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第4部 火の鎖、虹の釼  作者: 沙魚川 出海
火の鎖、虹の釼
12/20

【清火】(四)

うーむ

「――おはようございます。気分はどうですか?」

 ぼうっとしていた頭が、一気に冴えてゆく。

 ここはどこだ。

 わたしはいったい――

「うるさいから黙らせたとクシフォス・テッタが言っていましたが、憶えていませんか?」

 テッタ――あの女!

 部屋にいたらいきなりあの女が現れて、わたしに用があると言って、まどちゃんがやられて――まどちゃんはたぶん大丈夫だ、心配だけど、ああ見えて結構強いから、きっと大丈夫――わたしも変な鳥に乗せられて、それで暴れて――そこからの記憶がない。

「――って、サティじゃん! 何してるのこんな、とこ……ッ!?」

 そこでやっと、わたしは自分の身に起きている異変に気づいた。

 体が動かない。腕も足も感覚が麻痺していて、なくなってしまったみたいだ。なんとか動かせる首を曲げると、金属製の拘束具によって後ろ手に縛られていた。鎖がじゃらじゃらと擦れたが、触覚が麻痺しているせいで外せそうにない。

「な、何これ? どういうこと? ねえサティ――」

 手術室のような部屋だった。

 いろんな機械が置かれ、かすかに薬品の匂いが漂っている。目についたのは、部屋の中心にある一際巨大な丸い装置。天井を這う何本もの管がそこに集まり繋げられている。カバーで覆われていて、中身は確認できなかった。

「少し強い注射を打たせてもらいました。ちょっとした毒では、貴女にはほとんど効果がないので」

「サティ――ねえってば」

 いつもと同じスーツ姿に、いつもと違う表情。眼鏡の奥の瞳は冷ややかで、わたしをきつく射竦めた。

「清火君――貴女は憶えていますか?」

 サティは淡々と話す。

「四年前のあの日、貴女が何をしたか。貴女がわたしから何を奪ったか」

「四年前……?」

「わたしは貴女を許さない。わたしの大切な彼を殺した――人殺しの貴女をっ!」

 ひとごろし?

 よねんまえ?

 わたしが?

「この日をずっと待っていたの。貴女に奪われたものを返してもらう日を……」

 よねんまえ――四年前。

 わたしは――殺シタ。

 人ヲ何人モ切ッテ殺シタ。

 なぜ?

 どうして殺シタんだっけ……。

「僕は――僕は、殺したかったわけじゃ……ない」

「……はあ?」

 どうしてそんなことをいうの。

 しんじていたのに――どうしてわたしをいじめるの。

 いたい。

 いたい。

 パパ、やめて。

 ママ、たすけて。

「う、うううううう」

 よるがこわい。

 よるになると、あのおとがきこえる。

 なぐるおと。

 たたくおと。

 ひめい。

 たすけなくちゃ。

 わたしがたすけなくちゃ……。

「ぼくは――わたし、は……」

 うまく息ができない。これも薬のせいだろうか。目の前が暗くなってゆく。どんどん暗くなってゆく――

「あんたはそうやって、いつも逃げるのね。殻に閉じ籠もって、嫌なことから目を背けて。ふざけないでよ。絶対に思い出させてやる――あんたが犯した罪を。そして彼に謝ってもらうわ」

 サティがわたしの髪を掴んで、無理やり顔を上げさせた。間近で見る彼女の顔は、怒っているのか喜んでいるのかよくわからなかった。

「わたしの彼はね、バーラエナで研究員をしていたの。真面目で努力家で、とても優しい人だった。火宮博士が人と聖遺物の合一実験を始めてから数年後、彼もそのメンバーに加わってね。当時東北に所属していたわたしも、あの森の研究所に出入りさせてもらったわ」

 火宮博士。

 白衣の人達はパパのことをそう呼んでいた。

 憶い出したくない響きだった。聞きたくない響きだった。

「火宮夫妻と被験者の少女が暮らしていた施設には、バーラエナに怪しまれぬよう、数か月に一度博士の賛同者が集まっていた。何度目かの実験で、少女へのカルディア移植には成功したものの、同調が進まない状況が何年も続いていたそうよ」

 被験者の少女。

 冷えきった眼差しを向ける白衣の人達。

 ――切って、開いて、弄って、取って。

 何度も痛い思いをした。

 ――繋げて、戻して、縫って、閉じて。

 何度も怖い思いをした。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 放置されても、勝手に治った。

 放っておいても、すぐ治った。

 治りたくなんかなかった。

 早く終わってほしかった。

 一人だけ――わたしに優しくしてくれた人がいた。

「事件が起きたのは、四年前のあの夏。突然暴れ出した被験者の少女が、夫妻と研究員を皆殺しにした……! あんたが――あんたがあの人を殺した……!」

 わたしが殺した。

 あの夏。

 あの夜。

 守りたくて。

 大切な人を守りたくて、声に耳を傾けた。

 ――殺セバイイ。

 ――嫌イナモノハ全テ、灼キ尽クシテシマエバイイ。

 まもりたくて。

 ママをまもりたくて。

 だれから?

 どうしてママをたたくの?

