまして、ゼフテラ。いや、イーリスと呼んだほうがいいのかな」

 変声期前の男子の声で、少年は言った。

 貴方――は。

「僕はリュアイオス。リュアとでも呼んでくれ」

 リュア少年は私を導いて、砂浜を歩き出した。穏やかな海が奏でる波音だけが、世界に快い彩りを添えている。閑かな世界がどこまでも続いていた。

「さあ、座って話そうか。時間はいくらでもある」

 砂浜にぽつりと置かれている木のベンチ。私達は並んで腰かけ、しばし海を眺めた。

 ――あの。

「ん?」

 どうして私の名前を?

「そりゃ知ってるさ。あいつが気にかけていたからね。それに――ここにはなんだってある。知ろうと思えばわからないことなんてないかもしれないよ」

 あいつ――とは。

「そっか、君は記憶がないんだったね――それとも、憶い出せないふりをしているのかな? イアカスでありながら、旧き神の心臓を有する者――か。まさかそんな変則的な存在が生まれるなんて、やっぱり人間ってのは怖いなあ。イアカス嫌いのあいつにとっては、確かに悩ましい存在だ、君は」

 リュアの話はよくわからなかった。

 けれどなんだか――郷愁に駆られる、どこか懐かしい声音だった。

「ここで何をしているのかって? 海を見ているだけさ。そしてここに迷い込んだ人に、できれば家に帰ってもらってる。そもそもここはどこかって? まあ落ち着いて。君達が言うところの、溺屍体ってあるだろ? 春雷が落ちてアナスタシスが起き、織り重なった世界の境界が貫かれた――その結果生まれるようになった存在だ。ヒトの願いが天に穴を開け、本来在るべきでないものを呼んでしまった。その穴の中――不確かな境界、境目の揺らぎが、ここだよ。この岸辺に迷い込み、海で溺れてしまった者は――もう元には戻れない。この海の底を目指すということは、安らぎを求めるということ。だから現実世界で彼等は楽園を目指すんだ。正確には楽園の――母なるものの光を、ね」

 ヒトの願いが――デメテルを呼んだ……?

 春雷は、人間によって引き起こされたものなのですか?

「んー……ちょっと違うけど、そうとも言えるね。旧き神を殺し、別たれた世界で光を失った人間は、それでも力を増し続けた。その力こそ境界を貫き越える力――君達が溟海法と呼んだり不羇術と呼んだりする異能力」

 その力が、境界を貫いた……?

「そう。目覚めた人間の願いは天に穴を開けた。でも、いくら人間の力がすごいと言っても、旧き神の光――その残滓でそんなことはできないよ。同時に反対側から抉じ開けようとでもしない限りはね。――だからこれは、人間だけの責任じゃないんだ」

 貴方は、いったい……。

 リュアは静かな瞳で私を映す。心の中を見透かされているような気がして、どきりとした。寂しげな色を走らせた双眸で、少年は今まで何を見てきたのだろう。

「さて、時間はいくらでもあるけれど――君の場合、のんびりしている余裕はないか。半神半人のイーリス――君はイアカスなのかな? それともニンゲンなのかな? 君は自分自身に、納得のいく『答え』を持っているのかい」

 ――私の、答え……?

「『答え』っていうのは、自分自身を縛る鎖だ。生きていれば皆、何かしらの答えを見つけるだろう。一つの答えが次の答えと繋がり、いつしかそれにがんじがらめにされるんだ。自ら導き出した解に律せられ、それに殉じ、命は朽ちて逝く」

 私が出してきた解。

 私を縛ってきた鎖。

 今になって、自分は何も考えずに生きていたのかもしれないと思った。

 機械だとか、兵器だとか、人形だとか、偽物だとか。

 それは果たして自分自身で考え抜き、導き出した答えだったのか。

 それとも、難問に挑戦する勇気を持たず、他人の答案を丸写しした答えだろうか。

「でも、鎖には二つの種類があるんだ。一つは短くて繋がりのない鎖。確かに動きやすいだろうね。答えを持っていないから、束縛されず、空だって飛べるかもしれない。君はそれを――自由と呼ぶかい?」

 海を眺めながら、リュアは続ける。

「もう一つは――長く繋がった鎖だ。これは重いよ。とても動きづらい。でも、鎖が頑強で強靱であるならば、鎖は鎧となって鋼鉄の意志を生むだろう。――君の鎖はどうだい、イーリス」

 私は――どうだ。

 ちゃんと答えを見つけたか?

 しっかり自らを見つめたか?

 いや――

 まだだ。

 まだ私は、何もわかっていない。

 自分のことも。

 彼女のことも。

 全て諦めて放り出していただけだ。

 一つ。

 一つだけ、私を縛る鎖があるとするならば。

 それは熱く、燃え上がる火の鎖。

 私の身を焦し、私を心を燃やすあの子への想いだ。

 立ち上がった私を見上げ、リュアは楽しそうに笑った。

 海のほうを指差して、彼は言う。

「こっちにはいつまでも続く幸せの路がある。望むままに――不滅にして無限なる過去を廻り続ける、溟い海を渡る旅路だ」

 陸のほうを指差して、彼は言う。

「こっちにはどこへでも続く別れの途がある。望まずとも――必滅にして有限なる未来が迫り続ける、昏い野を征く旅路だ」

 君はどっちへ行くんだい――少年の問いに、私は即答する。少年も予想していたのか、背中を押してくれるような笑顔で、私を送り出した。

「あ、そうだ。あいつに――   に会ったら伝え    よ。たまにはシャワー  洗ってもら    」

 色のない世界に、光が射し込んだ。

 私は前へ――虹色の光へ向かい、前へ進む。

『イーリス。花咲く光の季節に、眩いその世界で――いつの日か、また逢おう』

 他人とは思えない、不思議な少年との不思議な邂逅は、そこで終わった。






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いつか書きたいリュアとフライの話

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