 ママのかおが――おもいだせない。

「でも、もうすぐ彼は帰ってくる……。貴女からこれを返してもらえば、あの人はまたわたしを抱いてくれる……」

 人差し指で胸をなぞられた。

 恍惚としたサティの目に映っているのは、わたしではなく違う誰か。

 サティは部屋の真ん中に設置されている、丸い装置を操作し始めた。覆っていたカバーを外すと、現れたのは透明な液体で満たされた水槽のような機械。

 その中に――

 屍体が入っていた。

「さあ、彼に謝って」

 男の人だ。

 屍体だと思ったけれど、まさか生きているのだろうか。とてもそうは思えない。全身が爛れ、皮膚が破れている。頭髪はほとんどなく、首筋に大きな傷痕があり、空洞となった眼窩が露出していた。鱗のようなものが覆い、人外の肌に変容している箇所もあった。

 部分的に溺屍体化――いや、オメガ化しているのだ。皮膚に刺さっている何本もの細い管が、あの人を――あの屍体を生かしているのだろうか。

 サティはこの人に――デメテルの欠片を与えたのか。

「謝ってよ――謝りなさい!」

 わたしは茫然と、男の人の目を見つめた。

 もう眼球が収まっていない――黒い穴を。

 わたしが殺した……。

 この人を……。

 あの施設にいた白衣の男……。

 検診だと言われた……。

 病気を治すためだと言われた……。

 誰もわたしの話を聞いてくれなかった……。

 一人だけ……。

 ママだけが、わたしの話を聞いてくれて――

「ママ……」

「――は? ママ? 火宮火継のこと?」

 サティが、腹を抱え狂ったように笑い始めた。バカじゃないの――と、憐れみの色をありありと声に滲ませながら。

「火宮火継があんたのママなわけないでしょ! あんたは所詮、ただの孤児なんだから!」

「え……」

 ママ――が?

 何度も思い描き、そのたびに塗り潰してきた母親の幻想。

 顔も思い出せない――それでも母と信じて疑わなかったあの温もりが。

 ママじゃ――なかった?

「教えてあげるわ。十五年ほど前、暴力団による異人狩りや人身売買が横行した時、証拠隠滅のために日本人の孤児が大勢捨てられるという事件があったの。火宮博士はね、その孤児達を裏世界に働きかけて引き取った。もちろん、実験に利用するためにね」

「ま、さか」

「そう。その中の一人が――清火君、貴女なのよ?」

 じゃらじゃらと。

 鎖がきつく絡まる音が聞こえた。

 痛いほどに強く――鎖が全身に巻きついてゆく。

「実の娘を使って実験なんてするわけないじゃない。あんたは元からあの二人にとってはただの道具――壊れてもいい存在なのよ」

 うそだ。

 うそだうそだうそだ。

 だって、だってママは――

 わたしはママをまもりたくて――

 あれ?

 でもそれもきのせいだったのかな?

 もう、なにがなんだかわからないや……。

 わたしはだれなの?

 ママにあいされないわたしは、いったいだれなの?

「そうそう、もう一ついいことを教えてあげる。面白い記録が残っていてね。引き取った孤児達は、実はほとんどが既に死んでいたらしいの。死んでいる赤ん坊なら、どう実験に使っても自由よね? つまりね、あんたは一度――事件に巻き込まれて殺されているの。カルディアの力で生き返ったのよ。言い換えれば、純粋な旧きカルディア――聖遺物には、人間の生命すら甦らせる力がある……!」

 そこに、黒リボンの女が姿を現した。拘束されたわたしを興味なさそうに一瞥し、サティと話し始める。

「取り込み中か?」

「いえ、別に。クシフォス・サーヴァは?」

「あいつは人形を修理してたよ。現実を知ったら、あのバカも立ち直ると思ったんだけどな……。ゼフテラのことはみんな諦めてたのに、あいつだけ頑なに信じてたから。七政の空いた枠を埋めるのにもずっと反対してるし。あいつ、ゼフテラに全然相手にされてなかったくせに……。ま、ゼフテラは一匹狼だったから、相手にされてなかったのはサーヴァだけじゃないけど」

 ゼフテラ……。

 イーリスの昔の名前、だ。

「あたしはそろそろトウキョウに戻るぜ。これ以上怪しまれたくないしな。嘘吐いて仕事さぼってるんだ、ばれたら洒落にならねえ」

 じゃ、あとは好きにやれよ――そう言って黒リボンは消えていった。わたしは混乱しながらも、一言――訊かなければならない言葉を口にした。

「イーリスは……?」

 人の話を聞くのがこんなにも怖いと感じたのは、初めてかもしれなかった。

 自分で訊いておきながら、答えを聞いてはいけないような気がした。

 けれども、残酷にもこの耳は――サティの返答を一言一句聞き漏らすことはなかった。


「イーリスさんは死にました」


 視界がぐるぐる回り、ぐにゃりと歪んだサティが喋っている。

「もう誰も、貴女を待っている人はいません。だから――貴女のシンゾウを返してくださいね」

 死んでください、清火君。

 サティは――沙汀渚は嬉しそうに笑いながら、そう言った。

読み返すとなんとも言えん

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